喰われる前に喰え(1/3)
これは、いじめられっ子が世界を変える話ではない。
ただ、世界の片隅で“誰にも気づかれなかった”少年が、
ある日、恐怖に喰われて、そして喰い返す物語だ。
この世界には、目に見えない“境界”がある。
それを越えてしまった少年たちの、
異界との接触録――
『異界境界録』、開幕。
僕は、世界のノイズだった。
誰かが僕を見て、声をかけて、そして次の日には忘れる。
ノートを貸してくれたクラスメートが、数時間後には「誰?」と言う。
机の中に仕舞った教科書が、勝手に捨てられたことになっている。
「存在感が薄い」とか、そんな生やさしい言葉じゃない。
僕は、本当にこのクラスに“いない”のだ。
「おーい空閑、おまえまだ消えてなかったの?」
笑いながら絡んできたのは天城晃だった。
同じクラスの男子で、なぜか僕の名前を間違えずに呼ぶ唯一の人間だ。
「……うん」
僕はそれだけ答えて、天城の視線を避けた。
どうせこれも、ただの気まぐれだ。
チャイムが鳴って、ホームルームが始まる。
先生が出席を取り始める。
当然のように、僕の名前は呼ばれなかった。
「先生、空閑くん、今日いますけど」
声を上げたのは女子の一人――白川だったか?名前は覚えてない。
でも先生は、キョトンとした顔で黒板を振り返る。
「……空閑くん? 誰だっけ、それ」
冗談じゃなかった。
僕は、今日もこの教室から“はみ出している”。
下校途中。
西日が傾き、人気のない体育館裏に足を向けたのは、ただ静かでいたかっただけだった。
でも――そこに“いた”。
それはランドセルのようなものだった。古くて、黒ずんで、口を開けたようにぱっくりと裂けていた。
中から、じっとりと濡れた音が聞こえる。
ぞわり、と背筋に寒気が走った。
「……誰か、いる?」
問いかけた瞬間、
“それ”は動いた。
ぐにゃりと、ランドセルの影が伸びる。足元のアスファルトが、ねちゃねちゃと蠢き始める。
影が足首を這い、喉元へと迫る。
声が出ない。
手も足も動かない。
頭の奥で、何かが割れるような音がした。
そして、僕は――飲まれた。