第1章
黒竜のクレアノンは、自分が病気ならいいと半ば本気で思っていた。
病気で息も絶え絶えの竜、のほうが、暇を持て余して憂鬱になっている竜、よりも、まだしも外聞がよさそうだ。
といって、竜と言う種族はそもそも、外聞などを気にするようなたまではない。悪魔の方がまだ外聞を気にするだろう。種の細分化、同種内の力量の極端な格差、種の構成員全てが持つ異能の力など、竜と悪魔に共通点は多々あれど、ひとことで言って、竜は孤独を好み、悪魔は他者との交流を好む。
クレアノンも、孤独は別に苦にならなかった。竜と言う種族は大抵非常な長命を誇る。その割には個体数が少ない。それは、今クレアノンが滞在しているこの世界に限ったことではなく、無限に存在する並行世界のほとんどにおいてそうなのだ。勢い竜は、同種に出会うことが極端に少ない。
ただ。
クレアノンは退屈していた。
それとも、やることが見つからなくて焦れていたというべきだろうか。竜は長命だ。強大な力を持ち、同種は少ない。ごく若いうちにやりたいことをやりつくしてしまう竜も多いのだ。だからだろうか。多くの竜は蒐集家だ。蒐集と言う行為の奥の深さと業の深さに取りつかれる人間は数多いが、寿命と力量が人間のそれをはるかに凌駕する竜が蒐集に取りつかれた場合、その奥深さと業深さとはまさに底が知れないものとなる。
クレアノンも、あるものを蒐集していた。
あるもの。それは。
――知識だ。
知識。
クレアノンの住居をもし見るものがいたとしたら、クレアノンは本を蒐集しているのだと誤解するかもしれない。クレアノンも竜の多くと同じく、とある洞窟をその住処としている。洞窟の壁を埋め尽くされた本棚と、ぎっしりと詰まった本を見るものがいるとするなら、なるほどそう誤解するのもうなずける。
ただ、クレアノンは、本そのものには別に大して興味がなかった。初版本だろうと美本だろうと世界でたった5冊しかない本だろうと、そんな事は別にどうでもいい。クレアノンが蒐集したいのは、本の中に書き込まれている知識であり、本の内容を記憶してしまえば、あとに残った紙の束など別にどうでもよかった。どうでもよくはあるのだが、クレアノンもまた、形ある戦利品に囲まれて暮らしたいという竜の性にはあらがえず、捨てることもなくためこんでいた。といって、洞窟の広さも無限ではない。定期的に本の内容を記憶水晶におとしこみ、住居に入りきらなくなった本を人間体に身を変じてあちらこちらの古本屋にばらまいて歩くのが、クレアノンのちょっとした気晴らしのひとつだった。
またそれをやろうか。クレアノンはぼんやりと思った。
またあちこちの古本屋に珍品を持ちこみ、店主の呼吸を止めてやろうか。
少し考え、ため息をつく。もっとも、竜か悪魔でなければ、それをため息だなどと思ってくれはしなかっただろうが。
結局。
蒐集対象に、あまりに底がないのが問題なのだ、とクレアノンは思う。あまりに対象になるものが少なすぎる蒐集はもちろん面白くないだろうが、あまりに蒐集対象が多すぎる蒐集と言うのも、いくら集めても到達点がまるで見当たらず、それはそれで問題なのだ。
少なくとも、クレアノンにとっては。
自分は最高の竜でも最低の竜でもない、とクレアノンは思う。竜神と呼ばれるほどの力量はないが、トカゲに毛が生えた程度と言うほど無力と言うわけでもない。竜としての本体は、黒曜石のような漆黒のうろこに長い尾、強靭な四肢、小さな翼と銀色の瞳とを持った黒竜で、大きさは、そう、人間の城と同程度とまでは行かないが、馬をおいしい午後のおやつにできる程度には大きい。口から吐く炎は、白い光線となるほどの温度はなく、夕陽の色に赤く輝く。小さな翼は長くは飛べず、かといって全く飛べないというほどでもない。もともと黒竜と言う種族には、地上や地下を好むものが多いのだ。
繁殖でも考えてみるべきなのだろうか。クレアノンはチラリと思う。竜の多くと同じく、クレアノンも雌雄両性体だ。その気になれば一頭でも子を生むことが出来る。ただクレアノンは、人間体になる時には、女性の姿を好んで取っていた。漆黒の髪に浅黒い肌、銀の瞳を持つ、美人でも不美人でもない、若いようにも年寄りにも見えない、どっしりと腰の落ち着いた、竜が人間に身を変じたにしてはずいぶんと見栄えのしない、目立つことのない姿になるのを好んでいた。人間にはない銀の瞳も、その気になればいくらだって隠す事も色を変える事もできた。クレアノンは、竜である時と同程度の人間に身を変じるのを好んでいたのだ。美しくも醜くもない、目立たぬ存在に。もちろん竜は竜であるというだけで、他から頭抜けた存在だ。ただ、同種の中ではやはり、傑物と凡庸なるものとの格差は存在する。自分はある種凡庸な竜なのだ、とクレアノンは苦笑した。竜が歯をむいて身を震わせるのを、苦笑と見るものはまあまず滅多には居るまいが。
相手がいない、とクレアノンは思い、自分が相手を欲していたということに少し驚いた。考えてみれば、その気になれば単独での繁殖が可能なのに、それを考えてみる事もしなかった、というのは、やはりどこかで相手を求めていたのだろう。
といって。
では、繁殖相手を見つけに行こうか、と一瞬思い、クレアノンはまたため息をつく。
そういうことがしたいわけではないのだ。したいことがなんなのかはよくわからないくせに、したくないことははっきりとわかるのが少し苛立たしい。
他の種族のものたちから見れば、ひどく贅沢な悩みなのだろう、とクレアノンは思う。そもそも退屈する暇すらなく死んでいく種族の者達も多くいるのだ。退屈というのは、ただそれだけで一種の贅沢なのだろう。といって、そう思ってみたところで、やはり退屈は疎ましい。
結局。
何かしたいのに、何をすればいいのかわからないのが問題なのだ。
何かしたいのに、それをする能力がない、というのは竜の、もしくは竜種の悩みではない。何かしたいと思ったら、ただちにそれをすればいい。それが竜の生き方だ。それを阻むことが出来る生き物など滅多にいない。そう、それこそ、伝説の勇者でもなければ無理だろう。
ただ。
何をすればいいのかわからない、という悩みに対しては、いかに竜といえども全くの無力だ。わざわざ竜のところまでやってきてそんな悩みを解決してくれるものなどそれこそ皆無だろうし、では人間体になって何者かに相談してみるとしても、人間や亜人、それとも竜からすればまことにか弱き怪物どものひまつぶしなどで竜が満足できるはずもない。
宝石や黄金を収集するのが好きな竜なら、互いの財宝を奪い合ったり人間や亜人などを襲って略奪してきたりする楽しみもあるようなのだが、と、クレアノンは周囲に住む人間や亜人が知ったら卒倒しかねないことを少し考えた。少し考え、かぶりをふる。どうも自分の趣味ではないようだ。
知識と言う蒐集品は、集めている時は楽しいが、それを見せびらかして楽しむというにはどうも向かないようだとクレアノンは思った。人間や亜人相手では、見せびらかそうにも下手をすれば全く理解してもらえない危険性がある。クレアノンは本当は、深遠にして活気あふれる並行世界の話などをしてみたいのだが、そんな話、エルフの賢者達だって理解してくれるかどうか怪しいものだ。といって竜達は、自分の興味のないことにはまるで関心を払わないし、悪魔達は並行世界について語らうよりも、下層次元にちょっかいをだしてもてあそぶことのほうがはるかに好きなのだ。
結局私は、同好の士が欲しいのか。クレアノンは、はたと気づく。いや、もっと正直に言おう。結局、自分の蒐集品を誰かに見せびらかしたいのだ。宝物を独占したがるのは竜の性だが、同時にその宝物が他者のそれより勝っていて欲しい、つまり、宝物を存分に見せびらかしたいというのもまた、止むにやまれぬ竜の性なのだ。
といって。
クレアノンの蒐集物は知識なのだ。これをいったいどう見せびらかせばいいというのか。
本でも書くか。クレアノンは、半ば本気でそう思う。そう思ったが、再びかぶりをふる。だめだ。いくら本を書いてみたって、それを理解してくれるものがいないのではなんにもならない。
でも、それはそれで一つの方法だ。
自分の知識を、なにか目に見えるものにするというのは。
目に見える形の知識。
たとえば本。
本を書くことは出来る。ただ、クレアノンが自分の書きたいように書いてしまっては、それを理解することのできるものがいなくなってしまう。
どうしたものか。
思考の方向性は悪くない。形のないものに形を与えれば、ぐっと見せびらかしやすくなること請け合いだ。
しかし、その形が問題だ。
いったい何をつくればいいのか。
いったい何を。
何――。
――世界。
並行世界。
ああ、そうだ、クレアノンが、一番興味を持っているもの。
それは、並行世界。
もちろんクレアノンに、新たな世界を丸ごと創り出すほどの力はない。
でも。
すでにある世界の上に、小さな分岐をつくるのは――?
