世界をつくる物語 第42章
「――まさか」
エリシアは大きくあえいだ。
「そちらのかたは――」
「――私の名前は、たぶん、こちらの国のかたには知られていないと思います」
自分と同じくらいの年ごろに見える若い娘――小柄でほっそりとした体形まで、どこかしら似かよっていた――は、黒々とした瞳をまっすぐにエリシアに向けた。
「私は、アレンと申します。姓は――私は、正式な結婚で生まれたわけではありませんので、父の姓を名乗ることは許されていません。母の姓は、知りません。だから、私はただの、アレンです。私は――ファーティスの、対大軍用魔術兵器です」
「――兵器?」
エリシアは息を飲んだ。
「兵器、と呼ばれることも、兵士、と呼ばれることもありますが、たぶん意味は同じなんだと思います」
アレンは唇を噛んだ。
「私は、今まで――あなたの国の――ユミルの国の――ハイネリアの人達を――たくさん、たくさん――死に、追いやってきました――」
「――」
続けざまの衝撃に、エリシアの頭はしびれたようになっていた。
「――そして」
ユミルの静かな声が響く。
「アレンは私の妻でもあります」
「――え?」
エリシアの頭の中で、ようやく歯車が動き出す。
「つ――妻?」
「はい」
ユミルはしっかりとうなずいた。
「私の、妻です」
「――」
「――もちろんこれは、私達が勝手にそう主張しているだけです。法的な効力などありません」
ユミルは幾分、自嘲気味に言った。
「――法的な効力が欲しいから」
エリシアは、ささやくように言った。
「だから、わたしのところに来たんですか――?」
「――それも、考えなかったわけではありません」
ユミルは小さくため息をついた。
「しかし――私にそれを要求する権利はないでしょう。私は今まで、一度もあなたに手をさしのべたことがない。イェントンの一族の中で孤立しているあなたを見て、あなたの孤独を知っていたのに、あなたに寄り添おうとしたことは一度もない。だから――私があなたに、何かを要求する権利など、まったくありはしないでしょう」
「――」
「私にはもっとないでしょう」
静かな声で、アレンが言った。
「私は、この国のかたがたにとっては、八つ裂きにしても飽き足らないような人間でしょう。――私はそれだけのことをしてきました。許して欲しいなんて言いません。言えません。ただ――」
アレンは、すがるような目でエリシアを見つめた。
「ただ、一つだけ――情けをかけていただきたいことがあるんです」
「――なんでしょう、それは」
エリシアは、わずかに怯えたように言った。
「――妻は――妻は身ごもっているんです!」
血を吐くように、ユミルは叫んだ。
「――え!?」
エリシアは大きく息を飲んだ。
「み、身ごもって? で、でも、まだおなか、全然大きくなってない――」
そこまで言って、エリシアはパッと立ちあがった。
「何をやっているんですかアレンさん!」
「え、え?」
「あなた、まだ、身ごもったばっかりなんですね? まだ、おなかの赤ちゃんは本当にちっちゃいんでしょう!?」
「え――あ、はい、そ、そう、です――」
「そんな人が」
エリシアは、つかつかとアレンに歩み寄り、もどかしげに手をとって、今まで自分が座っていた椅子に、半ば無理やり座らせた。
「ずっと立ちっぱなしでいたりしちゃだめです! いいですか、おなかがまだ大きくなっていない時の赤ちゃんは、本当にちっちゃくて、本当にかよわいんですよ!? そんな大事な時に無茶をして、赤ちゃんが流れでもしたらどうするつもりです!?」
「ご、ごめんなさい!」
クレアノンが狼狽して叫んだ。
「わ、私、ぜ、全然気がつかなくて! わ、私達、た、卵から生まれるから、そ、そういうことって考えたことなくて!」
「…………」
クレアノンの狼狽を見たエリシアは。
「……なるほど」
おかしそうにプッと吹きだした。
「どうやら、あなたは本当に竜みたいですね。人間や亜人だったら、今みたいなことをとっさの時に言ったりはしないでしょう」
