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第2章

「――私達が、特に人間が、一番耐えられないものって何だと思う?」

「やっぱし苦痛じゃないッスか?」

「そうね、苦痛もとても耐えがたいものだけど、私はたぶん違うと思うわ」

「ホヘエ、そんじゃクレアノンさんは、一番耐えられないものって何だと思うんスか?」

「それはね」

 クレアノンの銀色の瞳が光る。

「それはね――無意味よ」




「――やっぱり、ハイネリアのほうから話をつけたほうが楽かしら?」

 クレアノンはつぶやいた。

「それで、クレアノンさん」

 パーシヴァルは、しかつめらしい顔でたずねた。

「私は何をすればいいんでしょうか?」

「そうね」

 クレアノンは、銀の瞳を持った人間形の女性という姿で、にこりと笑った。

「パーシヴァルさんは、人間だったころ、結界師だったんでしょ?」

「え――ああ、はい、それはそうですが――」

「が?」

「私は別に、結界の天才というわけでもありませんでしたし」

 パーシヴァルは、生真面目に言った。

「クレアノンさんのほうが、そういう力はその、強いのではないでしょうか?」

「そうね――私はね」

 クレアノンはクスリと笑った。

「でも――他のみんなは、そうじゃないから」

「――ああ」

 パーシヴァルは、納得したようにうなずいた。

「それはそうですね。なるほど、そういう事ならお役に立てそうです」

「あなたはその、失礼に聞こえたらごめんなさいね、その気になれば、ものすごく身を隠しやすい体だし」

「はあ」

 子供が人形遊びをするのにちょうどいい大きさ、というのが今現在のサイズであるパーシヴァルはため息をついた。

「私は本当は、普通の大きさがよかったのですが。エリックのやつが、こっちのほうがかわいいとかなんとか言って」

「そうね、私もそう思うわ」

「はあ――」

「あ、ごめんなさい。でもね、その、私は正直、本体に――竜の姿に戻れば、みんなの中の誰より――っていうか、けた外れに大きいもの。ほんとはいつも、みんなチマチマしててかわいいなあ、って思ってるの」

「お気づかいいたみいります」

 パーシヴァルはにこりと笑った。

「しかしあの、クレアノンは人間の姿になっている時もそういうふうに思っているんですか?」

「まあそうね。えーと、人間の姿の時は、そういう感じ方は少し薄まってるかもしれないけど、やっぱり私は、基本が竜だから」

「なるほど」

「これから先、あなたの力を借りることが多くなると思うのよ」

「私の? その、エリックの、ではなく?」

「ああ、もちろん、エリックにも目一杯働いてもらうけど。あなたの力は、かなり役に立ちそうだから」

「私の結界が、ですか?」

「ええ。あなたの結界は、ええと――拒絶の結界、でいいのかしら?」

「はい。すみません、守護の結界ではないんです。というか、その――」

 パーシヴァルは顔を赤らめた。

「わたしが守護の結界でお守りすることが出来る相手は、ガートルード様ただ一人なので」

「そう」

 クレアノンは微笑んだ。

「すごいわね。結界の性質までそのお姫様のためには変わっちゃったのね」

「はい、その、お役に立てなくてすみません」

「いいのよ。拒絶の結界で十分。私はね」

 クレアノンはニヤリと笑った。

「みんなを――特に、ユミルさんを、他の人間や亜人達の目にはつかないようにして欲しいだけなんだから」

「ユミルさん――ですか? なぜ特にあの人を?」

「あの人が一番、政治には詳しそうだからね」

 クレアノンは、チロリと舌を出して唇をなめた。

「私は――自分で言うのもなんだけど、膨大な量の知識と強大な力を持っているわ。でも――私は、竜なの。集めた知識から人間の心や行動を推測することは出来ても、本当に人間のように考えられるわけじゃない。だから人間のユミルさんが必要なの。他の人間の反応を知るために、亜人の反応を知るために、ユミルさんやみんなが必要なのよ」

「なるほど」

 パーシヴァルは、小さな体なりに重々しくうなずいた。

「そうですね。失礼ながらよくわかります。私も人間だったころ――というか、使い魔になった今でも、エリックの、その、なんというか、私達人間とは全く違う考えかたにしばしばギョッとしますから」

「そうね、それはそうかもしれないわね」

 クレアノンはクスクス笑った。

「でもねパーシヴァルさん、それを隠さないだけ、それとも隠せないだけ、エリックは素直でかわいいものよ。エリックは竜や悪魔の中では、まだまだほんの若造だもの」

「ああ、はい、エリック自身そう言っています。自分は下級の下っぱだって」

「それがわかってるからエリックには見どころがあるのよね」

「そう――ですか。あの」

「なあに?」

「その――クレアノンさんは、なぜ私にはさんづけして下さるんでしょう? その、私はエリックの使い魔です。地位としては、エリックより下です。お気づかいはとてもうれしいのですが――」

「あら」

 クレアノンは目を見張った。

「ええと、それはね、基本的に私は、竜や悪魔以外の種族には、私が出来るだけの敬意を持って接するようにしているの。その、私はね、竜や悪魔の序列ならそれなりにわかるんだけど、その他の種族の序列って、正直よくわからないの。知識はあるけど、その、物事には、本に書かれた知識だけじゃなくて、暗黙の了解ってものがあるじゃない? だからね、失礼なことをするのが嫌だから、私は人間や亜人や、その他もろもろの、竜や悪魔以外の種族には、出来るだけの敬意を持って接するようにしてるの。あなたも、つい最近まで人間だったんでしょう? それも、ご老人として亡くなったんでしょう? 年下に見えるやつから偉そうにされるのは、いやかと思って」

「――ありがとうございます」

 パーシヴァルは頬をほてらせた。

「そんなに私達のことをお気にかけてくださるとは。クレアノンさんは、本当にお優しいんですね」

「優しい、っていうか、単なる趣味の問題なんだけど」

 クレアノンは苦笑した。

「でも、ありがとう、ほめて下さって」

「クレアノンさん」

 パーシヴァルは決然と言った。

「以後私には、エリックと同じ扱いをして下さい。私はもう、人間ではありません。その覚悟はすでにしてあります」

「そう――わかったわ、パーシヴァル」

「ありがとうございます」

「でね、パーシヴァル、つい最近まで人間だった、あなたにたずねるんだけど」

「はい」

「――竜によって一つの国が滅ぼされたことによって起こった戦争が」

 クレアノンは遠い目をした。

「他の竜の介入によって無理やり解決させられたら、当事者たちはどう思うかしら? それも、その竜の動機が、単なる暇つぶし、精一杯よく言ってやっても、自分の力試しだったとしたら?」

「そ――それは――」

 パーシヴァルは、冷汗をかきながらも、

「――問題が解決した――戦争が終わったことを素直に喜ぶものも多いでしょう。しかし――その――禍根を抱く者も――やはり――」

「やっぱりそう思う?」

 クレアノンは肩をすくめた。

「そうなのよね。そう――きっといやだと思うのよ。自分達が苦しんで苦しんで、それでも終わらせることの出来なかったことが、竜の力づくで無理やり終わらされたんじゃ。それじゃ、まるで――自分たちがやって来たことが、まるきり無駄みたいに思えるじゃない」

 クレアノンはため息をついた。

「だから、やっぱり、ユミルさんが必要なのよ。ユミルさんと――アレンさんとが」

「――そこで私の結界ですか」

 パーシヴァルの目が光った。

「なるほど、私の結界を使えば、しかもエリックとクレアノンさんの後ろ盾があれば、国家の中枢部にもぐりこんで機密事項を探り出してくることも、たやすいとまでは言いませんが、十分可能ですからね」

「そのとおり」

 クレアノンは少しだけ、牙をむく竜に似た笑みを浮かべた。

「やってくれるわよね、パーシヴァル」

「これでも悪魔のはしくれとなり果てた身ですので」

 パーシヴァルもまた、ニヤリと笑った。

「逆のことを頼まれるならともかく、戦争を終わらせるためならば喜んで」

「――ちゃんと終わってくれればいいけど」

 クレアノンは再びため息をついた。

「戦争って、始めるのは簡単だけど終わらせるのは大変なのよね。月並みな言葉だけど」




「――かっこいい、って言われたいの」

「ホヘ?」

「かっこいい――って、言って欲しいのよ、私」

 クレアノンは苦く笑った。

「でも、私知ってるの。こんなふうに――かっこいい、って言われたい、なんて思ってる時点で、それってもう、かっこわるいことなのよね」

「ホヘエ」

 エリックは、ため息のような声をもらした。

「クレアノンさん、それってばなんつーか、オレら悪魔みたいな悩みッスねえ」

「そう? ――そうなのかしら」

「そうッスよ。他人の――他竜でも他悪魔でもいいッスけど、とにかく他のやつがどう思うかを悩むなんて、まるでオレら悪魔の悩みみたいじゃないッスか」

「そう。――そうなんだ。そうね――私、そういう意味では、少し変わった竜なのかもね」

「まあ、なんつーか、ガーラートさんとかは、もすこし他人とか他竜とか他悪魔とかのことを気にしたほうがいいッスね。特に、他悪魔のことを」

「あら」

 クレアノンは銀の瞳を光らせた。

「やっぱりあの二人、なんかやらかしてたのね?」

「クレアノンさんのカン、バッチシッスね」

「二人、っていうか――主犯はイライジャ、『お気楽イージーイーリィ』ね」

「っととと、クレアノンさん、オレが下級だっつーことを忘れちゃだめッス。なんかたくらんでるなー、ってことはわかっても、どっちが主犯かまではわかんねーッス」

「きっとそうよ。マティアス――『倒錯アブノーマルマティアス』は、なんだかんだいって根が真面目だもの。契約されたことはきっちりやるでしょうよ、基本的には」

「ハイ? マ、マティアスさんがマジメッスか!?」

「真面目じゃない。自分の主義主張にあんなに忠実な悪魔って、けっこう珍しいんじゃない?」

「は、はあ、そ、そうなるんスかねえ、んー……」

「で?」

「ハイ?」

「あの二人、なにやらかしてたの?」

「あーはいはい。すんげく単純なことッス。つーか、これ、ガーラートさんが相手じゃなきゃとっくにバレてたッス」

「知ってると思うわよ」

「ハイ?」

「知ってると思うわよ、ガーラートは」

「…………へ?」

「知ってるでしょうよ。ガーラートだって馬鹿じゃないんだから」

「…………あの」

「なあに?」

「クレアノンさんは、あの二人がいったい何をやらかしたんだと思ってるッスか?」

「そうね、これは単なる私の推測だけど」

 人間形のクレアノンは小首を傾げた。

「――超水増し請求、でしょうね、おそらくは」

「…………あたりッス。あの、クレアノンさん」

「なあに?」

「知ってるんなら、オレに調査なんかさせないで欲しいッス」

「あら」

 情けない顔でぼやくエリックを見て、クレアノンはクスリと笑った。

「知ってたわけじゃないわよ。言ったでしょ、ただの推測だって」

「は、はあ、推測ッスか」

「知ってて気にしないのよ」

「へ?」

「知ってて気にしないのよ、ガーラートは」

「…………マジで?」

 エリックはあっけにとられた。

「え、だって、ガーラートさんってば、結果的にものすんごく、損してるんスけど!?」

「でも、ガーラートが要求した水準には達してるんでしょうよ、イライジャとマティアスが作った、超巨大水脈主動型地形コンピュータは」

「で、でも、もんのすごくふっかけられてるッスよ? ガーラートさん、オレが一生かかっても稼げない分くらい、損しちゃってるんスけど?」

「でも、払えるんでしょうよ、ガーラートには簡単に」

 クレアノンはため息をついた。

「だから気にしないのよ。ガーラートは――憎たらしくなるくらいに竜らしい竜だから」

「は、はあ――」

「私も竜だから、わからないでもないわ」

 クレアノンは肩をすくめた。

「値段交渉をするのがめんどくさかったんでしょうよ、ただ単に」

「ん、んなアホな」

「それが竜なのよ」

 クレアノンは苦笑した。

「自分の目標にしか興味がないの。その目標を達成する過程で起こるもろもろのことや、その目標を達成してしまう事によって、他の存在にどんな影響をもたらすかなんて、ほとんど考えてないのよ。ガーラートの場合は、ほとんど、じゃなくて、まるっきり、だけど」