クレアノンは微笑した。
少なくとも、この問題を考えている間は、退屈せずにすみそうだ。
「あんた、竜じゃね」
「よくわかったわね」
クレアノンはクスリと笑った。
「シャス、シャス」
ドワーフの鉱山長、ニックルビーは、機嫌良く妻のシャスティナを呼んだ。
「シャスの破幻鏡、これちゃんと役に立ったよ」
「あらあら、まあまあ」
ノームのシャスティナは小さな手をはたと打ちあわせた。
「よかったわあ。作ってはみたものの、試す機会がなくてねえ。竜さん、ありがとうねえ」
「あら」
クレアノンはおかしげに、ニックルビーのかけた丸眼鏡――のように見える、シャスティナ言うところの『破幻鏡』を見た。
「確かにあなた達に、幻影を操る能力はないものね。誰かに実験台になってもらうってわけにもいかないか」
「そうなのよねえ」
シャスティナは大きくうなずいた。
「といってねえ、よそ様のところにわざわざ出かけていくのも、どうかと思うじゃない、ねえ?」
「そうね」
クレアノンはクスクスと笑った。ドワーフにしろノームにしろ、あまり社交的な種族ではない。ドワーフとノームの夫婦、というもの自体、なかなかに珍しいものだ。
「で」
ニックルビーは小首を傾げた。普通のドワーフよりも幾分華奢に見えるが、それはドワーフを基準にした場合の事で、人間を基準にしたら、ニックルビーはひどく小柄のくせにおそろしくがっちりとしたひげもじゃの老人、になる。ノームのシャスティナは、これはかけねなく、非常に小柄で非常に華奢な、純白の短い髪をピンピンとあちこちにはねまわらせている、口も体もくるくるとよく動く老婆だ。
「あんた、なんの用かね?」
「そうね」
クレアノンも、つられたように小首を傾げた。
「あのね、私ね、変わり者を探してるの」
「わしらみたいな、かね?」
「あなた達も確かに変わってるけど」
クレアノンはサラリと言った。
「私はもっと変わってるほうが好みなの」
「あんた」
ニックルビーは顔をしかめた。
「変わり者を集めて、どうする気かね?」
「そうねえ」
クレアノンは、少し考え込んだ。
「とりあえずは、観察して楽しむわね」
「食っちまったりはせんのかね?」
「珍しいものを食べちゃうなんて、そんなもったいないことはしないわ」
「ほうん」
ニックルビーは口をすぼめた。
「わしゃ、あんたこそ変わりもんだと思うがね」
「あら、そんなことないわ。私はごく平凡な竜よ」
「そうかねえ」
「そうなのよ」
人間体のクレアノンは肩をすくめた。そのクレアノンをシャスティナは、時には裸眼で、時には自分用らしい破幻鏡をかけて、せっせとスケッチをしたりメモを取ったりと忙しく記録し続けている。
「で」
ニックルビーは首をひねった。
「あんた、なんの用かね?」
「あら、言わなかった? 私、変わり者を探してるの。ねえ」
クレアノンは身を乗り出した。
「あなた達、自分達よりすごい変わり者って、知らない?」
「何でわしらに聞くかね」
「とりあえず、私の知ってる変わり者に、自分以上の変わり者を紹介してもらおうかと思ったの。そうやって変わり者から変わり者をたどっていけば、けっこう面白いことになるんじゃないかと思って」
「紹介したとして、わしになんの得があるね」
ニックルビーは肩をすくめ、ついで、
「シャスティナは、もう得をしたみたいだがね」
と、律儀につけくわえた。確かに、友好的な竜という滅多にない研究対象を得たシャスティナは、はた目から見てはっきりわかるほどほくほくと、クレアノンの観察に余念がない。
「私のうろこをあげるわ。黒竜の竜鱗。不足かしら?」
「ほおお」
ニックルビーは感嘆の声をあげた。
「牙はどうかね?」
「牙はねえ、今はちょっと、生え換わりの時期じゃないから」
「そうかね。ま、うろこでもずいぶんなめっけもんだがね」
「紹介してくれる?」
「そうさな」
ニックルビーは首をひねった。
「――身内の恥を話すようじゃが」
ニックルビーはすっぱい顔をした。
「従弟の息子が、淫魔狂いの馬鹿タレでね」
「それって珍しいことかしら?」
「珍しいねえ」
ニックルビーは肩をすくめた。
「なんしろその淫魔に、淫乱なエルフがくっついとってね」
「はあ!?」
クレアノンはすっとんきょうな声をあげた。
「い、淫乱なエルフ!? な、なにそれ? ま、まさか、淫乱なエルフに貞淑な淫魔とかいうんじゃないでしょうね!?」
「さすがにそこまではいかんね」
「あら」
不意にシャスティナが口をはさんだ。
「でもエーメちゃんは、はきはきしたいいこですよ」
「シャス、なんじゃいその、エーメちゃんってのは?」
「あらやだ、淫魔のエルメラートちゃんのことですよ」
「シャス、おまえあんなんとつきあっとるんか?」
「あんなのってのは失礼ですよ。エーメちゃんは、礼儀正しいいいこですよ」
「わしゃ、どうもああいうフラフラした連中は信用できん」
「そうかしらねえ。悪いこじゃないと思いますけど。何も追い出す事なかったと、あたしは思いますよ」
「いかんいかん、風紀が乱れる」
「ちょっといい」
クレアノンは口をはさんだ。
「ってことは、あなたの従弟の息子さんも、その淫魔とエルフといっしょに追い出されたってわけ?」
「ちがうちがう。ライサンダーは自分からあいつらについていきよったんじゃ」
ニックルビーは思いきり顔をしかめた。
「最近の若いもんときたら、まったく」
「――面白そうね」
クレアノンはニヤリと笑った。
「その人達のいる所ってわかるかしら?」
「あたしはわかりますよ」
シャスティナはコクコクとうなずいた。
「ライは器用だからねえ。もうちゃんと小屋なんか建てちゃって。三人みんな仲良くやってますよ」
「案内してもらえる? あ、あなたには何をお礼に上げればいいかしら? あなたにもうろこでいい?」
「うろこよりも」
シャスティナは目を輝かせた。
「あたしはあなたのお名前が知りたいわ。それと、ちょっとでいいから竜の姿になってくれないかしら?」
「あら、ごめんなさい、自己紹介もまだだったわね」
クレアノンは、シャスティナとニックルビーに丁寧に頭を下げた。
「私は黒竜のクレアノン。竜の姿になるのは――ここではやめたほうがいいわね。もっと広い場所に出ないと」
「あらあ、じゃあ、三人のところに案内する途中で、なってみて下さる?」
「いいわ。あなただけにみせてあげる。みんなに見える所で竜になると、ちょっとびっくりさせちゃうからね」
「めくらましをつかうのかしら」
「そうよ。あなただけはめくらましにかからないようにしてあげる」
「あら、大丈夫よ。あたしには破幻鏡があるもの」
「それなら別に、竜の姿になる必要ないんじゃない? だって、あなたには今だって私が竜に見えるんでしょ?」
「あら、やあね、それはそうだけど、意地悪言わないで」
「わかった」
クレアノンはクスクス笑った。
「それじゃよろしく頼むわね」
こうしてクレアノンは、新たなる世界のかけらを集めはじめた。
「――あなたが、ライサンダーさん?」
クレアノンは目をまるくした。庭先で揺り椅子に最後の仕上げをしている若い男は、確かに小柄ではあるが、ドワーフにしては驚くほど華奢だった。ドワーフにつきもののひげもまるで生えていない。
「はい、そうですけど?」
ライサンダーもまた、四角い眼鏡の奥の目をきょとんとまるくした。
「ニックルビーさんの従弟の息子さんの?」
「はい、そうです。――ああ」
ライサンダーは、納得したようにうなずいた。
「ニックおじさん、なんにも言ってないんですね? おじさんいい人なんだけど、そういうところに気が回らないから。俺、母親がホビットなんですよ」
「ああ」
クレアノンはうなずいた。ホビットには太っているものも多いが、ドワーフに比べればもちろんだいぶ華奢だ。それに、大人になっても子供のようにつるりとした顔のものも多い。
「ところで、あなたはどちらさまですか?」
ライサンダーは首をかしげた。
「俺も種族がわかりにくいってよく言われるけど、あなたの種族もわからないなあ」
「人間に見えない?」
「ちょっと雰囲気が違うような気がするんですけど」
「あら、ご炯眼。それとも私が未熟なのかしら? それとも」
クレアノンはライサンダーの眼鏡をまじまじと眺めた。
「それ、破幻鏡?」
「いや、俺のはただの近眼用の眼鏡ですよ。破幻鏡をご存じってことはシャス叔母さんにも会いましたね?」
「ええ。そこまでシャスティナさんに案内していただいたんだけどね、あなた達とは、まずは私一人で会ってみたかったの」
「あなた達?」
ライサンダーは眉をひそめた。
「ってことは、エーメ君やハルさんにも何か用なんですか?」
「ええ、まあね。二人はお留守?」
「ええ、ちょっと散歩に」
「あら」
「実は」
ライサンダーは、誇らしげに微笑んだ。
「ハルさんがおめでたで。妊婦には適度な運動が必要だって、エーメ君が」
「あら、おめでとう。ええと――ハルさんっていうのが、エルフなの?」
「そうですよ。エーメ君が淫魔で、俺はドワーフとホビットの混血」
ライサンダーは、屈託なくこたえた。
「そう――」
クレアノンは少し考え込んだ。長い寿命を誇る種族は、その寿命との引き換えのごとく、子を生む能力が低いものが多い。エルフなどはその筆頭だ。
「――あなたとエーメさんの子なのね」
「よくわかりましたね」
ライサンダーは、驚いたように言った。
「どっちの子なの、とか聞かれると思ったんですけど」
