100 ディープキスとお金
「そうだ! ちょっと待っててね〜。こういう説明するときは〜変身しないとねっ」
久遠はレックスに目で合図を送る。レックスは軽く会釈をすると、空間に亀裂を作りその中へと消えていった。そして二十秒ほど経ってから、レックスは腕に何着かの服を持って現れ、それを久遠へと差し出したのだった。
「あ、今から着替えるけど〜。まもっちだったら見ててもいいよ?」
久遠はナース衣装の胸のボタンを二つほど外すと、はだけた胸元をこちらに見せつけながら、にんまりと笑いかけた。
「何でもいいから早くしろよ!」
俺は久遠に背中を向ける。見たいか見たくないかと言われれば、そりゃまぁ見たいわけだが……。見ていいよと言われて、その通りに見るというのは、相手の思惑にハマった気がして癪に障るのである。こういうものは、こっそりと覗くからこそ風情があるわけであって、久遠は男の求めるシチュエーションをわかっているようでわかっていない。
「神宴様、お袖をお通しくださいませ」
背中越しにレックスの声が聞こえた。言葉から察するにレックスに着替えを手伝ってもらっているようだ。いやいや、そんなヤキモチとか全然思わないからね。あいつは久遠が造ったホムンクルスなわけだし、そんなやつに嫉妬とか……無いよ無いよ、無いよ!!
俺は心の中で何度となく『無い』『あり得無い』と自分に言い聞かせるように繰り返した。俺が『無い』を心の中で百回唱え終わったのと同時に
「はぁい、変身完了」
久遠が俺の肩に手をかけた。
「変身って、ただ着替えてただけじゃねぇか!」
俺がツッコミを入れつつ振り返ると、そこには女教師のコスプレをした久遠が、教鞭を片手に持ちムチのようにしならせていた。
「まさか、授業をする女教師って設定をしたいがためだけに、着替えてたのか……」
「まもっち君、正解! 花丸をあげよう〜」
久遠は教鞭で俺を指し示すと、ホワイトボードに赤のサインペンで花丸を書いた。それを見た俺はうんざりしたかのように深い溜息をこぼした。
「あれだ、そういうのもういいから、さっさと本題に入ってくれ」
「えぇ〜。ノリが悪いぞ、まもっち君! 先生は悲しいぞっ」
「わかった、わかった。久遠先生、このお馬鹿な俺に霊玉について教えてくださいませませ。これでいいか?」
「おっ、理解の早い子大好きだよー。ちゅーしてあげよう」
俺がその言葉を耳にしたときには、既に俺の唇に久遠の唇が重ねられていた。更に久遠の舌が俺の唇を強引にこじ開けると、まるで蔦のように舌に絡みついて離れなかった。それがさも当たり前のように、俺も同じように久遠の舌の感触を味わうように絡みつけていた。何故こんな事をしているのか? わからなかった。そして、俺は泣いていた。
気持ちのままに欲望のままに、俺が久遠と唇を重ね続けたのは、時間にして約十秒足らずのことだったはずなのに、一瞬のようにも無限のようにも思えてならなかった。
唇を離した久遠は、ペロリと俺の頬に流れ出ていた涙を舐め取った。
「う〜ん、まもっちの涙は良い塩加減ですな〜」
久遠は俺の頭を抱え、そのまま優しく抱きしめてくれた。俺は霊玉のことなど全部忘れて、このまま行為に至ってしまってもいいとすら思ってしまっていた。だが、その流れを断ち切ってくれたのは他ならぬ久遠の方だった。
「んじゃ、簡単に説明するね。よぉ〜く、耳の穴かっぽじって聞くんだよ?」
久遠はポンポンと二度ほど俺の頭を軽く叩くと、『よいしょっ』とおばさんくさいことを言いながらカウンターの上に座り直した。そして、指をぱちんと一回鳴らすと、その手のひらの上に『霊玉』が現れ不思議な光を放っていた。
「この『霊玉』は思ってたとおり、記憶媒体でしたっ! コンピューターで言うところのハードディスクってやつみたいな感じ。えっと、『ママ』だっけか? その記憶のみならず、それを形作る全てのデータが保存されてたよっ。まぁ……いくらか欠損はあるみたいだけど、なんとかなるレベルだったよ。んで、本題に入るわけだけど、まもっちが望んでいるのは『ママ』ってのの再生なわけっしょ? 結論から言います! 再生は……ぱんぱかぱーん! 出来ます!! いけちゃいまーす! 喜べ!! ほら、喜びのあまり踊り狂え〜」
久遠はパチパチパチと拍手喝采をした。それに合わせるように、無表情ではあるがレックスも拍手をしてみせた。俺はと言うと……大喜びしたいのに、突然過ぎてどうしていいかわからずに、言葉を失ったまま瞬き一つ出来ずに固まってしまっていた。
――また会うことが出来る……。ママにまた会うことが出来る!!
