103 ドM自慢
「おっと、足が滑りました」
「ふぎゃー!」
突如としてケツに激痛が走り、気持ちよく眠りについていた俺は布団から飛び起きる羽目になる。何故こうなったのか? もはや毎度のことであるが、美形執事ホムンクルスのレックスが空間を引き裂いて俺の寝室に現れたからだ。
「お、お前……絶対にわざとだろ! 狙っただろ! 蹴り飛ばしただろ!」
俺はジンジンと痛むケツを押さえながら、レックスを睨みつける。
「いえいえ、わざとだなんてとんでもありません。目の前に大きなゴミが落ちていたので退けようとしただけですよ。まさか、それが貴方だったとは……貴方がゴミに似ているのか、ゴミが貴方に似ているのか、はたまたその両方なのか、難しいところですね」
レックスは腕組みをしながら、素知らぬ顔で罵倒の言葉を吐いた。こいつ久遠に対してはドMなのに、俺に対しては超ドSだ。
しかし、美形執事にケツを蹴られて目を覚ますと言うのも、これはこれで……。って、待て待て! いかん、またしても俺にとんでもない性癖が生まれようとしてしまっている。
「ところで、お前がやってきたってことは……」
「はい、神宴様が例の疑似霊玉の生成に成功いたしました。さらに、神樹の所有者との交渉にも成功いたしました」
俺は布団の上で拳を握りしめ、喜びのあまり叫びたい声を殺してガッツポーズを取った。
「と言うわけで、神宴様が貴方に神樹を受け取りをお願いしたいと申しております」
「ああ、わかった。それくらいお茶の子さいさいよ!」
久遠は基本引きこもりである。昔からそういう性質ではあったのが、例の事件から後は完全に自分の店に引きこもって外に出ようとしない。例の事件……それは思い出したくもない。久遠が突然いなくなり、バラバラの死体となって発見された事件だ。それなのに、その後店を開いたと言って連絡が来たときは、心臓が飛び出しそうになるくらいに驚いた。けれど驚きの数百万倍嬉しかった。もう二度と会うことも話すことも出来ないはずの人と再開できた。そう、それが例えニセモノの身体であろうと……
「んで、その神樹とやらは何処にあるんだ? 電車とかで行けるのかな?」
「無理ですね」
レックスは日本刀バッサリ切り捨てるかのように俺の言葉を否定した。
「聖域と呼ばれる場所に、貴方のような一般人が辿り着こうなど、とてもとても……」
レックスの目が『お前馬鹿なの? ゴミなだけでなくどれだけ無知なの?』と小馬鹿にするように、俺を見下していた。冷ややかに光るレックスの青い目を見ていると、無性に背筋がゾクゾクとしてくるのは何故だろう。いや待て! これは決して快感のようなものではない! 無いはずだ!
自分の中に芽生えかけている新たな変態性を心の奥底に押し込めつつ、俺は体裁を保つかのように、口調を正してレックスに反論する。
「普通にたどり着けないような場所なら、もとより行く方法なんて無いだろ? それなのに、どうして一般人である俺に頼むんだよ」
レックスは俺の言葉を聞いて伏目がちに小さくため息を付くと、呆れるように首を左右に振った。
「貴方には記憶能力というものがないのですか?」
「あ、あるよ! 少しくらいはな! ってか、誰がゴミムシだよ!!」
「なら、私の能力を覚えておいてもらいたいですね」
レックスは俺の寝室の空間に出来た亀裂を指差す。
「あっ」
こうして俺は、レックスが新たに開けてくれた空間の亀裂を通り、神樹の場所へと向かうことになった。
※※※※
「なるほど」
空間の裂け目からひょっこり顔を出した俺は、その風景を目にしてレックスの言っていたことが間違いでないことを知った。
俺の視界には緑色しか見えやしない。そう、一面が完全に鬱蒼と生い茂る木々で覆われているのである。そこには文明の『ぶ』の字も見当たらず、まるで大昔にタイムスリップしてきたかのように思えた。
実際いま俺の立っている場所も道でも何でもなく、膝のあたりまで草が生い茂っている。
「ここは本当に日本なのか?」
よく見ると、見たこともない謎の植物もチラホラと視界に見えているし、謎の生物の鳴き声も何処からともなく聞こえてきている。俺は不安で胸が一杯になり、出てきた空間の裂け目に戻ろうとした。が、振り返った先にはイケメン男子が立っていた。というか、レックスだった。
「あれ? お前もついて来てくれるのか?」
「はぁ……本当に貴様には、脳細胞が存在しないようですね。私が居なければ、神樹を手に入れたとしてどうやって帰るのですか?」
「なるほど……」
まさに正論である。俺がここから帰るにはレックスが必要不可欠なのだ。
