登山と戦闘と痛み
「なぁ、ナナシよ。やっぱり登山はやめてあの廃村で末永く暮らせる事を頑張るべきだったんじゃないかの……」
ゴンベエはかったるそうに吐くように呟いた。
木々が生い茂る昼の山道、隣で歩いているナナシは哀れむような目でゴンベエを流し見した。
「ジジイのくせに女々しくグタグタ言うんじゃないよ。」
ふんすふんすと鼻を鳴らしながらナナシがゴンベエを嗜める。
見た目幼女だがゴンベイより男らしく感じる。
二人は今、四方八方が木々に生い茂る北の山の山道にいる。
今後の方針を決めたりスキルの解明や準備に時間を費やしてしまったので既に昼過ぎだ。
当初の計画通りに人里がありそうな場所を探す為に周囲をもっと良く見渡せる標高の高い山に登っている。
何故、北の山にいるかというと一応理由はあった。
周囲の山はどこも大体同じ標高に見えたので、どの山を登山しても良かった。
だが、南の山は登頂まで直線距離は近いが斜面が45度以上を超えるんじゃないかと思える程そびえ立っていた。
もちろん二人にはロッククライミングみたいな登山は技術的に不可能。
東と西の山は南に比べ傾斜は傾らかだが山自体がいくつにも重なり登山と下山を繰り返す必要がある為、面倒なので辞めた。
北の山は他の山と比べて一番大きな山ではあったが一番斜面がなだらかで一番登りやすそうに見えた。
もっとも遠目だと木々が邪魔をして斜面がどれくらい歩き易いのかは正確に判断しづらかったが消去法でこの山を登ることにした。
「にしても、もうちょっと動きやすい服装でも良かったんじゃないかの?」
パキパキと枯れ木を踏みしめながらゴンベエは自分の服装をつまみ、呟く。
「確かにもう少し薄着の方が良かったかもな……でも死ぬよりかはマシだわ。」
ナナシも同意見なのか眉に皺を寄せながら答える。
二人はこの世界に来たての頃はTシャツにジーンズ、スニーカーといったシンプルな服装であったが今は違う。
全体的に登山用の防寒服と登山用リュックを背負った様子だ。
初夏手前だとは言え標高が高いと気温も下がるため長袖の灰色のジャケット、更にその上からボロ切れのような茶色ケープを羽織った。
ケープは戦闘の際に目くらましに投げれたらいいかと思い羽織っている面もある。
登山服装以外にも戦闘服としてゴンベエが革の胸当てと小さな盾と小ぶりな片手剣を装備している。
ナナシは軽装で革のプロテクターらしきものを肘や膝に装備し、ナイフを二つをベルトのホルスターに装備していた。
お互いの背中には肩掛けの黒いバックパック。
バックパック中には雨除け用の革で出来た大きなレジャーシート、タオル数枚、小型折りたたみナイフ、ロープを数本、行動食に水筒。
できればライトやライターといった物が欲しかったが見当たらなかった。
廃村にあったコンロやライトは設置してある場所から取り外すとウンともスンといわなくなったので諦めた。
なので行動食は火が使えないので例の沢蟹野草スープは保温筒がないので持ってくるわけにもいかず、直ぐに食べれる果物を持ってきた。
今日の朝に街の散策をした際にヘビイチゴの群生を見つけてそれを狩っておいたのだ。
だがそれだけでは物足りないと思っていた所、山道に続く道中で梨みたいな果実が生る樹木に出会えて直ぐさま収穫。
二人は木の周りを小躍りしながら果実にむしゃぶりついて残りをバックパックに収めた。
「にしてもキツイ…」
「登山舐めてたのぅ……本当に老体だったら即へばっていたわい……」
登山し始めた時はハイキングみたいな気分で上機嫌だったが今はその影すらも見えない。
ジーンズの裾は深緑色のシミが染み付き、手足のわずかに肌が露出している部分は草木による浅い切り傷が見当たった。
歩くたびに足の裏がじーんっとして疲れを感じさせ、最初は新鮮に感じられた草木々の臭いは今では鼻に付く嫌な臭いに感じられた。
―――歩き始めて一、二時間経った頃だろうか、ようやく山の中腹を越え、もう少しで山頂に当たるところまで付いた。
付近は少し開けており、おあつらえ向けに平たい大きな岩が鎮座していた。迷わずそこで一旦休憩をすることにした。
「ふぅ……にしても、野生動物はおろか、魔物なんて出てこないわねぇ……」
「心配しすぎだったのかのぉ?」
敵意のある存在に怯えながら山道を登り続けていたせいで随分と体力が減った気がした。
初めての戦闘態勢ということもあり神経が磨り減ったのかもしれない。
ふぅとため息を漏らしながら緑のカーテンじみた木々の間にある青空を仰ぎ見る。
先程まで樹木に光を遮られていて薄暗かったせいか、眩しいほどの日の光が久しぶりに感じる。
伸びをして、そのまま後ろに倒れこみ、岩に寝転がる。
あぁ、冷たくて気持ちぃ……とナナシが頬を影の方にあった平たい岩くっ付けながら心からの声が吐露する。
ゴンベイは日陰の岩に背をもたれつつ目を閉じ、少し今までの事を鑑みてみる。
こうして実際に戦闘態勢で行動していると嫌でも実感する。
やはり自分のスキルは戦闘向きの性能じゃないみたいだ。
別に永遠に続くような体力がある訳じゃないし、天性の怪力や魔力がある訳じゃない。
ステータスを弄れるといっても最大数値でちょっとした力持ちになったりする程度だ。
つまり自分たちはちょっと細かい設定をいじれる普通のジジイと幼女だ。
神様に何でも頼めるんだったらもっと分かりやすい、チートじみた能力の方が良かったんじゃないか、ねぇ昔の自分?