「――あの」

「なあに?」

「ク、クレアノンさんは――どうなんスか?」

「私?」

 クレアノンは、再び苦笑した。

「私は――竜の割には考えてるほうだと思うけど。でも、そうね、他の種族から見れば、私も結構、他者の立場や都合を無視しているように見えるのかもね」

「い、いやあ、んなこたないっしょ」

「あら、ありがと、気を使ってくれるのね」

 クレアノンはクスクス笑った。

「でも、そうね、やっぱりガーラート、ぼったくられてたか」

「現在進行形で、ボッタクリ続行中ッス」

「――あら」

 クレアノンは身を乗り出した。

「それってどういう意味かしら?」

「あ、ハイハイ。これまたあのお二人にまるっきり隠す気がないんで俺みたいな下級にもすぐにわかったんスけど」

「うん、何かしら?」

「あのお二人ってば」

 エリックは声をひそめた。

「超巨大水脈主動型地形コンピュータ――お二人の命名では『ヤマタノオロチ』っていうんスけど、とにかくその、ヤマタノオロチのメンテ用に残していったオートマータやホムンクルスを使って――」

「――使って?」

「――人造生命の進化の実験をしてる真最中ッス」

「――あら」

 クレアノンは目を輝かせた。

「それは朗報ね」

「……へ?」

「いい知らせだわ」

「ハ? そ、そうッスか?」

「そうよ。だってそれってつまり、ヤマタノオロチは、今よりずっと小さくてもかまわないってことじゃない」

「…………へ? ど、どーしてそーいうことになるんスか?」

「あら、だって、一目瞭然じゃない」

 クレアノンはニヤリと笑った。

「ずいぶん大きなものを作るなあ、とは思ってたけど、人造生命の進化実験まで同時進行中っていったら、それはそうなるわよね。まったく――ガーラートが依頼主じゃなかったら、とうてい実行不可能な暴挙だわ。前代未聞のぼったくりよね、ほんとにまったく」

「は、はあ、そーなんスか」

「そうなのよ。――そうねえ」

 クレアノンは小首を傾げた。

「ガーラートを説得するより、イーリィと話をつけたほうが楽かしら?」

「んー、それはオレにはなんとも言えねーッス」

「そうね」

 クレアノンは軽くうなずいた。

「ああ――面白いわ。とっても面白い」

「はあ、面白いッスか?」

「不謹慎かしら?」

「悪魔のオレが、フキンシンなんて思うわきゃないっしょ」

「それはそうね」

 クレアノンは肩をすくめた。

「ああ、本当に、知識っていうのは、集めれば集めるほどその味わいを増すわ」

「『知は力なり』ッスか?」

「あら、気のきいたこと知ってるのね」

「ままま、これっくらいは」

「私けっこう、あなたが好きよ、エリック」

 クレアノンは、ペロリと唇をなめた。

「これからも、いろいろ頼んでいいかしら?」

「きちんと御代をいただけるんなら」

「払うわよ、ちゃんと。でも」

 クレアノンはクスクスと笑った。

「ぼったくりはなしよ。私はガーラートとは違うんだから」




「やっぱりね、現地に行ってみようと思うのよ、私」

 と、クレアノンは言った。

「現地、ですか?」

「現地――」

 アレンとユミルの顔に緊張が走る。

「でも、ごめんなさい」

 と、クレアノンは続けた。

「アレンさんとユミルさんには、今回留守番をしてもらいたいの」

「え――」

「どうしてですか?」

 と、ユミルが問いかける。

「だって」

 クレアノンは小首を傾げた。

「アレンさんは、その、ずうっと、他の人からは隔離された生活を送ってきたわけでしょ? それじゃ、私の参考にはならないの」

「参考?」

「ええ。私はね、今は人間みたいな形を取っているけど、その本質は、竜なの。だから、人間や亜人の考えかたや感じかたを、完全に理解することは、無理なのよ。推測もできるし、こういう場合にはこういう反応が返ってくるっていう学習もできるけど、それでもやっぱり、欠けているところは多いと思う。だからね、今回いっしょにくる人達には、そこを補ってもらいたいのよ」

「あ――そういうことなら、私はお役には立てませんね。申し訳ありません」

 可憐な少女の姿になったアレンが、申し訳なさそうに言う。ちなみに、当然というかなんというか、クレアノンは、貧相な中年男から可憐な少女になったアレンを見ても、「あらまあ、かわいいわね」のひとことですませてしまった。

「いいのよアレンさん。今回は、本当に、ざっくりした第一次調査のつもりだから、大まかに全体の傾向をつかみたいの。あなたには後で、もっと微妙な局面になった時に役に立ってもらうつもりだから」

「は、はい、ご期待に添えるよう頑張ります」

「アレンでは、だめなんでしょうか?」

 ユミルがいささか不満そうな顔でいう。

「だめ、っていうか――アレンさんの今までの人生は、竜の私から見ても『普通』じゃないってことぐらいすぐわかってしまうような人生よ。私は今回『普通』の人達がどんな反応をするかを知りたいの。アレンさんがだめっていうんじゃないのよ。ただ、今回私が求めている資質をたまたま持っていないっていうだけ」

「――なるほど」

「だから、今回はユミルさんにも残ってもらうわ」

 クレアノンはサラリと言った。

「アレンさんを一人きりにするわけにはいかないでしょうから」

「はい――ありがとうございます」

「今言ったのと同じ理由で、リヴィーとミラも、今回は留守番ね」

「ん? ここにいればいいのか?」

「そうよ」

「そっか。んじゃ、ここにいる」

「ミラ、ここにいればいい?」

「そうよ」

「じゃ、そうする」

「ありがと」

「――ってことは」

 ライサンダーが、ヒョイと眼鏡の位置をなおした。

「今回ごいっしょするのは、俺とハルさんとエーメ君ですか?」

「と、パーシヴァルね」

 クレアノンが何をしたというわけではない。

 ただ、パーシヴァルがフッと虚空から出現した。

「よろしくお願いします」

 パーシヴァルが、深々とお願いする。

「エリックには、よそで他の調査を頼んであるから。ま、呼べば来るでしょうけど、今のところ、まだその必要はないわ」

「俺とエーメ君はいいんですけど」

 ライサンダーは眉をひそめた。

「ハルさんは身重ですよ。旅行なんかして大丈夫でしょうか?」

「あら、そこらの船や何かより、ずっと安全で快適に海を渡らせてあげる自信はあるんだけど。でも、そうね、ライサンダーさんが心配するのもわかるわ。それじゃ、みんなにお守りをあげましょうか?」

「お守り?」

「私の力を、少しずつみんなに分けてあげる。そうよね、私のために働いてもらうんだから、それくらいのことはしなくちゃね」

 クレアノンはにっこりと笑った。

「ねえ、アクセサリーと動物と、どっちが好き?」

「え?」

「あたしは断然、アクセサリーよお」

 ハルディアナが目を輝かせて真っ先に言った。

「じゃあ――こんなのはどう?」

「あらあ!」

 ハルディアナの目の輝きが強まった。

 クレアノンが虚空からつかみだしたのは、銀の鎖に黒曜石のような石で作られた蝶がちりばめられた、きららかな首飾りだった。ちょうど胸の谷間に落ちていく位置に、ひときわ大きな蝶が舞い、その蝶だけ、ハルディアナの髪や目によく似た色の青い石で、羽に模様がつけてある。

「わあ、じゃあ、ぼくは動物がいいです!」

 エルメラートが目を輝かせて言う。

「じゃあ――こんな子はどう?」

 クレアノンの髪からすべりおちるようにして現れたのは、見事な毛並みを持った黒貂だった。流れるように床をかけ、エルメラートの足を登り、肩に乗る。

「うわ! この子、男の子ですか、女の子ですか?」

「あら――考えてなかったわ。ごめんなさい」

「あはは、それじゃあ、ぼくのペットにちょうどいいですね」

「気にいってくれた? それじゃあ名前をつけてあげてくれないかしら? アクセサリーとかならかなり安定させられるんだけど、動くものはやっぱり、名前をつけてあげないとどうしても不安定になるのよ」