「それに今回は、神宴様から貴方の手助けをするように仰せつかっていますので……。チッ」
レックスは苦虫を噛み潰したような表情で、隠すこともせずに盛大に舌打ちをした。
「さて、ここから少し歩いた先に、目的の神樹を祀っている神社があります。そこに向かいましょう」
レックスが右手を軽く振ると眼の前の草が綺麗サッパリ消え去り、道のようなものが出来た。空間を切り裂く能力というものは本当に便利だ。
「いやいや、待て待て。レックスは空間を切り裂いて移動できるんだから、直接その神社とやらに行けば良かったんじゃないのか?」
またしてもこいつはアホか? と言わんばかりに、レックスは天を仰いだ。
「私も貴方と長々と道中を共にするのは苦痛でしかありませんが、この周囲には強力な結界が張られていまして、直接というわけにはいかないのですよ」
どうやら便利だと思ったレックスの能力も、万能とは言えないようである。
「森林の奥にある結界に守られた神社とか……ロマンの塊だねぇ……」
俺はその中二病ワードだらけの設定に、何処かワクワクする気持ちを抑えきれないでいた。やはり男はいくつになっても中二病なのである。
※※※※
レックスの力で切り開かれた道を歩くこと約一時間、俺の前にとてもつなく巨大な山門が立ちはだかった。
「何だこれ……巨人の襲来にでも備えて造ったのか……」
山門に繋がっている壁は、俺の視界が及ばない遙か先までも続いていた。もしかすると数キロ単位でこの神社を囲っているのかもしれない。山門と壁の高さは少なく見ても三十メートルは超えており、見上げているだけで首が攣りそうになる。
俺がその巨大さに圧倒されていると、その横でレックスが山門に向かって左手を勢いよく振り下ろした。腕から放たれる見えない刃が山門の空間を見事切り裂いた……かと思われたがその亀裂は瞬時に泡と消えた。どうやらこれがレックスの言っていた結界というやつなのだろう。
「さて、私達にできることは、中から迎えのものがやってきてくれるのを待つだけですね」
「別に空間を引き裂かなくても、普通にこの山門を開けて入ればいいんじゃないか?」
「貴方はこの巨大な門を開けるだけの腕力をお持ちですか?」
「……」
返す言葉もなかった。この山門、重さにすれば一体何トンあることか……。藤宮花火でも連れてきていれば別だが、普通に考えて開けることなど叶うわけがない。
さて、森の中を歩いている時は、ただただ前に進むことだけを考えていたために、無言でもこれと言って問題はなかったのだが、こうやって門が開かれるまでただ待つとなるとまた別である。
この美形執事ホムンクルスと一体何を話せばいいのか? 全く見当もつかない。かと言って、この人っ子一人居ない森のなかで無言で立ち尽くしているというもの、あれなわけで……。俺は何か話しかけるキッカケはないかと、脳みそをフル稼働させた。……が、何一つとしていいアイデアは浮かんでは来なかった。
「いい天気だよな?」
当たり障りなく天気の話題を振ってみた。
「……」
が、返事はなかった。
「最近どうよ?」
唐突に近況を尋ねてみた。
「……」
が、返事はなかった。
「髪切った?」
笑ってい○とものタ○リのマネをしてみた。
「……チッ』
返事はあったが、これは返事と言っていいのだろうか?
「そう言えば、久遠のやつは店ではどうしてんの?」
俺は方向を変えて久遠のことを聞いてみた。するとどうだろうか、レックスの目つきが変わった。今まで完全に何処を見ているかわからない空虚だった青い瞳が、さんざんと輝きを放ちだしたではないか!
「神宴様は普段は私をいつもいつも愛してくださっております! そう、ある時は私を椅子にして座り、またある時は私を高いところのものを取るための台として踏みつけ、更には何の意味もなく私の腕をもぎ取ってたり、首をねじ切ってくださるのです!! あぁ、その行動原理の意味の無さ、脈絡の無さはまさに神のごとし。天界から舞い降りた神宴様が私にくださる苦痛は、どのような芳醇な美酒すらも霞むでしょう……。あぁ神宴様、神宴様……」
レックスは自己陶酔に浸りこんだ潤んだ瞳で、まるでオペラを歌い上げるかのように、息継ぎ一つすることなく美声をこの森のなかに響き渡らせた。台詞の内容を無視すれば、それは木漏れ日の差し込む森の中の美しき精霊の歌声に思えるだろうが、実際はただの変態ドMの戯言でしか無いという悲しさである。
こうして俺は、途切れることのないレックスのドM自慢を、門が開かれるまで聞かされ続けることになるのである。