4.伝わる気持ち
「ひなちゃん、最近律とどう? 連絡先を交換できたって浮かれてたけど、進展はあった?」
仕事が早く終わったから1人でバーに立ち寄れば翔子さんがいて、隣にお邪魔して雑談をしていれば、意を決したように尋ねられた。律さんの話題になって、浮かない表情をしてしまったことに気がついたのだと思う。
「どう……連絡はまめに取りますし、何度かご飯に連れて行ってもらいました」
律さんと連絡先を交換して、毎日ではないけれど連絡を取るようになって、何度かご飯に連れて行ってもらった。身体を重ねたのは初めて会った日だけで、ご飯を食べた後はバーに行くか、家まで送ってくれて解散という、身体の関係を持ったことがあるとは思えないくらいの健全な関係が続いている。
「恋人関係ではないのよね?」
「ないですね」
「そう……律と最近会えてなくて。連絡しても返さないし。嫌だったら黙秘してくれていいんだけど……その、身体の関係は?」
「初めて会った日だけです」
「信じられない……あの律が? え、再会して2,3ヶ月くらい?」
「そのくらい経ちますね。もう私に興味がないのかもしれません……」
2人で会っても、律さんは好意を伝えてきたりはしないし、触れてくることもない。私が律さんに惹かれはじめていることも、伝えていないけれど。
「はぁ……律は何をやってるんだか……ひなちゃん、ちょっと電話してもいい?」
「はい」
翔子さんはため息を吐いて、どこかに電話をかけ始めた。
『もしもし、律? 仕事終わった? 今ね、バーでひなちゃんと飲んでて。ちょっと酔っちゃったみたいで送っていくから、一応連絡。あ、ひなちゃん寝ちゃだめよ。ふふ、可愛いわね』
内容に驚いて翔子さんを見れば、人差し指を唇に当てて、しーっと悪戯っぽく微笑まれた。
『ちゃんと送り届けるから、律は安心して帰って。もし寝ちゃったら、家に連れて……はいはい、分かりました。早く来てよね』
電話を切った翔子さんは、律来るって、と楽しげに笑ってスマホを見せてきた。そこには、すぐに行くからひなに触れないように、とメッセージが届いていた。
「ひなっ! ……え?」
ドアがバンっと開いて、慌てた様子の律さんが駆け込んできた。翔子さんとママと話している私を見て、あれ? と首を傾げている。いつも余裕のある大人な律さんの慌てた姿に、胸が高鳴る。
「律、早かったね」
「翔子……」
「おー、こわ」
「りっちゃん、いつものでいい? 座ったら?」
「あ、うん。ありがとう」
飄々とした態度の翔子さんと、そんな翔子さんを険しい表情で見つめる律さんの間でどうしようかと思っていれば、ママが助け舟を出してくれた。
「それで?」
「律がヘタレだから背中を押してあげようと思って」
1杯目を一気に飲み干した律さんがタンっとコップを置いて翔子さんに問いかければ、翔子さんが事も無げに言った。
「はぁ……余計なお世話」
「本当に? ひなちゃんに、もう私に興味が無いかも、なんて言わせておいて?」
「え?」
「ちょっ、翔子さん……! 律さん、ちが……っ」
まさかの暴露に慌てて否定の言葉を言いかければ、律さんに手を取られた。
「ひな、ごめん。私が臆病だった」
「さて、私はそろそろ帰るわ」
「ママ、翔子の分も私が。翔子、ありがとう」
「ふふ、素直。有難くご馳走になるわ。ひなちゃん、またね」
翔子さんが立ち上がってママに視線を送って、ママが頷けば、律さんがそれを止めた。
翔子さんを見送って、ママも離れれば、真剣な表情の律さんに見つめられた。握られたままの手から、心臓の音が届いてしまうんじゃないかってくらい、ドキドキしている。
「ひな」
「……はい」
私の名前を呼ぶ律さんの表情も声もすごく優しくて。期待しないように、と奥底に沈めた気持ちが浮上する。
「沢山遊んできたし、信用してもらえないかもしれないけど、ひなが好きだよ。ひなが受け入れてくれるなら、好きになってもらえるように努力するし、よそ見はしないって誓う。私と付き合って?」
誠実に想いを伝えてくれた律さんに、ちゃんと伝えよう。
「……私、前に好きになった人がすごくモテる人で。何人かいる相手の1人でも良くて……結局、最後まで想いは一方通行のままでした。律さんもきっとそうだろう、って決めつけて……律さんにも深入りしないようにしよう、って……」
「うん。ひなが誰かと重ねてることは気付いてたよ。時々、懐かしむような、寂しそうな表情をしていたから。だから、まだ伝えるのは早いと思ってた」
まさか、気づかれていたなんて……律さんはまたごめんね、と謝ってくれた。何も悪くないのに。
好きだった女の子は、最初から本命を作らない人だというのは知っていた。報われないと分かっていて近づいたのに、優しさに触れる度、寂しそうに笑う顔を見る度に想いが募っていった。隠せなくなって好きだと伝えれば、ありがとう、とにこやかに返してくれた。
想いが通じたのか、と思ったのは一瞬で、次の瞬間には関係の終わりを告げられた。
未練を残さないためだったのかもしれないけれど、それはもう声も、表情も冷たくて、自分のことを好きな相手には冷たい、と有名だったのはこれか、と身をもって知ることになった。
「律さんは、好き、って伝えても離れていきませんか?」
「もちろん。嫌、って言われても離してあげない」
「わたしも、律さんに惹かれています。浮気は認めませんし、結構嫉妬しますけど……本当に大丈夫ですか?」
「え、可愛い……ちゃんと身辺整理済みだし、嫉妬は嬉しいよ。あとは?」
「……律さんのお家にも呼んでくれますか?」
「いつでもおいで。ひなが良ければ、今日でもいいよ。ちょっと散らかってるけど」
隠すものなんてない、と示してくれて、安心させようとしてくれるのが伝わってくる。でも、付き合ってから家に行ったら、きっと……
「明日も仕事なので、やめておきます。明後日、行ってもいいですか?」
「うん。そのまま泊まって?」
「……はい。着替えとか持っていきますね」
「ひな、付き合ってくれる、ってことでいい?」
「よろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げれば、ずっと繋がれていた手に口付けが落とされた。顔をあげれば、律さんが嬉しそうに笑ってくれて、こんな顔で笑うんだ、と新しい発見があったし、もう気持ちを押し込めなくていいということが物凄く嬉しい。
今日から、律さんが私の恋人なんだ……