105 謎の仮面
「九尾の狐……」
俺の目の前に立つ全裸の女性は、自分のことを九尾の狐だと名乗った。確かに、お尻の先には思わず撫で回したくなるようなモフモフ尻尾がきっちり九本生えている。
「見たいですー? もっとしっかりくっきり見たいですですー?」
俺が尻尾に注目していることに気がついたのか、銀孤はお尻をクイッとこちらの方に突き出すと、九本の尻尾を見せつけるようにフリフリと振ってみせた。作り物では出すことの出来ない質感と、そのフレキシブルな動きに俺の視線は釘付けになった。が、どちらかと言うと、尻尾よりもぷりっとしたお尻に視線が釘付けだったのは秘密だ。
「サービスはこれくらいでー」
思わず前のめりになってお尻に飛びつきそうになっている俺を、銀孤は重力を感じさせない動きでヒラリとかわす。
「違いますよー。貴方が飛びつくべきお尻は……あっちですーーーっ!」
銀孤がビシッと指さしたのは、ドMテンションからようやく正気を取り戻したレックスの方だった。
「何だ貴様は、尻尾を生やすなどモノノケのたぐいか!」
レックスは銀孤を殺気の籠もった目で睨みつけると右手を振りかぶった。勿論全裸なので色んな所は丸見えである。
「えーえー。貴方だって尻尾を生やしているじゃありませんかー。お尻ではなく前の方に立派なのを一本。うふふふふふふふふふふふふふふふふふふー」
銀孤は照れて目を手で覆って隠したふりをしながら、こっそりと指の隙間から全部覗き見ていた。
「下品な戯言を!!」
レックスの右手の五本の爪が、まるで鋭利な刃物のように伸びる。そして俊敏な動きで銀孤との間合いを詰めると、目にも留まらぬ速度で右手を振り下ろした。それはいつもの空間を引き裂くための動きではなく、物理的な攻撃のための動きだった。
「ひょいっとなー」
あまりの速度故に衝撃波すら発生させたレックスの右手の一撃を、銀孤は完全に見きっているかのように、薄皮一枚の距離で軽く避けてみせる。だが、レックスはそんな事などお構いなしに二撃、三撃と絶え間ない連撃を放ち続けた。まるで小さなハリケーンのような攻撃の余波は、はた迷惑にもこちらにまで及んでおり、俺は身を小さくして風呂桶の後ろに隠れるという有様だった。
「ひょいひょいー。ひょひょひょーい」
それほどまでに苛烈なレックスの攻撃ですら、銀孤の身体にただ一つのかすり傷をつけることも出来ないでいた。
「そろそろ、おしまいですーですー」
銀孤が指先をクルリと一回転させた。
「なんとぉぉぉ!?」
レックスの身体は謎の力に掴まれ宙に持ち上げられると、銀孤の指の動きのとおりにクルリと一回転させられ湯船の中へ……。哀れイケメン執事のレックスは、犬神○の一族のように、水面から足を突き出し下半身を露出する形にされるのだった。
「こういうバトルとかはー、好きじゃないんですよねー。戦うならー、男と男の固くていきりたった剣同士でやってもらわないとー。うふふー、最高ですよねー? ね? ね? ね?」
銀孤は俺に同意を促すように、ヨダレを垂れ流し恍惚とした視線を向けてくる。俺はできるだけその目を見ないようにした。
「……貴様ァァァ!」
水面が大きな波紋を上げて揺らぐと同時に、まるで間欠泉のように飛沫を上げた。レックスが湯船の中から飛び出したのである。そして、銀孤の前に着地を決める。
「私があのような惨めな姿を晒すことになるとは……。ハァハァ……最高じゃないか……」
レックスの下半身の剣がいきりたっていた。これだからドMは困る。
「さ、最高ですーですー」
銀孤が今までに見たことのない量のヨダレを滝ように流しだしていた。
俺はと言えば、今すぐこの変態しかいない場所から逃げ出したかった。
もはや、この状況は収集がつかないと思った刹那。
「この場は、私が仕切らせてもらおう!!」
脱衣所と温泉をつなぐ扉が、勢いよく開け放たれた。
そこに立っていたのは、流線型のフォルムをした黒い仮面をかぶり、まるでコスプレ衣装のようなドラキュラ風の衣装とマントを身に着けた人物だった。
――あかん、これ絶対更にこの場を混乱させる奴だ……
俺は頭を抱えた。
「ふふふっ、チェックメイトだ!」
謎の仮面の人物の口調は男のものだったが、声は女のものだった。謎の仮面は悠々と浴場に一歩を踏み出そうとして……足を滑らせて転びかけた。
「この仮面、湯気で曇って前がよく見えな……。いや、なんでもないぞ! はーっはっはっは!」
何事もなかったように取り繕いながら、意味のない高笑いを浮かべる謎の仮面を見て、俺は更に頭を抱えた。
「よし、ここをきっちり吹いておけば、視界は確保できるわけだから……。あーっはっはっは!」
謎の仮面が無理に高笑いを続けながら、何処からともなく取り出した布巾で仮面の目の部分を拭き取っていた。
「これでよく見える……。さぁショータイムだ! ……って、キャッ!? は、裸の男の人がぁぁぁぁっぁ!」
謎の仮面は明らかに女子な黄色い声を上げると、ふらふらふらーっと身体を揺らし、そのまま目を回して場に倒れてしまった。
「はーっはっはっは……。裸を見て良いのは、見られる覚悟のあるやつだけ……だ……ばたんきゅーっ」
何処かで聞いたことのあるような言葉を残して、唐突に現れた謎の仮面はそのまま気絶するのだった。