……最高だ
この距離なら、身軽な俺であれば簡単に逃げられる。
追跡。やがて生々しく残る足跡を見つけた。
『彼らの足跡を踏むように移動することを推奨します』
「理由は?」
『第一に「罠がないことが証明済み」であること。第二に「靴底のゴム摩耗も0.003%削減可能」です』
「……最高だ」
素晴らしすぎて涙が出る理由だ。――特に後半が。
俺に迷いはない。
エイドスのナビ通りに歩き始めた。
と、その時だ。
前方からガチャガチャと激しい金属音と、鳥肌が立ちそうな鳴き声が聞こえてきた。
近い。
「……」
慌てて足を止める。
近くの木陰へと隠れた。
金属が硬い何かに弾かれる音。
次いで、圧し折られたような断末魔が響いた。
俺は、その音が止むのをひたすら待った。
なかなか終わらない。
それでも、じっと待ち続けた。
やがて――。
『戦闘音が途絶えました。ですが、移動する足音は聞こえません』
やはり、エイドスは俺よりも音を拾う能力が高いようだ。
それとも、聞き分ける能力だろうか。
今度、聞いてみよう。
『移動を開始しました。対象は、こちらから遠ざかっていきます』
「じゃあ、行くか」
慎重に。
再び足跡を辿っていく。
他人の整地した道を横取りしながら。
きっと。
今、俺の靴底は、世界で最も甘やかされている。
やがて、目的の場所に辿り着く。
すでに冒険者達の姿はない。
この場所に残っているのは、倒されたモンスターだけ。
デッド・スパイダーという人間ほどのサイズをした白い蜘蛛の死骸。
地面の草はなぎ倒されていた。
「ずいぶん、派手に散らばっているな」
草にも木にも。
デッド・スパイダーが撒き散らした白い糸が、あちこちにこびりついている。
しかし幸いというべきか。
『残酷描写:オフ』の設定だからか。
そこまで悲惨な光景ではない。
体液や内臓。
それらが、半透明の光の粒子や、乾いた紫色の汚れへと置換されている。
「全部で三匹か……目当ての物はあるか?」
『全てから取得可能ですが、もっとも品質の高い物は、右手にあるデッド・スパイダーの死骸です』
死骸からは、牙などが失われている。
キレイに折れているところを見ると、ドロップ品として自動的に採取されたのだろう。
「この糸か……」
俺は持ってきた水で手を濡らす。
大蜘蛛の周りに散らばる、粘着性の残った糸を手に取った。
やはり、エイドスの言った通り、手にくっつかない。
「とんでもない丈夫さだな」
強く引っ張ってみたが、俺の筋力ではビクともしなかった。
『引張強度は鋼鉄に匹敵します。使い方によっては、航空宇宙グレードのフレームが作れるほどです』
これで商品価値がないんだよな。
変なところで、リアルじゃないのはどうしてなんだろう。
それはそうと、糸を回収するとしよう。
水で濡らしながら、一本一本、糸を棒に巻き取ることにした。
【第三者視点】
湿った土の匂いと、青臭い草の香り。
茂みに身を潜める戦士の額から、汗がひとしずく落ちて葉を揺らした。
「……なんだよ、あいつ」
剣の柄を握る指先が、小刻みに震える。
視界の先――巨大な蜘蛛の死骸に、一人の男が這いつくばっていた。
繊維の毛羽立った布服。腰にナイフの一本すら差していない。
間違いなく初期装備だ。
決して、この森に足を踏み入れていい格好ではない。
それに。
男は蜘蛛の亡骸を、慈しむように撫でまわしていた。
異常だ。
「これ……まだ使える。最高だ」
独り言が漏れ聞こえる。
男の指先は、粘りつく銀色の糸を一筋ずつ、愛おしげに手繰り寄せていく。
あれはドロップ品ですらないゴミだ。金銭価値など、一銭もありはしない。
「なに、やってんだ……」
仲間の一人が、引きつった声を漏らした。
不気味だった。
あれは獲物を解体する手際ではない。
もっと別の――底の知れない執着が、その指に宿っている。
「シーフ……だよな? あの格好、丸腰だぞ」
「隠しイベント? それとも……」
隣の魔導師が、己の肩を抱いて身を震わせた。
隠しイベント。あんな、おぞましいものがか?
ピチャリ、と泥を捏ねる音が止まった。
男の首が、ゆっくりと回る。
「っ……!」
視線が、突き刺さった。
茂みの隙間、わずか数センチの暗がり。
潜伏スキルを使っていた自分たちの瞳を、男の目が正確に、無機質に射抜いている。
「見つかった……ッ! 逃げるぞっ!!」
心臓が警鐘を乱打する。
距離はある。遮蔽もある。気配も殺したはずだ。
だが――理屈じゃない。
怖い。
彼らは脱兎のごとく、森の闇へと走り去った。




