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第8章

『竜の本屋さん』界隈の人々は、変わった出来事には、いいかげん慣れたと思っていた。

『竜の本屋さん』という、どことなく楽しい秘密の香りのする看板のあげられた、一応、本屋ではあるらしい屋敷が、目をむくような短期間で完成したことにも。

 ハイネリア四貴族筆頭、イェントン家当主ザイーレン・イェントンが、家族を連れてその本屋を訪れたことにも。

 その本屋の中で、長年不仲だった――正確に言えば、ザイーレンが一方的に敵視していた――ハイネリア四貴族次席、ソールディン家当主、リロイ・ソールディンと和解に及んだということにも。

 その本屋の中にはどうやら、いきなり消えたり現れたりする、『悪魔』が巣食っているらしいということにも。

 その本屋の中にはどうやら、稀覯書愛好家なら随喜の涙を流すであろう、値のつけようもないほどに貴重な古書が眠っているのだということにも。

 いやいや、それより何より、その本屋の主は、本物の、『竜』であるらしいということにも。

 なんとか対応して――というか、あれよあれよという間に受け入れざるを得なかった、というほうが正しいのだろうが――きたのだから、これでもう、どんな事が起ころうとも、ちょっとやそっとじゃもう驚きはしない。いいかげん、驚き疲れた――と、思っていた。

 しかし。

 それでも、やはり。

 この、ジェルド半島――いや、ニルスシェリン大陸では。

 存在こそ知られてはいたが、それこそ過去百有余年、実際にお目にかかったことのなかった獣人達が大挙して押し寄せて。

「あ、どーも、すんませーん。あのー、俺らの隊長のにおいが、このあたりからしてくるんスけど、おたくら隊長見なかったッスか? あ、隊長は、めっちゃ強そうでめっちゃ色っぽい、女の豹の獣人なんスけど」

 と、手当たりしだいに聞きまわる、という事態には、驚愕のあまり目をむき、言葉を失わざるを得なかったのである。


「……おまえら一列に並べ。端からぶん殴ってやる」

 寝入りばなを起こされたナルアは、気の弱いものなら悲鳴を上げかねないほど不機嫌な顔でうなった。

「だいたいおまえら、なんだって全員で来るんだ! 私の居場所がわからないんで心配して探しに来た、というのはまあ、ちゃんと連絡をとらなかった私が悪いんだが、だったらせいぜい5、6人で探しに来ればいいだろうが! なんで全員で来るんだ!?」

「だって隊長、抜け駆けされたらたまんないじゃないッスか!」

 黒犬の獣人が、耳と尻尾をパタパタさせながら叫ぶ。

「抜け駆けって何だ!?」

「いや、その、隊長と仲良くなる――」

「……おまえらなあ」

 ナルアはうめいた。

「私はいったい何百回、この任務が終わるまでは誰ともそういう関係になるつもりはないと言わなければならないんだ!? いいかおまえら、私はこの任務が終わるまでは、一人の男も寄せつける気はない!!」

「女ならいいんスか?」

「よしわかった。そこ動くな。その首すっとばしてやる」

「じょじょじょ、冗談ッス!!」

「……ほんとにまったく」

 ナルアは不機嫌に隊員一同をにらみつけ、次の瞬間、隊員達に向けていたのとは全く違う、少し不安そうな、なんとなくはにかんだような顔でオリンのほうを見やった。幸か不幸か、オリンはライサンダーやハルディアナ、エルメラートらとのんきなおしゃべりの真っ最中で、隊員達の話にもナルアの言葉にも、まったく注意を払ってはいなかった。

「……どうもすみません、ご迷惑をおかけして」

 ナルアはクレアノンに向かい、深々と一礼した。

「私は別に、迷惑だとは思わないけど」

 クレアノンは、小首を傾げた。

「ほっほう、隊員の皆さんは、ナルアさんを崇拝してらっしゃるのであるな!」

 パルロゼッタは楽しげに言った。

「そんな上等なもんじゃありません」

 ナルアは深くため息をついた。

「こいつら全員、私をものにしたくてしかたがないんです」

「ほっほう」

 パルロゼッタは再び歓声を上げた。

「獣人族は、配偶者を選ぶ際、女性の方に全ての選択権があると聞いたことがあるのであるが、本当であろうか? 吾輩の知識はいささか古いものなのであるが、今でもそうなのであろうか?」

「『全ての』っていうのは言いすぎだとは思いますがね。でも、そうですね――私達の社会では、女の意に反して無理を通すような男には、死んだほうがはるかにましと思えるような運命が待っていることは確かですね。――それに」

 ナルアはニヤリと笑った。

「こいつら全員対私、ならともかく、それ以外の方法で、私がこいつらに後れをとることはありませんので」

「たいした自信であるな」

「なに、単なる実証済みの事実にすぎません」

 ナルアは小さく肩をすくめた。

「そうでなかったらそもそも、隊長なんてやっていられませんよ」

「なるほどなるほど」

 パルロゼッタは忙しく、使いこまれた帳面に何やら書きつけた。

「やはり、当事者の言葉には重みがあるのであるな!」

「――ねえ、ナルアさん」

 クレアノンは、部屋に入りきらず、廊下のあたりで押しあいへしあいしている、獣人の探検隊一行を見やりながら言った。

「ごめんなさいね、部屋が狭くて。もしなんだったら、もっと広い空間を都合しましょうか?」

「い、いや、そ、そんな事をして下さるには及びません」

 ナルアが、いささかあわててかぶりをふった。

「隊長、『空間』って、簡単に都合がつけられるようなものなんスか?」

 茶色い犬の獣人が、もっともにして根本的な疑問を呈した。

「……この人には、出来るんだろうな」

 ナルアは小さくため息をついた。

「……『人』というか、『竜』か」

「……へ?」

「なに?」

「なんだって?」

「竜、だと」

「竜?」

「マジで?」

「どこどこ?」

「おい、押すなよ!」

「竜ってどこ!? えーっ、見えねえよお!」

「やかましい! 静かにしろ!!」

 ザワザワと騒ぐ、犬系統の者達が主な顔触れの隊員達を、厳しい声でナルアが一喝する。

「――本当にすみません。馬鹿ばっかりで」

 ナルアが深々とため息をつきながらクレアノンに頭を下げる。

「私はそうは思わないけど」

 クレアノンはクスクスと笑った。

「『空間』とは、簡単に都合がつけられるようなものなのか? っていう問いは、とっても鋭く本質をついていると思うわ」

「あんまりほめないで下さい。こいつら馬鹿だから、すぐつけあがるんです」

「あらあら」

 クレアノンは楽しげに笑った。

「ああ――今日は本当に、楽しくて忙しい日だわ!」

「であるな」

 パルロゼッタが、唐突に口をはさんだ。

「吾輩、毎日が今日みたいな日だったらいいと思うのであるよ!」

「勘弁して下さい」

 ナルアは真顔でうめいた。

「それじゃとっても、身がもちません」

「だらしないのであるぞナルアさん」

 パルロゼッタが口をとがらせた。

「吾輩のようなホビットよりも、あなたのような獣人のほうが、ずうっと体力があるであろうが!」

「あのですね」

 ナルアは天を仰いだ。

「今私は、その定説は非常に疑わしいものである、と、全身全霊を込めて主張したい気分です」

「――ナルアしゃん、大変そうやねえ」

 不意にオリンが、クスクスと笑った。

「頭のええ人の相手は、頭のええ人にしかでけんからね。ナルアしゃん、がんばっとくれやあ。ぼくらの中でまともな頭があるんは、ナルアしゃんだけなんやから、の」

「……そんなことは、ないと思うよオリンちゃん」

 ナルアは、まっすぐにオリンを見てそうつぶやき。

「――でも、がんばるよ、オリンちゃん」

 と、生気を取り戻した声で宣言した。




「おやおや? アレンさんとユミルさんはどこへ行ったのであるか?」

「あの二人は、もう休みたいからって部屋に戻ったわ」

「おお、そうであるか。おおそうそう、アレンさんは妊娠の初期であったな。大切にしなければならんのであるな」

 パルロゼッタは、うんうんとうなずいた。

「――ああ、ようやっとあの馬鹿どもがかたづいた!」

 部屋に戻って来たナルアが、大きくのびをした。

「すみませんクレアノンさん、お庭を拝借しちゃって。でも、いいんですか? あいつら、あそこで宴会をおっぱじめる気満々ですよ。御近所迷惑じゃないですか?」

「大丈夫よ。だって」

 クレアノンはクスクスと笑った。

「御近所のかたがたにも、自由に宴会に参加していただくんですもの。自分達も参加すれば、迷惑も何もないでしょう? どうしても迷惑だ、っていうかたがたには、迷惑料として金一封でも進呈するわ」

「むむむ、実にうらやましい、くめどもつきぬ資金力であるな」

 パルロゼッタが大きくうなった。

「――ねえ、パルロゼッタさん」

 クレアノンは、小首を傾げてパルロゼッタを見やった。

「なんであるか?」

「パルロゼッタさんは、キャストルクのかたがたの中にお知り合いとかいらっしゃらないかしら?」

「む? なぜそのようなことを聞くのであるか?」

「あのね」

 クレアノンは目をしばたたいた。

「私はこのハイネリアに来てから、ハイネリア四貴族の、ソールディンのかたがたと、それに、イェントンのザイーレンさん一家とは、個人的にお知り合いになることが出来たの。そして今日、セティカのあなたともお知り合いになることが出来たわ。でもね――キャストルクのかたがたとは、いまだになんの接点もないのよ。これから私の家の庭で始まる宴会に、ハイネリア四貴族の各家から、誰かしら御招きすることが出来れば、一気に、私と、四貴族と、オルミヤン王国から来た探検隊のかたがたとの、親睦が深まると思うんだけど」