「だって、エーメ――エルメラートさんは淫魔なんでしょう? 彼ら――それとも彼女達? とにかく、淫魔達はその種族単独での繁殖は出来ないわ。女性体――サキュバスとして他の種族から受け取った精を、男性体――インキュバスとして放出する。もちろんその過程において、淫魔が受け取った精はその淫魔自身の影響を受ける。でも、彼らは繁殖のために、他の種族の精を必要としているのよ。雌しかいない魚ってのがいるんだけど、その魚の卵は他の種族の魚の精をかけられた刺激で成長をはじめるの。淫魔と少し似てるわね」
「はあ――詳しいですねえ」
ライサンダーは、あきれたようにポカンと口を開けた。
「当の淫魔のエーメ君だって、そんなにスラスラは説明できませんでしたよ」
「え、まあね。ちょっとね、趣味で」
「趣味?」
「知識を蒐集するのが私の趣味なの」
クレアノンは真面目な顔で言った。
「なるほど」
ライサンダーもまた、真面目にうなずいた。
「で、その、話を戻すようなんですけど、いったいどちらさまでしょう?」
「あら、ごめんなさい。また自己紹介を忘れてたわ」
クレアノンは苦笑した。
「私は、黒竜のクレアノン」
「竜!?」
「あら、ニックルビーさん達よりは驚いてくれたわね」
クレアノンはクスリと笑った。
「大丈夫よ。とって食ったりしないから」
「あ、はあ――で、あの、何のご用でしょう?」
「そうね」
クレアノンはちょっと口をすぼめた。
「そう――あなた達なら面白そうね?」
「は?」
「まあ、でも、やっぱりエルメラートさんと――ハルさんって、愛称でしょ? 本名は?」
「あ、ハルディアナ・スピクスですけど」
「そう。その、ハルディアナさんにも会いたいわね」
「はあ、まあ、まってりゃもうすぐ帰ってくると思いますけど」
ライサンダーは首をひねった。
「俺達三人全員に用事? いったいなんなんだかさっぱり見当つかないんですけど」
「それはそうよ」
クレアノンはおかしそうに笑った。
「あなた達に何をやってもらうかなんて、全員に会うまで決められるわけないんだから」
「ハルさんったら、もう終わりですかあ?」
そう言いながら小道をやって来るのは、淫魔というより妖精のように見えた。ほっそりと筋肉質の体は驚くほどに中性的で、少年とも少女ともつかず、ある意味性からは遠くも見える。弾むように歩を進めるその足は、時々思い出したように地を蹴るだけで、ほとんどの時間空中で踊っている。短く刈られた深緑色の髪は、きらめく汗をはじかせ、奇妙な清潔感すら漂わせている。
「だってエーメちゃん、赤ちゃんが重たいんですもの」
続いて現れたものを淫魔だと言っても、ほとんどのものは特に疑うこともなく信じただろう。ほったりと豊満な体はふるふるとやわらかく揺れ、青い瞳はうっとりと濡れた艶を帯びている。口の中に蜜を含んででもいるかのような甘い声。瞳よりやや淡い空色の髪はうねうねと揺らめき、抜けるような白い肌に花開くように血の色がさしている。
先に現れたほうが淫魔のエルメラート、あとから来たほうがエルフのハルディアナだ。
「えー、そんなはずありませんよ。だって赤ちゃん、まだこーんなに小さいんですよ?」
「だってほんとに重いのよお」
「重いのはハルさんのお肉でしょ」
「やめてよエーメちゃん、おデブって言わないで」
「どうしていけないんですか? ぼくは太った人が大好きです。ハルさんがもっと太ってくれると、もおっとハルさんを好きになっちゃうんだけどなあ」
「いやあよ。あたしはこれでいいの」
「そうですかあ? ――あれ?」
ここでようやっと、エーメはクレアノンに気づいた。
「あれれ? どちらさまですか?」
「初めまして。私は黒竜のクレアノン」
「あらあ、あなた竜なの?」
ハルディアナはゆったりと目と口をまるくした。
「まあ珍しい。竜なんて子供のころに一度見たきりよ」
と、言うハルは、長命を誇るエルフである。子供のころ、というのは、どう少なく見積もっても百年以上は前だろう。
「きっとほんとはもっと会ってるわよ」
クレアノンは肩をすくめた。
「ただ、みんな、騒がれるとめんどくさいから人前に出るときは普通正体は隠すのよね」
「あらあ」
ハルディアナは首をかしげた。
「それじゃああなたはどうして正体を隠さないの?」
「いい質問ね」
クレアノンはにっこりと笑った。
「それはね、私があなた達に頼みたいことがあるから。正体を隠したままお願いをするんじゃ不誠実だと思ったから」
「竜がお願い? ぼく達に?」
エルメラートは、面白そうに目を輝かせた。
「へえ、いったいなんですか?」
「そうね、とりあえず、中に入ってゆっくり話さない? ライサンダーさんがお茶の用意をして下さっているから」
「あら、いいわね。じゃあ中に入りましょうか」
「そうですね」
こうしてクレアノンは、ごくあっさりと、三人の家へと招き入れられた。
「あたしより変わったエルフ? いるわけないじゃない」
ハルディアナは、けだるげにため息をついた。
「もしいればあたしだって、もう少し楽しい生活が出来たはずよ」
「そーですよねー。ハルさんってば、へたすりゃぼくより淫乱ですもんねー」
あっけらかんと、エルメラートが言う。
「まー、俺より変わった連中ってのなら、ちょっと探せば結構いると思いますけど」
ライサンダーは軽く肩をすくめた。
「でもそれが、クレアノンさんの気に入るかどうかはわかりません」
「まあ、そんなの誰にもわかるわけないわよね」
クレアノンはクスリと笑った。
「じゃあ、一番早く会えそうな、あなたの知ってる変人って誰かしら」
「――変人、というか」
ライサンダーは少し口をすぼめて考え込んだ。
「変わった虫化け、なら、最近時々メシ食いに来ますけど」
「あら」
クレアノンはニヤリと笑った。
「教えてちょうだい。面白そうね」
「そうですね――」
ライサンダーも、ニヤリと笑った。
「俺が説明するよりも、実際に会って、本人達に話を聞いたほうが早いですよ」
「どれくらい待てばいいかしら?」
「今日明日中には来るんじゃないかな。どうもあいつら――いや」
ライサンダーは、ちょっと得意げに眼鏡の奥の目を細めた。
「蜘蛛化けリヴィーは、俺のつくる料理が気にいってるみたいだから」
「なあ、あんた、おれの事食うか?」
いきなり聞かれて、クレアノンはいささか驚いた。
「あなたを食べる気があるのなら、もうとっくに食べてるわよ」
「あ、そっか」
「ねえ」
「ん?」
「あなたがリヴィーさん?」
「ん? そだよ、おれ、リヴィー。蜘蛛化けリヴィー」
蜘蛛化けリヴィーは、黒目しかない目をパチクリさせた。リヴィーを一目見れば、誰の頭にだって『蜘蛛化け』という言葉が頭に浮かんだことだろう。浅黒い肌にひょろ長い手足。黒目しかない、ふたつの黒曜石のような瞳。蜘蛛の糸を想わせる白銀の長い髪。その白銀の髪を押しのけるように、いくつもの黒い半球が頭から生えているのは、もしかしたら蜘蛛の八つの目のうち、顔にはついていない六つが変じたものなのか。大きな口の両端から、二本の牙がのぞいている。
「そう。――で」
クレアノンは首をかしげた。
「後ろの人は?」
「こいつ、人じゃねーよ」
リヴィーはあっさりといった。
「こいつは蝶化け。ならずのミラ」
「ならずのミラ?」
「そ」
「――」
リヴィーの後ろにいたぼろきれのかたまり――いや、ならずのミラは、ちらりと目をあげてクレアノンを見た。ミラを見て蝶化けだと――蝶が化身したものだと思うものは、まず百人に一人もいなかったことだろう。ぼろきれのかたまりのような服に身を包んだ小さな子供。くしゃくしゃともつれあった黒髪の下には小さな顔。抜けるような白い肌――いや。
抜けるような白い肌の上に、赤黒い、やけに込み入った横縞の模様がだんだらについている。大きな紫色の瞳でじっとクレアノンを見つめ、その両手は休みなく、白いレース編みを作り続けている。
「――ああ」
クレアノンは、ポンと手を打った。
「その子、まだ幼虫なのね?」
「そだよ。こいつ、蝶になんねーでずーっと幼虫のまんまでいるんだって」
「え」
クレアノンは、ポカンと口を開けた。
「どうして?」
「――大人になると、糸、つくれなくなる」
ミラは細い声で、ぼそぼそとこたえた。
「糸、出せなくなると、これ、作れなくなる。それ、いや」
「――あら、まあ」
クレアノンは、驚きを残した顔のままうなずいた。
「だから『ならずの』ミラなのね? あなた、自分が成虫になると、そのレース編みを作れなくなるから、だからずっと幼虫のままでいるっていうの?」
「そう」
「――あら、まあ」
クレアノンは、大きく息をついた。
「で」
リヴィーは首をかしげた。
「あんた、誰?」
「あら、ごめんなさい。私は黒竜のクレアノン」
「俺の事食う?」
「食べないわ」
「ミラの事食う?」
「食べないわ。――ねえ」
「ん?」
「蜘蛛化けのあなたが、どうして蝶化けのこの子と一緒にいるの?」
「――ええと」
リヴィーは少し考え込んだ。
「おれさあ、自分より弱いやつを見ると食いたくなるんだよ」
「あらまあ」
クレアノンは心中ひそかに納得した。なるほど、蜘蛛のさがだろう。
「で、自分より強いやつと一緒にいると、食われちまうんじゃねえかって、おっかないんだよ」
「私は食べないわよ」
「でも、腹が減ったら気が変わるかもしんねーじゃん」
「私はめったにおなかが減ったりしないんだけど。あ、話の腰を折ってごめんなさい。続けて続けて」