「え? ええと、それじゃあ――黒蜜!」

「あら、いい名前ね」

 クレアノンは楽しげに笑い、ライサンダーのほうへと向きなおった。

「ライサンダーさんは?」

「え? 俺は、ええと――俺にアクセサリーってのも、ちょっと柄じゃないし――」

「じゃあ――これでどうかしら?」

「あっ!」

 クレアノンの手のひらの中に現れた小刀を見て、ライサンダーは目を見張った。

「ま、まさか、それって竜鱗刀!?」

「ま、自前を使っただけなんだけど」

「い、いいんですか、そんないいものもらっちゃって?」

「こんなものでそんなに喜んでもらえるんならうれしいわ」

「う、うわあ……」

 父方、ドワーフの血のせいだろうか。ライサンダーは頬をほてらせて、クレアノンのうろこを刃の部分に使った竜鱗刀を受け取った。

「さて」

 クレアノンは今度は、アレンとユミルを見やった。

「あなた達は、どんなものが欲しい?」

「え――」

「あの――」

「あら」

 もじもじするアレンを見て、クレアノンはクスリと笑った。

「アレンさんは、何か欲しいものがありそうね」

「え、あの、でも、あの、ええと――」

「遠慮しなくていいのよ。言ってごらんなさい」

「あ、あの――い、一度だけ、ま、迷い込んできた猫と遊んだことがあって、あの、あの、そ、それが、すごくあの、楽しくて――」

「――はい」

「わ、わああ……」

クレアノンの両の掌の中に現れた黒い子猫を、アレンは目をうるませて受け取った。

「名前をつけてあげて」

「え――あ、それじゃ――リ、リリー――」

「――」

 ユミルの瞳が揺れた。

 ユミルは、ユミルだけは、アレンの母、人間であるアレンの父とは正式に結ばれることのなかった淫魔の母の名が、リリーシアであるという事を知っていたから。

「あら、じゃあ、女の子にしておきましょうか?」

「そ、そんなこと、で、出来るんですか?」

「そうねえ、私もまだまだ未熟だから、子供を生む、っていうところまではいかないけど、見かけと性格だけならなんとかなるわよ」

「え、あ、そ、そうなんですか。あ、あの、クレアノンさん」

「なあに?」

「この子、何を食べるんですか?」

「え? そうねえ、あなたがかわいがってあげるのが、一番この子の栄養になるんだけど。まあ、あなたがあげるものなら何でも食べるわよ。――っていうか、この子は基本的に、あなたの手からしかものを食べないはずよ。あ、これは、エルメラートさんの黒蜜ちゃんもそうなんだけど」

「わ、わかりました」

「あ、そうなんですか」

 アレンとエルメラートがそれぞれうなずく。

「かわいがってあげれば、少しずつ成長するかもね」

 クレアノンはクスクスと笑った。

「で、ユミルさんは?」

「私は――ライサンダーさんと同じ物がいただけるとありがたいのですが」

「竜鱗刀? いいわよ、はい」

 手渡しながらクレアノンは小首を傾げた。

「ユミルさんが得意なのは――炎系統の魔法?」

「は、はい」

「あら、残念。私が得意なのは水系統と土系統なの。だからその竜鱗刀も、その二系統の魔法を補助する力なら多少はあるんだけど」

「いえ、十分です。ありがとうございます」

「で」

 クレアノンはパーシヴァルを見た。

「パーシヴァルは?」

「わ、私は、あの、その、エリックが何もいただいていないのに――」

「エリックには、後で何かあげておくわ」

「そ、そうですねえ、ええと――その、私は何でもいいです。おまかせします」

「あら、そういうのが一番困るんだけど」

 クレアノンは苦笑した。

「それじゃあ――こんなのは?」

「う、うわ!」

 パーシヴァルは、いきなり目の前に現れたひれの長い、黒い小魚を見て飛び上がった。

「く、空中を泳いでる!?」

「今のあなたがその子に食べさせてあげるのは、けっこう大変かもしれないから、お弁当をつけておくわ。その子がそれを食べきる前に、あなたが自分でその子を食べさせてあげるようになってくれていればいいんだけど」

「な――なっていなかったら?」

「そうしたら、その子、勝手に私のところに帰ってくるわよ」

「そ、そうですか。こ、これは――その、使い魔のようなものなんですか?」

「まあ、そう言ってもいいかもね。今は切り離したばかりだから私の一部っていう面が強いんだけど、あなたになじんでいけばそのうちそうなるわよ」

「わ、私自身、まだ使い魔にすぎないんですが――」

「それじゃあペットとでも思っていてちょうだい」

「は、はあ――ええと、名前をつけるんですよね?」

「ええ」

「それじゃあ――ジャニ」

「ジャニ?」

「あ、その、私の世界にある、黒くて苦い、眠気覚ましの飲み物です」

「なるほど」

 クレアノンはにこりと笑った。

「リヴィー、ミラ、いらっしゃい」

「なに?」

「ミラ、来た」

「あなた達には、これがいいでしょうね」

 クレアノンは両手を伸ばして、リヴィーとミラの手を握った。手を話すと二人の手のひらには、黒々とした竜の形のあざが残った。

「お守りよ」

「……なんか模様がついた」

「これ、クレアノン」

「そうよ」

 クレアノンは部屋に集まっている面々を見渡した。

「今私がみんなに渡したのは、私の一部をほんの少しずつ切り離したものなの。竜や悪魔が見ればすぐ、私がみんなのことを自分の保護下においてるってわかるわ。他の種族に対しても、それはきっと効果があるはず。どんな効果が出るのかは、その時が来ないと私にもわからないんだけど。それはみんな、お守りとしてこの世に生みだしたわ。きっとみんなの身を守ってくれるはずよ。でも――そうね」

 クレアノンはふと遠い目をした。

「もしもみんながそれを大事にしてくれて、長い間身近に置いてかわいがってくれたら、そのお守り達はきっと――『ツクモガミ』になれると思うわ。そうなったら――素敵なんだけど」

「だ、大事にします!」

 頬をほてらせ、黒猫リリーをしっかりと胸に抱いて、アレンが叫んだ。

 ついで、口々に礼を述べる皆を、クレアノンは喜びと、一抹の寂しさを胸に抱いて見つめた。

 その寂しさは、もしかしたら。

 対等な力、対等な立場を持つ存在に出会う事が極端に少ない、竜の孤独であったのかも知れない。




「マーティ、マーティ!」

 はしゃいだ子供の声が響く。

「ねぇねぇ、ねぇねぇ、遊びに行こうよ!」

「それはいいけど」

 もしその場にこの世界――もしくはこの次元――の人間、特に、ハイネリアの人間がいたら、あまりの違和感にしばらく言葉を失ったかもしれない。おそらく呼吸も止まっただろう。

 古の栄光の時代――神聖ハイエルヴィンディア皇国の、神官兵の軍服を、一部の隙なく身にまとった筋骨たくましいひげ面の男の口からもれてくるのは、なんとも妖艶にしてなまめかしい、成熟した女の声だったのだ。

「いつも言ってるでしょ、イーリィ。派手に遊びたいんなら、他の次元に行かなきゃダメよ」

「えええー、どぉしてぇ?」

「もう、アナタってば本当に、人の話を聞かないんだから」

 軍服男はため息をついた。その体はまぎれもなく男、しかし、その仕草は、あざといまでに、女のそれだ。

「言ったでしょ、工房と遊び場は別にしなさいって」

「えええー、どしてぇ?」

「本気でプレイする気じゃないなら、工房と遊び場は別にするのが鉄則でしょ。工房で何を作ろうと、実害がないなら工房のある次元の連中はたいていほっといてくれるし、遊び場のほうは――」

 軍服男はクスクスと笑った。

「まあ、ほら――ねえ? 『素材』の連中は、アタシたちみたいな真似なんて、絶対出来ないわけだしぃ」

「ふぅん?」

 きょとんとした声とともに、コロコロと太った子供が空中から転げ出る。

 その子供は、他の次元にしかるべき服装で出現したら、もしかしたらこう呼ばれているかもしれない。

 いわく――天使、と。きららかに輝く金色の巻き毛、美しく澄み渡った青い瞳、ふっくらとした桃色の頬。ムクムクと太っているせいでパッと見そうは見えないが、よく見れば誰もがハッと息をのむであろう美貌の持ち主だ。身にまとうのは、この世界のものではない言葉で説明を許してもらうなら、ふわふわとやわらかそうな桃色のセーターに真っ赤なデニム、黄色の字に紫の模様というけばけばしいスニーカーだ。

「マーティは、いつもそんなこと考えてるの? めんどくさいね」

「アナタが考えなさすぎなの。だから『お気楽イージーイーリィ』なんて言われるのよ」

「うん、別にいいよ。だってワタシ、お気楽なのが一番好きだもん」

「あらあら」

 と、クスクス笑う軍服男。

「しょうがない子ね、ホントにまったく」

「ねぇマーティ」

「なあに?」

「その服って、お手洗い行くときどうするの?」

 イーリィ――『お気楽イーリィ』の二つ名をもつ中級悪魔イライジャは、小首を傾げて軍服男の着た、軍服、いや、軍服だけでは不十分か。きらびやかにして重厚な甲冑を全て着込んだハイエルヴィンディア神官兵第一級正装を見つめた。

「あらあ!」

 軍服男はケラケラと笑い転げた。

「イーリィったら!」

「ねえ、どうするの?」

「自分で着て見ればわかるんじゃない?」

「やだ。めんどくさい。ねぇ、マーティはどうしてそんなめんどくさい格好するの?」

「だってぇ」

 軍服男の口から甘い吐息がもれる。

「軍服――っていうか、制服着てイケナイことするのって、すんごく興奮するじゃなぁい?」

「ふぅん? ねぇねぇ、それってアブノーマル、ってやつ?」

「初歩の初歩よ」

 クスクスと笑い転げるのは、『倒錯アブノーマルマティアス』の二つ名を持つ中級悪魔マティアスである。

「ところでイーリィ――」

「ねぇねぇ、見て見てマーティ!」

 イライジャはマティアスの話を聞こうともせず、プクプクとまるまっちい両手を、パタパタとふり回した。

「またこんなのが出来たよ!」

「あら――アノマノカリスじゃない」

「――え?」

 イライジャは、ひどくがっかりして振り回す両手が空中からつかみだしたものを見つめた。

「マーティ、知ってるの?」

「んもう、イーリィ、いつも言ってるでしょ、ちゃんと過去ログも見なさいって。この世界――っていうか、ううん、なんて言ったらいいのかしらねえ? とにかく、この世にあるもので、まだ誰も考えついてないものなんて、ほんとにほんとに、数が少ないのよ」

「なぁんだあ」

 イライジャは、しょんぼりと空中からつかみだしたものを見つめた。

 この世界の人間がそれを見たら、まさに悪夢の中から現れ出たとしか思えないだろう。巨大なイモムシ尻に魚のしっぽがつき、体の両側には無数の長細いひれがはためき、口とおぼしきあたりからは、二本の、触手とも何ともつかぬものが飛び出している。大きさは、全長が大人の肩から指先くらい。空中をふわふわと泳ぎながら、ペカペカと体の色を変え続けている。