「――竜というのは、考えることが大胆であるな」

 パルロゼッタは肩をすくめた。

「よく言うであろ? 『かっちん頭のキャストルク』。イェントンも礼儀作法にはうるさいほうであるが、キャストルクはそれに輪を三つくらいかけているのであるよ。こんなに急な御招きでは、逆に無礼ととられかねんのであるな」

「あら、残念」

 クレアノンは、本当に残念そうにそう言った。

「じゃあ、ソールディンとイェントンのかたがただけ御招きしようかしら?」

「セ、セティカの連中にも声をかけてよいであろうか!? こ、こんな面白いことを一人占めにしてしまったら、吾輩後でみんなに生皮をひんむかれるのであるよ!」

「ええ、どうぞどうぞ。宴会は、大勢でやったほうが楽しいわ、きっと。――実は」

 クレアノンはクスリと笑った。

「『宴会』なんてするのは、これが初めてなんだけど。でも、いろんな本に書いてあったわ。宴会は、大勢でやったほうが楽しい、って」

「それは当然であるな」

 パルロゼッタは大きくうなずいた。

「クレアノンさん、それって、ちょっとまずくありませんか?」

 ライサンダーが、不安げに口をはさんだ。

「え? 何がまずいのかしら?」

「だってこのままじゃ、ハイネリア四貴族のうち、イェントンとソールディンとセティカだけ宴会に招待して、キャストルクだけ呼ばない、ってことになりますよ? そうすると、キャストルクの人達は、仲間外れにされたと思っちゃうかもしれませんよ。それに、こんなに急に、何の用意もなしの宴会じゃ、俺らみたいな平民はよくても、貴族のかたがたには到底満足していただけないんじゃ――」

「あら――そうなの? 私にはよくわからないんだけど――」

「まあ、ライちゃんの言うことにも、一理あるはあるわねえ」

 ハルディアナものんびりと会話に参加した。

「クレアノンちゃん、あのね、亜人や人間の社会や習慣ってね、なかなかめんどくさいものなのよ。クレアノンちゃんに悪気なんてなくっても、相手はそうは思ってくれないこともあるの」

「そうなの――ありがとう。私、そういう事って本当によくわからなくって。教えてもらえると本当に助かるわ」

 クレアノンは、ハルディアナに軽く頭を下げた。

「それじゃあ、誰も御招きしないほうがいいのかしら?」

「そんなことないわよお」

 ハルディアナはにこにこと笑った。

「あのねクレアノンちゃん、簡単なことよ。呼びたい人達みんなに招待状を出して、来るか来ないかは向こうに任せればいいのよお。イェントンのザイーレンさんやソールディンの人達は、もう事情を知ってるんだから、エリックちゃんやパースちゃんがいきなり空中から出てきて招待状を渡したって驚いたりしないでしょうし」

「――いや、それ絶対驚くと思いますけど」

 目を丸くして聞いていたナルアがぼそっとつっこむ。

「セティカの連中にも、ぜひその方法で招待状を送ってやって欲しいのであるな! みんなきっと喜ぶのであるよ!」

 パルロゼッタが喜々として言う。

「ありゃん、そんならパルさん、オレらにアドレスくんねーッスか? なんせ、オレはDクラスでマスターは使い魔なんで。あ、使い魔っつーのは、基本EかFクラスなんスけど」

 肩をすくめてエリックが言う。

「ん? 『あどれす』とは、なんのことであるか?」

「えーっと、あーっと、住所のことッス」

「む、住所であるか? 住所不定のやつも、けっこういるのであるが――」

「んじゃ、わかる範囲で」

「紙に書けばよいのであるか?」

「それでお願いするッス」

「――クレアノンさん」

 パーシヴァルが、わずかに眉をひそめた。

「セティカのかたがたにはその方法でいいとして、キャストルクのかたがたは、私やエリックのような、得体の知れない者に招待状を持ってこられたら、もしかしたら、お気を悪くされてしまうかもしれません」

「む、その可能性は、なきにしもあらずであるな」

 帳面にサラサラとペンを走らせながら、パルロゼッタが小首を傾げる。

「――よかろ。吾輩が一筆入れてやるのであるよ。ええと――パーシヴァル氏、でよいのであるよな? パーシヴァル氏は、吾輩の紹介状を持って、セティカの早耳のところに行くとよいのであるな。そしたらそいつが、キャストルクに招待状を持って行ってくれるのであるよ。何、いかなキャストルクとはいえ、同じ四貴族が一、セティカの一員が持って行った書状なら、文句も言わずに受け取るであろ」

「なにからなにまでお世話になるわね」

 クレアノンはにっこりと笑った。

「私は本当に、仲間と出会いに恵まれているわ」

「それをきっちり生かしきるのが、クレアノンさんのいいところであるな」

 パルロゼッタは、じっとクレアノンを見つめた。

「――あなたは、台風の目であるな」

「台風の目? 私が?」

「であるよ。あなたは何も変わらぬのであるな。――でも」

 パルロゼッタは、にっこりと笑った。

「あなたの周りは、大嵐であるな!」

「あら――それっていいことなのかしら? あなたがたにとっては、嵐っていう天候は、なかなか大変なものなんじゃないの?」

「ではあるが」

 パルロゼッタは、すました顔で言った。

「かまうことはないのであるな。嵐の後にはものすごい青空を見ることが出来るし、それより何より――」

「それより何より?」

「あなたの嵐は、とっても面白いのであるな!」

 パルロゼッタは、破顔一笑した。

 そして、クレアノンの仲間達も、また。




「わんわだー!」

 ハイネリア四貴族筆頭、イェントン家当主ザイーレン・イェントンが一子、レオノーラ・イェントンは、まわらぬ舌でそう言ってはしゃいだ。

「わんわー! わんわいっぱいねー! いっぱいいるねー!」

「レ、レオノーラ!」

 ザイーレンの妻、エリシアはあわてふためいた。なにしろ、犬系統の獣人に向かって、幼い子供が「わんわ!」とはしゃぐのが、彼ら獣人にとってどの程度の無礼にあたるものかさっぱり見当がつかない。

「ご、ごめんなさい皆さん! こ、この子まだ、本当に幼くて、まだ分別もついていなくて!」

「いえ、かまいませんよ。そんなに恐縮なさらないで下さい」

 オルミヤン王国から来た獣人達の探検隊隊長、豹の女戦士ナルアはクスクスと笑った。

「だって実際、こいつらは犬なんですから。まあ、中には狐や狼もいますけど」

「ぶしつけながらおうかがいしてもよろしいですか? 探検隊のかたがたが、ほとんどその――犬、もしくはそれに類した系統の獣人種だということには、やはり何か意味があるのでしょうか?」

 ザイーレンが、興味深げに目を輝かせながらナルアにたずねる。

「そうですね――私達獣人は、個人差はありますが、皆やはり、自分の属する獣種によく似た性格を、どこかしらにもっていますからね。こいつらのような犬系は、上がどんな種族でも、自分達の認めた長なら絶対の忠誠を誓ってくれますから」

「「「「「はい、俺達にとって隊長は絶対です!!」」」」」

 宴会会場のあちこちから、元気のよい雄叫びが上がる。

「かわいいやつらですよ」

 ナルアはクスクスと笑った。

「なるほど――」

 うなずいたザイーレンの視線が、ふと流れる。

 流れた視線の先には――。

「ああ、やっぱりリロイさんはいらっしゃらないのね」

「わりいな。兄貴はこういう、人が大勢集まるようなところが一番苦手だから。そのかわりによ」

 ハイネリア四貴族次席当主、リロイ・ソールディンの弟、カルディン・ソールディンが、自分の背中にくっついている少年を、グイと前に押し出した。

「ヒューを連れてきたから。ほれ、ご挨拶しろ、ヒュー」

「あ、えと、えーと、ち、父リロイの代理でまいりました! ハイネリア四貴族次席、次期当主継承権第一位、ヒューバート・ソールディンです! 今日は御招きありがとうございます!」

「どういたしまして」

 クレアノンはにっこりと笑った。

「皆さんでいらっしゃって下さったのね」

「たまには俺も、親父らしいことしねえとなあ」

 カルディンは小さく笑った。その腕には、彼の子供の中で、確認が取れているうちでは一番幼い、1歳のリーンが抱かれている。

「ほれ、おめーらも挨拶しろ」

「クレアノンさん、今日は御招きありがとうございます!」

 カルディンの娘で、今現在リロイの家に預けられている子供達の中では最年長のミオが、元気よく頭を下げる。

「ありがとうございます!」

「ありがとーございます!」

「にゃんにゃだー! おっきいにゃんにゃだー!」

 レオノーラよりほんの少しだけ年上のロンが、ナルアを見つけて大声で叫ぶ。

「あら、ロンさん、ナルアさんは、猫じゃなくて、豹の獣人なのよ」

 クレアノンがクスクスと笑う。

「ところでカルディンさん、そちらのかたがたとは、私は初めて会うと思うんだけど?」

「ああ、こいつらは、姉貴のチビどもだよ。ええっとおまえら、いくつになったんだっけ?」

「よっつ!」

「よっつ!」

 かわいらしい声が、見事に重なる。

「こいつら、双子でよ」

 カルディンはクスリと笑った。

「生むときゃ姉貴も大変だったみたいだぜ。ま、チビだからよ、途中で寝ちまうだろうけど、よろしくな」

「よろしくね。私は黒竜のクレアノン。あなたがたのお名前は?」

「ラルーチェ!」

「ルディリア!」

「男がラルーシェで、女がルディリアな」

 と、カルディンが補足する。カルディンの姉、リロイの妹、メリサンドラの子供達だ。

「姉貴はよ、どうしてもはずせねえ用があってよ。旦那のティコは、兄貴とはまた別の意味で人見知りしやがる性質だからよ」

「そう。それじゃあ、後でお二人によろしくね」

 クレアノンは軽くうなずいた。

「ええっと、あと、ターシャは――」

 カルディンがヒョイとのびあがる。

「――ありゃ? 何やってんだあいつ?」

 カルディンは首をひねった。ソールディンの、世間一般でそうと認められている兄弟達の中では末っ子にあたる、ナスターシャは、相棒にして親友の、ノームのルーナジャと共に、パルロゼッタの移動書斎に向かって、何やら熱心に話しかけている。