「自分とおんなじくらいの強さのやつと一緒にいりゃいいのかもしんねーけど、きっちりおんなじ強さのやつなんてそんなにいねーじゃん」
「そうねえ、まあ、そうかもしれないわね」
「でもさ」
リヴィーはため息をついた。
「ずーっと一人だと寂しいじゃん」
「あら」
クレアノンは目を見張った。これはまた、何とも人間くさい蜘蛛化けだ。
「そうね。ずっと一人じゃ寂しいわね」
「ミラは毒持ちなんだよ」
リヴィーはチラリとミラを見た。
「だからおれ、ミラと一緒にいても、食いたくなったりしねえんだよ。ミラはぜってーにおれより弱いから、一緒にいても別におっかなくねえし」
「あらあら」
クレアノンは微笑んだ。なんともかわいらしい話だ。
「なるほど、蝶の中には、毒を持ってる種類もいるものね。あら、でも、ミラちゃんはどうしてリヴィーさんと一緒にいるの?」
「――一緒にいても、別に困る事ないから」
やはりぼそぼそと、ミラはこたえた。両手から繰り出されるレース編みは、絶え間なくその長さを増している。クレアノンは、ミラが身にまとったぼろきれが、ミラの作りだすレース編みのなれの果てであることに遅まきながら気がついた。
「あら――ミラちゃん、せっかく作ったレース編み、そんなに汚しちゃっていいの?」
「え? ――あ、これ? これ、別にいいの。これ、あんまりよくできなかったやつ」
「あら」
クレアノンの目が輝いた。
「じゃあ、よく出来たやつはどうするの?」
「巣にある」
「あらあら」
クレアノンは微笑んだ。
「もしよければ、私に見せてくれないかしら?」
「――見たいの?」
ミラは、少し驚いたようだった。
「――別に、いいけど」
「ありがとう」
「――」
ミラは、少しとまどったようにクレアノンを見つめた。
「あんたもライサンダーの料理食いに来たのか?」
リヴィーはくむくむと鼻をうごめかしながらたずねた。
「あいつの作るメシ、うまいよな。料理ってすげーな。いろんなものの味が全然変わっちまうのな」
「――」
ミラが無言でうなずく。あたりには、ライサンダーの作る、おいしそうな料理のにおいがたちこめつつあった。
「ライサンダーさんとはどこで出会ったの?」
「森で。あいつがなんか食ってて、おれ腹へってて、でもライサンダーは手ごわそうで、あんまり簡単には食えねえだろうなー、って思ったから、食ってるものくれって言ったらくれて、で、それうまくて、うまいっていったら、うちにくりゃまた食わせてやるって言うから」
「あらあら」
クレアノンはクスクスと笑った。
「それじゃあ、みんなでライサンダーさんの手料理をごちそうになりながらお話しましょうか」
「何を?」
「いろんなことを」
クレアノンはにんまりと笑った。
出だしはなかなか好調だ。
竜が本当の意味で困難をおぼえる事はめったにない。でも。
うまくいかないよりも、うまくいくほうがいいに決まっている。
「そう――これよ。これなのよ」
クレアノンは、会心の笑みを浮かべた。
「私が必要としていたものは――まさにこれなのよ」
「――はあ」
アレンは袖口でグイと汗をぬぐった。
「さてはて、これからどうしましょう?」
「とりあえず――森から出るべきか、それとも」
ユミルはチラリと空を仰いだ。
「いっそしばらく、この森で暮らしてみるか」
「どうしましょうかねえ」
アレンはおっとりと言った。アレンはひとことで言って、ちっぽけでやせっぽちで、口の悪い者には貧相のひとことで切り捨てられそうな中年男だ。ゆったりとしたローブに身を包み、小さな足でチョコチョコと歩を進めている。
誰も思うまい。アレンが『水の同胞』――水系統の魔法の比類なき大天才であるなどと。
「あなたはどうしたいんですか?」
ユミルがアレンを見下ろす。ユミルはアレンよりも頭半分以上背が高い。細身ではあるが鍛えられた体で、どこか猫にも似たしなやかな身のこなしだ。きれいに手入れされた口髭のせいでいささか老けて見えるが、ひげさえなければその顔はまぎれもない、まだ青年と言っていい若者のものだ。
「ええと――どうしましょう?」
アレンは、本当に困惑しきった顔で首をかしげた。その容姿はどこからどう見ても、くたびれた中年そのもののアレンだが、そんな仕草は不思議と子供っぽい。
「あなたの顔は、あなたの国の人達――ファーティスの人達の間ではどれくらい有名なんですか?」
ユミルがたずねる。
「――すみません。わかりません」
本当に申し訳なさそうに、アレンがこたえる。
「私、あの――他の人達とは、いつも離れて暮らしておりましたので」
「――そうですか」
ユミルは強く唇を噛んだ。アレンは自分の祖国の人間達から、兵隊どころか兵器としての、生きた道具としての扱いをしか、受けてはこなかったのだ。
「まあ、私の顔などまったく有名でもなんでもありませんから、それは別に問題はないんですが」
「そうなんですか?」
「単なるハイネリア貴族のはしくれでしかありませんので」
「――じゃあ」
アレンはひっそりと笑った。
「私がいなければ、ユミルは国に帰れますね」
「アレン」
「はい」
「今度そんな馬鹿なことを言ったりしたら、私、あなたの事ひっぱたきますからね」
「――わあ」
アレンは感嘆の声をあげた。
「私、ひっぱたかれちゃうんですか」
「そうです。思いっきりひっぱたきます」
「そうですか」
アレンはうれしそうに、にこにこと笑った。
「それならもう言いません」
「そうしてください」
ユミルは真面目くさってうなずいた。
「それにしても、当座の食べ物くらいはなんとかなりますが、これからの生活となると――」
ユミルは首をひねった。
「どうしましょうかねえ。私、手っ取り早くお金に出来るような特殊技能があるわけじゃありませんし」
「私は、水系の魔法しかできませんし」
「ええと――帳簿をつけたり、手紙を代筆したりくらいは、出来ますけどねえ、私は。それともあれかな、隊商の護衛とか、そういう仕事が都合よくあったりすれば、いくらかなんとかなるかもしれませんけど、それにしても――」
ユミルはため息をついた。
「そういう仕事を見つけるためには、まずは人里に出ないといけませんね」
「すみません。私、空間移動魔法は使えないんです」
「私も使えません。だからお互い様です」
「――ありがとう、ユミル」
「何がですか?」
「私に気を使ってくれて」
「私が空間移動魔法を使えないのは、単なる事実です」
「――」
アレンはそっと笑った。
「それにしても――どこでしょう、ここは」
「そうですねえ」
アレンは小首を傾げた。
「――竜脈があるのは確かですけど」
「竜脈が?」
「水に、竜の気配があります」
「りゅ、竜の縄張り、ということですか!?」
「ええ、たぶん。あ、でも、あの、敵意は感じられませんけど」
「竜は――いえ、巨大な力を持ったものは」
ユミルは顔をしかめた。
「敵意もなしに、弱いものをたたきつぶしてしまったりするものですよ」
「す、すみません」
「え――」
ユミルは一瞬、しまったという顔をした。
「――ごめんなさい、アレン。あなたをやりこめたかったわけじゃないんです」
「――はい」
「竜――ですか」
ユミルは眉をひそめた。
「出来ればお近づきになりたくはないですね」
「あら、そんなこと言われたら悲しいわ、私」
目の前の、何もない空中から聞こえてきた声に、ユミルは飛び上がり、アレンは目をまるくした。
「驚かせちゃった?」
いたずらっぽい笑いとともに、虚空からポンと実体化したのは。
「私、黒竜のクレアノン。――ねえ」
「――は? あ、あの、私に向かっておっしゃってらっしゃるんですか?」
「ええ。ねえ」
「は、はい」
「竜だからって、そんなに嫌わないで。だって」
クレアノンは、クスクスと笑った。
「わたしはあなた達とお近づきになりたいんだもの」
「――え?」
ユミルはわずかに身を引いた。
「それは――どうして?」
「だって」
クレアノンは、やはりクスクスと言った。
「あなた達、面白いんだもの」
「面白い――ですか?」
ユミルはわずかに顔をしかめた。
「失礼ながら、私達は別に――」
「おもしろいわよ。建国以来ずーっと犬猿の仲の、ファーティスとハイネリアの軍人どうし。あなたは水の同胞で、あなたはハイネリア貴族」
「の、はしくれです」
「あら、こだわるのね。とにかくそんな二人が、手に手を取って愛の逃避行ってだけでも実に興味深いのに、そのうえ――」
「失礼ながら」
ユミルがむっとしたように口をはさんだ。
「あなた、悪趣味です」
「でも、事実でしょ?」
「――まあ、それを否定するつもりはありません」
ユミルはむっつりと肯定し、アレンはうれしそうに頬を染めた。
「ああ、でもごめんなさい。失礼だったのなら謝るわ。どうも私――というか、竜族は全体的に、あんまり他者とのつきあいが得意じゃないの」
「はあ――そうなんですか」
「そうなのよ。改善すべきかもしれないんだけど、私達と本当に対等なつきあいが出来る存在って、なかなかいないんですもの」
「そ、それはそうかもしれませんね」
「あの」
アレンがおっとりと口をはさんだ。
「それならば、あの、ええと、あの、クレアノンさんは、どうしてわざわざ私達とその、おつきあいしようとしてくださるのでしょう?」
「いったでしょ? あなた達、面白いんですもの。それに――」
クレアノンの瞳が銀色に光った。
「あなた達なの。私が必要としているのは」
「私達が、必要?」
ユミルがハッとアレンをかばった。
「そ、それは、それはいったい、どういう意味でしょう?」