なので、まぁ、結局特段変わった事は出来ず、普通の対策、RPGの定石として前衛と後衛で役割わけをして警戒に当たった。
前衛がゴンベエ、防具をがっつり装備して相手の攻撃を一手に引き受ける盾役
後衛がナナシ、攻撃魔法とか無いから投石とか、背後からの不意打ちなど狙いで行く
ゴンベエが重装備かつ荷物持ち、その代わりナナシが軽装備で偵察を行う。
実際にこの役割で探索した結果、戦闘は無いので分からないが索敵は優秀だと感じられた。
二人の目を同時に感覚共有できるからただ単純に三百六十度を一人で見ているようなものだ。
直接の戦闘にあまり影響は無いが伝達速度は素早く、連携も息はぴったり合う。
なんせ二人だがソロみたいなものだから。
―――ひと休憩を終え、気だるげにまた山を登り始める。
ナナシがゴンベイに「おんぶぅー」とか言って甘えて来たが無視して進んだ。
「自分に厳しく、他人に優しく。うん、良い言葉だね。」とそれらしい言葉を言いながら自分を甘やかしつつ克己心を高めた。
途中、大きな獣道を見つけ、歩きやすそうだったので、それに添って山頂を目指す。
草が生い茂ってないだけで意外と歩きやすく、体力も減らないものだと実感した。
先程と同じ様に前方にナナシが先行し周囲を見渡し、ゴンベエが後方を注視する。
索敵の真似事をしているが所詮は素人、実際の所あまり分からない。
だが、もしもの事を考えるとしないよりはマシだと考える。
もっともビクビクしながらだと遅いのである程度は勇気を持ってズカズカと進んでみてはいる。
なんせもう昼過ぎは当に越えて大よそ午後三時は過ぎているだろう。
ステータスを弄って、通常の人よりかは早く登れている自信はあるが文明の光の無い夜の森は怖いので速めに上って速めに下山したい。
「もし魔物が来るとすれば、定番だとスライムとかだけど……そこまでファンタジーな世界なのかな?」
ナナシは一時的にステータスを少し弄り、AGIを上げている。
普通にかけっこが得意な人みたいな程度ではあるがそれなりに速い。
素早く地面を翔けながら周囲に対して大雑把にステータス化を使用する。
これにより瞬時に大よその情報を文字として捉える事が出来、面倒な確認作業を省いている。
スライムだったら気持ち悪そうだなぁ、と呟きながら索敵を続ける。
自分自身がついさっきまでスライムじみた容姿になっていた事を忘れている様だ。
「ん……なん、だ、ありゃ……?」
ナナシは自身の目を疑いながら目を細める。
大よその十メートル以上離れた先に異様な光景があった。
樹木の根元、根の這う地面に不審な『影』としか言いようの無いモノがあった。
葉の影とは違うとひと目で分かる、自然な影とは違い不自然なほどに暗い。
もぞもぞと動き、霧がかった不定形な影はしだいに明確な形が確認できるようになっていく。
「ま、まずいかも……これは見つかっているのかも……オイ、ジジイ!警戒態勢だ!」
「おうよ、作戦通りに行こうかの!」
既にナナシの危機感を感じ取り、戦闘準備をしたゴンベエが盾を構えながら側に寄る。
影はいつの間にか黒い霧は払われてハッキリと姿が見える。
四足歩行の獣、あえて言うなら骨格は猫に近い。
しなやかな流線のシルエット、手足や尻尾まですっとしている。
だが、そんなしなやかさをぶち壊すように頭部は異形だった。
通常の猫の頭と比べ二、三倍は大きく膨れ上がり、形は球体に近い。
それもそのはず、頭部はほぼ眼玉といっても過言ではない。
巨大な眼球を覆うまぶたと申し訳程度に付いている小さな口以外は眼だけだった。
人間の頭部よりはやや小さいが、バレーボールほどの眼がこちらをじっと睨んでいる。
全身は影よりも黒く、大きな頭部の白目と黒目のコントラストが異様に目立つ。
ナナシたちは微かにたじろぐ。
二人は気付いた、これが殺意というやつなのだと。
爛々と輝く目には敵意しか感じられず、戦闘回避は不可能だと本能が伝えている。
「よぉしッッ!もう、なるようになるしかない!やってやるぞい!」
咆哮にして弱々しいが、自身を鼓舞し、恐怖を退けた。
目玉の獣はそのわずかな隙を付いて俊敏な動きでこちらに詰め寄って来た。
