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世界をつくる物語 第54章

「あらあら、あらあら、まあまあ、まあまあ」

 クスクス、クスクスと、なまめかしい笑い声が響く。そう、その笑い声を聞いたものは誰だって、その声の主が、若く、美しく、そしていささか驕慢な女性であることを疑いはしないだろう。

 だが、実際のところ。

 その声の主は、なんと、筋骨たくましいひげ面男――中級悪魔、『倒錯アブノーマルマティアス』の二つ名を持つ、マティアス・ロクフォードである。もちろん、中級悪魔たるマティアスは、もしもそれを望むなら、おのれの姿をその笑い声にふさわしい、若く、妖艶で、そして驕慢な美女へと変化させることもたやすい。だが。

 だが、マティアスはあえて、この姿で――そのなまめかしい笑い声から、ある意味最も遠いところにいる姿でいることを、非常に好んでいるのだ。そう、彼は――自分の姿を見る者に、自分の声を聞く者に、この上ない違和感と、そして出来れば、生理的不快感をも与えたいと思っているのだ。

「なんとまあ! クレアノンちゃんったら、ずぅいぶんと、がんばってくれちゃってるじゃなあい!?」

「――うるさいよ、マーティ」

 マティアスの周辺を、綿雲か風船のようにフワフワと漂いながら、その、むくむくと太った天使のような寝顔を惜しげもなくさらしてうとうとと居眠りしていたイライジャ――『お気楽イージーイーリィ』の二つ名を持つ中級悪魔、イライジャ・サトクリフは、眠たげな声で抗議した。

「ワタシ、お昼寝してるんだからさあ、耳の横でおっきな声ださないでよ」

「あら、ごめんなさいねイーリィ。でもねえ、ちょっと、ちょっとだけ、まずいことになってきちゃったのよねえ」

「…………それ、ワタシにも関係ある話?」

 イライジャは、相変わらず眠たげに、ブツブツと言いながら薄目を開けた。

「そうね、あるわね」

 マティアスの目が、鋭くなる。

「ああ、もう、クレアノンちゃんったら、ディルスでおとなしく稀覯書コレクターでもやっててくれりゃあいいのに、どうしてどんどん、アタシ達にとって都合の悪いほうへ都合の悪いほうへと深入りしていってくれちゃうのかしらあ!?」

「……どうマズイの?」

 イライジャはふくれっ面で、空中に、大きなクマのぬいぐるみのような姿勢で、ちょこなんと腰をおろした。

「あーあ、せっかく気持ちよくお昼寝してたのに。マーティ、おめざちょうだい! おめざ、おめざ! おめざくれなちゃ許さないんだからね!」

「はいはい、もう、しょうがないわねえこの子は」

 言いながら、マティアスはクスクスと指をはじいた。とたん、イライジャの目の前に、シュークリームが山盛りになった皿があらわれる。

「わーい、シュークリームシュークリーム♪」

 イライジャは機嫌よく、シュークリームにプクプクとした手をのばした。

「わーいわーい、イチゴ入り生クリーム! ワタシ、これ好きなんだよね!」

「他にもいろんなクリームが入ってるわよ」

「ワサビ入りも?」

「あら、イーリィはそんなのが好きなの? 変わった趣味ね」

「別に好きじゃないけどさ。どこにでもあるようなクリームばっかじゃ、つまんないじゃん。ワタシ、どこにでもあるようなものなんてどうでもいいよ。イチゴ入り生クリームは好きだけどさ!」

「あらあら、それじゃ、イカの塩から入り生クリームでも混ぜといてあげましょうか?」

「ウッゲーエ、それは初めて聞いたなあ!」

 イライジャは、楽しそうにケラケラと笑った。

「――で?」

「ん?」

「何がどうマズイわけ?」

「ああ」

 マティアスは肩をすくめた。

「黒竜のクレアノンちゃんがね、よけいな事に首を突っ込んできてくれちゃってるのよ」

「ふうん? どんなことに?」

「クレアノンちゃんったら」

 マティアスは、大仰にため息をついた。

「アタシ達から、この実験場を取り上げるつもりなのよ!」

「えええッ!?」

 イライジャは目をむいた。

「だってマーティ、ワタシ達、そのクレアノンってやつに、別になんにも悪いことなんかしてないじゃない! なんで? なんで? なんでなんでなんで!?」

「ほんとにもう、勝手な事してくれちゃうわよね!」

 マティアスは、憤懣やるかたないという口調でぼやいた。

「アタシ達からこの実験場を取り上げて、そのあとに、たかが人間、たかが『素材』連中を、大量に移民させようだなんて!」

「そんな事して、そのクレアノンってやつには、いったいどんな得があるわけ?」

「さあ、ねえ。アタシのボットが持ってきた情報では、人間と友達になりたいとかなんとかいうたわごとを言ってるみたいだけど、ああ、まったく、竜の考えてることなんて、アタシみたいなかよわい平凡な悪魔には、さっぱり見当がつかないわ」

「うえー」

 イライジャは、思い切り顔をしかめた。

「なんだよなんだよ、せっかく実験が軌道に乗って面白くなってきたっていうのに! インシィ達もマウシィ達も、せっかくちょっとは面白い変異体を生みだすようになってきてくれてるっていうのに!」