「ああ、なにか誤解させちゃったのならごめんなさい。あなた達に危害を加える気はないわ。ただ――あなた達ならピッタリなの」
「な――何に、ですか?」
「あなた達」
クレアノンは、銀の瞳でユミルとアレンを見据えた。
「世界を変えたいでしょう?」
「――え?」
「今の世界では、あなた達は、こともあろうに不倶戴天の仇敵国の人間とつるんで祖国を裏切った脱走兵よ。このまんまじゃ、あなた達は一生ずっと、逃亡者」
「――ファーティスでも、ハイネリアでもない国に行くという手もあります」
ユミルは固い声で言った。
「もっといい方法があるわよ」
クレアノンは、ねっとりと微笑んだ。
「私が力を貸すわ。――ねえ」
黒竜が、そっと。
「――一緒に世界を変えちゃいましょうよ」
分岐点を、創りだす。
「そう――そうなのよ」
クレアノンは、うっとりと微笑んだ。
「私が必要としていたのは――世界を変える、動機なのよ」
「で」
ライサンダーは苦笑した。
「うちはすでに変人立ち寄り所に決定したわけですか?」
「狭いわあ」
ハルディアナが口をとがらせた。
「人が多すぎよお」
「あの、すみません」
アレンが身を縮めた。
「確かに狭いわね」
クレアノンが小首を傾げた。
「それじゃあ――こうしましょうか?」
「うわ」
ユミルが息をのんだ。
ぎゅうぎゅう詰めだった部屋が、一気に大広間に変わる。
「めくらましよ」
クレアノンは笑った。
「部屋の大きさを変えたわけじゃないわ。部屋が狭いのを気にする気持ちに、ふたをしただけ。物理をいじるよりも感覚をいじるほうが、ずぅっと簡単なのよ」
「すごいですね」
「ね。すごいすごい」
アレンとエルメラートが、無邪気に拍手をする。
「あらありがと。こういうのっていいわね。新鮮な感覚」
「新鮮、ですか?」
「何かをやって、誰かに感謝されるなんて」
クレアノンはユミルに笑いかけた。
「竜にとってはなかなか新鮮な感覚なのよ」
「――その」
ユミルは少しためらいながら、
「こういうことを申し上げるのは、多分失礼にあたると思うんですが――」
「言ってごらんなさい。別に怒ったりしないから」
「その」
ユミルは、ライサンダーが用意してくれたお茶受けをムシャムシャと食べることにしか興味を示していないリヴィーとミラを、いささかあきれたようにチラリと見やりながら
「クレアノンさんは、あれですか、私達の事を、いわゆる手駒にしたいわけですか?」
「手駒――ねえ」
クレアノンは面白そうに笑った。
「実は私、ああいう盤上遊戯ってどうも苦手なのよね、実は。知り合いの中には、無茶苦茶ハマってるやつもいるんだけど。どうもねえ、これで詰みとか言われても、なんだかよくわからないって程度の腕なのよね。駒の動かし方くらいは知ってるけど」
「は、はあ――」
「つまりね」
クレアノンはクスクスと笑った。
「そんな私が、あなた達の事を手駒だと思ったりするわけないじゃない」
「は、はあ、そうなんですか。そ、それではあの、私達はあなたにとって、いったいどういう存在なんでしょう?」
「世界のかけらよ」
「…………は?」
「世界のかけら。あら、これって、人間にはあんまりなじみのない概念なのかしら?」
「え、ええと、あの、はあ、なんといいますか」
ユミルは心細げな顔をした。
「おっしゃってらっしゃることの意味が、その、あの、よくわからないんですが」
「あたしは少しわかるけど」
ハルディアナが口をはさんだ。
「ああやだやだ。なんていうかもう、うちの村のジジイどもが言いだしそうな話だわあ」
「あらそう?」
クレアノンはまた、面白そうに笑った。
「そうねえ、じゃあ、うんと簡単に言うと――」
クレアノンは、ライサンダーを見て言った。
「あなたは『日常』。あなたは日常の守護者。最も重要なのに、最もないがしろにされやすいものを、決して気を緩めることなく守り通す事が出来る人」
「へ?」
ライサンダーは、きょとんと首をかしげた。
「あなたは」
クレアノンはハルディアナを見やった。
「『母』。全てを生みだすもの」
「あら、それってあたしがはらんでるから?」
「だけじゃないわ。そしてあなたが」
クレアノンはエルメラートに微笑みかけた。
「『媒体』。あなたがいるから、世界が動く。あなたの周りで、みんなが騒ぐ」
「まあ、ぼくは淫魔ですから」
エルメラートはにっこりと笑った。
「もともとそういう種族なんです」
「あなたは特にね。そしてあなたは」
クレアノンは、リヴィーが自分のほうを見るまで待ってから、
「『革命者』。そして『業』」
「へ? ……おれ意味わかんねーんだけど」
「リヴィーさん、あなたはどうして自分の種族ではなくてミラを選んだの?」
「食われたくねえから」
「あの」
ユミルが遠慮がちに口をはさんだ。
「それはどういう意味でしょう?」
「リヴィーさんが蜘蛛化けになった理由よ」
クレアノンは小さく息をついた。
「私は知ってるわ。リヴィーさん、あなたやミラさんのように、人間の形に近い怪物、それも元は虫や魚や鳥や、とにかく人間ではない生き物と人間とが混ざり合ったような怪物はね、動物なら決して考えないようなことを考えて、動物なら決してしないようなことをしようとしたからそんな姿になったの。リヴィーさん、あなたは孤独を恐れている。それは蜘蛛のさがではないわ。それと同時に、あなたは他者を恐れている。理由はなんとなくわかるんだけど、あなたの口から聞きたいわ。リヴィーさん、あなたはどうして、蜘蛛でいるのをやめたくなったの?」
「…………やめたくなった、っていうか」
リヴィーはとまどいながら、
「おれ――いやだったんだよ」
「何がいやだったの?」
「おれらのメスって」
リヴィーは顔をしかめた。
「交尾が終わったら、オスを食おうとするんだよ。おれやだよ、食われちまうなんて。だからおれ、交尾の季節になっても交尾しなかった。おれ、ずっと生きてたいんだもん。したらなんか、だんだんこんなかっこになってきた」
「業ね」
クレアノンは断言した。
「自分という存在をこの世界にとどめ続けたい。自分という存在を認める他者にいつもそばにいて欲しい。素晴らしい業だわ」
「なんかよくわかんねーけど」
リヴィーは肩をすくめ、パクリとクッキーをほおばった。
「そしてあなたは」
クレアノンはミラを見つめた。
「『創造』。それとも、『芸術』かしら。それももちろん『業』よねえ」
「――」
ミラはチラリとクレアノンを見やっただけで、そのままレース編みに戻った。
「――あの」
アレンが少しおどおどと、しかしどこかわくわくとたずねた。
「それなら私は、なんでしょう?」
「あなたは『愛』。そして『受容』」
「う、うわ、うわ、うわ、そ、そんなにかっこいい事を言っていただけて光栄です」
アレンはパッと頬を染めた。
「あらかわいい」
クレアノンはクスクスと笑った。
「――で」
クレアノンはいたずらっぽくユミルを見やった。ユミルは少し身構えた。
「あなたは」
「は、はい、私は?」
「――『憤怒』。そして『闘争』」
「う」
ユミルは少し情けない顔になった。
「な、なんか私だけ、妙に物騒じゃありませんか?」
「大事なことよ。あなた、怒るでしょう? 怒ってるでしょう? アレンさんが今まで不当に扱われてきたことに対して怒り、これからだってそんな事があればきっと怒るでしょう? そして戦うでしょう? それはあなたにしかできないことよ。私は――それとも竜は」
クレアノンはため息をついた。
「他者のために戦うことが、苦手なものが多いの。自分のために戦うのなら、けっこう得意なんだけど」
「――私だって」
ユミルはうつむいた。
「他人のために戦うなんて出来やしませんよ。私は――アレンのためだから、戦えるんですよ」
「それでいいの。いえ――それがいいの」
クレアノンは静かに微笑んだ。
「さあ、それじゃあ私の望みを話すわよ」
クレアノンの言葉に、リヴィーとミラまでもがクレアノンを見つめた。
「あなた達の望みをかなえてあげる。あ、ちょっとちがうわね。あなた達の望みをかなえるために、この私、黒竜のクレアノンができる最大限の助力をしてあげる。この私の脳髄につまった、自分で言うのもなんだけど膨大な量の知識を、全て全て吐き出してあげる。――そのかわり」
クレアノンは、大きくあでやかに笑った。
「ねえ、お願い。私を――私を伝説にしてちょうだい」
白竜のガーラートは、知らない。
知らないというか、興味がない。
興味がないから、知ろうとしない。
知らなくても別に困ることはない。
他の存在はどうだか知らない――というかどうでもいい――が、とにかくガーラートはそんな事を知らなくても別に困ることはない。
だから、知らない。
白竜のガーラートは、知らない。
ガーラートは、知らない。
研究所をつくりたいという自分の欲求が、そしてそれを実際に作ってしまった行為こそが、一つの国の運命を大きく変え、それどころか、他のいくつもの国や地域に、すでに百年以上が経過した、今現在に至るまで、大きすぎる影響を与え続けていることなど。
「――ま、もともと私達竜は、他人の都合なんて完全に無視するやつが多いんだけど」
クレアノンはため息をついた。
「あの、ガーラートっていうやつは、その中でも特にひどいわ。残酷とか、横暴っていうほうがまだましよ。だって残酷とか横暴っていうのは、少なくとも自分の犠牲になる相手としての他者の存在を認めてるってことじゃない」
「あらあ、それってあれよね、愛の反対は、憎悪じゃなくて無関心、ってやつね」