ゴンベイは盾を構えズイっと前に進み、ナナシはゴンベイの背中から逆側に逃げて一時戦線を離脱を試みる。
目玉の獣は恐ろしいスピードでゴンベイに向かって飛翔してくる。
ゴンベイは構えていた盾を強く握り衝撃に備える。
剣は使うつもりは無い、握ってはいるものも防御に徹する考えだ。
その間、ナナシは近くの木にスルスルと登り、一人と一匹の戦闘を俯瞰で観測する。
二人が考えた戦法はこうだ。
ゴンベイが囮で防御に徹し、ナナシが戦闘を俯瞰で観測し情報の伝達をしつつ、とどめを自分で刺せるように誘導させるというものだ。
ゴンベイは今、自分の姿が少し上空から俯瞰したように自分の目で見えるようになっている。
いわば三人称視点でアクションゲームをしている時の視点に近い。
これによって本来ではありえない情報量を用いて敵より優位に戦える寸法だ。
初撃は真っ直ぐに距離を詰め、一、二メートル手前で一時止まり、身体をばねの様に伸縮させ、凄まじい勢いでゴンベイの顔面目掛けて飛翔してきた。
―――ゴゥン……ッッ!
咄嗟に顔面手前に構えた盾から鈍い音が聞こえる。
目玉の獣は牙でもなく爪でもなく、頭突きをしてきた。
ただの頭突きではない、その頭部はゴンベイが思っているよりも重量が重く感じられ、大きなハンマーで殴られているかのような感覚だった。
「……ほっ!……うおっと!危ないのぅ!当たったら骨の一本や二本は確実だのう……」
目玉の獣の攻撃を数度、盾で弾いている。
地面を凄まじい勢いで蹴り、飛翔し襲い掛かり、時にフェイントをかけながら目玉の頭部をハンマーのように振るい重い一撃を仕掛けてきている。
弾く度に日常生活では感じられないであろう鈍い振動が盾の柄越しに伝わってくる。
しかも恐ろしい事に一度弾いた後、目玉の獣は反動を利用して木の葉のようにふんわりと着地し、着地と共に風のように標的の死角に滑り込み再度あの重い一撃を繰り出してくる。
背後から、完全な死角から後頭部を狙ってくる一撃。
だが、ゴンベイは顔をそちらに顔を向けず素早く両手で盾を持ち、狙ってくる位置を完全に把握してタイミングを完璧に合わせて弾く。
「おいおい……もし、これこの戦法を思いついてなかったら、ものの数秒で頭がひしゃげていたんじゃ……」
「おい!冗談言っている場合じゃないぞ!余計なこと考えているんだったら、現状を何とかする方法を考えろ!」
肝を冷やして弱気になっているゴンベイをナナシが叱咤する。
戦法は良く、思惑通りになっている。
だが、状況は良くは無い。
正直な所、ゴンベイは防戦一方で隙があれば反撃しようかと思っていたが、全くそんな隙は無かった。
それどころか、目玉の獣の攻撃速度が目も留まらぬ程に早く、反応が遅れてしまう事もあった。
その時はナナシが強制的にゴンベイの体を動かしてなんとか防御を続けてられていた。
ちなみに、強制的に体を動かせると気付いたのはその時であって、初の試みがたまたま上手くいっただけで、もしかすると先程ゴンベイが言ったように頭部がひしゃげていた可能性もかなりの可能性でありえた。
相手の身体を強制的に動かせるのは感覚共有のスキルなのだろうか、今後調べる必要がありそうだ。
目玉の獣は数度の攻撃を繰り返してスタミナが切れたのか、攻撃方法を考えあぐねているのかこちらを遠くから見つめている。
「不味いのぅ……ナナシからスタミナを分けてもらっているとはいえ、このまま続くと……うむむ……」
ナナシは依然と木の枝でしゃがみ、戦闘を観測しているだけのはずだが相当息が荒い。
ナナシが座ってスタミナは回復させて分解させ、ゴンベイが収束しているがそれにも限りがある。
「何か……弱点とかはないのか……」
目玉の獣はじっとゴンベイを見つめている。
ゴンベイがすこし横にずれてもそれにあわせて目玉も動いていく。
「おい、あの目玉に見つめられるとめっちゃ怖いんじゃが……変わってくれんかのぅ?」
「断るわ。ジジイにくびったけじゃない?アタイの事は眼中に無いみたいだしね。」
ん……?ここで少し違和感を感じた。
最初に遭遇したのはナナシであっちもこちらが二人いる事は分かっている筈だ。
それなのにナナシに対して警戒が無さ過ぎないか……?