「あら」
クレアノンはクスリと笑った。
「それじゃあ、疑いはとけたのかしら?」
「そうですね」
エリシアも、クスリと笑った。
「仮にあなたがほんとは竜じゃないとしても、どうもあなたは、普通の人には見えませんね」
「そう?」
クレアノンは、ちょっと肩をすくめた。
「エ、エリシアさん――」
アレンは茫然と、椅子の上からエリシアを見あげた。
「あ――ありがとう、ございます。わ――私、私、ひどいこと、したのに、なのに、優しくしてくれて――」
「――あなたがどんなひどいことをしたのか、それともしなかったのか、わたしはなんにも知りません」
エリシアは少しかがみこみ、優しくアレンに語りかけた。
「けれども、あなたのおなかにいる赤ちゃんは、どんなひどいことも、どんな悪いことも、なんにもしていないっていうことは、とてもはっきりとわかっています。なんにも悪いことをしていない赤ちゃんが、おなかの中で苦しい思いをしたりしたらかわいそうです。わたしも、娘を身ごもっている時、いろんな人に優しくしてもらいました。今度は、わたしが優しくする番です。ただそれだけのことですよ」
「――」
アレンの黒い瞳から、ポロポロと涙がこぼれ出した。
「――ありがとう、ございます」
ユミルの声も、また、涙の色をおびていた。
「ありがとうございます、エリシア様――!」
「や、やめてください、わ、わたし、あなたより年下なんですから、『様』なんてつけなくていいです」
エリシアは恥ずかしげに言った。
「――いいえ」
ユミルはかぶりをふった。
「正直に申し上げます。私はここに、取引をしに来たつもりでした。しかし――それは、もうやめにしました。――エリシア様」
「だから、わたしは――」
「およばずながら」
ユミルは床にひざまずき、エリシアに向かってうやうやしくこうべを垂れた。
「私の忠誠を、あなたに捧げます。私の妻に、私がこの世で最も愛する者にあなたが示してくれた情けに報いるために、この私、ユミル・イェントンの忠誠を、生涯あなたに捧げます、エリシア様」
「――その忠誠は、どうかザイーレンに」
エリシアは静かに微笑んだ。
「わたしは、自分では何も持っていない、ただのつまらない女です。わたしがあなたがたに優しくすることが出来るのは、私の夫が、ザイーレンが、血と汗と涙とを流して、わたし達の幸せを守ってくれているからです。だからわたしは優しくなれる。だから――あなたの忠誠は、どうかザイーレンに捧げて下さい。わたしは」
エリシアは、ユミルとアレンに向かってにっこりと微笑みかけた。
「あなたがたの赤ちゃんが、元気に生まれてきてくれれば、それで十分です」
「――ありがとう」
アレンの両目から流れる涙は、いっこうにとまろうとはしなかった。
「ありがとう――ありがとう。エリシアさん――ありがとう――」
「――不条理だわ」
クレアノンの声に珍しく、怒りの色がのぞいた。
「どうしてあなたみたいに素敵な人が、周りの人達から受け入れてもらえずに孤立したりしなくちゃいけないのかしら?」
「――しかた、ないんですよ」
エリシアは寂しげに微笑んだ。
「母が、母ですし――わたしも――わたしも、ザイーレンには若すぎるし、あの人になんにもしてあげることが出来ないし――」
「何を言っているの!?」
クレアノンは心底驚愕したように叫んだ。
「あなたがたのあいだでは、愛情というのはそれほどまでに価値のないものなの!?」
「いいえ」
ユミルは、ゆっくりと顔をあげた。
「いいえ――違います。クレアノンさん、あなたが正しい。これは――これは、不条理なことなんです。――クレアノンさん」
「何?」
「お願いしてもいいでしょうか?」
「なにかしら?」
「お願いします」
ユミルの琥珀色の瞳は。
「こんな馬鹿馬鹿しい不条理を、いつまでものさばらせておくわけにはいきません。この不条理を打ち砕くため、どうか力を貸して下さい」
怒りと決意に、爛々と燃え盛っていた。