 別の次元においては、アノマノカリスと呼ばれる生き物に、なるほど、よく似ていた。

「まあ、あれよ、体の色が変わるあたりはオリジナルっぽくない?」

 マティアスが慰め顔で言う。

「ちぇっ。いいよいいよ、もうあるんなら、いらないや、これ」

 イライジャがプッとむくれたとたん、空中の怪物が虚空にかき消える。

「あら、別に消さなくたっていいのに」

「だって、もうあるんなら、いらないんだもん、ワタシ」

 イライジャがプッとむくれたままつま先で空中を蹴る。

「あらあら」

 マティアスの笑いは、どこか楽しげだった。

「ところでイーリィ」

「なに、マーティ?」

「Dランクの下っぱが、のぞき見してたんだけど、どうする?」

「ん? 別にどうでもいい」

 イライジャはあっさりとこたえた。

「マーティの好きにしなよ」

「そうねえ――一人でそんなことするバカなら、きっちりお仕置きしてあげるんだけどねえ」

「しないの?」

「バックに竜がついてるからね」

「ガーラートが?」

「もう、イーリィったら、なんでそうなるのよ」

 マティアスはイライジャの額をはじいた。

「ガーラートさんは大切な大切な、おバカみたいに寛大な、アタシ達のお客様でしょ?」

「ガーラートじゃないの? じゃ、誰?」

「黒竜のクレアノンよ」

「おっかないの、そいつ?」

「おっかなくはないけど、めんどくさい相手よ」

「じゃあほっときなよ。ワタシ、メンドクサイのキライ」

「そうねえ」

 マティアスは首を傾げた。

「ま、あんまりうるさくすると、ガーラートさんが怒るしね」

「そうなの?」

「そうよ。もうイーリィったら、今までどこを見てたのよ?」

「森だよ?」

 イライジャはきょとんとこたえた。

「マーティも見る?」

「そういう話じゃないんだけど――でもそうね、じゃあ、ちょっと見せてもらいましょうか」

「うん!」

 イライジャが両腕で円を描いたとたん、二人の目の前に、奇妙奇天烈な光景があらわれた。

 この世界の人間にとって、それは悪夢の具現に他ならないだろう。いや、おそろしいとか、おぞましいとか、そういうものではない。醜いとも言い難い。見ようによっては、美しくさえあるのかもしれない。

 ただ。ただ、ひたすらに。

 不可解――なのだ。この世界の人間――いや、生き物全てにとって。

「あら」

 マティアスが感心したような声をあげた。

「カンブリア紀の生命大爆発みたい」

「えぇーっ、これももうあるものなのぉ?」

「ちょ、ちょっとちょっと、消しちゃだめよイーリィ! あのねえアナタ、そんなところにまでオリジナリティー求めてたら、一兆年使ったって何にもできゃしないわよ!」

「ん、そう?」

 イライジャは首を傾げた。

「じゃ、このまま続ければいいのかなあ?」

 二人の目の前にあるのは。虚空のスクリーンがうつしだすのは。

 ひたすらに異質な生命体。ひたすらに異質な生命群。ひたすらに異質な生態系。

「そうねえ――イーリィ、アナタ、いったい何がつくりたいの?」

「どこにもないもの。まだ誰も見たことがないもの」

「あらまあ、大きく出たわね。そうねえ――とりあえず、このまま続けてみたら? これはこれで、けっこう好きよ、アタシは」

「そう? じゃあ、もう少し続けてみるよ」

「そうしなさい。ああ、そう言えば、インシィ達とマウシィ達は?」

「ん? さあ? もうみんな適応して、勝手にやってるみたいだよ」

「あらそう。定着率は?」

「えーと、30%くらいかな?」

「けっこう成績いいわね。やっぱり、竜の波動には滋養強壮効果があるってことかしら?」

「欲しいの? とってきてあげよっか?」

「いいのいいの。うまくいってるならいいのよ」

「あそう。ねぇねぇマーティ」

「なあに、イーリィ」

「ワタシ、おなかへった!」

「あらあら」

 マティアスは、どこか優しく見えなくもない笑いを浮かべた。

「ホントに子供ね、あなたって」

「マーティはおなかすかないの?」

「そうねえ――じゃあちょっと、食べに行きましょうか?」

「うん! どこにする?」

「適当に決めましょうか」

 マティアスの瞳が粘っこい光を浮かべた。

「この次元以外ならどこでもいいわ。もう、今度はちゃんと聞いてよイーリィ。ご飯の場所もね、工房とは別にしといたほうがいいのよ」

「早く行こうよマーティ!」

「もう、アナタったら、本当に人の話を聞かないんだから」

 マティアスはクスクス笑いながら、イライジャはじれったげに足踏みしながら。

 二人の中級悪魔が、一時的にこの世界を後にした。




「な、なんでも食べるって言っても――」

 アレンはおとなしく胸に抱かれている黒猫リリーとクレアノンとをかわるがわるに見ながら言った。

「ね、猫ちゃんには、何をあげるのがいいんでしょうねえ?」

「その子達、ほんとになんでも食べるんだけど、そうねえ――本物の猫なら、やっぱり肉とか魚かしらねえ。あとは――ミルクとか?」

「な、なるほど」

「ま、本物の猫なら、人間の食べてるものをあげると、体に毒だったりするんだけど、その子達はそんなことはないわ。安心して、いろんなものを食べさせてあげて」

「え、あ、はい――」

「あ、じゃあ、アレンさん」

 ライサンダーがにっこりとアレンに微笑みかけた。

「ほら、ここに、パンとチーズがあるから、とりあえずこれ、あげてみたら?」

「あ――ありがとうございます」

 アレンはおそるおそる、チーズのかけらをリリーの口元に持って行った。すぐさまリリーが、ンニャンニャいいながらチーズにかぶりつく。

「うわ! た、食べました!」

「よかったわね。その子達、なんにも食べさせなくても死ぬってことはないんだけど、でも、食べさせてあげれば喜ぶからね。いろいろ食べさせてあげて」

「は、はい!」

「うわあ」

 不意に、エルメラートが感心したような声をあげた。

「ほんとだ。ねえねえハルさんライさん、この子ほんとに、何でも食べるんですね」

「え――ゲッ!?」

 ライサンダーは飛び上がった。エルメラートがクレアノンからもらった黒貂、黒蜜にかじらせているのは、テーブルの上に出しっぱなしにしてあった陶器の皿だったのだ。

「ちょ、ちょっとエーメ君!?」

「あ、ご、ごめんなさいライさん、お皿勝手に食べさせちゃったりして。今度ぼく、新しいの買って来ますから」

「そ、そういう問題じゃなくて! ご、ごめんなさいクレアノンさん、あ、あの、エーメ君にはその、わ、悪気はないんです! ただ、その、エ、エーメ君てばほんとに好奇心旺盛で!」

「いいのよ、ライサンダーさん」

 クレアノンはおかしそうに笑った。

「なるほど、そうきましたか。そうね、確かに『なんでも』食べるなんて言われたら、どのくらい『なんでも』食べるのか、ちょっと試してみたくなるわよね」

「おいしいのかなー、このお皿?」

「あなたがくれるものだからおいしいのよ、エルメラートさん」

「そうなんだ」

 エルメラートはうれしそうに、そっと黒蜜の頭をなでた。

「たくさん食べて、大きくなるんだよー」

「ちょ、ちょい待ち! ク、クレアノンさん、こ、この子、お、大きくなるんですか!?」

「そうねえ、育てかたにもよるわねえ」

「ど、どのくらい大きくなるんですか!?」

「育てかたによるわねえ」

「ちょ、ちょっとエーメ君、あんまり大きくしちゃだめだよ! お、俺達んちに入りきんない大きさになったらどうするんだよ!?」

「え、この子、そんなに大きくなるんですか?」

「そこまで大きくなることは、まあめったにないわねえ」

 クレアノンはおかしそうに笑った。

「安心して、ライサンダーさん。手に負えない大きさになったりしたら、私がなんとかしてあげるから。安心して育てて。エルメラートさん、変な手加減したりしないで、思う存分おやんなさい。とっても楽しみよ、黒蜜がどんなふうに育つのか」

「ク、クレアノンさんは、エーメ君の本気を知らないからそんなことがいえるんですよ」

 ライサンダーはため息をついた。

「知りませんよー、どでかくなった黒蜜見てひっくり返っても」

「あらあら、それは、ほんとに楽しみ」

 クレアノンは楽しげに笑った。

「でも、わかったでしょアレンさん、この子達、あなた達が上げるものなら何でも喜んで食べるの」

「そうなんですか――」

 アレンは愛しげに、リリーの頭をなでた。

「さて――ジェルド半島までは、やっぱり空を飛んでいくのが一番早くて楽かしらねえ?」

 クレアノンがつぶやく。

「瞬間移動とかは出来ないんですか?」

 興味しんしん、と言った顔で、エルメラートがたずねる。

「え――出来なくはないと思うけど」

 クレアノンは眉をひそめた。

「でも、危険だからお勧めはしないわ」

「どういうふうに危険なんですか?」

「そうねえ――」

 クレアノンは小首を傾げた。

「あのね、私達、竜や悪魔は、あなた達が言う、その、瞬間移動をする時に、特別な空間に入るんだけど」

「はい」

「どう説明しようかしらね――」

 クレアノンの目がふと、テーブルの上に落ちる。

「――そうだ。例えばね、ここに、陶器のお皿があるわね?」

「はい」

「このお皿を水の中に入れて、もう一回引き上げても、それはやっぱり、陶器のお皿よね?」

「え? あ――はい。水には濡れると思いますけど、お皿は、お皿でしょう?」

「形が変わったり、壊れちゃったりはしないわね」

「えと――そうだと思います」

「じゃあ、たとえばここに、泥団子があるとしてね」

「泥団子が?」

「そう、泥団子。その泥団子を水の中に入れたら、どうなる?」

「え――」

 エルメラートは真剣な顔で考え込んだ。

「すぐに水から出せば大丈夫かもしれないけど――ずっと入れておいたら――溶けてボロボロになる?」

「そのとおり。――でね」

 クレアノンは、大きく息をついた。

「竜や悪魔が陶器のお皿で、あなた達、亜人や人間は、泥団子みたいなものだと考えてみて」

「え――それってつまり――ぼく達が、瞬間移動用の特別な空間に入ったら――と、溶けてなくなっちゃう!?」

「まあ、そんなところね。ああ、もちろん、私達が殻をつくって守ってあげれば少しはもつんだけど、それにしたって、ちょっと危なっかしいじゃない? 他に手段がないっていうんならともかく、ディルス島からジェルド半島までなら、風さえよければ半日で行けるのよ? そんな無駄な危険を冒す必要はないと思うの、私」

「俺もそう思います」

 エルメラートよりも先に、ライサンダーがガクガクとうなずく。

「あたしもそう思うわあ」

 ハルが、のんびりした声で同意した。

「なるほどねえ、そういう仕組みなのね。どうりで瞬間移動の魔術の術式が、やたらとややっこしくて時間がかかるわけね。自分達の手で、竜や悪魔の代わりになるものをつくろうとしてるんだもんねえ」

「ま、そういうこと。まあ、悪魔がよくやる距離の圧縮なんかは、かなり安全にあなた達を連れ歩ける方法なんだけどね。それって意味ないじゃない。だって、私は背中にあなた達全員をのせて飛べるんだから」

