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世界をつくる物語 第84章

 ふかふかのパンに蜂蜜を塗りながら、ハルディアナは大きく嘆息した。

「食べても食べてもおなかがすくのよお。これってやっぱり、おなかの子が欲しがってるからかしらあ?」

「そうだと思いますよ」

 真面目な顔で、エルメラートがうなずく。

「竜の力を得て、どんどん大きく、強くなっているんだと思います」

「私は別に、特に何をしているわけでもないんだけど」

 クレアノンが、小さく苦笑する。

「まあ、ハルディアナさんの体に、負担がかかっていなければいいけど――」

「ああ、それは大丈夫よお。元気元気。いたって快調よお」

 ハルディアナがにっこりと、クレアノンに笑いかける。

「妊娠は、母と子の闘争である、という説もあるしね」

 小首を傾げて、クレアノンがつぶやく。

「私が周囲にふりまく力の影響を得て、おなかの胎児が、早く自分の体をしっかりしたものにしようとしているのね」

「え? え? ク、クレアノンさん、に、妊娠は、母と子の闘争であるって、いったいどういう意味でしょう?」

 飲んでいたルティ茶をそっとテーブルに置き、アレンが不安そうな声で問いかける。

「ああ、ごめんなさい。不安にさせるような言いかたをしてしまったかしら? ええとね――」

 クレアノンは、ちょっと考えこんだ。

「あのね――もちろん、お母さんにとって、おなかの赤ちゃんは、大事な大事な、なによりも可愛くて愛おしい存在である、っていうことは、私だって知っているわ。でもね――お母さんの、『体』にとって、おなかの中の赤ちゃんは、そうね、なんていうか――『他人』なのよ。自分ではない、他人。『体』にとって、『胎児』というものは、自分ではないのに、自分の中に侵入し、そして、自分の栄養をどんどん吸い取っていく、『他人』なの」

「えええええッ!?」

 アレンはますます不安げに、自分の、まだふくらんではいない腹をじっと見つめた。

「あら、ますます不安にさせちゃったかしら?」

 クレアノンは、申しわけなさそうな顔で言った。

「でも――おなかの中に、新しい命を宿す、というのは、それだけ大変なことなのよ。もちろん、卵で生まれる生き物達だって、その事情は変わらないわ。卵で生まれてくるにしろ、赤ちゃんとして生まれてくるにしろ、新しい命はみんな、母親から生まれてくる時は、大きく、強く、丈夫に生まれてきたいと願うものよ。でもね――あんまり大きな赤ちゃんだと、お母さんが産む時、すっごく大変になるでしょう?」

「それ、よくわかるわあ」

 ハルディアナがおおきくうなずいた。

「あたし達エルフは、血統的に、細身で、腰の骨盤も、小さな人達が多いからねえ。出産の時は、難産になりやすいのよお」

「ハルさんは大丈夫ですよ! だって、ハルさんのお尻は、とっても立派ですから!」

 エルメラートが力強く断言する。

「あらあ、そう言ってもらえるとうれしいわあ」

 ハルディアナはクスクスと笑った。

「でも――赤ちゃんが小さすぎると、生まれてきたあと、その、なんていうか――」

「あら」

 言いよどむアレンに、クレアノンは小首をかしげてみせた。

「でも、あなたがた人間は、すでにそれをやっているのよ? あなたがた人間と、そして、亜人のかたがたは、みんな」

「え――?」

「あのね」

 クレアノンは、アレンににこりと微笑みかけた。

「他の動物達から見ればね、人間の赤ちゃんは、みんな、未熟児で、ああ、ええと、なんていうか――まだ、おなかの中にいていいはずの時に、急いで生まれてきてしまうようなものなのよね」

「え? そうなんですか?」

 アレンは驚いて目を見開いた。ハルディアナとエルメラートも、興味しんしん、という顔でクレアノンを見る。

「そうなのよ。だって、人間の赤ちゃんを見てごらんなさい。生まれた時には首も座ってなくて、誰かに助けてもらわなければ、一日だって生きていくことは出来ないわ。牛や馬の赤ちゃんなんて、生まれてすぐに立ち上がって、自分で歩くことが出来るでしょう?」

