108 抜刀術
俺は最初、自分の身体が何かしらの理由で、倒れて横に寝転んてしまったのだと思っていた。それはそうだろう、まさかいきなり自分の首が斬り落とされるなんて誰が想像するだろうか? いや、本当は想像しておくべきだったのだ。用心するべきだったのだ。何故ならば、俺を取り巻く現実というやつは理解不能のカオス状態がデフォルトであり、超常異常という名の湯船の中に、頭の先までどっぷりと浸かってしまっているのだから。
「あれ、起き上がれな……い」
まだ自分の状況に気がつけないでいる俺は、身体を起こそうとしたが瞬き以外に何一つとして動かすことは出来なかった。それもそのはず、命令を出した頭と身体は物理的に分断されていたのだから……。それに気がつくのに、数秒の時間を要した。
そして……
「うぎゃぁぁ……」
俺は喉が張り裂けんばかりに大絶叫をしたつもりだった。だが、声を出すため肺から送り出される空気は存在しないので、声は出ずにただパクパクと鯉のように口を動かすだけだった。
――まずい、まずすぎる……。これは確実に死ぬやつだ。レックスの空間を切り裂くとかそういうんじゃなくて、マジでアレなやつだ……
俺の意識が一秒ごとに遠のいていく……。瞼を開いている力がなくなり、ゆっくりと視界が狭まっていく。
「若様ー! いきなり首チョンパしちゃダメです、ですー!」
銀孤の声がかすかに耳に聞こえた。その声を聞いたのを最後に、俺の五感全てが暗闇に飲まれてしまう。
……
…………
……………………
何も見えない、何も聞こえない、何一つ動かせない。
そんな闇の中で、一つの光を見た。その光は次第に人の形を成していく。だがそれは人とは少し違っていて、頭の上に耳があったのだ。
「はっ!?」
眩しく優しい光に包まれて、俺は目を覚ました。そして最初に見たものは、銀孤ののほほんとした笑顔だった。
「良かったです、ですー。治癒術が間に合いましたー」
このときの俺は、まだ自分が天国にいるのではないかと思っていた。呆けた面で俺は首を左右に振って周りを見る。俺の横にはレックスが仏頂面で腕組みをして立っていた。まぁ仏頂面でもイケメンなのが恨めしい。そして、上座には若様が頭の上に漫画のようなタンコブを作って膨れっ面をしてた。その横には金狐が、またしても謎なキメポーズをしていた――が、よく見るとブルブル震えていた。
俺は改めて首を動かして周りを……と、この時、俺の首が胴体とつながっていることにようやく気がついた。
「な、治ってる!?」
俺は両手で首を擦ってみる。何かベトベトした液体が付着しているが、ちゃんと繋がっていた。痛みもないわけではないが、それほど大したものではなかった。
「い、生きてるって素晴らしいー」
命があることに感涙し、信心などなにも無いのに、よくわからないままに手を合わせて神に感謝の言葉を述べた。
「感謝の言葉はー、神様にじゃなくてー、銀孤に言ってもらいたいのです、ですー」
銀孤はちょんちょんと俺の肩口を指先でつついては、治療の報酬を要求してみせる。
「そうですねー。銀孤的にはー、そこのイケメンさんとの絡みのシーンをスケッチさせて頂けると、超嬉しいんですけどー!!」
どこまでも腐った狐だった。
「まぁ、絡みは兎も角、感謝してるぜ。しかし、俺の首はどうやって繋げたんだ? やっぱり、九尾の狐だけに妖力みたいなので治したのか?」
「えっとですねー。それは、銀孤の唾液で繋げましたのです、ですー」
銀孤は口を開いて、ペロリと長い舌先を出してみせた。
「え?」
銀孤の唾液と言えば、こいつは事ある毎にダラダラとツバを垂れ流していた。確かに、小さい頃は『怪我したら唾つけとけば治る』とか言ってたような気がするが……。あれ、そう言えば唾液にはそういう作用が本当にあるんだっけか? となると、九尾の狐の唾液には人間とは比べ物にならない、治癒作用が……。ってか、さっき触った首のやつは、こいつのツバだったのかよ!!
