♪リコエル
ストレートのシングルモルトは染みる。
時々そんなことを呟きながら(仕事の合間に店に来るのだ)、うちの店長は夜な夜な曲をかきつづけている。ソプラノリコーダー(つまり小学校で使う、あの“リコーダー”だ)の「ソラシラソ」のみの曲とか、「シラソラシ」のみの曲とか、「ラシソラシ」のみの曲。要するに、練習曲だ。
Composed Shop Hibikiの面目躍如よね、と言って店長……もとい、響センパイは笑っていた。珍しく。もともとほとんど笑顔は見せないひとなのに。
何が面目躍如だよ、と俺は内心苦笑していた。もともと“コンポーズ”つまり作曲を謳っているのだ。ウインドやブラスのオリジナルやオーケストラのオリジナルなどと大きな仕事ではなくても、近所の学校の校歌のアレンジングとか、仕事はいくらでもあるのだ。それなのにソプラノリコーダーのバイエル的なものの作曲に明け暮れる。何が悲しくてそんな日々を送っているのだろう。だいたい小学3年生に“スウィング”とか“ボサノヴァ”とかの微妙な違いはわからないだろうに。妙に凝ったドラムラインとコードを使って、それでも作業効率は普通のアレンジングと変わりなく、響センパイは、リコーダーのバイエル、略して“リコエル”を作り続けている。
響センパイが本格的に曲づくりをする時間帯は20時過ぎだ。すぐにわかる。なぜかというと響センパイの独房(と本人は呼んでいるがベーゼンドルファーやローランド等、センパイの仕事道具が置いてある仕事部屋だ)からクラシックが流れてくるからだった。
――ベタすぎる。ベートーヴェンの第五や第九、エルガーの威風堂々、しかもいちばん有名な第1番。ウインドバンドの曲にも詳しくて、「宝島」や「OMENS OF LOVE」、「アフリカン・シンフォニー」や「エル・クンバンチェロ」などのテンションが高い曲をノーリピードのノンストップでがんがんかけまくる。ブリティッシュにも詳しい響センパイは、P.スパークの「オリエント急行」やヴァンデルローストの「アーセナル」も聴く。そうやって多彩なジャンルを聴く癖に、
「最近イチオシの曲ってなんですか?」
と聞くと、楽器修理の手を休めず、こちらをまったく見ることもなく、
「ムーンライト伝説」
と真顔で答えたりするのだ。
……ムーンライト伝説って。確かによくないとは言わない。言わないが普段センパイは聞いてないじゃないですか、という言葉はすんでのところでのみこんだ。なぜこんなに年数が経ってからこの曲名を敢えて出すのか理解に苦しむ。
そもそも響センパイは変わったひとだった。“織部響”だと言えば、雇ってくれないバンドも楽譜出版社もないだろうに。これ以上付加価値の付けようのない名前を、響センパイはあっさり捨てた。今名乗っている苗字“木下”は、お祖父さんの苗字だと言う。
「すごく継がなくちゃいけない家じゃない」
と響センパイが自分で言うとおり、木下家はすごく小さな家だった。響センパイのお母さんの実家で、響センパイのお母さんは有名なヴァイオリニストだけれど、お祖父さんもお祖母さんも特別音楽に造詣が深いというわけではない。
「まあ、土地と建物かな。強いて言えば」
なぜここに来たのかという俺の質問に対して、センパイは吐き捨てた。学生時代にコンクールを総なめにし、音楽家として名を馳せた織部響のイメージはかけらもなく、あまりにも俗物的過ぎた。思わず無言になった俺にセンパイは、
「当たり前でしょ。普通に音楽やってたって食べていけないんだし」
とあっさり述べた。会話はそれで終了です。
さて。
俺は時計を見て、響センパイの仕事部屋(別名独房)を見上げた。今日持ちこまれたファゴットの劣化がひどくて修理に時間がかかった。お互い店の鍵は持っているから、たいてい俺が閉めて帰る。そのとき響センパイには声をかけなくてよいと言われている。いつもだったら俺はもうここにはいない時間だ、と思って腕時計を見た。22時半を回っていた。
まさか俺がこんなに遅くまで店に残っているとは思っていないだろう。あいさつもなく店に訪れ(響センパイの店であることに変わりはないが、なんとなく“訪問”という言葉が似合う)、気が向けば接客して、あとは独房にこもりきり。
実質の収入は俺と響センパイが手掛ける楽器修理と、俺が行う格安の、中高生対象の吹奏楽部指導やバンドクリニックだ。それだって本橋音大初の学生指揮者就任という歴史を響センパイが作ってくれたからこそ成り立つ商売だ。なぜなら俺は響センパイの次の学生指揮者を任せてもらったから。響センパイの作ってくれた道に俺は乗ることができた。だから今俺はここにいる。
響センパイはなんというか、つまり、自分の才能に無頓着だ。今の本橋音大があるのさえ、響センパイのおかげであると言っても言い過ぎではないのに。
