2.再会(律子)
「はー」
「なに? そんな辛気臭いため息ついて」
バーでいつものメンバーで飲んでいて、先日のことを思い出してため息が漏れた。
「翔子は悩みがなさそうだよね」
「何? 律悩んでるの? 珍しい。慰めてあげよっか? 抱いてあげてもいいけど」
「そっちは専門外。抱かせてくれるって言うなら考えてあげてもいいけど?」
翔子としばらく見つめあって、改めて観察してみる。切れ長の目に艶のある黒髪ロングの美人。細身だけれど出るところはしっかり出ていて、声に色気がある。口説く時はもっと甘くなる。泣かせた女は数知れず。私と同じく、本命を作らず遊んでいる同類。
私が悩んでいるのを嬉しそうに眺めてくる姿はちょっとムカつく。
「……」
「……」
「いや、律を抱くとかないわね。うん、ない。気の強い子は大好きだけれど、律は違う。ごめんなさい」
同じように観察をしてきていた翔子が神妙に断りを入れてくるけど、お互い対象じゃないのは分かってる。
「なんで私が振られたみたいになってる訳? まぁ、大人しく抱かれないけど」
「まぁまぁ、律子さんも翔子さんも落ち着いてよ。どっちがネコになるのか凄く興味があるから、もしそうなったら感想聞かせてね?」
「ふふ、真尋ちゃんの勝ちね」
ママに笑われ、無邪気に笑う真尋に毒気を抜かれて、翔子と共に苦笑した。
「それで?」
「え?」
「辛気臭いため息の理由は?」
「あー、ママは知ってるけど、この前タイプな子を見つけて」
「ああ。ひなちゃん?」
ひな、という名前を聞いただけで心拍数が上がった気がする。
「そう。同じ会社の子には手を出さない、って決めていたのに、同じ会社だった」
「へぇ」
「ええ? 会ったことなかったの?」
にやにやして楽しそうな翔子と、心配そうに様子をうかがってくる真尋。ママも驚いているみたいで気遣わしげな視線を感じる。
「転勤してきた子で、他の拠点勤務だったから」
「あー、それは知らないか」
「それで? 迫られて困ってるの?」
「いや、思いっきり目を逸らされたし、2度目の誘いも、連絡先も断られてそれっきり。名字も知らないし、どこの部署なのかも分からないよ」
迫ってきてくれたらどんなに良かったか。他の子なら面倒しかないのに。
「え、もしかして……律子さんが脈ナシ? 振られたの?」
「はぁー、やっぱりそういうことだよね」
「なんかごめん」
真尋の言葉に机につっぷせば私抜きで盛り上がり始めた。あの律が2度目を求めるなんて明日は大雨に違いないとか、これは本気だとか、ヘタだったんじゃないかとか、私も会ってみたいだとか……少しくらい慰めてくれても良くない?
真尋のタイプからは外れているけれど、絶対翔子のタイプだと思うから、翔子には会って欲しくない。私にそんなことを思う資格なんてないけれど。
*****
ひなとの出会いから3ヶ月程経ち、担当秘書不在のタイミングで交際費の確認が必要な案件が発生した。経理に電話をすれば、担当の代わりに繋がった人の声が、ひなによく似ていた。
少し低めの、落ち着いた声。丁寧に説明され、最後に名前を尋ねれば、本人だった。
声は震えていなかっただろうか。電話を切った後に、部下たちの驚いた表情を見て、余裕が無さすぎた自分に呆れた。
ひなに迷惑をかけないようにしないと。
自分のスケジュールを開いて、夕方以降の空き時間をブロックした。毎日設けている夕方の相談の枠は、今日は18時までしか入っていなくて執務時間にしようとしていたからちょうどいい。
明日以降のスケジュールもざっと確認して、普段は秘書の池田さんに連絡するけれど、不在だから自分で夜に会議がない日をいくつかブロックした。
ひなが来てくれるか分からないし、来てくれてもまた会ってもらえるかも分からないけれど、可能性はゼロじゃないと思いたい。
出退勤ボードの退勤時間を修正して、サインが必要なものがあれば定時までに、と伝達をした。
「翔子、なんでいるの?」
急ぎの書類を片付けてバーに到着すれば、翔子がいて驚いた。
「なに? いちゃ悪い?」