ハルディアナがけだるげに言う。
「そのとおり」
クレアノンが大きくうなずく。
「ま、その、なんていうか、自分が興味のある話を話しはじめたら、ちょっと面白いやつなんだけどね、ガーラートって。けっこう美形だし」
「へえ、美形なんですか?」
エルメラートが身を乗り出す。
「美形よ。すごい美形。うろこは白いけど、ただ単純に白いんじゃなくて、なんていうのかしらねえ、すごく上等な真珠みたいな光沢があって、一枚一枚の形が整ってて。角なんかスゥッとながぁく伸びててねえ。綺麗な左右対称で。翼がまた、大きくってねえ。ほんとガーラートって、飛ぶのがうまいの。目はね、翡翠色なんだけど、これって私達竜の中では、けっこう珍しい色なのよ」
「あらあ」
ハルディアナは面白そうに笑った。
「クレアノンちゃんてば、ガーラートちゃんのことが好きなのお?」
「――え」
クレアノンは、ちょっと絶句した。
「……どうなのかしら。そ、そりゃまあ、ガーラートは美形だから、見てて楽しいのは確かだけど。でもあいつ、他の存在にほとんど興味がないし」
「少しは持っていただきたかった」
ユミルが大きなため息をついた。
「それじゃ、あれですか、私の祖国、ハイネリアの前身、神聖ハイエルヴィンディア皇国が壊滅したのは、神聖ハイエルヴィンディア皇国の首都、エルヴィンディアがまさにまさに、その白竜のガーラートさんとかが、自分のつくろうとしていた大掛かりな研究所を立てるのにピッタリな場所の真上にあったという、言っちゃなんですがただそれだけの理由なんですか?」
「あの、なんていうか」
クレアノンは再びため息をついた。
「同じ竜族として謝っておくわ。その――ごめんなさい」
「別にあの、ハイエルヴィンディアに恨みがあったとかそういうんじゃなくて?」
「ああ、ないない、それはない。ガーラートが誰か、それとも何かに恨みを持ったりするほど興味を持つことなんてあるはずないもの」
「あの、それでは」
アレンが小首を傾げた。
「ガーラートさんはいったい何を研究してらっしゃるのでしょう?」
「量子力学。素粒子レベルになるとその存在の速度と位置とを同時に特定できないのが気持ち悪くてしかたがないんだって。素粒子の速度と位置とを同時に完璧に測定することが、あいつの目下の研究命題」
「…………ええと、あの、すみません。まったくわかりません」
「でしょうね。ガーラートの研究を完璧に理解できるやつなんて、竜や悪魔の中にもめったにはいないわよ」
「は、はあ、そうなんですか」
「あなたにも、ごめんなさいね、アレンさん」
「え、あの、な、何がでしょう?」
「だって」
クレアノンは、三度ため息をついた。
「ガーラートが神聖ハイエルヴィンディアを壊滅させたせいで、そこに住んでいた人達は、あなたの祖国ファーティスのあるジェルド半島に攻め入って、今に至るまでずーっと戦争を続けてるんですもの」
「……まあ、あの、私達としても、無理やりハイネリアを建国してしまったのはその、少しは後ろめたくもあるんです」
ユミルはぼそぼそと言った。
「しかしその、なんというか、私達にはもう、帰るべき場所がないんです」
「本当にごめんなさい。ガーラートが私より弱ければ、一発ぶん殴ってやってもいいんだけど、あいつはその、あの、竜神一歩手前ってくらい強いから」
「あれでまだ竜神じゃないんですか!?」
「ああ、だって」
クレアノンは肩をすくめた。
「あいつを竜神としてあがめてくれる存在がいないんだもの。あいつ、そういうところはとことん不器用なのよね。怖がられはしても、あがめてはもらえないの」
「というかその、私の国の歴史書を信じるならば、そもそも意思の疎通が出来なかったようなのですが」
「興味がなかったんでしょうね」
「少しは持っていただきたかった」
「そうなのよねえ」
クレアノンは小さくかぶりをふった。
「ガーラートって本当に、おつきあいっていうのが苦手なの」
「――あの、それで」
ライサンダーが首をかしげた。
「面白いお話だとは思うんですけど、そのガーラートさんと俺達と、いったいどういう関係があるんでしょう?」
「ああ、ええと、あの、なんていうか」
クレアノンはちょっと考えこんだ。
「ごめんなさい。竜ってやっぱりこういうの苦手だわ。どうしても竜の基準で考えちゃう」
「え、というと?」
「私はね」
クレアノンは苦笑した。
「あなた達の代だけで、すべてを終わらせるつもりじゃなかったの。だからつい、あなた達にとってはもしかしたら、子供の世代に引き継がれるかもしれない話まで、今しちゃってるのよ」
「ええと、どういうことでしょう?」
「あのね」
クレアノンは苦笑したまま、
「今現在、ハイネリアとファーティスとがいがみあっているのは、ものすごく大雑把に身も蓋もなく言っちゃえば、土地が足りないところにぎゅうぎゅう詰めにされてるからでしょう? だからアレンさんとユミルさんが、敵国の仇どうしなんかになっちゃう。――だったら」
クレアノンは肩をすくめた。
「ガーラートとあいつの研究所をあの土地からどかしちゃえば、それなりの土地があくんだけどな、って、そう思っただけなの。ごめんなさいね。これって絶対、すぐには無理。だってガーラートは、並みの竜や悪魔じゃ太刀打ちできない相手だもの」
「――クレアノンさんは」
アレンが驚いたように口をはさんだ。
「そんな強大なガーラートさんを、私達のようなちっぽけな存在が、すぐには無理でもいつかはなんとかできるとお考えなんですか?」
「力押しだけが能じゃないもの」
クレアノンは簡潔にこたえた。
「――そうですか」
アレンの目が輝いた。
「――クレアノンさん」
「なあに?」
「そ、そういうお話を、もっともっとして下さい。私――いえ、きっと私だけじゃないです」
アレンの瞳は。
「私達、本当は――戦争なんて、ほんとはしたくないんです」
強く強く、輝いていた。
白竜のガーラートは、知らない。
知らないというか、興味がない。
興味がないから、知ろうとしない。
知らなくても別に困ることはない。
他の存在はどうだか知らない――というかどうでもいい――が、とにかくガーラートはそんな事を知らなくても別に困ることはない。
だから、知らない。
白竜のガーラートは、知らない。
ガーラートは、知らない。
研究所をつくりたいという自分の欲求が、そしてそれを実際に作ってしまった行為こそが、一つの国の運命を大きく変え、それどころか、他のいくつもの国や地域に、すでに百年以上が経過した、今現在に至るまで、大きすぎる影響を与え続けていることなど。
「――ま、もともと私達竜は、他人の都合なんて完全に無視するやつが多いんだけど」
クレアノンはため息をついた。
「あの、ガーラートっていうやつは、その中でも特にひどいわ。残酷とか、横暴っていうほうがまだましよ。だって残酷とか横暴っていうのは、少なくとも自分の犠牲になる相手としての他者の存在を認めてるってことじゃない」
「あらあ、それってあれよね、愛の反対は、憎悪じゃなくて無関心、ってやつね」
ハルディアナがけだるげに言う。
「そのとおり」
クレアノンが大きくうなずく。
「ま、その、なんていうか、自分が興味のある話を話しはじめたら、ちょっと面白いやつなんだけどね、ガーラートって。けっこう美形だし」
「へえ、美形なんですか?」
エルメラートが身を乗り出す。
「美形よ。すごい美形。うろこは白いけど、ただ単純に白いんじゃなくて、なんていうのかしらねえ、すごく上等な真珠みたいな光沢があって、一枚一枚の形が整ってて。角なんかスゥッとながぁく伸びててねえ。綺麗な左右対称で。翼がまた、大きくってねえ。ほんとガーラートって、飛ぶのがうまいの。目はね、翡翠色なんだけど、これって私達竜の中では、けっこう珍しい色なのよ」
「あらあ」
ハルディアナは面白そうに笑った。
「クレアノンちゃんてば、ガーラートちゃんのことが好きなのお?」
「――え」
クレアノンは、ちょっと絶句した。
「……どうなのかしら。そ、そりゃまあ、ガーラートは美形だから、見てて楽しいのは確かだけど。でもあいつ、他の存在にほとんど興味がないし」
「少しは持っていただきたかった」
ユミルが大きなため息をついた。
「それじゃ、あれですか、私の祖国、ハイネリアの前身、神聖ハイエルヴィンディア皇国が壊滅したのは、神聖ハイエルヴィンディア皇国の首都、エルヴィンディアがまさにまさに、その白竜のガーラートさんとかが、自分のつくろうとしていた大掛かりな研究所を立てるのにピッタリな場所の真上にあったという、言っちゃなんですがただそれだけの理由なんですか?」
「あの、なんていうか」
クレアノンは再びため息をついた。
「同じ竜族として謝っておくわ。その――ごめんなさい」
「別にあの、ハイエルヴィンディアに恨みがあったとかそういうんじゃなくて?」
「ああ、ないない、それはない。ガーラートが誰か、それとも何かに恨みを持ったりするほど興味を持つことなんてあるはずないもの」
「あの、それでは」
アレンが小首を傾げた。
「ガーラートさんはいったい何を研究してらっしゃるのでしょう?」
「量子力学。素粒子レベルになるとその存在の速度と位置とを同時に特定できないのが気持ち悪くてしかたがないんだって。素粒子の速度と位置とを同時に完璧に測定することが、あいつの目下の研究命題」
「…………ええと、あの、すみません。まったくわかりません」
