110 真の神樹
「吐きそうになるくらいにデカイ……」
あまりにも巨大なものを見ると畏怖の念を抱いたり、スケールがわからなくなったりすると言うが、今まさに俺はその感覚を十二分に味わっている。
でかい、でかすぎる! と言うかこの神樹は、神社の敷地面積全てよりもでかいんじゃないだろうか? 神樹のてっぺんは雲の上にまで到達しており、視認することすら出来なかった。しかし、こんな超絶デカイ樹が日本にあったならば、世界的に大騒ぎになっているはずなのに、どうして誰も気がついていないのか?
「あ、そのための結界か……」
どうやら結界には視認を阻害する能力があるのだろう。そうでもなければ、この神樹の大きさならば、日本の何処からでも見えてしまう。
「ふふふふ、あまりの大きさに驚いているようだな? とは言え、これもまた幻術の類なんだけどね」
まるで自慢のおもちゃをひけらかす子供のような口調で若様は言った。
「それは一体どう言う……?」
「本当の神樹はこの中にあるのさ」
若様が先頭を切って歩き、神樹の目前まで来ると何やら呪文のようなものを唱えだす。するとどうだろうか、絶壁の如き神樹の表面が波打つように歪みだした。若様はその中に手を突っ込むと、その手はするりと壁面の中へと吸い込まれていった。そのまま次は身体全身を壁の中へと潜り込ませていく。
「さぁ、こっちだ」
若様は最後に残った右手だけを神樹の中から出して、こちらを手招きした。
「このバカでかいやつが幻術だってのか……」
俺も真似するように神樹を手で触れてみる。するとまるで水を触るような感触を感じた後、その手はするりと通り抜けてしまった。俺は勇気を出してその中に顔を突っ込んで見る。
「こうなってんのかよ……」
神樹の中に神樹があった。
このありえないほどの大きさの神樹は全て幻術で、その幻術に守られた中には、神様でも済んでいそうな荘厳なる草原が広がり、その中央には大きな湖があった。そしてその湖の中に一本の大きな樹が立っていた。高さは百メートルほどはあるだろうか、青々とした葉が湖面に映っては、まるで絵画のような風景を造り出していた。そして離れた場所からでも、神聖な気のようなものが溢れ出ては、頬を優しく撫でてくれているように思えた。
「この聖地に足を踏み入れることの出来た幸運に感謝するが良い」
『聖地』確かにその言葉がこの場所にはピッタリと言えるだろう。空から天使が舞い降りてきても、何ら違和感がないほどに、この場所は清浄に澄み切っていた。大きく深呼吸してみれば、その空気を味わうだけで満腹感を感じてしまうほどに心を満たさせてくれる。
「さて、愚かにもこの聖地を襲おうとする物どもが集まってくるまでは少し時間があるようだ。しばしゆっくりとするが良い」
若様は着物が汚れることなど無視して、草むらにごろりと寝転がった。こういうところは、完全に子供だった。
「待ってくれ、集まるって言ったよな? それはどう言うことだ?」
「ここまでの道の結界だけをわざとゆるくしておいたのだ。愚かにも何も知らぬ奴らはここに集められるという算段さ。まぁ幻術の中にまでは入れないだろうから、奴らが来たら外で応戦することになるがな」
「な、なるほど……」
敵を一箇所に集めて一挙に叩く。用兵的には正しいのかも知れないが、そんな大挙してくる奴らを殲滅することが出来るのだろうか? 俺には無理だ。となれば、全てはレックスにかかっている。
「お前ならやってくれると俺は信じているぞ!」
俺はレックスに向けて親指をつきたて見せる。
「ふむ、しかしこの神社内の結界の中では、私の空間を引き裂く能力は使えませんがね」
レックスは自分の目の前の空間を引き裂こうと試みたが、少しばかり空間にひずみが出来るだけでしかなかった。
「え……。それってまずいんじゃ……」