「ああ、ノームのアスティンさんとお話しなさってるんじゃないかしら? アスティンさんは、知らない人と話すのが苦手なんですって。伝声管ごしなら、おしゃべりできるみたいなんだけど」

「ああ、ノームにゃ多いよな、そういうやつ。特に男に多いな。女はそんなでもねえみてえだけど」

 カルディンは、小さく肩をすくめた。

「あぷー」

 腕の中のリーンが、周囲の喧騒に誘われたようにパタパタと動く。

「っととと、おいおい、暴れんなって。俺、チビ助の面倒みるなんて、ほんと苦手なんだからな!」

 口をとがらせてカルディンがぼやく。

「父さん、リーンこっちによこして」

 ミオがため息をつきながら言う。

「わたしが面倒みるから。父さんに任せてたら、絶対いつかリーンのこと落っことすよ」

「信用ねえなあ、俺」

 カルディンは大きく嘆息した。

「まあ、そうしてくれると俺も助かる。よろしく頼むぞ、ミオ」

「はいはい。ほーら、リーン、リーンはあんよが好きだもんねー。ね、みんな、あっちに行って、レオニーちゃんにもご挨拶しようよ!」

「そうだね! あ、ええと、それじゃクレアノンさん、ぼく達は、これで、ええと、失礼いたします――で、いいのかなあ?」

「ヒュー、だめだよ、これでいいのかなあ、とか言ったりしちゃ!」

「あ、ご、ごめん」

「どうぞ皆さん、ご自由に楽しんでらっしゃいな」

 クレアノンはにっこりと笑った。

「パーシヴァル、小さなお子さん達からは目を離さないようにね」

「かしこまりました」

 空中からスルリと具現化したパーシヴァルが、うやうやしく一礼する。

「では皆さん、どうぞこちらへ」

「はーい!」

「わーい!」

「ミオねえたん、待って待って!」

「ヒューにいたん、おててつないでよう!」

 控えめに先導するパーシヴァルに連れられ、子供達が遠ざかる。

「――結局、キャストルクの連中は来なかったみてえだな」

 はしゃぎながら遠ざかる子供達から視線を離し、カルディンは小さくつぶやいた。

「急な御誘いだったものね」

 クレアノンがサラリと言う。

「ったく、あのかっちん頭どもめ」

「一応、招待状は送っておいたんだけど、それでいいのかしら? それで、失礼にあたらないことになってる?」

「十分だと思うぜ、俺は」

「急な御誘いで申しわけなかったんだけど」

 クレアノンはクスクスと笑った。

「なんだかやってみたくなっちゃって。だって初めてなんだもの、宴会、なんて開くのは」

「そりゃ――竜が宴会開いた話なんて、聞いたことねえもんなあ」

 カルディンはケラケラと笑った。

「――なあ、クレアノンさん」

「なあに?」

「あんた、楽しんでるか? この宴会を、よ」

「もちろん」

 クレアノンは破顔一笑した。

「きっと、この場にいる誰よりも楽しんでるわ!」

「そいつはなにより」

 カルディンはニヤリと笑った。

「さて、それじゃあ、ガキどももいなくなったことだし、俺は俺で、一夜のお相手でも探してみましょうかね。――さすがの俺も、獣人は初めてだぜ」

「あら、ナルアさんに声をかけるの? 彼女の崇拝者は多いわよ。なにしろ、隊員の皆さんが全員彼女の崇拝者なんだから」

「あっそ。そんじゃ、隊員のほうに声かけてみるか」

 カルディンはニヤニヤと笑った。

「男も女も見境なし。『人たらしのカルディン』とは、俺のことだぜ」

「がんばってらっしゃい」

 クレアノンは、至極真面目な顔でカルディンを激励した。




「――すごいわね、あなたがたは」

 クレアノンは、そう言いながらナルアの隣りに立った。

「今まで100年余りも交流が途絶えていた、ニルスシェリン大陸とアヤティルマド大陸の、交流を復活させようというのだから」

「そうですか? 私から見れば、あなたのほうがすごい――というか」

 ナルアは小首を傾げた。

「なんだって、そんな大変な仕事に手をつけたりなんかしたんですか? その――私のやっていることは、まあ、私から見ても無茶なことだとは思いますが、それでも一応、王の命令です。立派な大義名分がありますし、国の援助も受けられますし、馬鹿だけどかわいい部下どももいます。あなたは――失礼ながら、そうではない、でしょう?」

「――そうね」

 クレアノンは、静かに微笑んだ。

「私に命令した人――それとも竜、それとも悪魔――なんて、誰も、一人もいないわね。私は、純粋に自分の意志で、やりたくてこういうことをやっているのよね」

「――なぜ?」

 ナルアは、まっすぐな瞳でクレアノンを見つめた。

「――と、問うのは、失礼にあたるのでしょうか?」

「いいえ。――そうね、こういうことを言ったら、それこそあなたがたには失礼極まりないと思われてしまうかもしれないけど」

 クレアノンは、一つ息をついた。

「はじめはね――はじめはほんとに、ひまつぶしのつもりだったの。でも――だんだん、それじゃ、すまなくなってきたの」

「それでは、あなたはこれからきっと、つらい思いもすることになるでしょうね」

 ナルアはやはり、まっすぐな瞳で言った。

「『ひまつぶし』なら――本当に『ひまつぶし』ならば、人は、それとも竜は、それとも――そうですね、たとえそれが誰であっても、どんな種族であっても、『ひまつぶし』で、本当に傷つく者などいはしません。しかし――」

 豹の獣人、女戦士ナルアは、その、金にとても近い色の琥珀の瞳をスイと細めた。

「『本気』になってしまったのなら――その『本気』の中身がどうであれ、あなたはきっといつか、傷つかずにはいられないでしょう」

「ずけずけ言うのね」

 クレアノンは、感心したように言った。

「すみません、不躾すぎました」

 ナルアは深々と頭を下げた。

「ああ、いいのよいいのよ。あなたの言っていることは、きっと正しいのだと思うから」

 クレアノンの視線が、フイと流れた。

 クレアノンの銀の瞳の先には、宴会の真っただ中でヘラヘラとはしゃぎまわる、下級悪魔のエリックの姿があった。

「あなたももう御存知の通り、あそこにいるエリックは、下級悪魔で、あちらのパーシヴァルはエリックの使い魔よ。ねえ、あなたは――ああ、きっとご存知ないわね。悪魔達のあいだにはね――『落っこちる』っていう、言葉があるのよ」

「『落っこちる』――?」

「ええ。悪魔達が普段、彼らの日常を送っている世界は、私達の世界とは、ちょっとちがった――何て言ったらいいのかしらねえ、私達の世界、今ここで、私達がこうやってお話している世界とは、まったく別の次元にあるのよ。その――失礼を承知で申し上げるけど、この世界は、悪魔達にとっては、彼らの遊び場でしかないの。だから彼らは――悪魔達は、この世界、いいえ、この世界に限らず、人間達の世界で起こることなんかに、本気になったりなんかしないわ。だって、悪魔達にとってそれは、ただの遊戯の盤上で、駒達が繰り広げる一つの模様でしかないんですもの。でも――それでもね、時々――ああ、あなた達の時間感覚からすれば、『時々』ってこともないんだけど――『落っこちる』悪魔もね、いるのよ」

「――『落っこちる』とは、どういうことなんです?」

「――悪魔達が、人間達の世界に『本気』になってしまうことよ」

 クレアノンは、まっすぐにナルアの目を見つめた。

「悪魔達にとって、人間の世界なんて、いくらでも取り換えの効く、ただの遊び場にすぎないの。だから――この世界がたとえ破滅を迎えたとしても、悪魔達は誰一人として、悲しんだり嘆いたりなんかしないわ。そうね、『この世界』に限っていえば、仮に破滅を迎えたとしたら、あそこにいるパーシヴァルは、きっと心から悲しむでしょうし、エリックだってもしかしたら、少しぐらいは悲しいと思ってくれるかもしれない。でも――それだけ。ひとしきり悲しんだら、彼らはきっと、また他の世界へと移ろって行くでしょう」

 クレアノンは、小さく吐息をついた。

「でも――そんな彼らでさえ、『落っこちる』ことがあるの。『落っこちる』っていうのは――」

 クレアノンは、銀の瞳をしばたたいた。

「悪魔達が、本気で、本当に、ある一つの――人間達の世界を、好きになってしまって――もう、世界を渡ることをやめて、その世界に根を下ろし、その世界の住人と成り果ててしまうことを言うのよ」

「――もし、そういうことが起こるのだとしたら」

 ナルアは、真剣な瞳でクレアノンと向きあった。

「その時、その悪魔は――いったい、何になるんでしょうか? だって――だって、それはもう――『悪魔』では、ない、のでしょう――?」

「そうね――悪魔達は単純に、そういう存在のことを『落っこち』って呼んでるけど」

「――『落っこち』――」

「――私にもね、少しだけ、わかるような気がするの」

 クレアノンは、ため息によく似た吐息をもらした。

「私は確かに、世界と世界のあいだを渡る力を持ってはいるけど、それでもやっぱり、悪魔達とは違うの。彼らは――悪魔達は、この世界の生き物じゃないけど、私は、この世界の生き物なの。だから――私の故郷は、この世界。私はこの世界のことを、心から愛しているわ。でも――それでも――私が見ている『世界』と、あなたがたの見ている『世界』とは、きっと、同じものじゃない――」