「でしょうね。ガーラートの研究を完璧に理解できるやつなんて、竜や悪魔の中にもめったにはいないわよ」
「は、はあ、そうなんですか」
「あなたにも、ごめんなさいね、アレンさん」
「え、あの、な、何がでしょう?」
「だって」
クレアノンは、三度ため息をついた。
「ガーラートが神聖ハイエルヴィンディアを壊滅させたせいで、そこに住んでいた人達は、あなたの祖国ファーティスのあるジェルド半島に攻め入って、今に至るまでずーっと戦争を続けてるんですもの」
「……まあ、あの、私達としても、無理やりハイネリアを建国してしまったのはその、少しは後ろめたくもあるんです」
ユミルはぼそぼそと言った。
「しかしその、なんというか、私達にはもう、帰るべき場所がないんです」
「本当にごめんなさい。ガーラートが私より弱ければ、一発ぶん殴ってやってもいいんだけど、あいつはその、あの、竜神一歩手前ってくらい強いから」
「あれでまだ竜神じゃないんですか!?」
「ああ、だって」
クレアノンは肩をすくめた。
「あいつを竜神としてあがめてくれる存在がいないんだもの。あいつ、そういうところはとことん不器用なのよね。怖がられはしても、あがめてはもらえないの」
「というかその、私の国の歴史書を信じるならば、そもそも意思の疎通が出来なかったようなのですが」
「興味がなかったんでしょうね」
「少しは持っていただきたかった」
「そうなのよねえ」
クレアノンは小さくかぶりをふった。
「ガーラートって本当に、おつきあいっていうのが苦手なの」
「――あの、それで」
ライサンダーが首をかしげた。
「面白いお話だとは思うんですけど、そのガーラートさんと俺達と、いったいどういう関係があるんでしょう?」
「ああ、ええと、あの、なんていうか」
クレアノンはちょっと考えこんだ。
「ごめんなさい。竜ってやっぱりこういうの苦手だわ。どうしても竜の基準で考えちゃう」
「え、というと?」
「私はね」
クレアノンは苦笑した。
「あなた達の代だけで、すべてを終わらせるつもりじゃなかったの。だからつい、あなた達にとってはもしかしたら、子供の世代に引き継がれるかもしれない話まで、今しちゃってるのよ」
「ええと、どういうことでしょう?」
「あのね」
クレアノンは苦笑したまま、
「今現在、ハイネリアとファーティスとがいがみあっているのは、ものすごく大雑把に身も蓋もなく言っちゃえば、土地が足りないところにぎゅうぎゅう詰めにされてるからでしょう? だからアレンさんとユミルさんが、敵国の仇どうしなんかになっちゃう。――だったら」
クレアノンは肩をすくめた。
「ガーラートとあいつの研究所をあの土地からどかしちゃえば、それなりの土地があくんだけどな、って、そう思っただけなの。ごめんなさいね。これって絶対、すぐには無理。だってガーラートは、並みの竜や悪魔じゃ太刀打ちできない相手だもの」
「――クレアノンさんは」
アレンが驚いたように口をはさんだ。
「そんな強大なガーラートさんを、私達のようなちっぽけな存在が、すぐには無理でもいつかはなんとかできるとお考えなんですか?」
「力押しだけが能じゃないもの」
クレアノンは簡潔にこたえた。
「――そうですか」
アレンの目が輝いた。
「――クレアノンさん」
「なあに?」
「そ、そういうお話を、もっともっとして下さい。私――いえ、きっと私だけじゃないです」
アレンの瞳は。
「私達、本当は――戦争なんて、ほんとはしたくないんです」
強く強く、輝いていた。
「――国、なのかしら」
クレアノンはつぶやいた。
「国を――つくっちゃうのかしら、私」
「アララン、クレアノンさん」
つむじ風の中から、エリックが現れる。
「いいんスか、もう? 皆さんのところにいなくて?」
「私がいたら気づまりでしょ。後はあの人達にお互い親睦を深めてもらいましょ」
「ははあ、にゃるほど」
「あなたこそ、使い魔のパーシヴァルさんは? おいてきたの?」
「あいあい、そーッス。マスターはあれでけっこー人見知りするッスからねー、おいてかないでくれって泣いてすがられたけど、そこはそれ、エリちゃん心を鬼にして、マスターを育ててあげる所存ッス」
「心を鬼にして、って、あなたもともと悪魔じゃない」
クレアノンはクスクスと笑った。
「クレアノンさん」
「なあに?」
「オタクの本体って、そんなだったんスか」
「そうよ」
クレアノンはにっこりと笑った。もっとも、洞窟の中でとぐろを巻く、馬をおいしいおやつにできるほど巨大な黒竜のそれを微笑みとみてくれるものは、竜と悪魔以外にはめったにいなかっただろうが。
「びっくりした?」
「いやあ、なんつーか、オレも早くそんだけ貫禄のある存在になりたいッス」
「あらありがと。お世辞でもうれしいわ。でも、あなたの持ち味は、言いかたが悪いかもしれないけど、その軽さと機動性だと思うんだけど」
「ケーチョーフハクが売りのエリちゃんッスからねえ」
「――で?」
「ハイ?」
「どうだった、ガーラートは?」
「そうッスねえ」
エリックは、虚空から半透明のスクリーンをつかみだした。
「まず、あのおかたがあの土地を選んだ理由はすぐにわかったッス。あそこの土地、びっくりするほどまっ平らなんス。いやあ、砂漠でもないのにあのフラットさは貴重ッスよ。ガーラートさんはあそこに、最大最高レベルの円形加速器をおっ建ててるッス」
「ああ、直線加速器じゃないのね。なるほど。――ってことは」
クレアノンの銀の瞳が輝く。
「ガーラートのやつ、他にも何か作ってるわね?」
「アイアイ。ごめーさつ。ガーラートさんは、元ハイエルヴィンディア国土全てを使って、超巨大水脈主動型地形コンピュータを作り上げてるッス」
「あら――なるほど。その手があったか」
黒竜の口から、細い炎がもれる。
「私が言うのもなんだけど、ほんとに他人の迷惑ってものを考えないやつよねえ。コンピュータが欲しいなら、あなたがたに下請けに出すって手もあったでしょうに」
「はあ、実際、地形コンピュータ作成の際には中級悪魔のマティアスさんとイライジャさんがかなり手を貸してるッスね。アフターケアのためにオートマータとホムンクルスもかなりの数残していったッスけど、それらが今何体現存しているかは今のところ不明ッス。ま、調べりゃわかるッスけど。あれッスねえ、あの、ガーラートさんの動向探るのってめっさ楽ッス。あの、なんでガーラートさん、情報防衛結界とかまるっきりはってないんスか?」
「どうでもいいからよ」
クレアノンの口から噴き出た炎がクルクルと渦を巻く。
「あなた達悪魔の間なら、アイディアの盗用や先発性でもめるってことがしょっちゅうでしょうけど、私達竜は、そんなのあんまり気にしないの。誰がいつ見つけようと、知識は知識よ。私達にとって必要なのは知識そのものであって、それに付随する名誉や利益じゃないの。ああ、もちろん、そういう――なんていうのかしら、自分が初めて発見した、ってことにこだわる竜もいるわよ。でもそれだって、自分一人が、この知識は自分が初めて発見したんだってわかってればいいの。発見した後の知識を他人がどう扱おうが、そんなこと私達にとっては、別にどうでもいいことなのよ」
「ははあ、にゃるほど。オレらのギョーカイじゃ考えらんないッスね」
「そうねえ。――それにしても」
「それにしても?」
「オートマータはともかく、ホムンクルスなんてよくガーラートが受け入れたわね。あいつ、そういう――なんていうか、他の生き物が自分のそばをうろちょろするのを、すごくうっとうしがるたちなのに」
「ホムンクルスも生き物認定するッスか?」
「人造だって、生命は生命よ。ホムンクルス――ああ、そうか、地形コンピュータの構成要素のなかに、ある種の生態系も組み込まれてるわけね。だからその管理維持にはオートマータだけじゃなくてホムンクルスの存在も必要と判断したわけだ。ははあ、これは――」
クレアノンの炎がまた渦を巻く。
「ガーラートのやつ、めちゃくちゃ本気ね」
「アララン、そーなんスか」
「そうよ。目先のわずらわしさよりも最終的な成果を取ったんですもの。本気も本気よ」
「しっかし」
エリックはガシガシと頭をひっかいた。
「オレ、いまだに量子力学ってあんましよくわかんないんスけど」
「私も全部はわからない。量子力学を極めると、多元宇宙同時存在型並行処理量子コンピュータなんかも、簡単に作れるようになるらしいけどねえ」
「それは上級のかたがたのお仕事ッスね」
「そうね。私には縁のない領域の話だわ」
「俺にはもっと縁がないッス。――で」
「ん?」
「オレ、どーしましょ、これから?」
「そうねえ――」
黒竜が目をしばたたく。
「とりあえず、ガーラートのほうはもういいわ。ありがとう」
「もういいんスか?」
「どうせあいつ、何一つ隠すつもりがない、っていうか、他者の存在ってものをまるきり無視してるんだから、何か知りたいことがあったらすぐに調べられるわ。それよりも――」
クレアノンは小首を傾げた。
「むしろ問題なのは、人間との折衝かもね」
「はあ、クレアノンさんはいったい、どうしたいんスか?」
「ものすごく簡単に言うと、白竜のガーラートを元ハイエルヴィンディア領からどかせて土地を空けるから、ハイネリアとファーティスの間で延々行われている、土地争いが元の戦争をやめてくれ、ってお願いしたいわけなんだけど」
「ガーラートさん、どいてくれるッスかねえ?」