「そうよねえ」

 ハルがのんびりとうなずく。

「うーん、ぼくとしては、ちょっとくらいその特別な空間っていうのを見てみたくはあるんですけど」

 エルメラートが肩をすくめた。

「でも、ハルさんを危険な目にあわせちゃいけませんね。大事な体なんですから」

「大丈夫。細心の注意を払って運ばせてもらうわ」

「――に、しても」

 ライサンダーが首を傾げた。

「いきなり竜が飛んできたりしたら、ジェルドの連中、腰抜かすんじゃないかな?」

「あらやだ。ちゃんと目くらましを使うわよ、私」

「あ、あー、それはそうですね。ごめんなさい」

「じゃあ――いつごろ出発すればいいかしら?」

 クレアノンは首を傾げた。

「私には準備なんて必要ないから、あなた達の都合にあわせるんだけど」

「明日でいいんじゃないですか?」

「ちょっと待ってよエーメ君。さすがに明日ってのはきついよ。明後日にしようよ」

「えー?」

「あたしはいつでもいいわよお」

 ハルがゆったりとおなかをさする。

「つわりも、もうおさまってるし、体調もいいし」

「それじゃあ――クレアノンさん、明後日でいいですか?」

「もう少しゆっくりでもいいのよ、私は」

「いえ、俺らも、大した支度するわけじゃないんで」

「そう。――それじゃあ、明後日にしましょうか」

 こうして、出発の日が決まった。




「俺達が留守するあいだ、この家を使ってもらえませんか?」

 と、ライサンダーはユミルに言った。

「人が住んでないと、家ってどうしても荒れますから」

「ありがとうございます。願ったりかなったりです」

 ユミルは、深々と一礼した。

「ありがとうございます」

 黒猫リリーを大事そうに胸に抱いたアレンも、ペコリと頭を下げる。人間と淫魔の混血であるアレンは、ユミルとの性的接触により、貧相な中年男と可憐な少女とをいったり来たりしてしまう。純血の淫魔なら生まれつき、特になんの苦労もなく出来る自分の容姿や性別のコントロールを、淫魔の血を半分しかひいていないアレンは行う事が出来ないため、ユミルとそう言った行為を行うたびに、不随意に性別と容姿とが揺れ動いてしまうのだ。

「ああ、そうだ、その、ライサンダーさん、もしよろしければ、その、服を少し、貸していただけませんか?」

「え? ああ、アレンさんにですね」

 男性である時のアレンは、貧相は貧相だが、それでもやはり男の体格は男の体格で、今現在の、少女の姿のアレンよりはかなり大きい。アレンが少女の姿に変化するようになったのは、ユミルと出会ってからだ。当然のことながら、少女の服など持っているはずもない。

「チビですからね、俺は」

 ライサンダーが苦笑する。父方のドワーフ。母方のホビット。どちらにせよ、小柄なことで有名な種族だ。まあ、ドワーフのほうは、その筋骨隆々たる体格も、同時に有名になっているのだが。

「あ、いえ、そんなつもりは――」

「いいんですいいんです。これでも俺、親戚の中ではけっこう背が高いほうなんですよ」

 ライサンダーはニヤリと笑った。

「でも、服が欲しいんなら、俺がもと住んでた山まで行けば、なんかしらあると思いますよ」

「え?」

 ユミルは目を見張った。

「あ、あなた達、えーと――」

「ドワーフの親戚のほうですよ」

「こ、こんな近くに竜の縄張りがある所で暮らしているんですか!?」

「ううん――そうですねえ――」

 ライサンダーは、驚くユミルを、ちょっと不思議そうに見た。

「つーか、竜って基本的に、こっちからちょっかい出さなければ、あっちも俺らにちょっかいなんか出さないもんでしょ?」

「…………私の祖国は一度、竜のきまぐれによって壊滅の憂き目を見たんですが」

「あ!」

 ライサンダーは、しまったという顔をした。なるほど、確かにユミルの祖国、ハイネリアの前身である神聖ハイエルヴィンディア皇国は、白竜のガーラートの、量子力学を修める研究所を作りたいという欲求により、一度灰燼に帰され、その上にガーラートの研究所を建てられてしまったのだ。

「す、すみません! い、いやその、いやあの、ディ、ディルスにいるのは、ガーラートさんじゃなくてクレアノンさんなもんで!」

「ありがと」

 クレアノンは、クスクスと笑った。

「そうね、確かに私は、他の種族に被害を与えるのは極力避けるようにしているわ。だって、もったいなさすぎるじゃない。何の気なしにひどい目にあわせてしまった誰かが、私のとっても知りたい、面白い貴重な知識を持っててくれるかもしれないのよ? 竜にとってはね、壊すって、ほんとに簡単なことなの。でも、私は、壊すのって、別に好きじゃないの。私は――」

 クレアノンはにっこり笑った。

「他の種族のかたがたと、楽しくおしゃべりするほうが好きなの」

「私もです」

 不意にアレンが、どこか苦しげに見えるほど真面目な顔で言った。

「私もです。私も――私にも、クレアノンさんほどではありませんが、力が、あります。今まで私は、その力を、壊す事にしか使って来ませんでした。でも、私は――」

 アレンにギュッと抱きしめられ、リリーが、ニィと鳴いた。

「私は――私は――私は皆さんと、な、仲良く、したいんです――」

「するわよお」

 ハルディアナがのんびりと言った。

「アレンちゃんは、こんなにかわいいんだもの。いっくらだって、仲良くしてあげるわよお」

「そうですよ」

 エルメラートも口をはさんだ。

「なにしろアレンさんは、ぼくにとっては遠い親戚のようなものですからね」

「大丈夫ですよ、アレンさん」

 黒い小魚、ジャニを体にまとわりつかせた、使い魔のパーシヴァルが静かに微笑む。

「あなたがどんな事をして来ても、どんなにたくさんのものを壊しても、どんなにたくさんの人の運命を狂わせても、私ほどはた迷惑でろくでもない、国を裏切り冒涜し、関わった人みんなの運命を狂わせるようなことなんて、やってるはずがないんです。誰があなたを責めたとしても、私にだけは、あなたを責める資格なんてありはしないんですよ」

「――おれもなんか言ったほうがいーのか?」

 さすがに雰囲気の変化を感じ取ったのか、蜘蛛化けリヴィーがきょとんと周りを見まわす。

「えーと、大丈夫だよ。おれ、腹が減っても、ここにいるやつらを食うのは最後にするから」

「つーか、食えねえだろ、リヴィー」

 と、ライサンダーがつっこむ。

「本気でやりあったら、おまえが勝てる可能性がある相手って、ここにはミラと俺しかいねーぞ」

「あ、そっか」

 すっとぼけた顔でリヴィーがうなずく。

「――ありがとう、ございます」

 真っ赤に頬をほてらせて、アレンは何度も何度も、あちらを向き、こちらを向きしておじぎを繰り返した。

「じゃあ、ええと、話を戻しますと」

 ライサンダーが、照れ隠しのようにポンと両手を叩いた。

「俺達が留守にしてるあいだ、ユミルさんもアレンさんも、このうちにあるものを、みんな好きに使って下さってかまいませんから」

「ん? ライサンダー、どっか行くのか?」

「おいこらリヴィー、おまえ人の話全然聞いてなかっただろ。俺とハルさんとエーメ君、あとそこのパーシヴァルさんは、クレアノンさんといっしょにジェルド半島に行くの!」

「ええー」

 リヴィーは口をとがらせた。

「じゃあ、おれのメシはどうなるんだよ?」

「ライサンダーさんほど上手ではありませんが、私も簡単な料理くらいは出来ますよ」

 と、ユミルが口をはさむ。

「食っていい?」

 単刀直入に、リヴィーがたずねる。

「もちろん」

「あー、ならいいや」

「ジェルド半島、かあ」

 エルメラートが不穏な笑みを浮かべた。

「ぼく、ちょおっと、個人的に楽しんじゃおっかなー」

「……あなたがたのあいだでは、そういうのは公認なんですか?」

 エルメラートの言葉の意味がわからずきょとんとしているアレンを横目で見ながら、ユミルがぼそりとつぶやく。

「そんなんでいちいち目くじらたててたら、エーメ君やハルさんとはやってけませんって」

 ライサンダーは、ヒョイと肩をすくめた。

「いいんですよ、最後に俺んとこに帰って来てくれりゃ」

「なるほど、含蓄深いお言葉ですね」

「つーかこれって、普通は女の言葉だと思うんだけど」

 ライサンダーは苦笑した。

「ま、いっかあ。俺は、あちこちほっつき歩くより、待ってるほうが性にあうから」

「そおよお。ライちゃんは、おうちにいて、あたし達においしいご飯をつくってくれる役目なのよお」

 ハルディアナが、かすかに妖艶さを含んだ笑みを浮かべる。

「表に出ていろいろやるのは、あたしやエーメちゃんがみぃんなやってあげるんだから」

「――」

 ユミルは目をしばたたいた。ハルディアナは、容姿からすれば、純血のエルフ以外の何物でもない。ただ、その肉体の、エルフとしては異様といってもいいほどの豊満さと、満開の花からこぼれる香りのような、あたりにふりまかれる妖艶さと淫蕩さとが、ハルディアナを、エルフであるとしか言いようがないのに、どうしてもこの存在がエルフであるとは断定できなくなってしまうことの非常に大きな要因となっている。

「――やだあ」

 ハルディアナはユミルの表情に気づいてクスクスと笑った。

「あたしがあんまりエルフらしくないからびっくりしちゃってるのお? あたしは、エルフだってばあ。まあ、村一番の変わり者で、村の恥、一族の恥っていっつも言われてたけどお」

「え、いや、その――し、失礼なことをしてしまったのなら謝ります」

「別に、いいわよお。そういう顔も、けっこうかわいいわよお」

「だ、だめです!」

 不意にアレンが、ブンブンとかぶりをふった。

「ハ、ハルディアナさん、ユ、ユミルは、わ、私の恋人ですから! そ、そんな綺麗な、そんな色っぽい顔をしちゃだめです!」

「あらあ」

 ハルディアナはクスクスと笑った。

「ありがとねえ、ほめてくれて」

「――ふふっ」

 クレアノンは、小さく笑った。

「ああ、あなた達ときたら――ほんとに私を、退屈させずにおいてくれるわね――」




「私ほんとは、飛ぶのってあんまり得意じゃないのよ」

 そう言ってクレアノンはクスクス笑った。

「ほんとですかあ?」

 ライサンダーが首を傾げた。

「だって、すっごく気持ちいいですよ? 全然揺れないし」

「あら、ありがと」

 クレアノンはにっこり笑った。もっとも、竜体に戻ったクレアノンのその表情を、もしライサンダーが正面から見ていたら、もしかしたら腰を抜かしてしまったかもしれないが。

「でも、本当よ。私の翼、見えるでしょ?」

「あ、はい、見えます」

「ちっちゃいでしょ?」

「え? うーん、俺から見れば、充分でかく見えますけど――」

「でも、体と比べてみて。私の体の大きさからすると、私の翼って、ちっちゃいのよね」

「んー、言われてみればそうかな――」

 クレアノンの声は、竜体に戻った今も、やはり人間形をとっていた時と同じ、特に若くも年老いてもいない、がっちりとした女性だったらこんな声であろう、という声だ。その声のおかげでだいぶ喋りやすくはあったが、竜体に戻ったクレアノンの、どのあたりに向けて話しかければいいのか、ライサンダーはひそかに頭を悩ませていた。

