継がれし記憶(2/3)
「記憶……を借りる?」
僕は思わず聞き返した。
「人の……いや、誰かの記憶って、そんなふうに扱えるもんなのか?」
「扱えるかどうかは知らない。ただ、俺は“継いだ”」
久野瀬朔は、壁に張りついていた“影”が完全に消えたことを確認すると、くるりと僕の方へ向き直る。
「俺の家系は、異界と繋がる“門”を代々管理していた。
でもある代で、門が開きかけて壊れた。そのときの記憶が、俺の中にある。
今の俺は、俺じゃない。……過去の誰かの断片で構成されてるに過ぎない」
「そんな……」
言葉が出ない。
でも、その瞳は真っ直ぐだった。冷たく、遠く、でも嘘がない。
「お前も昨日、喰っただろう。あれは“怪異”じゃない。
もっと原始的な、“人の恐怖”に染み込んだ異界の触手だ。
だからお前は今、変質している。
……少しずつ、誰かじゃない“何か”になっていってる」
「…………」
「俺と同じように、“境界を越えて”しまった人間だ」
突如、空気がぐにゃりと震えた。
校舎の裏手、昇降口の方から悲鳴が上がる。
「っ、今の……!」
「異界のにじみだ。今度は校内だな。来るぞ」
朔が一歩前に出ると、その足元に再び影が走った。
昇降口の中に入ると、そこはもう“別の空間”だった。
夕暮れの校舎とは思えないほどに、湿っていて、暗い。
照明はチカチカと明滅し、靴箱の並ぶ壁面が、まるで生き物のようにうごめいている。
その中心にいたのは――“人の形をした怪異”。
「……う、そだろ……」
僕は思わず後ずさった。
その顔は、僕の小学校時代の担任だった人に、そっくりだった。
「……あんた、なんで、こんな……」
けれど、それはもう人間ではなかった。
口が、耳まで裂けていた。
手は床に届くほど長く、影のように揺らいでいた。
「お前の記憶が呼んだんだ」
朔が言った。
「異界は、“恐怖の記憶”に引き寄せられて発生する。
これは、お前の記憶と恐怖が引き起こした現象。だから、お前が“喰う”しかない」
「おい、待ってくれ! こんな、僕に、喰えるわけ――」
怪異が動いた。
ズッ……と滑るような足音。
その瞬間、僕の視界がぐらりと歪む。
足が震えた。
でも、背後から声が届いた。
「喰われる前に、喰え。……そうだったろ?」