靴底の摩耗は〇.〇二円の損失だ
開店30分前。
スーパーの入り口を陣取った俺の足下では、アスファルトから立ち上る陽炎が安物のスニーカーをじりじりと焼いている。
一歩踏み出すたびに、限界まで摩耗したゴム底が悲鳴を上げた。推定0.02円の摩耗損失。
だが、空腹による集中力低下で1.5円の損失を招くリスクを天秤にかければ、差し引き1.48円の純利益だ。この数字が、俺の生存戦略を肯定する。
(俺の謀略の勝利だ!)
喉の奥で、乾いた勝利の笑いが漏れた。
さらに、手にした無料のクーポン雑誌という名の戦利品をなぞり、思わずニンマリとしてしまう。
なんと「10円の割引シール」が、ここにはあるのだ! もやしの。
(これで、今日の食費は実質タダに収束する……!)
モノクロだった視界が、にわかに色彩を帯びた。今日という日に感謝を捧げなくては。
幸い、感謝に通信費もサーバー維持費もかからない。コスト0円で実行可能な最大級の敬意として、空に輝く太陽を深く拝んでおいた。
徐々に人が集まり、背後でサンダルが地面を擦る音が重なり始める。
まずい、こいつらもモヤシ(10円引き)目当ての略奪者か!?
ふっ、しかし手にクーポン雑誌を持っていないところを見ると素人だな。
だが、油断は禁物だ。「持っていない」のは、他を欺くための高度なブラフかもしれないのだから――。
「おう、レン。ちょっといいか」
これから戦場(もやし争奪戦)に赴く俺の鼓膜を、不躾な野太い声が震わせた。
テツ。金髪サングラスに顔グロ。その存在は、平穏な朝に投げ込まれた不透明なコストの塊だ。一流企業の社員だというが、こいつの勤め先のコンプライアンスはどうなっているのだろうか。
「ちょっとバイトしないか?」
近付いて来るやいなや、即座に用件を言い出した。
周りの主婦たちの視線が針のように突き刺さる。
風評被害、推定マイナス0.5円。
なにしろ、見た目そのものが犯罪だからな。
だが、次に鼓膜を通過した条件が、俺の全演算機能をフリーズさせた。
「なんと、寝てるだけでも月30万。さらに生活費全額支給。その他にも経費で色々と落ちるぞ」
「乗った(即答)!!」
脳裏に30万円の数字が整列する。それだけあれば、パンの耳ではなく本体を一生分「投資」に回せる。これはQOL最大化に向けた、人生最大のポートフォリオだ。
「ちょっと、お兄さん。もう少し、慎重になった方が、いいんじゃない?」
後ろに並んでいたお姉さまが、袖を引いて心配してくれた。
脳内計算機を高速回転させる。コスト0円で得られる慈愛。投資効率としては悪くない助言だ。
「失礼。お姉さま。私、こういうものです」
テツは完璧に整形されたような営業スマイルで、厚手の名刺を差し出した。
「えっ、オデュッセウス社……本当に?」
一流企業の看板という名の「信頼資産」。その重圧がお姉さまの疑念を圧殺し、彼女は納得した表情で口を閉ざした。
「……テツ。商談の続きは、もやしを確保してからだ。タイムセールは待ってくれない」
「ああ、車で待ってる。ゆっくりしてこい」
「安心しろ。俺の目的は、もやしと食パンの耳の完全回収だけだ。滞在時間は最小限に抑える」
そして、俺は再び戦場へと意識を研ぎ澄ませた。
だが、俺の足はテツに止められた。
「なあ、お前は金持ちになりたいっていう気持ち、まだ変わらないか?」
足を止め、引きつったような笑みを浮かべる。
俺にとって節約は、この欠陥だらけのシステムを攻略するための手段に過ぎない。
「当たり前だ。俺の節約は、他に選択肢がないだけだ。じゃあ、俺は行くぞ」
――世の中ってさ、金を出すやつしか人間扱いしてくれないんだよ。
……お前も知ってるだろ。
その冷徹な独白は、開店を告げる電子音の奔流にかき消された。
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