「だからね」

 クレアノンは快活な声でつづけた。

「私は今、翼の力だけで飛んでるんじゃないの。浮遊魔法とか、風魔法とか、いろんな魔法と組み合わせて飛んでるのよ」

「俺には、翼だけで飛ぶよりもそっちのほうが大変そうな気がしますけどねえ」

 ライサンダーは感心した声をあげた。

「えーと、ハルさんも、浮遊魔法出来たんだっけ?」

「まあねえ、それなりにはねえ」

「そっかー。俺、魔法ほとんど出来ねえもんなー。ねえハルさん、クレアノンさんの魔法って、どれくらいすごいの?」

「あたしと比べて、ってこと?」

「んー、まあね」

「大人と子供、どころじゃないわよお」

 ハルディアナは優雅に肩をすくめた。

「だってライちゃん、あたしなんかは浮遊魔法を使う時は基本的にそれにかかりっきりにならなきゃ使えないのよお。クレアノンさんが使ってるのは、浮遊魔法に、風魔法に、あと、あたし達が風にあたったり背中からおっこったりしないようにする防護魔法でしょう? それに、誰かがセルター海峡から竜が飛んでくるのを見て腰を抜かしちゃったりしないようにする目くらましと――」

「うへえ、もうだいたいわかったよ」

 ライサンダーはポカンと口を開けた。

「ほんとになんていうか、竜と俺達って、格が違いすぎるんですね」

「――でも、私は、竜としては、別に大したことのない竜なのよ」

 クレアノンの声に、苦笑の響きが混ざりこんだ。

「ほめてくれるのはうれしいんだけど――それは、私がすごいんじゃなくて、竜という種族がすごいのよ。ああ、ごめんなさい、自慢に聞こえるかしら? でも、そうなの。私がすごいんじゃないの。たまたま竜に生まれついたっていう、幸運を手にしてるだけ」

「でも、クレアノンさんは、ぼく達と仲良くお付き合いしてくれるじゃないですか」

 エルメラートが、楽しげに弾む声で言った。

「それって、普通の竜はしないことでしょう?」

「ああ――そうね。それはそうかもしれないわね」

「ぼく」

 エルメラートはにっこりと笑った。

「クレアノンさんとお友達になれてよかったですよ」

「ありがと」

 クレアノンの声も弾んだ。

「そう言ってもらえると、本当にうれしいわ」

「いーい、景色ねえ」

 ハルディアナがのんびりと言う。

「晴れてよかったわねえ」

「だねー」

「ですよねー」

 ライサンダーとエルメラートも、のどかな声をあげる。

「ねえ、クレアノンちゃん、あたし達、これからどっちに行くの? ファーティス? ハイネリア?」

「とりあえずはハイネリアかしらね」

 クレアノンは即答した。

「ファーティスは、亜人嫌いで有名だっていうから」

「ありゃ、そりゃまずい。俺達全員、亜人だもんな」

 ライサンダーは肩をすくめた。

「亜人を嫌うと、なにかいいことでもあるんですかね?」

 エルメラートが、真顔で言う。

「私には思いつかないわねえ」

 クレアノンが苦笑したらしき気配が、声から伝わってきた。

「でも、知的生物っていうものは、理不尽なことを自分から喜んでやってしまうこともあるからねえ」

「ふーん。何の得もないならやめればいいのに」

 あっけらかんと、エルメラートが言う。

「私には思いつかないだけで、何か得をする人がいるのかもしれないわね」

 クレアノンの声が、肩をすくめる。

「ところでクレアノンさん、俺達、ハイネリアでいったい、何をすればいいんですか?」

「観光旅行」

 ライサンダーの問いに、クレアノンは間髪いれずに答えを返した。

「か、観光旅行!?」

「そう。観光旅行」

「え? そ、それって、冗談じゃなくて?」

「冗談じゃなくて、よ」

 クレアノンは、クスクス笑った。

「もちろん私にだって、調べてもらいたいことはあるわ。でもね、それを言っちゃったら、あなた達、私が調べて欲しいと思うことしか、調べてくれないじゃない?」

「え――それじゃ、いけないんですか?」

「いけなくはないけど、それじゃ、あなた達を連れてきた意味がないわ。だって、私が調べたいと思っていることは、私だって調べられることだもの」

「え? ええと――」

「だから、例えばね」

 クレアノンは、少し考え込んだようだった。

「例えば私があなたに、ハルディアナさんが男か女か調べてくれ、って頼むとするじゃない。そうすると、あなたはそれを調べてあなたに教えてくれる。だけど、他のことは調べてくれない。私が頼まなかったから。でも、私が何を調べてくれとは指定しないで、ただハルディアナさんのことを調べてくれって言ったら、あなたはハルディアナさんがエルフだってことを調べて、私に教えてくれるかもしれない」

「え、えーと――」

「つまり、こういうことでしょお?」

 ハルディアナが、のんびりと口をはさんだ。

「あたし達は、クレアノンちゃんが、わざわざ調べてみようなんて思いつかないことや、クレアノンちゃんみたいな竜には当たり前にわかるから調べるも何もないけど、あたし達亜人や人間にとっては、調べなきゃわかんないことを調べてくれって言ってるんでしょお?」

「そのとおり」

 クレアノンの竜の頭が、ゆっくりと動く。どうやらうなずいたらしい。

「私が欲しいのは、竜ではない種族の視点なの。私達竜は、その――他の種族と比べると、ちょっと、っていうか、かなりずれてることが多いから」

「それは、そおねえ」

 のどかな声でハルディアナが言う。ライサンダーは、思わず、といったふうに首をすくめた。

「そうでしょう?」

 クレアノンは、おかしそうに笑った。

「だからね、とりあえずは、みんなで観光旅行をしましょうよ。ねえ――私も仲間に、いれてくれる? 私――誰かといっしょに旅行したことってないの」

「もちろん」

 ライサンダーは大きくうなずいた。

「よろこんで」

「仲良くやりましょおねえ」

 言いながらハルディアナが、クレアノンが用意し、自らの背中にすえつけてくれた巨大なクッションに身を埋める。

「そおよねえ。旅は道連れっていうもんねえ」

「ふふっ」

 黒貂の黒蜜をじゃらしながら、エルメラートが楽しげに笑う。

「楽しい旅になりそうですね」

「そうね」

 クレアノンはにっこりと笑った。

「楽しい旅になりそうね」




「我らが国の名  ハイネリア

 ハイネリアには  三相王

 曙王に  太陽王  黄昏王が  君臨す

 君臨すれども  統治せず


 統治をするのは  四貴族

 共に呼ばわれ  表の名

 知略のイェントン  奇才のソールディン

 鉄壁のキャストルク  疾風のセティカ


 密かにささやけ  嘲りは

 表に出すな  その呼び名

 二流ぞろいのイェントン  奇人変人ソールディン

かっちん頭のキャストルク  逃げ足一番セティカの衆


 さてイェントンの  当主様

 名前の多き  当主様

『世界一悲惨な花婿』  『仮借なき取立て屋』

『不運を力でねじ伏せる男』  『微笑みの魔術師』

 けれども一つ  忘れちゃならぬ

 これ一つだけ  忘れちゃならぬ

 誰もがひそかに呼ばわる名

 さてイェントンの  当主様

 誰が呼んだか  『禍夢まがゆめのザイーレン』


 次に続くはソールディン

 その名も高き  四兄弟

『からくりリロイ』  『聞き耳メリサンドラ』

『人たらしのカルディン』  『風のナスターシャ』

 おお  恐ろしや  比類なや

 兄弟全てが  『同胞』などと  どんな奇跡が  触れたやら

『雷のリロイ』  『水のメリサンドラ』

『炎のカルディン』  『風のナスターシャ』



 お次に参るは  キャストルク

 おお麗しの  当主様

『鋼鉄の乙女』  とはよういうた

 おお麗しの  フィリスティア

 御身のか細き  体の中の

 鋼の心を  誰が知る

 我等はみんな  知っている

 我らが国を  守るのは

 鋼の心と  乙女の笑顔



 さて大とりに  セティカの衆

 人は誰しも  セティカじゃ生まれぬ

 セティカになりたきゃ  潜り込め

 逃げた先には  セティカあり  セティカの先にゃ  何もなし

 逃げ足一番  セティカの衆

 けれどもみんなが知っている

 セティカの先には  何もなし

 セティカの当主  いるはずもなし

 セティカの衆は  セティカの衆」




「――こんな歌を、酒場で平気で歌う事が出来るんだから」

 クレアノンは静かに笑った。

「ハイネリアっていうのは、本当にさばけてるわね」

「うーん、面白いけど、俺には半分も意味がわかんないなあ」

 ライサンダーは肩をすくめた。

「みんな、けっこう、うけてるみたいだけど」

「大変よねえ、ご当主様とか、その家族とかって」

 ハルディアナがのんびりと言う。

「歌にまでされて、好き放題言われちゃうんだもんねえ」

「そうね」

 クレアノンは、クスリと笑った。

「――で」

 クレアノンは、ライサンダー、ハルディアナ、エルメラートの顔を見まわした。

「みんな、何か気がついたことはあるかしら?」

「ソールディンと、セティカは、当主が誰だか歌ってませんね」

 エルメラートが即答した。

「ソールディンの当主は、リロイ・ソールディンよ」

 クレアノンもまた、即答した。

「ソールディンの四兄弟の順番は、歌に歌われた通りよ。上から、長男のリロイ、長女のメリサンドラ、次男のカルディン、次女のナスターシャ」

「じゃあ」

 エルメラートは首を傾げた。

「どうして、当主はリロイさんだって歌わなかったんでしょう?」

「いいところに目をつけたわね」

 クレアノンは目を輝かせた。

「ああ、やっぱりあなた達を連れてきてよかったわ」

「え、ええと、そういうんでいいんなら」

 ライサンダーが身を乗り出した。

「セティカのほうは、はっきりこう歌ってましたよね。『セティカの当主  いるはずもなし』って。これってどういう意味でしょう?」

「本で読んだ知識ならあるけど」

 クレアノンは小首を傾げた。

「でも、そうね、あなた達には、本には載っていない知識を手に入れて欲しいから、今のところは言わずにおくわ」

「ええー、気になりますよ、それって」

「ごめんなさいね。みんなで答えを見つけていきましょ」

 クレアノンはクスクスと楽しげに笑った。

「――ねえ、クレアノンちゃん」

 ハルディアナがかすかな吐息をもらした。

「あなたって、ほんと、たいしたものね」

「あら、ありがと。どうしたのいきなり?」

「だってえ」

 ハルディアナは苦笑した。

「あの人が、あんな歌を歌い出したのって、偶然じゃないでしょ?」

「あら――ばれちゃった?」

 クレアノンは、悪びれもせずにペロリと舌を出した。

「そんなにたいしたことはしてないんだけど。普通に口で頼んでも歌ってくれたかもね」

「うへ」

 ライサンダーは首をすくめた。

「クレアノンさんには、魅了の魔眼とかもあるんですか?」

「そんなにたいしたもんじゃないわ。まあ、竜はみんな、多かれ少なかれ、魔眼持ちみたいなもんだけど。――ああ、でも」

 クレアノンは、少し慌てたように言った。

「もしかして、私がそういう力を使うのって、あなた達にとっては不愉快なことなのかしら? もしそうだったらごめんなさい。その――いつもつい忘れちゃうの。竜の常識と、他の種族の常識は違うってことを」