「それは、誰だってそうですよ」

 ナルアは静かにそう言った。

「人間と獣人――いえ、それどころか、同じ獣人どうし、同じ女どうしの私とオリンちゃんとだって、見ている世界は、きっとまるで違っていると思いますよ。見ればおわかりのとおり、私は豹の獣人で、オリンちゃんはサバクトビネズミの獣人です。体格も、身体能力もまるで違う。私には出来ることがオリンちゃんには出来ないし、逆もまたしかり。オリンちゃんには出来ることが、私には出来ない。――あなたが特別なんじゃありません。きっと――多かれ少なかれ、誰だって、そうなんですよ。誰だってきっと、自分だけの世界を見つめ、自分だけの世界の中で生きているんですよ」

「――ほんとにそうね」

 クレアノンは、感心したように言った。

「あなたと出会えて、そして、お話することが出来て、本当によかったわ、ナルアさん」

「光栄です。竜にそんな事を言っていただけるだなんて」

 ナルアはにっこりと笑った。

「――あなたには、あなたの使命があり、あなたの仲間達がいるのね」

 クレアノンは、ふと、遠くを見るような顔をした。

「だから――私のやることに、何が何でも手を貸してくれ、なんて言うことは、私にはとても出来ないわ。でも――でも、ね、もし――もし、私達がお互い、その、なんていうか――お互いに、助けあうことが出来る時が来たら――」

 クレアノンは、じっとナルアを見つめた。

「その時が来たら」

 ナルアはクレアノンに大きくうなずきかけた。

「もちろんお手伝いしますよ。だって――」

 ナルアは楽しげに、宴会会場を見渡した。

「こんなにも盛大に歓迎会を開いていただいておきながら、そのお返しもしないのでは、私達獣人族の、礼儀というものが疑われてしまいますから」

「あら、そんなこと、別に疑ったりなんかしないわよ」

 そう言いながら、クレアノンもまた、大きく楽しげに笑った。




「隊長隊長、この人って、じょ、冗談言ってるんですよね?」

 クレアノンと共に宴会会場を見て回るナルアの袖を、オルミヤン王国からやってきた探検隊隊員達の中では、比較的ほっそりと優美な体つきをしている、狐の獣人が、困り顔で捕まえた。

「ん? いや、私は、そんな事を聞かれてもおまえがどんな事を言われていたのか知らないんだから答えようがないぞ?」

「いや、だってだって」

 狐の獣人は、困り顔のままある人物を指さした。ある人物とは――男も女も見境なしで口説いては、片っ端から関係を結んでいくことでつとに有名な、ほとんど悪名と同義の名声を轟かしている、ソールディンの四兄弟(『四兄弟』とは、彼らと関係のない、赤の他人の呼びかたであるのだが)の一人、『人たらしのカルディン』である。

「こ、この人、お、俺に、その、なんつーか、その――つ、つきあってくれって――」

「あら、それ、カルディンさんは本気で言ってるのよ?」

 クレアノンは、いとも無邪気にそう告げた。

「そう、俺は、本気でもないのに人を口説くような失礼な真似はしない!」

 カルディンが胸をはって宣言する。……もっとも、彼の場合、その『本気』に持続力が全く欠けているというのが最大の問題であろう。

「……だそうだ」

「『だそうだ』って、ちょっと隊長!?」

「おまえ、私にどうして欲しいんだ?」

 ナルアは大きく肩をすくめた。

「別に私は反対せんぞ。個人の自由だろう、そんなの」

「いやいやいや、俺はそんな自由いりませんし! てゆーかむしろ、制限して欲しいですし!!」

「隊長さん反対しないってよ」

「いやいやいや! つ、つーか俺、男ですよ!?」

「別に、おつきあいするのに男も女も関係ないだろ?」

「おおいにありますよッ! て、てゆーかあの、あなたさっき、お子さんと一緒でしたよね?」

「うん」

「あの、その、ええと――」

「ん? ああ、全員俺の実の子。俺、女も好きだし」

「……あ、俺はその、女『だけが』好きですんで……」

「あそう? んー、じゃあまあ、まずはお友達からはじめてみないか? あんた、しばらくこの街にいるんだろ?」

「い、いやそのッ、お、俺は、大事な任務の途中ですので!!」

「任務? んー、でも、俺とつきあっときゃその任務とやらに役に立つこともあるかもよ? こう言っちゃなんだけど、俺、これでも、ハイネリア四貴族次席、ソールディン家の一員だし」

「だ、そうだぞ、リッキー」

 ナルアは面白そうに、ニヤニヤ笑いながら言った。

「た、隊長ー、笑ってないで助けて下さいよお」

「おまえらも少しは、のべつ幕なしにおまえらに口説かれる私の気持ちを思い知ればいいんだ」

 ナルアはすました顔で言った。

「……だめかなあ?」

 カルディンが残念そうな顔で言う。

「いやその、いやあの、ほんとその、なんていうか……」

「あー、んじゃ、ま、しょーがねっか」

 カルディンは大きく肩をすくめた。

「無理強いは趣味じゃねーし。それに、まだまだ候補者はいるし」

「…………」

 狐の獣人、リッキーは、世にも複雑な顔で自分の同僚達のほうを見やった。

「……隊長」

「なんだ?」

「俺らの中に、そういう趣味のやつっていましたっけね?」

「少しは混じっててくれると、私も楽でいいんだけどなあ」

「……いや、ら、楽って隊長……」

「この際、少しそっちに目覚めさせてやってくれないかなあ。そうなってくれると、私も楽になると思うんだ」

「なるほど」

 カルディンは、いとも真面目な顔でうなずいた。

「よし、がんばってこよう」

「ええ、がんばってきてください」

 真顔のままのカルディンと、すました顔でうなずくナルアを等分に見やり、目を白黒させるリッキー。

「がんばってらっしゃい」

 と、クレアノン。こちらもまた、いたって真面目に言っている。

「……誰かとめて下さいよ……」

「とめなくちゃいけないの? でも、カルディンさんは無理じいはしないわよ?」

 リッキーのうめきに、真顔で返事を返すクレアノン。

「あー……それは、そうでしょうけど……ってゆーか、そうであることを切に願いますけど……」

「な? わかったかリッキー。見境なしに口説かれるのって、けっこう大変なんだぞ?」

「おお、なんか俺、教材に使われちまってるよ」

 カルディンは、気を悪くした様子もなくケラケラと笑った。

「よしよし、それじゃあがんばって、隊員の皆様がたに大切な教訓を刻んできてあげるとしようか!」

「あら? じゃあ、カルディンさんは誰ともおつきあいが出来なくてもいいの?」

「いや、出来りゃ出来るにこしたこたないけどね。でもまー、こういうのは断られるのも楽しみの一つってもんよ」

「へえ……そんな考えかたもあるんだ」

 と、素直に感心するクレアノン。

「んじゃ、まあ、行ってきますよー、っと」

「……やれやれ」

「そんなにいやがることはないだろう、リッキー。おまえは一人だったが、私はおまえらざっと50人分なんだぞ?」

 ナルアが面白そうな顔でリッキーをからかう。

「いや、もう、ほんと勘弁してくださいよ……」

「――そういえば、竜の恋愛って、どんな感じなんですか? あの、もし失礼じゃなければ――」

 若い娘らしい好奇心を表に出して、ナルアがクレアノンに問いかける。

「ええと――失礼じゃないんだけど、個体差が大きすぎるのよね。だって、その気になれば、性別を自在に変えることの出来る竜も、一人だけで子を成すことが可能な竜も、他種族と混血出来る竜も、他種族を竜に変えることが出来る竜もいるわけだし。ああ、ちなみに私は、両性具有よ。今は人間の女性の姿をとっているけど、その気になれば『男性』になることも出来るわ。まあ、私は、この『女性』の姿が気にいっているから、何か切羽詰まった必要でもなければ、『男性』の姿にはならないと思うけど」

「へえ――勉強になります」

 ナルアが真面目な顔でうなずく。

「……なんで女の姿のほうが好きなんですか?」

 リッキーが、幾分おそるおそる、しかし、やはり好奇心に目を輝かせながらたずねる。

「なんで――ええと、どうしてだったかしらねえ? そうねえ――なんとなく、女性体でいるほうがしっくりくるのよねえ。特に理由を考えたことはないけど――」

 クレアノンは、小首を傾げてしばらく考えこんだ。

「――強いて言うなら、人間体になった時の、女性の体の形が好きだから、かしらねえ? ほら、女性の体って、男性の体より、圧倒的に曲線が多いでしょ? 私、そういう、なんていうか、曲線的なものが好きみたいなのよねえ。で、人間の女性の姿でいる時は、出来るだけほら、それらしくっていうか、女性らしい立ち居振る舞いや言葉づかいをしたいじゃない? それで、だんだんと――かしらねえ? ううん――自分でも、ちゃんとした理由がよくわからないんだけど」

 クレアノンは小さく苦笑した。

「え――じゃあ、生まれた時から女、ってわけじゃないんですか?」

 目をまるくして、リッキーがたずねる。

「ああ、私はね、生まれた時はまだ、どちらの性別でもない種類の竜なのよ。どちらでもあって、どちらでもない。そこから成長するに従って、自分の好きな姿を選んでいくの。男性体になったり、女性体になったり、両性体になったり、一つに決めずにいろんな体を試してみたり――。私はたまたま、女性体でいることが性にあったのよね」