俺はまだべっとりとツバの付いた手を、自分の服にこすりつけて拭いとった。
「首も戻ったことですし、話も元に戻しませんか?」
レックスが俺の肩を捻り潰す勢いで掴んできた。メキメキと俺の肩の骨が軋む音が聞こえる。どうやら、一向に話が進まないことに苛立っているようで、眉が吊り上がっていた。
「わかった。わかったから、手を離してくれ、このままじゃまた治癒してもらうハメになる」
俺の言葉を聞いてようやく手を離したレックスだったが、苛立ちはまるで収まっていないようだった。
確かに俺も話を進めたい。だが、その前に一つ聞いておかなければならないことがある。
「さて、どうして俺が首を斬られることになったのか……そこ説明してもらえるかな?」
何の理由もなく首を斬り落とすようなやつとまともな交渉など出来るわけがない。故に、そこは確かめておかなければならないのだ。もし、本当にこいつらが頭のおかしい妖怪ならば、話などしている場合ではなく、一目散に逃げ出さなければならないのだから。
「そもそも、一体誰が俺の首を斬り落としたんだ?」
そう、斬られた本人である俺ですら、誰にやられたのかまるでわからなかったのだ。
「私でなければ見逃してしまうであろう、超高速の抜刀……。貴方の首を斬ったのは、そこの『若様』ですよ」
予想外にも答えたのはレックスだった。いや、これは俺の身体能力はお前と違って超すごいんだぞアピールなのだろうか?
それはそれとして、当の本人である若様はと言うと……
「だ、だって! こいつが僕のことを可愛いとか言うから! 無礼だろ! 男に対して可愛いなんて!!」
若様は立ち上がると、先生に注意された小学生のように反論した。
まさか、『可愛い』と言っただけで俺の首が斬られたとは……。口は災いの元とはよく言うが、それにしても災のレベルが高すぎないか?
「若様! めーですよ! いきなり人間の首を斬るのはめーです、ですー! ちゃんと、謝ってくださいまし、ましー」
銀孤が手でグーの形を作り、振り上げる真似をする。それを見て、若様は頭を両手で隠してしゃがみ込んでしまった。
「なるほど」
どうやら若様の頭の上のコブは、俺の首を斬り落とした事による罰として、銀孤から受けたものに違いないだろう。
「ど、どうして僕がこんな奴に謝らなくちゃいけないんだよ……」
若様は銀孤から顔をそむけ、小声でブツブツと不満を漏らしている。が、それは大きな狐耳を持つ銀孤に聞こえないはずもなく……
「わーかーさーまー! ちゃーんと、頭を下げて、ごめんなさいですよー?」
銀孤は、若様の首根っこを掴んで、子猫を運ぶように持ち上げると、俺の前に正座させた。
「はい、若様ー」
「首を斬り落としてごめんなさい……」
割と素直に若様は謝罪の言葉を述べた。本当に銀孤のお仕置きが怖いらしい。って言うか、こいつらの主従関係は一体どうなっているんだろうか?
「でも、でもな! この僕に対して可愛いって言ったことも謝れよ!」
「わかった。俺が間違ってたよ、カッコイイ! 若様はすげぇカッコイイよ! まぁ、首を斬り落とされた本人の俺が言うのもなんなんだけど、高速の抜刀術とか凄いよな。ってか、あれ……? 何処にも刀なんて見えないんだけど……どうやって?」
若様の手には刀など何処にもない。それどころかこの部屋の何処にも刃物の類は見当たらなかった。
「へ、へへーん! そうだろ、そうだろ! 僕は凄いんだぞ!」
さっきまでの不満顔は何処に言ったのやら、俺の言葉に乗せられてすぐに得意顔になるところなんてのは、本当に小学生のようだ。
「それに刀は、僕の中にあるのさ」
若様は自慢げに自分の胸のあたりを指差したのだった。