「いや――不愉快になったわけじゃないですよ」

 ライサンダーは苦笑した。

「ただ、ちょっとびっくりしただけです」

「そう? それならいいんだけど。そうね――私、あの吟遊詩人さんに、悪いことしちゃったわね。ちゃんと口で頼めばよかったのよね」

 クレアノンは、少ししょんぼりと言った。

「それでいいのかどうかよくわからないんだけど、あとでおひねりを弾んであげることにするわ」

「そりゃ喜びますよ」

 ライサンダーが、気軽くうけあった。

「大丈夫ですよ。別に誰も、嫌な思いなんてしてないみたいだし」

「そう? それならよかったわ。ああ、もう、私ったら、ほんと、そういうとこ考えなしでいけないわ」

「つい、やっちゃうんでしょ?」

 ハルディアナが肩をすくめる。

「口を聞くより、ただ見つめるだけのほうが楽だもの」

「ちょ、ちょっと、ハルさん――」

「いいのよライサンダーさん。ハルディアナさんの言うとおりだから」

 クレアノンは苦笑した。

「そうね、楽をしちゃいけないわね」

「あらあ、そお?」

 ハルディアナが小首をかしげる。

「あたし、楽なのって大好きよ」

「――ふふっ」

 クレアノンは、うれしそうに笑った。

「ああ――あなた達と話してると、本当に楽しいわ」

「ぼくも楽しいですよ」

 エルメラートがにこにこと言った。

「何しろ、みんなそろってこんなに遠出したのって初めてですからね」

「そう。――それじゃ」

 クレアノンはクスリと笑った。

「今度は私、ちゃんと口を使って、あの吟遊詩人さんにつぎの歌を頼んでくるわ」




世界をつくる物語 第19章




「今歌をお願いしたら、お邪魔かしら?」

 膝に、ジェルド半島では一般的な弦楽器、オルヴィンを抱え、かたわらの小卓からカップを取り上げてチビチビ飲んでいる吟遊詩人に、クレアノンはそう声をかけた。

「いやいや、かまいませんよ」

 吟遊詩人はにっこりと笑った。金髪が灰色になりかけているヒョロリとした初老の男で、年齢にはいささか不釣り合いな、けばけばしいほどにはでやかな服を身にまとっている。

「何を歌いましょうか?」

「あなたが一番好きな歌をお願いできるかしら?」

「それはまた」

 吟遊詩人は目をしばたたいた。

「珍しいご注文ですねえ」

「あら、そう?」

 クレアノンは小首を傾げた。

「じゃあ、あなたが一番得意な歌、のほうがいいのかしら? ああ、それとも、その二つってもしかしたら同じ歌なのかしら?」

「同じですねえ、小生の場合は」

 吟遊詩人はにっこりと笑った。

「では――『宵闇の子守歌』を」

 ほろほろと、オルヴィンを爪弾き、吟遊詩人は歌いはじめた。

「ひとつ  一人で  眠れぬ夜は

 ふたつ  二人で  手を取り合って

 みっつ  三日月  小道を照らす

 よっつ  夜風に  背中を押され

 いつつ  いつしか  夜のただなか

 むっつ  群れなす  星影追って

 ななつ  名無しの  街に踏み込む

 やっつ  やすらぎ  なぜだかあふれ

 ここのつ  こここそ  われらがやどり

 とおで  とうとう  夢の中――」

「――素敵」

 クレアノンも、にっこりと笑った。

「つまらないものだけど――」

「いやつまらなくありませんって!」

 オルヴィンのケースに投げ込まれた金貨を見て、吟遊詩人は目をむいた。

「とっておいて。私、あなたの歌が気にいったの」

 クレアノンは真面目な顔で言った。

「ははあ――」

 吟遊詩人は、まじまじとクレアノンの顔を見つめた。吟遊詩人のような旅芸人達は、芸のかたわら、一夜の戯れを持ちかけられることもある。

「――では」

 しばらくクレアノンを観察した結果、どうもそういう意図はないようだと判断したらしく、吟遊詩人はオルヴィンを抱え直した。

「あなたの好意に報いるためには、どうしたってもう何曲か、あなたのために歌わなくては」

「あら、ありがとう。じゃあ――そうね、あなたが好きな歌や、あなたの得意な歌を歌ってちょうだい。私がお願いすると、私が知ってる歌しか聞けないでしょ? 私、自分がまだ聞いたことのない歌を聞きたいの」

「なるほど、では――」

 オルヴィンがまた、ほろほろと音をこぼす。

「ひとつ  秘密さ  言っちゃだめだよ

 ふたつ  二人で  話したことは

 みっつ  みんなに  言っちゃだめだよ

 よっつ  よそでは  言っちゃだめだよ

 いつつ  いやだよ  言っちゃだめだよ

 むっつ  むっつり  口つぐんでて

 ななつ  なぜでも  どうしてでもさ

 やっつ  やめてよ  言わずにおいて

 ここのつ  こんなに  お願いしたのに

 とおで  とうとう  ああ  言っちゃった」

「あら」

 クレアノンは目を輝かせた。

「素敵。初めて聞く歌だわ」

「そりゃそうでしょうなあ」

 吟遊詩人はすっとぼけた顔で言った。

「なにしろ、小生がたった今つくった歌ですから」

「私に初めて聞かせてくれたの?」

 クレアノンは満面の笑みを浮かべた。

「ありがとう。本当にうれしいわ」

「いやいや、なになに」

 吟遊詩人も、うれしそうに笑った。

「そう言っていただけると、歌ったかいがあります」

「おうかがいしてもいいかしら?」

 クレアノンは小首を傾げた。

「あなたのお名前は?」

「渡りの民の、リー・セッティー」

 吟遊詩人リーは、深々とお辞儀をした。

「今後とも、どうかごひいきに」

「もちろんよ」

 クレアノンは大きくうなずいた。

「私はクレアノン。クレアノン――ソピアー」

 クレアノンは一瞬口ごもった。竜族に元々性を名乗る習慣はない。とっさに口に出したのは『智慧』を意味する異世界の単語だった。

「観光旅行に来ているの、私。しばらくこのあたりを見て回るつもりだけど、あなたもしばらく、この街にいらっしゃるのかしら?」

「風の向くまま、気の向くまま」

 リーはまた、すっとぼけた顔で言った。

「しかし、この街は居心地がいいですからなあ。しばらくいると思いますよ」

「それじゃあ、また、歌を聞かせていただけるわね」

「またとは言わず」

 リーはまた、オルヴィンを爪弾き始めた。

「今すぐにでも」

「あら、うれしい」

 パッと顔を輝かせるクレアノンを見てにっこり笑い。

 リーはまた、歌い始めた。


「ねえ、ライちゃん、なめるだけならいいでしょ?」

「だーめ」

 ライサンダーは大きくかぶりをふった。

「おなかの赤ちゃんが酔っ払っちゃうでしょ」

「じゃあ、においをかぐだけ」

「わざわざかがなくても、十二分ににおってるでしょ。あちこちでがぶがぶ飲んでるんだから」

「けちー」

 ライサンダーに、妊娠中の飲酒を断固として阻止されたハルディアナは、プッとむくれてみせた。

「いいわよいいわよ。それじゃあせめて、おいしいものをおなかいっぱい食べてやることにするわあ」

「それならいいよ」

 ライサンダーはおごそかにうなずいた。

「ハルさんハルさん、なんと、エルカのいいのが入ってるそうですよ!」

 酒場の店員と楽しげに話していたエルメラートが、興奮した口調で言う。ちなみにエルカとは、ジェルド半島名産の果物で、そのおいしさには定評があるが、日持ちがしないので基本的にジェルド半島以外ではまず食べることが出来ない。