頼みの綱のレックスの能力が封じられたままで、魔物の大群と戦う? それって自殺行為なのでは……。こんなことならば花火のやつを連れてくればよかった。あいつならば、結界など物ともせずに、何が来ようともパンチ一発で終わらせてくれたに違いない。
「あ、あれだよな。いざとなったら、若様が手伝ってくれたりとかは……」
俺が助けを求めるように、寝転んで葉っぱを食わえて遊んでいる若様に言葉を投げかける。
「ん? 我は何もしないぞ? だってこれは試練なのだからな。我が手伝ったら試練にならんだろ?」
若様はこちらの心配など気にかけることもなく、くわえた葉っぱを笛のようにピーピーと鳴らして遊んでいた。
「そうだ。それより一つ聞きたいことがある……」
若様は口くわえていた葉っぱを吐き捨てると、上半身を起こしてこちらを振り向いた。
「お前たちは恋人同士だったりするのか?」
俺は一瞬その言葉の意味がわからなかった。お前たちが誰と誰を指しているのか理解できなかったからだ。しかし、若様の視線からそれが俺とレックスのことであるということがわかり、俺思わず口から何かわからないものを吹き出しそうになった。
「は、はぁァァァ!? そんな訳あるわけ無いだろ! レックスと俺は男同士だぞ!」
不幸中の幸いか、レックスは少し離れた場所で周囲を散策しており、その言葉は耳に入っていないようだった。
「ん? 何を不思議なことを言うのだ? 男同士が愛し合うのは普通のことなのだろう?」
「は……?」
最初、若様が俺をからかうために、冗談か何かを言っているのだと思っていたが、今も不思議そうにしている表情から察するに、本気でそう思っているようだ。この年頃の子供が、何をどうしたらこんな性癖に達するのか……。と、そこで俺は一つのことに思い当たった。
「ちょっと待て! 男同士が愛し合うのが普通ってのは、誰から教えられたんだ?」
「ん? 銀孤のやつが教えてくれたぞ。男同士の恋愛こそが世界で一番ピュアで可愛いのだとな」
嫌な予感の的中に俺は思わず手で顔を覆った。どうやら中二病は金狐が、ボーイズラブは銀孤によって教育されてしまったらしい。こうして中二病の腐男子が完成してしまったのだ……。若様の将来はこれでいいのか!?
「あれだな……。若様も色々と大変なんだな……」
俺は心底同情した。
「ん? どう言うことだ?」
「いや、なんでもない。あと、俺とレックスは恋人同士じゃない! それだけは断言しておくからな!」
「そうかぁ、違うのかぁ。ふーん」
何やら若様は少しがっかりしているようだった。一体俺とレックスに何を求めていたのやら……。
はぁ、と大きなため息を付きつつ、これからの若様の成長を憂いていると、不意に若様の頭の上の耳はピンと立った。それと同時にレックスが身構える。俺はと言えば、『え? え?』と頭の上におクエスチョンマークを浮かべるだけだった。
「じゃ、幻術の外で待ち受けるぞ?」
若様がクルリと一回転して飛び起きると、そのままスタスタと幻術の外へと向かっていく。
「やりますか」
レックスもそれに続く。
「?」
俺も分けもわからないまま後を追っていく。
幻術の外に出て最初に見た光景は……威嚇するように唸り声を上げる数匹の魔物の姿だった。
俺はその咆哮に思わず尻餅をついてしまう。だがレックスはまるで意に介さずに魔物の方へと歩いていく。
それを見て、まず一番の標的をレックスと認識した魔物たちは、地面を強く蹴り上げ跳躍すると、牙を向いて左右同時に飛びかかる。魔物とレックスが交差した刹那、一陣の閃光が走った。
「まずは二匹……」
レックスの両手の爪は剣のごとく伸び、その刃先にはどす黒い血が付着している。そして、飛びかかった二匹の魔物は同時に上半身と下半身を真っ二つにされ、その場に倒れ絶命していた。