「へええ――」

「なるほど――」

 リッキーとナルアが、感嘆の声をあげた、その時。

 空から宴会会場に、何者かが舞いおりた。




「――よっ!」

 宴会会場に舞い降りた、ほっそりとした、いかにも小回りの効きそうな鳥船から身軽に飛びおりた、青い髪の小柄な青年は、そう一声かけ、誰にともなく、元気よく片手をふって見せた。

「――あらあ」

 ハルディアナは、青年を見て、ちょっと驚いたような声をあげた。

「あれ? ハルさん、あの人もエルフですか?」

 エルメラートが小首を傾げる。青年の髪は、ハルディアナとよく似た鮮やかな青。その耳は、ハルディアナによく似た――いや、というか、エルフ族の典型的な特徴としてつとに名高い、すんなりと長くのびた、独特の形をしている。

「そうねえ、エルフの血をひいているのは間違いないと思うけど――」

 ハルディアナもまた、小首を傾げた。

「でも――こう言っちゃなんだけど、純血のエルフじゃないわね。エルフ族はもっと、ええと――背が高いのが普通だし、顔立ちなんかもなんとなく違ってるわあ」

「ふうん――じゃあ、ぼく達の子供も、あんなふうになるのかなあ?」

「そうねえ、ライちゃんは、ちっちゃいもんねえ。ちょっと似た感じになるかもしれないわねえ」

「へえ、そっかあ」

「よお、パル」

 パルロゼッタを見つけた青年が、元気よく手をふる。

「クラリー、首尾はどんなもんであるか?」

「ああ、バッチリバッチリ。手紙は全部渡し終えたぜ」

「それはお疲れ様であるよ」

「なあ、おれ達も、宴会に参加していいか?」

「おれ『達』?」

 ライサンダーが首をひねった。

「あの――あの鳥船の中に、まだ誰かいるんですか?」

「ああ」

 青年は、軽くうなずいた。

「おい、パル、おれ、自己紹介とかしておいたほうがいいか?」

「それは、しないよりはしたほうがよかろ」

「そっか」

 青年は再び、軽くうなずいた。

「えーっと、初めまして、かな? おれは、クラリオロイドフェルディオロルカレンドロン・ティンクカンディントゥード」

「え? ク、クラ――」

「あははははっ、長すぎる名前だろ? おれだって、ガキの頃は全部言えなかったもん。クラリーでいいよ。みんなそう呼んでる。それか、『早耳』か」

「早耳――ああ、パルロゼッタちゃんが、手紙を頼んだ子ねえ」

 ハルディアナがのんびりと言う。

「そ。おれが、セティカの早耳。早耳クラリー。あー、ちなみにおれ、エルフとノームの混血ね。めっずらしーだろ?」

「それは珍しいですねえ」

 エルメラートが、素直に感嘆する。

「でも、ハルさんのおなかにいる、ぼく達の子だって、珍しさじゃ負けませんよ! ハルさんはエルフで、ぼくは淫魔で、ライさんは、ドワーフとホビットの混血だから、ぼく達の子は、今言った種族の血、全部をひいて生まれてくるんですからね! すごいでしょ!」

 エルメラートがうれしそうに、堂々と胸をはる。

「おお、そいつはほんとにすげえな!」

 クラリーもまた、素直に感嘆する。

「えーと、黒竜といっしょになんやかんややってるってのは、あんたらで間違いねえのか?」

「あたしたちだけじゃないけどねえ」

 ハルディアナがクスクスと笑う。

「あっちで獣人さん達といっしょにごちそう食べてるリヴィーちゃんとミラちゃんも、あたし達の仲間だし、ほら、あっちのほうでチビちゃん達の面倒みてる、パースちゃんとエリックちゃんも、あたし達の仲間よお」

「あっちで女豹の獣人とおしゃべりしてるのが、黒竜のクレアノンか、もしかして?」

「あらあ、よくわかったわねえ」

「うん、おれ、そういうのなんとなくわかるんだよ」

 と、真顔で答えるクラリー。

「クラリー」

「ん、なんだ、パル?」

「鳥船に乗ってる人を、おろしてあげなくていいのであるか?」

「……あ、忘れてた」

 ペチンと額をたたくクラリー。

「わりぃわりぃ。おーい、出てきていいぞ。一人でおりられるか?」

「――はい」

 聞こえてきた声を聞き、ハルディアナ、エルメラート、ライサンダーは、なんとなく納得する。

 クラリーの鳥船は、とてもほっそりとして、いかにも小回りがききそうで、そして――。

 そして、その中に、人間の大人が二人乗るには、ずいぶんと無理をしなければならないのではないか、というほど、小さなもの、だったのだ。

 鳥船の中から聞こえてきたのは――甲高い、子供の声、だった。

「――こんばんは」

 そう言って、ひらりと鳥船から飛び降りたのは。

 白に近いほど淡い金色の髪と、美しく澄みわたった翡翠色の瞳の、空色のドレスを身にまとった、10歳そこそこの、ほっそりとした少女だった。

「――初めまして。ティアンナ・キャストルクです。キャストルク当主、フィリスティア・キャストルクの、ええと――」

 少女は――ティアンナは、ちょっと困ったようにクラリーを見やった。

「あの、クラリーさん、どういうふうに言えばいいと思いますか?」

「ああ、えーっと、ティアンナは、フィリスティアの、姪っ子の姪っ子だよ。こういうのって、どう言やいいんだ?」

「まあ、フィリスティアは、ティアンナの、大おばとでも言っておけばよいのではないのであるか?」

 と、パルロゼッタが小首を傾げる。

「そっかー。うん、まあ、そんなとこなわけだよ、うん」

「であるよ」

 と、パルロゼッタが周りの者にうなずきかける。

「あの、ええと、わ、私はまだ子供だから、あの、ええと、な、なんの――なんの――なんの、『けんげん』も、ないんですけど」

 ティアンナは、大真面目な顔で、懸命に言った。

「それでも、あの、フィリスティア様に言われて、やってまいりました」

「あら、ちょっと待って」

 ハルディアナが穏やかに、ティアンナの話をさえぎった。

「そういうことは、あたし達じゃなくって、クレアノンちゃんに直接言ってもらったほうがいいわねえ」

「今、ライさんが呼びにいってます」

 と、エルメラートが補足する。

「――わかりました」

 ティアンナは、素直にうなずいた。

「よく来たわねえ、ティアンナちゃん」

 ハルディアナは、にっこりとティアンナに笑いかけた。

「おいしいもの、たっくさんあるわよ。楽しい人達もいっぱいいるし。どうかゆっくり楽しんでいってちょうだいねえ」

「ありがとうございます」

 ティアンナは、ニコッと笑った。

「やっぱり」

 エルメラートも、ニコッと笑った。

「宴会は、お客様がたくさん来て下さる方が楽しいですよね!」

「そうよねえ。みんなで楽しむのって、ほんと、いいわよねえ」

 やわらかな笑みを交わす二人の瞳に、ライサンダーに連れられてやって来る、クレアノンの姿がうつった。




「――ごめんなさいね、ユミル」

 アレンはそっと、夫のユミルにささやきかけた。

「私のせいで、宴会に出られなくて」

「別に、たかだか一回宴会に出られないことくらい、どうということはありません」

 ユミルは小さく笑った。

「別に私、そんなにものすごく宴会が好き、というわけでもありませんし。ここであなたと二人でいられれば、それで満足ですよ」

「――すごく、うれしいです」

 アレンがそっと、ユミルにもたれかかった。

「一人じゃなくって、二人でいられるのって、すごくすごく、うれしいです――」

「――もうすぐ三人になりますよ」

「そうですね、もうすぐ、三人に――」

「ああ、でも、もしかしたら双子とかかもしれませんよ?」

「え?」

 ユミルの冗談に、アレンは目をパチクリさせた。

「ふ、双子、ですか? あ、でも、そういう可能性もありますねえ――」

「男の子か、女の子か――」

「それとも――」

 アレンは、怯えたような顔で、ユミルを見つめた。

「わ、私のように、ど、どちらでもないか――」

「――それでもいいじゃありませんか」

 ユミルは静かに笑った。

「別にそれでも、なんにも問題ないじゃないですか」

「――」

 アレンは、泣き笑いのような表情を浮かべた。

「――ほら」

 ユミルは、アレンを連れて、そっと窓辺に立った。

「ここからみんなの様子が見られますよ」

「ああ――ほんとだ。みんな、楽しそうですね」

 アレンがにっこりと笑う。

 アレンが、宴会会場に行けない理由はいろいろとある。妊娠の初期にあるため、大事を取って、出来るだけ体を休めておいたほうがいいというのもあるし、アレンはファーティスの――現在、ハイネリアと交戦中の国の、逃亡軍人であるということもある。そして、ユミルもまた、公式には、彼はいまだに『消息不明』ということになっているのだ。

「そうですね。皆さん、楽しそうにしてらっしゃいますね」

 ユミルは、そっとアレンを抱き寄せた。

「今日は、出られませんでしたけど、いつか、きっと、二人で、宴会に出ることが出来るようになりますよ。いつか二人で、みんなといっしょに、楽しむことが出来るようになりますよ、きっと――」

