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彼とシリーズ

彼の噂を

「ご存知ですか?」

「……何度か見掛けてはいる」

「その言い様ですと、貴方もご興味がおありのようだ」

 軍属にしては見目の良いその男は、蛇のような目を細めてねっとりとした話し方をする。

 出会ってからずっとそうなのだが、だから慣れるというものでもない。

 この男と話す時はどうしても、眉間に皺が寄ってしまう。

 部下や上司には「バルド中尉はいつも眉間に皺ですが」と言われるが、そして自分は無自覚なのだが、この男と話す時はその「いつも」より余計にしかめっ面になっている事だろう。

 嫌いなわけではない。しかしそう、胡散臭いのだ。

 この同僚だけではない。謀略(ぼうりゃく)に長けている人間というのは、多かれ少なかれ信用ならない雰囲気を持っている、とバルドは思う。


「『も』、だと? 貴殿は、」

「ええ。少々彼が気になっておりまして」

「……お前が気にしているというのは、嫌な感じだ。また何かろくでもない事を企んでるのか?」

「ふふ、酷いですね。私とていつも(はかりごと)をしている訳では、ありませんよ?」

「どうだかな」

 まだ“材料”として見極めていないだけだろう、とは思ったが、どうせ言ってもはぐらかされるだけだ。胡散臭い笑みと回りくどい言葉で。

 だから口には出さなかったが顔には出ていたらしい。あしらうように笑われた。

「まぁ確かに、何かあった際には力を貸して頂く事になるかもしれないので、知っておきたいというのもありますが。 ――個人的な興味もありますよ」

「どちらにしても嫌な感じだ」

 言えば、得体の知れない笑い方をされた。嫌な方向に笑いのバリエーションが豊富な奴だ。


「上の奴らに囲まれているのを見た事があってな。軍の人間にしてはゆるい雰囲気のそれなりな見た目で、だから腐りきった色ボケの変態共に迫られているのかと思ったんだが」

「上司への暴言は聞かなかった事にしましょう。それで?」

「助けに入ろうとした時に、そいつが馬鹿共に言ったんだ。『すみませんが、皆さんがよくご存知の方に嫉妬されてしまうので』」

 目の前の蛇に似た同僚が、珍しく目を見開いた。

 あの時は自分も足が止まってしまった。驚きで。

「それは……つまり?」

 複数の上司がよく知る人物。それは、その上司達が知ってて当然の相手。もっと言うなら、知ってて当然の、立場の者だ。

 上司達の誘いにのると嫉妬する、という事は、その者がそいつと親しいという意味で。

 親しいというのは恐らく、普通以上に。

 「馬鹿共もそう考えたんだろう、暫く固まってから慌ててその場からいなくなった。で、だ。その様子を見てたらしいそいつの同僚だか部下だかが近づいて、恐々聞いたわけだ。さっきの発言はどういう事だと」

 今自分は珍しく笑っているんじゃないかと思った。

 あれは思い出す度に愉快になる。

「そいつはこう言ったんだ。『ほら、夜はいつも一緒にいるわけだろう。とてもお世話になっているし、なのに夜のお誘いに出かけたら怒られると思ってさ。いつも気持ちよく寝かしてやってるのにって。』」

 相手の反応を見つつ、あの時に聞いた最後のセリフを口にする。

「『もう恋人みたいなものだよね、ベッドって』」

「は、」

 一瞬ぽかんとしたマヌケ面をさらした後、耐えきれないという風に苦笑する男。

 この蛇くさい男のそんな顔など、そうそうお目に掛かれない。

 何とはなしにしてやったり、な気持ちだ。


「何の気なく……という事では、ないのでしょうね?」

「あれが無計算だとしたら余程だろう」

 何の嘘もついていない。ベッドを人のように扱い想像しただけだ。

 だが確実に相手に誤解させる言い回しを、素でやったのだとしたらそれは余程の人物だ。もはや奇跡かもしれない。

 しかし奇跡はごくたまにあるから奇跡たりえるのだ。

 腕組みをして同僚を見る。

「そいつに関しては似たような噂があちこちにある。まぁ、彼に“興味がある”お前ならいくつかは知っているかもしれんが」

「色々な噂は耳にしますし、その中に彼に関するものもなくはないですよ」

 軽い皮肉を込めて言えば随分迂遠(うえん)な言葉でもって肯定される。

 舌打ちをした。ただでさえねっとりとした不快な言動をする奴なのに、こっちがそれに引っ張られて皮肉を言おうものなら更に面倒な言葉が返るのは、十分身に染みていたはずなのに。

 時々こうしてヘマをするのだ、自分は。

 だがいかんせん、やられっぱなしは性に合わず、つい言い返そうとしてしまう。

 この蛇くさい男に口で勝てるわけがなくとも。

「知っていながら何で聞いた?」

 にこり、と目を細めて笑う相手を睨んだ。

「いえね、噂程度ならばそれなりに耳にするのですけども、そういったものは得てして嘘か本当か、分かりにくいものでしょう?」

「遠回し過ぎる。はっきり言え」

「上司から愚直だと評価されたバルド殿の口からなら、事実に近い事が聞けるのではと期待しました。人の噂など何も当てにならない」

 その物言いに、うっかり感心してしまった。

 自分が要求したとはいえ、こうも露骨な物言いをするこの男など、かなり珍しい。

 だがやはり言い返さないと気が済まない。

「愚直で悪かったな」

「上から見れば、という話です。部下にはとても慕われているとお聞きしましたよ?」

「お前に言われるとゾッとする」

「どういたしまして」

 そういって同僚は馬鹿丁寧にお辞儀をしてみせる。本当にこいつは厭味ったらしい。

「まぁ、彼もあなたに似ている……らしいですけれど」

 お辞儀から姿勢を戻し、ぽつりと呟く。

 それに片方の眉を上げた。

 もったいぶった言い方はするが濁った言葉は使わないこいつが、その言い様。

 こちらがじっと見ていれば、歪に笑って見せる。

「――どうも彼は、計りづらい…… 私が知っている噂であっても貴方に聞いたのとそう違わない内容なのに、彼につけられたあだ名は」

 そこで声を途切らせ、手元の紙に視線を落とす。

 その書類には噂の主の経歴や性格、周囲の評価などが載っている。


「――――『シンプルサイモン』」

 素直な、単純な、お人よし、マヌケな、サイモン。

「明らかに、そぐわない。なのにこんなあだ名で呼ばれているんです」

 今日のこの男は、珍しい事だらけだ。

 そのあだ名が書かれているだろう書類の箇所をじっと見る目が、得体の知れないものを見るそれだ。

 そしてきっと、私も同じ目をしているのだろう。

「……違うだろう。『シンプル』などと、誰が?」

 自然とひそめられた声は固い。

 私が見た彼とそのあだ名は、かなり違和感がある。なのにそれがまかり通っているらしい。

「随分と、一筋縄ではいかなそうな男だな」

 私もその書類に目をやる。


「この同僚になる男は」


数日後に中尉となるその人物は、優しげな顔で写真におさまっていた。

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