現実を現実と認識し、その気持を実感できるまで、約十五秒の時間を要した。そして、俺の感情はストレートに爆発した。
「やったぜ、ベイビー! 偉いぞ久遠! お前やっぱ天才だよ! 愛してんぜ!」
俺は久遠の手を強引に掴み取ると、謎のステップを踏み、謎のダンスを始めた。それは、幼稚園のお遊戯以下のたどたどしいものだったが、嬉しいという気持ちが勝手に体を動かしちまってんだから仕方ない。俺と久遠はお遊戯レベルのダンスを身体が疲れ果てるまで続けた。レックスはつまらなそうに柱の陰から見ていた。俺はレックスもダンスに誘おうとしたが、腕を斬り落とされかけたので辞めておいた。
……
…………
……………………
「はぁ、はぁ、疲れたぁ〜。こんなにはしゃいだのは久しぶりだぜ」
俺は汗だくになり床の上に大の字に寝転がる。びしょ濡れになったシャツが背中に張り付いて気持ち悪いが、今はそんな事どうでもいい。俺のすぐ横には久遠がこれまた大の字になって寝転がっていた。一つ違うところは、俺と違って汗一つかいてはいなかった。そして、まるで正しいポジションであるかのように、俺の手は久遠の手を握っていた。久遠の手は冷たかった。
「よっこらせっと」
久遠は立ち上がると、ホワイトボードに何かを書き始めた。久遠の絵が幼稚園児レベルまでに下手だった為に、それが大樹の絵であるとわかるのにかなりの時間を要した。
「は〜い、注目! この『霊玉』だけでは『ママ』は復活できません。このデータを出力する媒体、すなわち『依代』が必要なのです。しかもこれだけの大容量のデータとなるとそんじゃそこらの依代じゃ、容量オーバーしちゃいます。そこで必要になってくるのが、これ! これです! ここテストに出ますよー!」
久遠は教鞭でホワイトボードの大樹の絵を叩いた。
「とある神社にある御神木、これこそが『霊玉』のデータを出力するに値する器を持っているものなのでーす。なわけだから、これを手に入れなきゃいけないわけなんだけど、一つ問題があるのよねぇ〜」
「何だ問題って? 何でもやってやるからいってみろよ!」
俺はいつもの根拠のない言葉を吐き捨てる。
「まぁこれってさ、国宝級のものなのよね。だからさ、何ていうかさ、手に入れるには、トンデモナイ額のお金がいるのよね〜」
「え、か、金?」
「そう、まもっちに一番縁のないお金」
「い、いったいいくら居るんだ!」
俺は恐る恐る問いただした。
「えっとね」
久遠は何処からともなく取り出した電卓を叩く。そしてそのディスプレイに表示された数字を俺の目の間に突きつけた。
「いちじゅうひゃくせんまんじゅうまんひゃくまんいっせんまん……億!? 億単位の金がいるっていうのかよぉぉぉぉっ!!」
あまりの金額の多さに、俺は口から泡を吹いて、そのまま後ろにひっくり返ってしまう。
「言っとくけど、私そんなお金ないからね? まもっちは愛してるけど、そこらへんはきっちりしときたいし」
久遠は親指と人差指でゼロの形を作って、俺の顔の前で左右に振ってみせた。
「まさか、こんなところで貧乏なのが足を引っ張るとは……」
現実を生き抜くために必要なのはやはり『お金』である。俺は自分の不甲斐なさに泣きたくなった。
「わ、わかった。何とかして、そのお金を作ってやんよ! だから、お前は『霊玉』の解析とやらをもっと続けておいてくれ」
「うん、それはいいけど。まもっち、足元ふらついてるよ?」
俺は精神的ダメージにより、ヘビー級ボクサーのパンチをボディに喰らったかのように、真っ直ぐ歩くのすら困難な状態に陥っていた。
「へっへっへ、いざとなれば銀行強盗をしてでも……」
ままならない足取りで自暴自棄な言葉を吐きつつ、俺はレックスの開けてくれた空間の切れ目を通り自分の事務所へと戻ったのだった。
そして事務所に戻った俺は……ありとあらゆる金の工面の方法を悩みに悩みぬいたのだったが、そんな方法あるわけはなかった。金は出てこず、出るのはため息ばかり。
「わからん! わからんときは……とりあえず寝る!」
現実逃避するかのように、布団を頭からかぶって眠るのだった。