「ええ――」

 ユミルとアレンの耳に、楽しげなさんざめきが、かすかに響いていた。


「ようこそいらっしゃいました」

 クレアノンは、満面の笑みをたたえてティアンナを見つめた。

「キャストルクのかたなんですって? どうぞ、ゆっくり楽しんでいってくださいね」

「は、はい!」

 ティアンナは、頬を紅潮させてうなずいた。

「こ、こんばんは! え、ええと、あの――」

「ああ、ごめんなさい、自己紹介がまだだったわね。私はクレアノン。種族は黒竜よ」

「クレアノンさん――ええと、それから?」

「え?」

「あの、ええと、あの――」

「クレアノンちゃん、たぶんこの子、名字の事を聞いてるんだと思うんだけどお?」

 きょとんとするクレアノンに、ハルディアナがそう教えてやる。

「ああ――竜族にはね、名字を名乗る習慣がないのよ。ええと、そうね、私は勝手に、クレアノン・ソピアー、って名乗ることもあるんだけど、それでもいいかしら?」

「え、あ、ええと、はい、わかりました、ソピアーさん」

「あら、私は、クレアノンって呼んでくれたほうがうれしいわ。そっちのほうが呼ばれ慣れてるから」

「ご、ごめんなさい!」

「あら、怒ったんじゃないのよ。そういうふうに聞こえたんなら、ごめんなさいね」

「え、ええと、あの――」

 クレアノンが優しげに微笑んでいるのを見て、ティアンナも、ホッとしたように微笑んだ。

「ええと――クレアノンさんは、本当に竜なんですか?」

「ええ。でも、今、この場じゃちょっと、竜の姿になって見せるってわけにはいかないわね。だって、ここじゃあ狭すぎるんですもの」

 クレアノンは、にこにことそう言った。

「そうなんですか――」

 ティアンナは、感心したようにうなずいた。

「ティアンナさんは、フィリスティアさんの、姪御さんの姪御さんなんですって?」

「え、あ、はい、そうです」

「あなたがたのつながりって、すごいわよねえ」

 クレアノンは、心の底から感心したような声で言った。

「私達竜族なんて、たとえ親兄弟だって、何百年もの間、顔一つあわせることもないのが普通だったりするのに。でも、あなたがたにとっては、姪御さんの姪御さん、なんていう、遠い血のつながりでも、ちゃんと大切な『家』の一員なのね。人間や、亜人のかたがたの結びつきって、本当に親密で、強いものなのねえ」

「ええと――」

 どう答えたらいいのかわからないなりに、とりあえず、ほめられているらしいことを感じ取ってにこにこするティアンナ。そう――クレアノンには、悪気も裏も何もない。本当に心の底から、人間の、親密にして緊密な『結びつき』に感心しているだけにすぎない。ティアンナもまた、そのクレアノンの心を素直に受けとめた。だが――。

 二人の周りにいた者達は、そっと目と目を見あわせた。もちろん、クレアノンの言葉をそのまま、素直に受け取った者達もいる。だが――。

 だが、クレアノンの言葉は、歪めて聞けば、こうも聞こえる。

 私のところに、当主の姪っ子の姪っ子などという、親族としては末席もいいところの遠い血のつながりしかもたない、そんな者をよこすとは、この黒竜たる私への、まったくたいした対応ですこと、という、皮肉にも。

「ティアンナさん、何か召しあがる? ああ、あなたは子供だから、お酒は飲めないのよね?」

「あ、はい。お酒は、だめです」

「それじゃあ、どんなものがお好きかしら?」

「ケーキが好きです」

 ティアンナが、真面目に答える。

「あら、それじゃあ、こっちにたくさんあるわよ。いっしょにいただきましょうか?」

「クレアノンさんは、人間の食べるものを召し上がられるんですか?」

「ええ、もちろん。あなたがたの食べるようなものは、たいていなんだって食べられるわよ」

「クレアノンさんは、どんなものがお好きなんですか?」

「そうねえ、あなたがた人間の料理は、どれも私達竜にとっては珍しいものだから、食べていてとても楽しいわ。特に好きなのは何かしら――?」

 にこにこと、楽しげに笑いながら、語りあいながら。

 クレアノンとティアンナは、ケーキをはじめとする、お菓子類が満載されたテーブルのほうへと歩を進めた。




「よお、ザイーレン」

 気軽にかけられた声に、ザイーレンはわずかに眉をひそめた。

「何か用かな、カルディン?」

「おめーにも、わかってんだろ?」

 カルディンはニヤニヤと――だが、その底に、真剣さをひそめて言った。

「キャストルクの連中の思惑が?」

「……わかっていないのは、クレアノンさんと、子供達だけなんじゃないのか?」

 ザイーレンは、大きくため息をついた。

「……だよな」

 カルディンは、小さく肩をすくめた。

「まあ、かっちん頭のあいつらとしちゃあ、よそからやって来た得体の知れない竜だか何だかに、いきなり滅茶苦茶あれこれひっかきまわされて、面白いわけがないっていうのはわかるけど、よ」

「それでも、ある程度は認めざるをえんだろうな。なにしろここには私がいる。ハイネリア四貴族筆頭、イェントン家当主たる、この私がな。私が――イェントン家当主が、『得体の知れない竜だか何だか』を、認めているんだ。キャストルクとしても、表立ってそれに、あからさまに逆らうわけにもいかんだろうさ」

「まあ、そりゃその通りだわな」

 カルディンは、再び肩をすくめた。

「そんでも、『ホントは認めたくないんだぞコラてめえら!』ってことを言いたいから、あーんな末席の、ちびっ子ちゃんをよこしたってわけだ」

「……相変わらず、下品だな、おまえは」

 ザイーレンは、大きく眉をひそめた。

「もう少し、身分と年齢に応じた口がきけないのか?」

「めんどくせーこと言うんじゃねえよ」

 カルディンはニヤニヤと笑った。

「今のまんまの俺がいやだっていうやつらは、俺のほうから願い下げだね」

「ふん――いい気なもんだな。いったい誰のおかげで、そんなにのんきに、気楽にしていられると思っているんだ?」

「兄貴と姉貴と、ナスターシャとミーシェンのおかげだよ、もちろん」

 カルディンは言下に答えた。

「……ミーシェン、か」

 ザイーレンはゆっくりと言った。

「彼は――曙王、リルヴィア陛下の側仕えだったな」

「ああ。生まれつき、『ソールディン』っていう地位をもらってぬくぬくしてた俺らと違って、シェンは、自分一人の力で、あそこまで上りつめたんだ。俺らの自慢の弟だぜ」

「……本当に、仲がいいんだな、おまえ達兄弟は」

 ザイーレンは、小さく笑った。

「……ありがとよ」

「……いきなりなんだ。いったい、何に対して礼を言っているんだ?」

「ミーシェンのことを、俺らの、『兄弟』だって、きちんと認めてくれて」

「……今まで、きちんと認めていなくて悪かった。だが――これからは、その態度を改めることにする。彼もまた、ソールディンの兄弟の一員だ」

「ああ。――ありがとよ」

「……同じことを、していた」

「……なんだって?」

「私は、ずっと――エリシアのことを、素性が怪しいと、きちんとした貴族の出ではないからと、母親が昔しでかしたことを忘れたのかと、嫌い、後ろ指をさし、皮肉を言い、あてこすり、爪はじきにし――受け入れようとしない、一族の者達に、ずっとずっと、腹を立て続けていた。どうして認めないんだと思っていた。エリシアは、こんなにこんなに素晴らしい女性なのに、どうしてそんなくだらないことを言うんだ、どうして認めようとしないんだ、どうして受け入れないんだ。ずっと、そう――思い続けていた。だが――私も、同じことをしていた。私も、また、彼の――ミーシェンのことを、私や、おまえ達より――『ハイネリア四貴族』に連なる者達より、一段も二段も下に見ていた。『ソールディンの四兄弟』。この言葉に、なんの疑問も抱かなかった。――馬鹿なことをしていたと、今では思う。彼は――ミーシェンは、20歳にもならないあの若さで、リルヴィア陛下の側仕えに選ばれるほど、優秀で有能な男なのにな。それよりなにより、おまえたち兄弟はみな、常に変わらず、ミーシェンのことを、大切な弟だと、言い続けていたのにな――」

「……そうなんだよ。あいつは、俺達の大切な弟だ。そんでもって、ものっすごく、優秀で有能だ。ったく、当のミーシェン自身が、そのことをきちんとわかってねえっていうのが、ものっすごく、じれったくって歯がゆいんだけど、よ」

 カルディンはため息をついた。

「でも――おまえがそうやって、あいつのことを認めてくれりゃあ、あいつだって少しは、自分のことを認めることが出来るようになるかもしれない。ハイネリア四貴族筆頭、イェントン家当主、ザイーレン・イェントンが、自分のことを認めてくれてる、って知りゃあ、あいつだって――シェンだって、自分のことを、きちんと認めることが、出来るように、なるかも知れねえな――」

「あまり私を買い被るな」

 ザイーレンは、小さく苦笑した。

「それでも――そうだな。私が、彼のことを――ミーシェンのことを、『認める』という態度を取り続ければ、彼本人はどうだか知らんが、周りの有象無象連中の彼に対する反応も、少しは変わってくるだろうな」

「たいした自信だねえ、イェントンの御当主様」

「なに、単なる事実だ」

「ってなこと言いやがる」

 カルディンはケラケラと笑った。

「俺らのほうこそ――悪かったよ」

「……なんの話だ?」

「俺らはみんな、あんたと兄貴が、つまんねーことでいがみあってんのを知ってた。つーかまあ、正直言わせてもらえば、やたらとつっかかってくんのはいっつもあんたのほうで、兄貴はただ、きょとんとした顔で困ってただけなんだけどな。――知っててなんにもしなかった。クレアノンさんが来てくれなかったら、俺ら、今でもやっぱり、なんにもせずに、そんでもって、あんたと兄貴は、ほんとはお互い、仲直りしたくってしょうがないのに、兄貴は不器用すぎて、あんたは、意地を張って、それに、きっかけがなくって、仲たがいしたまんまだっただろうよ――」