「まあ、それもものすごく大変な仕事になるだろうけど、その場合相手にするのはガーラートだけでいいわ。でもねえ――」
クレアノンはため息とともに炎を噴き出した。
「人間との――特に、国家なんてものとの交渉には、それにからむ存在の数が、いやになるくらい多すぎるのよ」
「一発ブッちめていうこと聞かせるってわけにゃーいかないんスか?」
「私、そういう方法で歴史に残りたいわけじゃないの。――それに」
クレアノンは、ニィと牙をむいた。
「私も別に、慈善事業をやってるわけじゃないし」
「ホヨヨ、その心は?」
「私は別に――優しい竜ってわけじゃあないの」
クレアノンの瞳が、銀ではない色のかぎろいを浮かべた。
「私は、ただ――私が持っている知識を総動員したら、どれほどのことが出来るのか、それを試してみたいだけなの。その結果つくりだす事が出来たものを、みんなに見せびらかしたいだけなの。私の動機って、ただそれだけ」
「黒い猫でも白い猫でも、ネズミを取るのはいい猫なんスよ」
「え?」
「つまりあれッス」
エリックは、チッチッチ、と人差し指をふった。
「結果さえよけりゃ、動機なんてどーでもいいんス」
「――それもそうね」
クレアノンはニヤリと牙をむいて笑った。
「そう――みんながいい結果だと思ってくれるといいんだけど」
「クレアノンさんは優しいッスねえ」
「私は別に、優しいんじゃなくて」
クレアノンはクスクスと笑った。
「一度出来るだけたくさんの存在に、うんと褒めそやして欲しいだけなの」
「あんた、また来たんかね」
ニックルビーはあきれたように言った。
「ごめんなさいね、たびたびお邪魔して」
黒竜のクレアノンは、クスクスと笑った。と、いっても今の彼女(クレアノンは両性具有だが、一応彼女としておこう)は、黒髪に浅黒い肌、がっちりと骨太な体をあっさりとした生成りのシャツと黒くしなやかなズボン、頑丈そうな革靴で包んだ、若くも年寄りにも見えない、いたって地味ななりの、人間、もしくは亜人の女性に見える。種族はよくわからない。まあ一番近いのが、人間と、亜人との混血だろうか。
ただ、銀色に輝く双眸だけが、クレアノンの容貌を彩るわずかな飾りとなっていた。
「そういえばニックルビーさん、私のうろこ、何に使ったの?」
「あ、あんたのうろこかい。今考えとるんだがね、シャスは、新しく作る削岩機の刃にしたらどうかって言うんだよ」
「あら」
クレアノンは、ちょっと目をまるくした。
「なるほど、そういう使いかたもあるんだ。へえ――」
「だがね、シャスのつくりたい削岩機ってのね、ながあい棒の先に、こう、風車かなんかみたいに刃をつけて、それをこうグルグルまわして――あんた、わしの言っとること、ちゃんと意味わかるかね?」
「よくわかるわ。ドリルにしたいのね?」
「なんじゃいそら。竜の言葉はわしにはわからんよ。それでね」
ドワーフのニックルビーは、ニタリと笑った。
「それを作るには、うろこが一枚じゃ足りんでね。あんた、またなんか聞きたいこととかないかい?」
「あるから来たのよ」
クレアノンもまた、ニヤリと笑った。
「シャスティナさんは?」
「その削岩機の設計図を描いとるよ。シャス、シャスー!」
「はいはい、なんですよ、ニックったら。そんな大声出さなくたって聞こえてますよ」
ドワーフもノームも、広々とした空間よりも、こぢんまりとした穴倉のような場所を好む傾向がある。ニックルビーとシャスティナの家もまた、こじんまりとまとまった、とはいえ、しょっちゅうニックルビーが鉱石を叩いてみたりシャスティナが設計図を描き散らしたりするせいで、どうしてもいつもどこか散らかっている家だった。
「この竜さん、またわしらに話を聞きたいんじゃとよ」
「いやねえニックったら、あなたほんとに人の名前をおぼえないんだから。クレアノンさんでしょ。お名前をうかがったんだから、ちゃんとお名前でお呼びしないと」
「あら、気を使って下さってありがとう」
クレアノンはにっこりと笑った。
「そういうふうに気を使ってもらう事って、めったにないからうれしいわ。それでね、さっそくだけど今日は――」
「何が聞きたいんじゃね?」
「ニックったら、途中で口をはさまないの」
「あのね」
クレアノンはクスクスと笑った。
「あなた達、ファーティスやハイネリアと、取引をしてるでしょう?」
「ああ、あの小競り合いばっかりやってる連中かね」
ニックルビーは顔をしかめた。
「ディルスにいると、ほんとに対岸の火事ですけどねえ」
シャスティナは嘆息した。クレアノンがその居を構えているディルス島は、ファーティスとハイネリアがあるジェルド半島の、ちょうど南に浮かぶ大きな島である。
「そう、本当にね」
クレアノンはうなずいた。
「なに、ジェルドの連中だって、いつもいつも角つきあわせてるのはだいたいファーティスとハイネリアだけじゃよ。パルヴィアやタヴェリースの連中なんかは、巻き添え食ってずいぶん迷惑してるみたいじゃよ」
「あら――そういう話が聞きたいのよ、私」
クレアノンは身を乗り出した。
「いがみあってるのは、もっぱらファーティスとハイネリアだけなのね?」
「っていうかねえ、だいたいファーティスが突っかかって、ハイネリアがどつき返して、って感じじゃねえ。ファーティスの連中ってのは執念深いね。ま、ハイネリアの連中が来て一番迷惑したのはファーティスの連中じゃから、無理ないのかも知れんが」
「そうねえ、っていってもねえ、今じゃ狭いなりにジェルドの中になんとか収まっちゃったんだから、なんとか仲良くやってけないのかとあたしなんかは思うんですけどねえ。無理なのかしらねえ?」
「だいたい人間って連中は気が短いやつらが多いよ。寿命が短いからかねやっぱり。その割にゃあ、執念深い連中も多いねえ」
「そうねえ、まあ、当事者には色々と言い分もあるんでしょうけどねえ」
「――で」
クレアノンは目を光らせた。
「ニックルビーさんやシャスティナさんが見たところ、ファーティスとハイネリア、どちらのほうが優勢かしら」
「そりゃハイネリアじゃね」
ニックルビーは即答した。
「ファーティスの連中ってのは、人間の中でも偏屈な連中が多いね。わしら亜人を、えらく嫌いよる。まったく馬鹿馬鹿しいこったね。わしらのほうがうまくやれることなんて、いっくらだってあるんだから、大人しく頭を下げてくりゃ手伝ってやらんでもないのに」
「あら――」
クレアノンはわずかに眉をひそめた。亜人をひどく嫌うものが多いというファーティスで、亜人の――それも淫魔の血をひいたアレンがどんな扱いを受けて来たか、なんとなく想像が出来たからだ。
「ハイネリアのかたがたは、やっぱり元が余所者だって遠慮があるのかしらねえ。周りには、けっこう腰が低いみたいですよ。亜人を嫌うってことも見たところそんなにないみたいだし」
「ファーティスの連中が言うことは、そりゃ正しいんじゃろうと思うよ。もといた土地に割り込まれて、怒らんやつはおらんわな。ただ、言いかたがよくないねえ。あんなに偉そうにギャンギャンギャンギャンわめかれちゃあ、味方する気があった連中だってそっぽを向くわなあ」
「不器用なんでしょうねえ、きっと」
「国ぐるみでかい?」
「そういうこともあるでしょうよ」
「なるほど――」
ニックルビーとシャスティナの掛け合いに、クレアノンは興味深げに相づちを打った。
「ありがとう。とても興味深いわ」
「でもあんた、あんた竜じゃろ」
ニックルビーは首をかしげた。
「これっくらいのこと、水晶玉かなんかをのぞいてパパッと調べられんかね?」
「そう――見る事だけならできるんだけど」
クレアノンはため息をついた。
「竜の感じかたは、あなたがた人の形をした生き物とは違うわ。あなたがたと同じ物を見る事は出来るけど、あなたがたと同じことを感じる事は出来ないの。だからやっぱり、そういう事は聞かないとわからないわ」
「ほうん、そんなもんかね」
ニックルビーは、二、三度首をひねった。
「あんたらも、自分らだけで何でもかんでも出来るわけじゃないんじゃね」
「――そうね」
クレアノンは、少し驚いたように言った。
「そうね――そう。ほんとにそうだわ」
「それでそれで、クレアノンさん」
シャスティナが身を乗り出した。
「他にはどんな事をお聞きになりたいのかしら? あたしどんどん話しちゃうわよ。新作の削岩機のために、あなたのうろこがもっと欲しいの」
「あら――あなた達のそういうところって、大好きよ、私」
「あら、どういうところかしら?」
「ニックルビーさんもシャスティナさんも、いつも新しいものをつくろうとしているでしょ?」
クレアノンはにっこりと笑った。
「そういうとこが、大好きなの、私」
「あらあ、ありがとうねえ、クレアノンさん」
シャスティナもまた、にっこりと笑った。
「そう言っていただけるとうれしいわ」
「シャス、あれじゃよ、お茶でもいれたほうがいいんじゃないかね?」
「あらあら、まあまあ、ごめんなさいねえ、あたしったら気がつかなくて」
「お茶をいれてくださるの?」
クレアノンの笑みが大きくなった。
「ありがとう。めったにないのよ、竜がお茶に誘われるのって」
「あらあ」
「あ、でも、ライサンダーさん達は、お茶に誘って下さったけど」
「そうでしょう」
シャスティナは誇らしげに胸をはった。
「いい子ですもの、あの子達」
「そうね」
クレアノンはうなずいた。
「それじゃあ、お茶にしましょうか」
そう言って、シャスティナは身軽くたちあがった。
竜とのお茶会が、はじまろうとしていた。