「そうなのよねえ。まったくもう、アタシ達に断りもなくそんな迷惑な事やってくれようだなんて、ほんとにまったく、失礼ブッこいちゃうわ」

 マティアスは、分厚い唇をツンととがらせた。

「――ねえねえ、マーティ」

 イライジャは、ペロリと唇をなめた。

「クレアノンってやつ、どのくらい強い?」

「ガーラートさんには負けるわ。――でも」

 マティアスは肩をすくめた。

「なんてったって、竜ですもの。そりゃそれなりに強いわよ」

「うへえ、めんどくさいなあ」

「そうなのよねえ。戦えなくはないでしょうけど、まともにやりあえば、アタシ達も無事じゃすまないし」

 マティアスは、大きくため息をついた。

「ここはやっぱり――『素材』をいじったほうが簡単かしらね」

「どうやるの、どうやるの?」

 イライジャは、興味しんしんと言った顔で、グイと身を乗り出した。

「『素材』いじりは、マーティのほうが断然上手だもんね! ねえねえ、ねえねえ、いったいどうやるの?」

「そう、ねえ――」

 マティアスの小さな瞳が、鈍くぎらついた光を放つ。

「そう――結局、クレアノンちゃんがどんなに乗り気でも、『素材』のほうが、人間のほうがその気になってくれなかったら、せっかくの、クレアノンちゃん渾身のプランも、そんなのまるっきり、机上の空論よね」

「洗脳? 洗脳? ねえねえ、洗脳するの?」

 イライジャが楽しげに首を傾げる。

「洗脳するまでもないわ」

 マティアスはクスクスと笑った。

「だって、もう、とっくにそうなっているんだもの。もうとっくに、怒りと悲しみと憎しみと、傷つけられた誇りとそれを取り戻そうとする焦りと、そして、消すことの出来ない復讐心とは、国中に満ち満ちて、いつでも熱くたぎり、そして冷たく凝っているんですもの」

「なあんだあ、簡単な仕事なの?」

 イライジャはつまらなそうに口をとがらせた。

「せっかく久々に、マーティの妙技が見られるかと思ったのに!」

「『久々に』ってほどじゃないでしょ。たかだか200年や300年やそこら」

「だってマーティ、この実験場が出来てからは、ここにかかりっきりだったじゃない」

「あら、それはあなたもでしょ、イーリィ」

「え、そうだっけ? ――ああ、そっかあ」

 イライジャは、ちょっと驚いたような顔をした。

「そうだねえ。ワタシ、一つのことにこんなに長く熱中したのって、もしかしたらこれが初めてかも」

「そうねえ」

 マティアスは、どこか優しく見えなくもない笑みを浮かべた。

「そうよ、そう。ほんとに、そう。こんな楽しい実験場を、アタシ達からとりあげようだなんて――」

 マティアスの分厚い舌が、同じく分厚い唇をなめる。

「そうはさせないわよ、クレアノンちゃん!」

「どうやるの? どうやるの!?」

「――さあさあ、さあさあ、おいでなさい。アタシの可愛いボット達!!」

 マティアスは、勢いよく右腕を虚空へとつきあげた。

 ――とたん。

 ヴーン――ヴーン――VUUUUUNN――という、蜂の羽音とも、機械の起動音ともつかぬ音が、あたりの空間に満ち満ちた。

「さあさあさあさあおいでませ! 『女王になれなかったもの』達!!」

 ヴン――という音とともに、マティアスの体の周りに黒雲があらわれた。

 それは、様々な姿形をした蜂の群れだった。顔が人間の蜂、複眼が機械仕掛けのレンズになっている蜂、羽が刃になっている蜂、全身が宝石でつくられた蜂――。

「――悔しいでしょう? 悔しいわよねえ?」

 マティアスは、ゾッとするほど甘ったるい、ねばついた猫なで声でその蜂の群れに語りかけた。

「女王になったやつと、あんた達との間には、本来なんの違いもないの。女王になったやつは、ただ偶然に選ばれて、そして、女王となるべく特別な食事を――ローヤルゼリーを与えてもらったっていうだけ。ただそれだけの違いで、あんた達の運命は、分かたれてしまったの。悔しいでしょう? 悔しいわよねえ!?」

 もしそれが、本当の蜂の群れだったら。

 当然、悔しがるなどということはまったくしなかっただろう。

 だが。

 それは、本物の蜂の群れではなかった。

「だからさあさあ、許しちゃだめよ!」

 マティアスが、凛と声をはる。

「だからさあさあ、許しちゃだめよ! あらゆる不公平を、あらゆる運命のいたずらを、あらゆる不当な幸運を、あんた達は、許しちゃだめ!! そうよ、だってずるいじゃない。そうよ、だってひどいじゃない。どうして、どうして、どうしてよ! どうして、アタシ達の国にひどいことをしておきながら、アタシ達の国土を奪っておきながら、どうしてそう、のうのうとしているの? どうしてあんた達みたいな、野蛮な強盗どもがつくった国が、そんなに繁栄しているの!? ひどいわひどいわ、ひどいじゃない!!」

 マティアスの口からあふれ出るのは。

 彼のものではない、恨みつらみの声だった。

「それなのに、それなのに、そんなにも運命は不公平なのに、そのうえ、そのうえ、竜の助けまで受けられるだなんて! 竜が味方になってくれるだなんて! そんなのあんまり不公平じゃない! だからだめ、許しちゃだめ! そうよ、そう、みんな――」

 マティアスの目が、ギラギラと光る。

「ハイネリアを、許しちゃだめ! 絶対絶対、許しちゃだめよ!!」

 ヴン――ヴン――と、まるでマティアスのいうことを肯定するかのごとく、蜂の群れが不穏にざわめく。

「さあさあ、さあさあ、お行きなさい! 行って恨みを晴らしなさい!!」

 マティアスが、凶悪な笑みを浮かべるとともに。

 異形の蜂の群れは四散した。

「クレアノンちゃん、あんたがハイネリアを取るっていうなら――」

 マティアスは、ニタリと笑った。

「アタシはファーティスをもらうことにするわ」





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