「いや、木曜日って夜は定例会議って言ってなかった?」
「今日は先方都合でスキップ」
「そう」
翔子は居ないと思ったのに、まさか居るなんて。好きなタイプが被ることが多くて、お互いが気に入った人には手を出さないって暗黙の了解があるけど、安心はできない。
来て欲しいような、欲しくないような複雑な気分。
「あれ? 翔子さん珍しい。律子さんも早いね?」
カウンターで翔子と飲んでいれば、ドアベルが鳴って、聞きなれた声がした。
「真尋。お隣の子は?」
「うん? 入るか迷っていたみたいだから、連れてきちゃった」
「ひな、来てくれて嬉しい」
「律さん……」
真尋と共に入ってきたのは、ひなだった。
「へぇ……この子が律の。ひなちゃん? 良かったらお姉さんと一緒に飲みましょ」
翔子の言葉に、ひなが私に視線を送ってくれた。それがどうしようもなく嬉しい。
「ちょっと、翔子」
「そんなに心配しなくても、いじめたりしないから。それに、律にひなちゃんの行動を縛る権利があるの? 真尋がいればいいでしょ」
「あ、私も?」
確かに、恋人でもない私にひなの行動を縛る権利なんてない……よね。
「ふふ。ひなちゃん、どう?」
反論できない私を見てにんまり笑って、翔子がひなに視線を送る。
「じゃあ、少しだけ」
「良かった。ママ、奥のテーブルいい?」
「どうぞ」
翔子に連れられて、奥のテーブル席に向かうひなを見送った。
「律子さん、心配しないで。ちゃんと見ておくから」
「真尋、ありがとう」
頼もしい言葉を残して、真尋も追いかけて行った。
想像もしていなかった事態に、ため息を吐くしか出来なかった。
ママに相手をしてもらいながら待っていれば、ひなはスッキリした表情で戻ってきて、何を話したのか気になったけど、嫌な思いはしなかったんだろうなと安心した。
「ふー、ひな、久しぶり。来てくれてありがとう」
「お久しぶりです」
「また会えるとしたらここかな、って思っていたけど、同じ会社だったなんてね」
「そうですね……驚きました」
エレベーターが開いて、乗っているのがひなだと分かった時、本当は話しかけたかった。すぐに視線をそらされたし、私は部下といたし、迷惑にしかならなかっただろうから、あの対応で正解だったはずだけど、こんなにも会えないとは思わなかった。
「あれ以来会社で見かけなくて、どこの部署なんだろうってずっと思ってて……今日、電話の声が似てるな、って思ったんだ」
「気にしてくれていたんですね」
ひなは、少しでも私のことを気にしてくれたんだろうか……
「本当は、あの時案内をしていた総務の子に聞こうか迷って。聞いているかもしれないけれど、私はカミングアウト済みだから……私が興味を持つことでひなが嫌な思いをするかもしれないと思ったら、聞けなかった。連絡先を断られたのに未練がましいんだけどね」
噂はすぐに広まるし、否定してもキリがないことは身をもって知っている。ワンナイトの相手、というだけの関係ではひなを守れない。
「それは、すみません……」
「気にしないで。また会えて良かった。今日、ひなをやっと見つけて、ちょっと浮かれちゃって噂になっちゃったみたいで……名前は出していなかったはずだけれど、迷惑をかけてしまったらごめんなさい」
「電話をしたことを知っている同僚に私のことかと確認されましたが、違うと答えたので大丈夫だと思います」
「既に影響が出ちゃってたか……相手がひなだってことはちゃんと隠すけど、何かあればすぐに社用メールでも電話でも連絡して。対応するから」
結局、私の油断でひなに迷惑をかけてしまって落ち込むけれど、もし何かあればちゃんと守るということは伝えておきたかった。
「あの、1回断ったのに今更、とは思いますが連絡先を交換してもらえますか?」
「……え?」
「律さんが嫌じゃなかったら、またお会いしたいです」
「……っ、もちろん」
心境の変化があったのか、連絡先を教えてくれて、まだ私にもチャンスがあるのかなとはやる気持ちを抑える。もう同じ失敗は繰り返さない。
ゆっくり関係を築いていこう。