「……まだ、いたの。お疲れ様」
背後にいたのは響センパイ、もとい店長だった。「Composed Shop Hibiki」とは名ばかりで、店員が楽器修理と指導に明け暮れる小さな店の、店長。
「あと、このキーつけたら帰ります」
俺は直しかけのファゴットを指差した。古い型のファゴットだったが、依頼主がどうしても、と言うのでねじから加工していて時間がかかったのだ。明日は1日バンド指導が入っているし、できれば今日仕上げて帰りたかった。
「……どうしてセンパイは、リコーダーのバイエルばっかり作ってるんですか」
「いけない?」
「いえ、いけないとかじゃなくてですね……」
「お金になんないもんね」
「ですから、そういうことじゃ」
「底辺の拡大よ」
まるで旋律のやり取りのような会話をして、ふたりとも黙った。もともとセンパイは話すことがあまり好きな方ではない。
「…………底辺の拡大?」
「リコーダーっておもしろいな、あたしも吹いてみたいな、そういう子どもが一人でも多く増えてくれるんなら、私はどんな労苦も惜しまない」
淡々とした響センパイの語り口調に本気を感じたので、俺は口を開くつもりになった。ここへ来てから今まで、一度も聞いたことのないことだった。
「だったらどうして、センパイは本橋へ残らなかったんですか。本橋だったらセンパイのしたいことをいくらでもバックアップしてくれたに違いないのに」
俺の質問に、センパイは黙った。
私立では日本で五指に入り、また作曲科は五指の中でも最高峰と言われた、俺と響センパイの母校、本橋音大。そこで大学院に残る道も、プロの作曲家として活動する道も残されていた。響センパイは“もう弾きたくないし吹きたくない”と言っていたがどの楽器にも卓越した才能を持っていたから、プロのプレイヤーとしてもやっていけたはずだ。その選択肢をすべて捨てた。
「……なんでって言われても、ねえ」
ややして、響センパイは興味なさそうな顔をした。どうやら本当になんにも考えていなかったし、特別興味もなかったようだ。
「ただ、強いて言えば、音楽って、誰に縛られてやるもんじゃないんじゃないかな、って。それだけ思っただけ」
響センパイは淡々とした口調を崩さず、言った。縛られてする、音楽。まさに今まで本橋音大時代は縛られて音楽をしていたと言わんばかりの口調だった。
「俺は縛られて音楽やっていたわけじゃないんですよ」
「いや、わたしだってそうだったんだけど」
そのまま響センパイは黙った。そして、まだ続きあるから、君も終わったら早く帰りなさいよ、と言うなり背を向けた。あっさり店員として採用してくれた割に、いまだに俺の名前を呼んではくれない。
縛られて音楽をするんじゃないと思う、その言葉は俺の言葉に深く突き刺さって離れなかった。
………………自由に音楽をやっていたと思っていた。俺も、そして響センパイも。
響センパイは、縛られて音楽をしていたのだろうか。好きでもない音楽を、学生時代。学生指揮者として自分のしたい音楽を、オケと一緒に創りだしていると思っていたのに。俺は学生時代、何も考えていなかったが。
でも、だったらどうして、響センパイはこの店を開いたのか。音楽に触れている、いつづけなければいけない仕事を、自ら。
俺は響センパイの、織部響の音楽に惹かれてここへ来た。でも当の本人はまったく違うことをしていた。それは華々しい音楽活動ではなく、地道な活動だった。オーケストラの客員指揮とか、有名楽団の作曲で初演とか、自分で作った曲を自分で演奏するとか、果ては協奏曲とか、そんなんでは全然ない。でも響センパイはそのことに満足しているようだった。
つまり、今の響センパイがやりたいことはリコエルであって、派手なステージではない。あくまで小学生や初心者向けの、音楽と呼べるかどうか怪しいくらいの代物。でも自分から意欲的に活動している。たとえその“リコエル”が、クラシックがガンガンかけられた部屋で創りだされているとしても。
俺はどうなのか。
持ち込まれた楽器を修理し、依頼された学校に演奏法を教えに行き、接客する。常に受け身の日々。それに満足していたとは言わないが、別に不満足だったわけでもないことは確かだ。
俺は手書きで書かれた“リコエル1”と書かれたテキストを眺めた。もちろん著作権はこの店の店長、木下響にあるのだが、もともと大量印刷して売るために作られたテキストではない。恐らく増刷でもされて、使われるのだろう。
……考えなくてはならない時期に来ているのかもしれなかった。ふわふわした、夢のような時間はもう終わり。俺は俺で、自分の音楽の道を探していくしかない。
響センパイの手書きのテキスト、リコエルは何も語ってはくれない。