「……ずけずけ言う男だな」

「俺に気のきいた気配りなんかを期待するんじゃねーよ。まあ――あんたも悪かったし、俺らも悪かったし、兄貴だって悪かったよ。俺ら、みーんな、悪かったんだよ、うん」

「……ふん」

 ザイーレンは、大きく鼻をならしながら、それでもニヤリと笑った。

「おまえがそういうなら、まあ、そういうことにしておこう」

「そうそう。すぎちまったことは、いまさらもう、どうしようもねえ」

 カルディンは、さばさばとした声で言った。

「だからよ――俺らは、これからのことを考えようぜ」

「――『三相王』の御三方に、クレアノンさんに会っていただく手筈を整えなければな」

 ザイーレンは、静かな声で言った。

「やっぱ、それはやんなきゃまずいよな」

「あたりまえだ。こんな、国の大事に関わるようなことを、あの御三方に知らせずにおけるはずがないだろうが」

「まあ――そりゃ、そうだわな。しっかし、もうすっかりその気だねえ、イェントンの御当主様」

「――変えて、欲しいんだよ」

「え?」

「変えて、欲しいんだ」

 ザイーレンの視線が、ふと、宴会会場をさまよう。

 ――そして。

「古来より、よくも悪くも、竜が動けば、すべてが動く。私は――変えて欲しいんだ。隣国の者達と――ファーティスの者達と、互いに延々、決して相容れない主張をぶつけあい続け、土地を奪ったという負い目を抱え、ファーティスの者達からの呪詛と憎しみを浴び続け、延々と、不毛な膠着状態に陥った戦争を繰り返し――こんな状況を、変えて、欲しいんだ。私は――私は、娘に、そんな悲しい国は、残したく、ないんだ――」

「俺だって――おまえとおんなじ気持ちだよ、ザイーレン。俺だって、俺のガキどもに、そんな悲しい国は残したかねえ」

  カルディンの視線もまた、宴会会場をさまよう。

「もちろん、クレアノンさんに頼りきりになるつもりはねえ。でも、よ――」

「ああ。誰かの力を借りれば、この状況を変えることができるというのなら――力を借りて見たって、いいじゃないか――」

「ああ――俺も、そう思う」

「珍しく意見の一致を見たな」

「ケッ、そりゃお互い様だ」

 ニヤリと笑いあう、二人の視線の先には。

 おいしそうにケーキを食べながら、楽しげにティアンナと語りあう、クレアノンの姿があった。




 トントントン、と、扉を叩く音に、アレンは驚いて目を丸くした。

「え、あの、ええと――ど、どうしましょう、ユミル?」

「――すみません、どちらさまですか?」

『竜』の支配する屋敷の中に、自分達に仇なす者が入りこむことはないだろうと思いつつも、それでもやはり、わずかに警戒しつつ、そう声をかけるユミル。

「突然お邪魔してごめんなさい。エリシアです」

「え!? エ、エリシア様!?」

 ユミルは驚いて扉を開けた。

「驚かせてしまいましたか?」

「あ、ええと――ザイーレンさんは?」

「レンは、レオノーラといっしょに、あちらの宴会会場におります。わたしは、あの――」

 エリシアはにっこりと笑った。

「お二人が、その、宴会会場にはいらっしゃれないと聞いて――」

「せっかくの宴会の夜なのに、二人ぼっちはつまらんであろ?」

 エリシアの後ろから、パルロゼッタがヒョコリと顔を出した。

「こんばんはー」

 エルメラートもまた、にこにこと顔をのぞかせた。

「ハルさんは頭がいいからクレアノンさんに助言ができるし、ライさんは宴会の切り盛りしなきゃいけないけど、ぼく、あそこじゃやることがなくってひまなんですよ。だから、ちょっと、おしゃべりにつきあっていただけますか?」

「で、でも、エリシア様や、パルロゼッタさんは――」

「あの、『様』はやめていただけませんか?」

 エリシアは申しわけなさそうに言った。

「そう言われると、あの、落ちつきませんので。すみません」

「あ、その――それでは、エリシアさん。エリシアさんは、あちらにいなくて――」

「大切なお話は、みんな、ザイーレンがまとめてくれますから」

 エリシアはにっこりと、絶大な信頼を込めて微笑んだ。

「わたしは、あの――お友達と、おしゃべりがしたくて。あ、あの、お邪魔でしたか?」

「とんでもない」

 ユミルはにこりと微笑んだ。

「わざわざありがとうございます。妻も喜びます」

「ご馳走も持って来たんですよー」

 エルメラートが楽しげに言いながら、様々な料理を載せたワゴンをゴロゴロと運び込む。

「いっしょに食べましょうよ。アレンさん、まだつわりは来てませんよね? 食べられますよね?」

「わあ――ありがとうございます」

 アレンはうれしそうに顔を輝かせた。もちろん、アレンとユミルの二人は、夕飯ももらわずに放っておかれたというわけではない。おなかはそんなにすいていない。それでも、そこはそれ、その気持ちがうれしいというやつだ。

「パルロゼッタさんは、ええと――社会学、についての、あの、聞き込みをしなくてもいいんですか?」

 と、アレンが小首を傾げる。

「ああ――吾輩があそこにいると、アスティンが、もう寝ろもう寝ろってうるさいのであるな。ほんとにもう、吾輩、子供ではないのであるがなあ、まったく」

 と、パルロゼッタが顔をしかめる。

「しかもそれを、吾輩の移動書斎の中から、拡声器を使って連呼するもんだから、吾輩もう、恥ずかしくってしかたがないのであるよ、ほんとにまったく」

「アスティンさんは、パルロゼッタが大切なんですよ、きっと、とっても」

 と、アレンが微笑む。

「それは、吾輩もわかっているのであるがな」

 と、パルロゼッタも微笑みを返す。

「それでもやっぱり、うるさく言われるのはいやなのであるよ」

「それはそうかもしれませんねえ」

 あっけらかんとした声で、エルメラートが言う。

「ライさんも心配症ですからねえ。似たようなことを、しょっちゅうぼくやハルさんに言ってますよ。まあ、ぼく達の場合、たいてい聞きながしちゃうんですけどね。あはは」

「ええと、あの、すみませんね、ろくに椅子もなくて――」

 おもてなしの準備をしようにも、もともとここは、二人入ってちょうどいいくらいの小部屋だ。椅子もテーブルもろくにない。

「あ、じゃあ、ちょっとこっちの部屋に移りませんか?」

 という、エルメラートの提案にしたがって、部屋を移動する5人。

「――わざわざ、来てくださって、本当にありがとうございます」

 と、うれしそうに――本当に、うれしそうに言いながら、ペコリと頭を下げるアレン。

「アレンさん達も早く、人前に出られるようになるといいですねえ」

 と、屈託なく言うエルメラート。言う者によっては皮肉と受け取られかねない発言だが、その言動に裏表のないエルメラートの発言なので、アレンはもちろん、ユミルもまた、その言葉に素直にうなずく。

「大丈夫ですよ。ザイーレンが、頑張ってくれてます。だから――大丈夫ですよ」

 エリシアが、アレンとユミルに大きく笑いかける。

「ぼく達だって、頑張ってますからね。まあ、ぼくらは、ハイネリアの人じゃないから、ハイネリアの人達に根回しするとかいうことはあんまりできないですけど、それでも、クレアノンさんや、エリックさんのお手伝いをすることくらいは出来ますからね」

 エルメラートがにこにこという。

「――ありがとうございます」

 ユミルが深々と頭を下げる。

「ありがとうございます」

 アレンもまた、ペコリと頭を下げる。

「どういたしまして」

 エルメラートは、恩に着せるでもなく、必要以上に謙遜するでもなく、ごく自然な声でそう答えた。

「ハルさんがねー、出産、早まりそうなんですよー」

 エルメラートはサラリと言った。

「ほら、ぼく達淫魔は、他の種族の影響を、すごく受けやすい種族でしょう? 歳が若ければ若いほど、受ける影響も大きいんですよ。だから、ハルさんのおなかにいるぼく達の子も、クレアノンさんの、竜の力を四六時中そばで浴び続けてるから、成長が早くなってるみたいで。まあ、これで、ハルさんの体に負担がかかるとか言うんなら、少し考えなくっちゃいけないんですけど、今のところはまあ、そんなこともないようですし」

「あ――じゃ、じゃあ、もしかして、私達の子も――?」

 と、アレンが目を丸くする。

「そうですね、アレンさんとユミルさんの子は、ぼく達の子より、淫魔の血が薄いですからね。影響も、そんなに大きくは出ないと思いますけど、でも、そうですね、妊娠期間は、少し短くなるかもしれませんね。それに――」

「――それに?」

「体のどこかに、ちょっとだけうろこが生えるとか、そういうことも、あるかもしれませんね」

 エルメラートは、軽く肩をすくめた。

「え、それは――竜族の影響を受けて、ということですか?」

「はい。まあ、竜族のそばに長いこといた淫魔なんて、ぼくの知る限りではいませんからねー。どうなるのかはわかりませんよ。でも、もしかしたら、そういうこともあるかもしれませんねー」

「あ――そうなんですか――」

 アレンは目を白黒させた。

「まあ、ぼく達の子が、クレアノンさんの力を、少しだけ引き継いで生まれてくることは、もう、まず間違いないですね。だって、すでにもう、成長が早くなるほどの影響を受けているわけですから。アレンさんとユミルさんのお子さんは、ぼく達の子より、淫魔の血は薄いですけど――」