「クレアノンちゃん、犬や猫の赤ちゃんは、生まれた時は、まだ目もあいてないけどお?」

「それでも、ひと月もしないうちに、自分で動けるようになるでしょう? 人間の赤ちゃんってね、他の動物達に比べて、無力な時間が圧倒的に長いの。それは当然のことなのよ。だって、人間の赤ちゃんは、ほんとだったらまだおなかの中にいていいはずの時に、早々と外に出てきてしまうんだから」

「どうしてそんなことになったんでしょう?」

「そうしないと、お母さんの負担が大きすぎるからよ」

 アレンの疑問に、クレアノンは即答した。

「人間の先祖達は、知恵を身につける――知恵を身につける、ごとに、って言ったほうがいいのかしら。それとも、ために、って言ったほうがいいのかしら? ともかく、人間の先祖達は、知恵のために、その頭を大きくしてきたわ」

「頭を――」

「そう。あのね――ものすごく大雑把に言うと、頭が大きくなるほど、賢くなる可能性はあがるわ。もちろん、例外はいくらでもあるけど。でもまあ、とにかく人間は、知恵のために、頭を大きくし続けてきたのよ。でもね――そのせいで、困ったことが起きたの」

「困ったこと?」

「頭が大きくなりすぎた赤ちゃんが、つっかえて出てこられなくなっちゃったのねえ」

「ええ、そういうことよ」

 ハルディアナの嘆息に、クレアノンがそう答える。

「……うわあ」

「……それは……困りますよね……」

 エルメラートとアレンが、そろって眉をひそめる。

「だから人間は、早めに赤ちゃんを産んじゃうことにしたのよ」

「え、それってあの、産む時に赤ちゃんの頭がつっかえないようにですか?」

「ええ」

「器用なことしますねえ」

 エルメラートは、感心したように言った。

「いったい誰が、そんなことをやったんでしょう?」

「さあ――それはわからないわ。竜にだって悪魔にだって、その疑問に答えられる者なんて、そう滅多にはいないはずよ」

「あら、じゃあ、少しはいるのお?」

「そうね――少しくらいは、いるかもね。ほんの、少しは」

 クレアノンはクスリと笑った。

「まあ、ともかく、新しい命を生みだすというのは大変なことなのよ。私達竜にだって、卵を産む時にうまく産めなくて命を落とすということがあったりするわ」

「聞いてもいいかしらあ? クレアノンちゃんは、子供を産んだことがあるのお?」

「実は、まだないのよ。だから、お母さんとしては、ハルディアナさんとアレンさんのほうが先輩になるわね。まあ、私がこの先、子供を産むことがあるかどうかはわからないけど」

 クレアノンは、楽しげに笑った。

「とにかくね、生き物は、その、『生きよう』という意志にしたがい、おなかにいる赤ちゃんは、出来るだけたくさんの栄養をもらって大きく強くなろうとするし、お母さんのほうはお母さんのほうで、自分が生きるためには栄養が必要なんですもの、赤ちゃんのほうに、際限なく栄養が行ってしまわないように調節するわ」

「ああ……それが、『闘争』というわけですか」

 アレンが納得したようにうなずく。

「ええ。ハルディアナさんのおなかの赤ちゃんは、私の影響で、栄養を吸い取って、大きく強くなる力が、どうやら普通より増しているようね」

「まあ、それも悪いことじゃないわよお。だって、あたしも早く、赤ちゃんの顔が見たいもの」

 ハルディアナはにっこりと笑った。

「ああ、そうだ、クレアノンちゃん、これは、エーメちゃんもライちゃんも、賛成してくれたことなんだけどお」

「あら、何かしら?」

「もしよかったら、クレアノンちゃん、生まれてくるこの子の、名付け親になってくれないかしらあ?」

「え――私が、あなたがたのお子さんの名付け親に?」

 クレアノンの銀の瞳が、まばゆいばかりに輝いた。

「うれしいわ――ほんとにうれしい、そんなことを言っていただけて!」

「あら、じゃあ、引き受けてくれるのねえ?」

「もちろんよ!」

 クレアノンは、にっこりと大きく、うれしそうに、本当にうれしそうに、笑った。





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