「へえ、酒場にエルカなんかがあるんだ。酒にはあわないと思うけどなあ」

 ライサンダーがちょっと驚いた顔で言う。

「あらあ、ライちゃん、女の子って、甘いお酒が好きなのよお」

「えっ、酒に混ぜるの!?」

「あら、ライちゃんのところでは、お酒に果汁を入れたりしないの?」

「ええー、水やお湯で割ったりはするけど、果物は混ぜないなあ。つーか、うちのとこでは、酒を割ったりするのは酒の味もわからん小僧っ子ってことになってるしなあ――」

「おいしいですよ」

 エルメラートがにこにこと言う。

「ライさんも飲んでみたらどうです? あ、もちろん、ハルさんはお酒抜きで、エルカだけですよ」

「あらあ、エーメちゃんまでライちゃんの味方をするのねえ」

 ハルディアナはため息をついた。

「いいわよいいわよ。あたしはエルカを、おなかいっぱい食べることにするわ」

「ハルさん、エルカって食べたことあるの?」

「昔ねえ、ちょっと。ほら、日持ちがしないったって、魔法の組み合わせ方によってはそれなりになんとかなるものよお」

「へえ、いいなあ」

 ライサンダーはうらやましそうな顔をした。

「俺、エルカってまだ食べた事ないよ」

「はい、ライさん」

 エルメラートがにこにこと陶器のカップをさしだした。

「ガドガド酒のエルカ果汁割です」

「はやっ! もう頼んだんだ!?」

「生のエルカが欲しかったら、それも頼みますよ」

「ええー」

 ライサンダーはちょっと口をすぼめた。

「エルカってさあ、高いんじゃないの、もしかして?」

「あら、そんなこと気にしないで」

 ちょうど席に戻ってきたクレアノンがあっさりと言った。

「お金なら私が持ってるから」

「そう言っていただけるのは本当にありがたいんですけど」

 ライサンダーは真面目な顔で言った。

「友人にだらしなくおごってもらったりしたくないんです、俺」

「あら――ごめんなさい」

 クレアノンは、しょんぼりと肩を落とした。

「私ったら、またやっちゃったみたいね」

「気にしなくていいわよお、クレアノンちゃん」

 ハルディアナがあっけらかんと言った。

「ライちゃんはね、だいたい、ちょっと固すぎるのよ」

「いいだろ、そのぶん、ハルさんとエーメ君がやわらかいんだから」

 ライサンダーはクスリと笑った。

「クレアノンさん、実は俺も、だらしなくおごってもらうのは嫌いですけど、時々おごったりおごられたりするのは、別に嫌いじゃないですよ。――と、いうことで」

 ライサンダーは、クレアノンに向かって深々と頭を下げた。

「次回は俺が持ちますんで、今日のところは、おごっていただきます」

「喜んで」

 クレアノンは、本当にうれしそうに笑った。




「――ありがとう、パーシヴァル」

 宿屋の部屋に落ち着いたクレアノンは、そっとささやいた。

「あなたが結界をはってくれたお陰で、気軽にいろんな話が出来たわ」

「お役に立てたのなら幸いですが」

 苦笑とともに、虚空から人形のように小さな、使い魔のパーシヴァルがあらわれる。

「クレアノンさんの実力なら、私が結界をはる必要なんて、まったくないんじゃないんですか?」

「ええ、まあ、それはそうかもしれないけど」

 クレアノンは小さく笑った。

「私だって、同時に二つのところにいることは――ああ、まあ、ある意味では出来るかもしれないけど、それでもね」

 クレアノンはにっこりと笑った。

「いくら竜が強大な力を持つ種族だからって、自分だけで何でもできるわけじゃないから。他の人に頼めたりまかせられたりするところは、どんどんまかせていかないと」

「――失礼にあたるかもしれませんが」

 パーシヴァルは真面目な顔で言った。

「クレアノンさんは――なかなか、その、珍しい竜ですね」

「そうかしら?」

 クレアノンは首を傾げた。

「私は、普通の竜だと思うんだけど?」

「力の強さは、普通かもしれませんが」

 パーシヴァルは目をしばたたいた。

「他者との関わりかたは、他の竜とは全く違います。いや、まあ、その、私はそんなにたくさん、竜の知り合いがいるわけではありませんが。何しろ私のいた世界では、竜とは伝説上の生き物だと思われておりましたので」

「ああ、そういう世界もあるわよね」

 クレアノンはクスリと笑った。

「そう――なんだか、あなた達の話を聞いてると、そうみたいね。私のやりかたって、他の竜とは――違うというか」

 クレアノンは苦笑した。

「他の竜はそもそも、私みたいなことをしようなんてしないもんねえ」

「そうなんです」

 パーシヴァルはうなずいた。

「クレアノンさんは、その、こう言っていいのかどうかわかりませんが、性格的には、竜よりもむしろ、悪魔のほうに似ていると思いますよ」

「『悪魔』――『次元旅行者』――『次元撹乱者』。誰かと、何かと、関わっていなければいられない存在達」

 クレアノンは小さくつぶやいた。

「そうね。普通の竜は、他者をあまり必要としないけど、私は――そうじゃないみたいだわ」

「私はあなたが好きですよ」

 パーシヴァルはサラリと言った。

「エリックも、悪魔にしては、かなり気のいいやつだと思っています。私は、仕える相手に恵まれました」

「あら、ありがと」

 クレアノンはうれしそうに言った。

「ところで、パーシヴァル、あなた、検索はどれくらいできる?」

「初歩の初歩しか出来ません」

 パーシヴァルは、渋い顔で言った。

「公表されていたり、ある程度周知の事実になっていることだったら、まあなんとかなるんですが――」

「そう、じゃあ、ちょっと練習してみる?」

 クレアノンは小さく笑った。

「そうね、じゃあ――イェントン家では、ユミルさんの失踪は、どんなふうに扱われているのかしら?」

「そうですね――あ、ちょっと失礼します」

 パーシヴァルは、空中から小さなキーボードをひっぱりだし、ぎこちなく叩いた。

「ええと――これをこうして――ああ、ええと、やはり物議をかもしていますね。と、いうか」

 パーシヴァルはため息をついた。

「ユミルさんが、どうなってしまったのか、が、最大の論議の焦点ですね。臨界不測爆鳴気りんかいふそくばくめいきの出現現場に、外からの侵入が可能になった時、そこには誰もいなかった。これは、ええと――この世界では、ほとんどありえないことのようですね」

「そうね。皆無じゃないけどね」

 クレアノンはうなずいた。

「でも、そうね、身内のかたは、心配でしょうね」

「ユミルさんは、ええと――分家筋ながら、その魔術の才能と、そして、その性格が、まことにイェントンらしいイェントンということで、将来を有望視されているようですね」

「イェントンらしいイェントンって?」

 クレアノンは、試すようにたずねた。

「努力する才能があるということです」

 パーシヴァルは即答した。

「イェントン家というのは、確かに天才肌ではないようです。そのかわり彼らには――努力をし続ける才能がある」

「なるほど」

 クレアノンはうなずいた。

「ユミルさんの行方を知ってるっていったら――イェントンの中枢と接触できるかしら?」

「それは――出来るでしょうが」

 パーシヴァルは眉をひそめた。

「その手を使った場合、そこから広がる影響が、その――」

「そうね。ユミルさんやアレンさんを、不幸にするわけにはいかないし」

 クレアノンは肩をすくめた。

「それじゃあまあ、その手は保留にしておきましょ。情報を発表するのは簡単だけど、発表した情報を封じ込めておくのは、ほんとに難しいことだから」

「まったくです」

 パーシヴァルは大きくうなずいた。

「じゃあ、そうね、次は――」

 クレアノンはちょっと考えこんだ。

「ソールディンの四兄弟について調べてみて」

「はい。――おや」

 パーシヴァルは目を見張った。

「クレアノンさん――ソールディンの兄弟は、正確に言えば、四兄弟ではありませんよ」

「それは、どういう意味かしら?」

「長男リロイ、長女メリサンドラ、次男カルディン、次女ナスターシャの下に――」

 パーシヴァルは小さく吐息をもらした。

「腹違いの末っ子、三男のミーシェンがいます。ああ――姓は、母親のものを名乗っているようですね。ミーシェン・マイソーリン。――これは」

「どうしたの?」

「――いささか込み入った事情があるようですね」

「どんな」

「はい」

 パーシヴァルは、目の前の小さな半透明のスクリーンに映し出された文字や画像を、忙しく目で追った。

「その――ソールディンの先代、フェルドロイは、大変な恐妻家だったようですね。ミーシェンの母親とも、妾や愛人などという関係ではなく、本当に一夜の過ちだったようです。ミーシェンの母親が、まだ言葉もろくにしゃべれないミーシェンを連れてあらわれたとき、妻のメラルディアとは、その――一悶着どころではない騒ぎがあったようで。メラルディアは怒り狂う、フェルドロイはミーシェンの母親に、手切れ金を渡してかたをつけようとする。ミーシェンの母親は――」

 パーシヴァルは、深々とため息をついた。

「それに完全に逆上して、泊っていた宿にミーシェンを残して、行方をくらましてしまったんですよ」

「――あら」

 クレアノンは眉をひそめた。

「それで――どうなったの?」

「ミーシェンは」

 パーシヴァルは、一つ大きく息をついた。

「兄や姉達の手によって、育てられたんですよ」

「――あら」

「ソールディンの兄弟達の結束力は、腹違いのミーシェンにまで及んでいたようですね」

 パーシヴァルは、スクリーンを確認しながら言った。

「その当時すでに、長男のリロイは成人を迎えていましたし、長女のメリサンドラも、間もなく成人を迎えるという年でした。もちろん使用人達の手もかなり借りたようですが、両親の年甲斐もない体たらくへの反発もあって、ずいぶん一所懸命、二人の兄と二人の姉が、父親と母親の代わりになって、末っ子のミーシェンを育てたようですよ」

「――それなのに、歌に歌われるのはソールディンの四兄弟なのね」

 クレアノンは、ポツリとつぶやいた。

「それは、ミーシェン自身の遠慮もあるようですよ」

 パーシヴァルもまた、ポツリとつぶやいた。

「悪い事に、先代夫人のメラルディアが、とことんミーシェンを拒み通しましたからね。まあ――彼女の心情からすると、無理もないところもあるでしょうが。先代のフェルドロイも、ミーシェンにはひどく冷たかったようですし。おそらく、それがかなり大きな原因になっているんでしょうが、ミーシェンは、それが可能な年齢になったと同時に、ハイネリアの国教、ハイネル教の僧籍に入り、財産の相続権を放棄しています。育ててくれた兄弟達に、不利益になるようなことはしたくない、という思いも、あったようですね」

「――頭ではついていけるけど、やっぱりよくわからないわ」

 クレアノンはため息をついた。

「どんな事件を起こしたって、そんな問題に巻き込まれる竜なんて、いるわけないんだもの」

「そうですね」

 パーシヴァルは、真面目な顔でうなずいた。

「まあ、ミーシェン自身、兄や姉達のことは、兄弟というより、二人の父親と、二人の母親のようなものだと思っているようですが」

「パーシヴァル、あなた、たいしたものね」

 クレアノンは、感心したように言った。

「使い魔になってまだ日が浅いのに、ずいぶんと突っ込んだ検索が出来てるじゃない」

「いや、その――実は、人間だったころから、ないしょでこっそり、エリックに悪魔の世界や悪魔の道具の扱いかたについて、いろいろ教わっておりまして」

 パーシヴァルは、少し気まり悪げに言った。

「別に私に、たいした才能があるというわけではありません」

「でも、先見の明は間違いなくあるわね」

 クレアノンはにっこりと笑った。

「さて――どうする? あなたも少し、この街を観光してくる?」

「え? いや、私、この大きさじゃ――」

「大きさは」

 クレアノンは、パチリと指をならした。

「私がなんとかするわ」

「う、うわ!?」

 たちまちパーシヴァルの体が、人形サイズから成人男性の大きさへと引き伸ばされる。

「ああ――」

 パーシヴァルは、うっとりとした顔をした。

「やはりこの大きさは落ちつきます」

「どうする?」

 クレアノンはクスクス笑った。

「少し、夜の町でも観光してくる?」

「――クレアノンさん」

「なあに?」

「ご一緒に――と、お誘いしたら」

 パーシヴァルは、にこりと笑った。

「失礼にあたるでしょうか?」

「とんでもない」

 クレアノンはにっこりと笑った。

「喜んで」

「では」

「ええ」

 そして二人は、夜の街へと歩み出た。

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