 エルメラートは、にっこりと笑った。

「妊娠の、ほんとに初期のころから、クレアノンさんの――竜族の側にいるわけですからね。やっぱり、竜族の力を引き継いで生まれてくるんじゃないかなあ」

「え――」

 アレンは、わずかに不安げな顔をした。

「だ――大丈夫、でしょうか――」

「え?」

 エルメラートは、きょとんとアレンを見た。

「『大丈夫』って、何がですか?」

「わ、私達の子が――ほ、他の人達に、怖がられたり、するように、ならないでしょうか――?」

 アレンはおどおどとうつむいた。その、生まれ持った強大すぎる力のせいで、人間純血主義のファーティスに、淫魔の血を半分引いて生まれついたせいで、祖国ファーティスでは、疎まれ、誰からも親しくしてもらうことは出来なかったアレンだ。その瞳は、消すことの出来ぬ、根深い不安に震えていた。

「大丈夫ですよ」

 エルメラートはにっこりと、アレンに大きく笑いかけた。

「他の人達はどうだか知りません。でも――ねえ、アレンさん、ぼく達の子も、アレンさん達の子と、条件はまったくおんなじなんですよ? そして、きっと、生まれた時からずっとそばに、いっしょにいることになるんですよ? それってもう、友達を通りこして、兄弟みたいなもんじゃないですか。だから、大丈夫です。ぼく達と、ぼく達みんなと、ぼく達の子供だけは、他の人達が何をどういったって、アレンさん達の子を、怖がったりなんてするはずありません」

「わたし達も――わたしと、ザイーレンと、レオノーラも、アレンさん達のお子さんを、怖がったりなんかしませんよ」

「吾輩も、怖がったりなんかしないのであるな。むしろ、興味しんしんなのであるな。大きくなったら、詳しくお話を聞きたいくらいであるな」

 エリシアとパルロゼッタも、アレンに向かって大きく笑いかけた。

「あ――ありがとう、ございます――」

 アレンもまた、大きな笑みを、皆に返した。




「あら――もしかしたら、もう眠くなっちゃったのかしら?」

 コシコシと、小さな手で両目をこするティアンナを見て、クレアノンは小首を傾げた。

「だ――大丈夫です!」

 ティアンナが、あわてて背筋を伸ばす。

「あら、無理しないで。確か、あなたがた人間族や亜人族は、子供のほうが大人より、長い睡眠を必要とするはずですものね。ええと――確か、あなたがたの文化では、こんな夜遅くの、子供の一人歩きっていうのは、しないほうがいいことなのよね?」

「うん、まあ、帰りもおれが面倒みることになってるけど――」

 と、クレアノンにもティアンナにともつかず答え、ちょっと考えこむ、セティカの、早耳クラリー。

「――なあ、クレアノンさん」

「なにかしら?」

「おれ――ティアンナをキャストルクまで送ってきたら、またここに戻ってきてもいいかなあ? こんなに面白いネタの宝庫、ほんとだったら一瞬だってこの場を離れずかじりついていたいくらいなんだぜ、おれは!」

「えと――ご、ごめんなさい、私のせいで、ここから離れなくっちゃいけなくなっちゃて」

 と、しょんぼり肩を落とすティアンナ。

「そんなん気にするなって」

 と、ティアンナに人なつっこい笑みを向けるクラリー。クラリーは、エルフとノームの混血だという。一般に、エルフは長身で知られ、ノームのほうは逆に、小柄なことで有名な種族だ。クラリーはどうやら、身長に関しては、ノームの血を色濃くひいたらしい。少女であるティアンナと、それほど極端な身長の差はない。

「おれ、鳥船で空を飛ぶのも大好きだから! おまえといっしょに夜空が飛べてうれしいぜ」

「えと、えと――ありがとう、ございます」

 クラリーの言葉に、ホッとしたような顔で、ペコリとお辞儀を返すティアンナ。

「お話が楽しかったから、今夜は私が、ティアンナさんを一人占めしちゃったわねえ。ごめんなさいね、ティアンナさん。他の人達とも、おしゃべりしたかったんじゃないかしら?」

 少し申しわけなさそうに、クレアノンが言う。クレアノンにとって、人間というものは、それが大人であろうと子供であろうと、等しく興味深い存在だ。今まで、書物を通してしか人間を知らなかったクレアノンは、その長い生の中ではじめて、親しく交わるようになりはじめた人間、ひいては亜人という存在に、興味をひかれると同時に、非常な魅力を感じているのだ。

「え――」

 ティアンナは、びっくりした顔で大きく目を見開いた。無理もないのかもしれない。なにしろティアンナは、かつて、『暴虐の白竜』としてその名を知られる、白竜のガーラートに、まさに腕ずく、力ずくで、国土のすべてを奪われてしまった、神聖ハイエルヴィンディア皇国の、生き残り達がつくりあげた国、ハイネリアの国民、しかも子供だ。今日だって、クレアノンは優しい竜だということを、宴会会場に来る前、そして、鳥船の中でクラリーから、「おれは、まだ、直接会ったことはねーんだけどよ、それでも、会ったことのあるやつらはみーんな、優しい竜だって言ってるぜ」と、言ってもらってきたのだが、それでもやはり、昔語りの中で語られる、人間にはとうてい太刀打ちすることの出来ない、強大にして恐るべき力をふるう、『竜』という代物との対面に、ガチガチに緊張していたのだ。

 だが、クレアノンは、まだ子供でしかないティアンナの話を、真剣に、本当に真剣に聞いてくれた。いっしょにケーキを食べながら、とても楽しく笑いあった。夜が更けて、眠たくなってボーっとしてしまっても、ちっとも怒ったりなんかしなかった。

 そして、その上クレアノンは、ティアンナに、自分とだけでなく、他の人達ともおしゃべりしたくはなかったのか、などと、気を使ってくれたりするのだ。

「……えと、あの、クレアノンさん」

「なにかしら?」

「あの――どうすれば、クレアノンさんに、また会えますか?」

「え?」

 クレアノンはきょとんと、その銀の瞳をしばたたいた。

「私は、あなたが訪ねて来て下されば、いつでも喜んでお会いするけど――でも、ええと、きっと私が、招待もされていないのに、あなたのところに遊びに行くのは、不作法なこと――なのよね? 私、どうもそこらへんの、細かいしきたりとかは、まだよくわからなくって。ええと――ああ、ハルディアナさん」

「なあに、クレアノンちゃん?」

「実はね――」

 と、ハルディアナに事情を説明するクレアノン。

「あらあ」

 ハルディアナは、優雅に小首をかしげて見せた。

「それは――そうねえ、今のまんまじゃ、クレアノンちゃんが、ティアンナちゃんのところへ遊びに行ったら、キャストルクの皆さんは、びっくりしちゃうかもねえ」

「だったら私は、どうすればいいのかしら?」

 クレアノンは、真剣な顔で問いかけた。

「せっかく仲良くなれたんですもの。ティアンナさんとはこれから先も、親しいおつきあいを続けていきたいわ」

「そう、ねえ――」

 ハルディアナは首をひねった。

「ねえ、クラリーちゃん」

「ん? おれに、なんか用?」

「あなたは、セティカの、『早耳』ちゃんでしょう? クレアノンちゃんとティアンナちゃんが、これからも仲良く出来るように、キャストルクのかたがたに、うまいこと言ってあげてくれないかしらあ?」

「なるほどな。まあ、まかせとけって」

 クラリーは、ポンと胸を叩いてニヤリと笑った。

「クレアノンさんとティアンナが仲良くなるのは、キャストルクの連中にとっても、決して悪い話じゃないんだからな!」

「よろしくお願いするわ、クラリーさん」

 クレアノンは、にっこりと笑った。

「よろしくお願いされたぜ」

 クラリーもまた、ニヤリと笑い返した。

「なあ、クレアノンさん、あんた知ってるか? おれらセティカに、『お願い』するってことはさ、その次は、そのお願いしたやつが、おれらセティカの、『お願い』を、聞いてくれなきゃいけないんだぜ?」

「それは当然のことね。『ギブ・アンド・テイク』ってことね」

「え? な、なに? そ、それ、どこの言葉?」

「あら――この世界じゃ、この言い回しじゃだめだったのね。それじゃあええと――『相身互い』ならどうかしら?」

「ああ、そうそう、そういうこと」

「わかったわ」

 クレアノンは、再びにっこりと笑った。

「それじゃあ、私も、あなたがたセティカのお願いを、何か聞くことにするわ」

「えー、条件とか、なんにも聞いてなくって大丈夫かよクレアノンさん。なんにも条件つけなかったら、おれらもしかしたら、あんたに、とんでもないことお願いしちゃうかもしれないぜ?」

「あらあ」

 ハルディアナが、クスクスと笑いながら口をはさんだ。

「そおんなこと言っちゃってえ。あなたがた、ほんとは、そんなお馬鹿な目先の欲を追って、将来実るであろう素敵な果実を逃しちゃうほど、お馬鹿な人達なんかじゃないんでしょう?」

「んー、どうだかなー」

 クラリーは、面白そうな顔で、ハルディアナを、そして、クレアノンを見つめた。

「あなたがた、亜人族や人間族が、私みたいな竜族に、『とんでもないこと』をお願いするっていうのは、なかなか難しいことだと思うけど」

 クレアノンは、いたって真面目な顔で言った。

「でも、あなたの言うことはわかったわ。『お願い』を思いついたら言ってちょうだいね」

「おお、これってばもしかして、おれ、今日の功労賞ものかも」

 クラリーは楽しげに言った。

「黒竜から、言質をとっちまったぜ! さて――んじゃあ、帰るとすっか、ティアンナ」

「あ、は、はい! えと――クレアノンさん、本日は、お招きいただき、本当にありがとうございました」

「どういたしまして」

 深々と頭を下げるティアンナに、うれしそうに会釈を返すクレアノン。

 その、銀の瞳は、とても楽しそうな、優しい光を放っていた。

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