今更だが、こうやって声に出して言葉を交わしている。
ほとんど感覚共有による念話に近いが具体的な言葉を届ける為に小声で明確に言葉にして喋っている。
だが移動から攻撃する時ですら目玉の獣はゴンベイを常に見続けている。
ナナシの声を聴いて、索敵するような、首を振って見渡すような動作が全く無い。
もしかして、アイツは他の敵を警戒するより目の前の敵と『目を離す』方が危険な行為だと思っているのだろうか。
……試す価値はありそうだ、と感じた。
ナナシが登っている木が目玉の獣の背後になるようにゴンベイが誘い出す。
バックパックに入っていた果物を出して、果汁が滴るように切れ目を入れてから目玉の獣の背後に投げた。
目玉の獣の背後、わずか1メートルに満たない所に落ちた。
当たりそうで、正直失敗したかと思ったが目玉の獣は何も無かったかの様にゴンベイを見続けている。
「……アタリだ。」
きっと目玉の獣は死角が多い。
見ている直線部分しか見えていないと思われる。
しかも聴覚や嗅覚も無いに等しいだろう。
現にあれほど近くにモノが落ちたというのに何も反応しないし、果汁の臭いすら感じ取れていない。
光明が見えてきた気がしてきた。
死角が多いのであれば作戦も考え付く。
「死角からのバックアタック、じゃろうな……」
「ジジイ、隙が欲しい。目くらまし……ケープを使って目を隠す、とかどうだ?」
「上手く観測しておいてくれ。何とか合わせるからの。」
ゴンベイがジリジリとナナシのほうににじり寄り、背中を木にして初めてこちら側から目玉の獣に向かって走り出す。
目玉の獣は詰め寄ってくるゴンベイを中心に横に旋回して、再度ゴンベイの死角に入ろうとする。
ゴンベイの死角、つまりはナナシが潜んでいる木の根元に目玉の獣が移動する。
目玉の獣は地面を勢い良く蹴り、獣特有の身体のバネでゴンベイに遅いかかる。
ゴンベイは今回は盾を構えず身体を何とか反らして回避する。
後頭部目掛けていた重激はゴンベイの顔から数センチの所を通り抜けていった。
そして、去り際を狙って既に用意していたケープを目玉の獣の頭部に向かって投げつける。
ゴンベイの着ていたケープは目玉の獣を丸々覆う程の大きさがあり、大雑把な狙いでも十分に目玉の獣を包むことが出来た。
「よぅしッッ!どんなもんじゃい!」
成功した興奮からか声を荒げてドヤ顔をするゴンベエ。
目玉の獣はケープに足を取られ転げ周り、何とか立とうとしている。
その隙を逃さずゴンベイは手に中々使えずにいた片手剣を握り、ケープごと叩き切ろうとする。
ナナシも二本のナイフを手に取り、枝を伝い、ジャンプすれば目玉の獣に届く位置まで移動する。
目玉の獣はケープに覆われながらもやっと立ち上がり、一瞬頭を振り払うような動作をした。
そして、ぴたっと頭部は止まった。
(……まさかっ!)
おかしい!
目玉の獣にとっては絶対絶命だというのに急に動きが止まった。
それももがく様な感じの動作もない。
妙な落ち着きを感じる。
そもそもケープを振り払う動作も妙だった、妙に動作が確りとして……。
もしやケープを取り外そうとして頭を振ったんじゃない。
ゴンベイを探す為に周りを『見て』いたんだ。
(見えているのか……ッッ!)
ゴンベイの方向を確実に向き、待ち構える目玉の獣。
ゴンベイは既に片手剣を振りかぶり、後数秒でその剣は目玉の獣を切りかかる。
だが、その瞬間、数秒にも満たない瞬間がスローモーションのように見て取れた。
ケープを被っていた目玉の獣の頭部、黒眼付近のケープが黒く変色、そして直ぐに真っ赤な飴色に変わる。
「避けろッ!ゴンベエ!」
ナナシは必死の形相で叫び声を放つ。
ゴンベイもナナシの思惑が伝わり、己の危機に対して把握できた。
―――だが、遅かった。
隠れている筈の目玉の獣の眼から光が溢れる。