クソッ、エイドス、逃げるぞ!
【永遠の足跡】を手に入れて気分が高揚していたが、冷静な自分が思考を引きとめた。
……いや、待てよ。
靴底に薬草をこすりつける。これって、メンテナンス風景が『犬の糞を踏んづけて必死に拭いている人』に見えるんじゃないか?
「なあエイドス、もう少し、スタイリッシュな靴の回復方法はなかったのか?」
『プライドを維持するためのコストは、どの時代も富裕層の頭を悩ませてきた問題です。諦めた方がよろしいかと』
くっ。
金持ちの真似ごとをしようとしていたのか、俺は――。
『マスター・レン。少々、【永遠の足跡】をカメラに近付けて、全体を見せて頂けませんか』
「わかった」
『……解析完了。この【永遠の足跡】は、改造が可能なようです。摩耗を自己修復する際、微量の魔力を大気中から吸収します。この機能を強化することで、魔力による探知を妨げる効果を期待できそうです』
「ほう、成長余地のある靴だったのか」
今は使えないが、これは予想以上に優秀なアイテムだったな。
一石二鳥も、俺の好きな言葉だ。
『マスター・レン。移動することを提案します。このフロアは10分で閉じる仕様となっております』
「そうだったのか。分かった」
閉じ込められたらどうなるんだ? と、思わなくはない。
だが、脱出用アイテムを買わされるか、デスペナルティか。
いずれにせよ余計な出費が必要になるのは分かる。
変なことはしないようにしよう。
『永遠の足跡は、初期の耐久値が半分ですので、回復を提案します』
エイドスに言われて、ステータスを確認する。
本当に、半分しかない。
運営の、効果を試してみろというメッセージなのか。
とりあえず、靴の耐久力を回復させておこう。
隠し部屋から出た俺は、大きめの岩に座り、薬草(道端で採取)を取り出した。
そして、靴を脱ぎ薬草をすりつける。
――その時。
岩かげから人影が。
時間が凍りついた。
視線の交差。
彼女達から逃げていくスライム――など、もうどうでもよかった。
「……うわぁ」
短い。
だが、純度100%の嫌悪感。
岩陰から現れたのは少女プレイヤーAと、それに付随する少女プレイヤーB。
俺の顔(怪盗仮面)を一瞥。
それから俺の作業――すなわち薬草をなすりつけている靴底へ視線を落とした。
「……うわぁ」
もう一度きた。
薬草。
何の変哲もない植物。
それを、薄ら笑いを浮かべて靴底にこすりつける男――。
フルダイブ環境の視覚解像度は、彼女の瞳に浮かんだ本物の『引きつり』を鮮明に映し出した。
「……行こ。目を合わせちゃだめ」
ああ、知ってる。
そのひそひそ声、意外と本人に届くんだよ。
「あ、あのだな。これはQOLの最大化、つまり効率的な攻略の一環で……!」
「ヒッ!!」
「クソッ、エイドス、逃げるぞ! 精神的ダメージによる集中力低下は、3円以上の損失に相当する!」
手遅れだ。
もはや、変質者という人格的評価を覆すことはできない。
なら、顔を覚えられる前に撤退するのが、損切りというものだ。
――撤退。
走り、彼女たちの目から逃げる。
その最中、ゴーグルに矢印が表示された。
『先程の、女子プレイヤーがドロップし損ねた「銀貨2枚相当の魔核」をスライムの死骸から発見しました。回収しますか?』
「ナイスだっ!」
精神的ダメージは、利益で癒やすのが一番だ。
おい、そこの不審者を見る目をしたお嬢さんたち。
君たちが取り逃した『未回収の利益』は、俺が責任を持って有効活用させてもらうよ。
逃走。
その刹那。
俺の指先は、『未回収の利益』をすでに掠め取っていた。
◆
足を止める。
ここまで来れば大丈夫だろう。
「しかし……」
洞窟は、どこも見た目が似ていて場所の把握が難しい。
エイドスに、地図を表示させる。
「迷ったわけじゃなかったのか」
出入口まで、残りは半分くらいの距離。
これなら問題なく戻れるだろう。
だが、このまま帰るのも、もったいないな。
「このまま帰るのもカロリーの無駄だな。だが、今は怪盗として活動するための歩き方を訓練しておきたい。ルートの提示を頼む」
せっかく初心者用ダンジョンにいるのだ。
ここで訓練(投資)をしないのは、節約精神に反する。
『訓練ルートを表示します』
視界をグリッド線が走る。
投影されるのは、ダンジョンの地質組成、湿度による摩擦係数の変動、石畳の微細な凹凸、さらには空気の対流までをも含めた三次元ベクトルと数字の奔流。
まさしく神の視点――こんなの、分かるか!!
「エイドス。……もう少しシンプルに頼めるか?」
『承知しました。映像のみをゴーグルに表示します。これにより、レン様の脳内ドーパミンを節約しつつ、脊髄反射レベルでの回避機動を可能にします』
わけの分からない数字が消えて、一気に見やすくなった。
そうだ、これでいいんだよ。
『また、最適な歩法も投影します……検索……命名:0円・ブースト。開示します』
ゴーグルに表示された歩き方を試してみる。
第二関節の角度を3度固定、重心を左足親指の付け根に0.4ニュートンだけシフト。
……分かるぞ。
空気を『切る』のではなく、気流の渦に『乗る』ことで、服の繊維にかかる空気抵抗を0.0001%まで相殺する歩行術。その先が――!
「って、おい、名前が仰々しくなっただけで、結局やってることは『つま先立ちで静かに歩いている』だけだろ……!」
『その認識は適切です』
まぁ、役に立ちそうだから、これ以上の文句はないが。
だが、この視界や歩き方に慣れる訓練は必要そうだ。
「少し修正だ。この歩き方と、ゴーグルの映像に慣れるために特化した訓練ルートを割り出してくれ」
怪盗を名乗るには、相当な訓練が必要そうだ。
『……検索中……完了。ルートの選定が完了しました。ゴーグルの案内に従って下さい』
「少し待ってくれ」
革の感触を確かめるように、ゆっくりと靴の紐を締め直す。
新しい道具を下ろす緊張はある。
だが、これがスタートだ。
俺は新品のブーツを履き直し、怪盗への階段を、また一歩上がった。




