3.2度目の
「あれ、帰っちゃうんですか?」
「え?」
仕事が終わり、気になってバーに辿り着いたけれど、ここまで来ても行くべきか、帰るべきか迷っていた。残業で行けなかった、と明日謝罪のメールを入れよう、と体の向きを変えれば、後ろにいた人と目が合って、気さくに声をかけられた。
「あ、突然すみません。良かったら一緒に入りません? 初めてですか?」
「いえ、1度だけ来たことがあります」
「そうなんですね。私はよく来るんですけど、落ち着くいいお店ですよね」
「そうですね」
ショートカットの笑顔が可愛い子で、私より10センチくらい背が高い。律さんと同じくらいかな?
私と同じくらいか少し下くらいの年齢な気がする。律さんとは系統が違うけどこの人もモテると思う。昔好きだった人に雰囲気がちょっと似ている。
「無理にとは言いませんけど、どうされます?」
「そうですね……待ち合わせなので、行きます」
「なんだ、待ち合わせですか。残念だなー」
緊張している私を気遣って軽い感じで相槌をうってくれて、どうぞ、とエスコートしてくれた。
「あれ? 翔子さんが木曜日に居るなんて珍しい。律子さんも早いね?」
バーに入るなり、一緒にいた人が気軽に声をかけて、カウンターで飲んでいたふたりが振り返った。そのうちの1人は律さんだった。
「真尋。お隣の子は?」
「入るか迷っていたみたいだから、連れてきちゃった」
「ひな、来てくれて嬉しい」
「律さん……」
「え、まさかの」
律さんは嬉しそうな、でも複雑そうな表情をしていた。今日はどういうつもりで誘ってくれたの?
「へぇ……この子が例の。ひなちゃん? 良かったらお姉さんと一緒に飲みましょ」
律さんの隣に座っていた妖艶なお姉さんが真っ直ぐ見つめて一緒に飲もうと誘ってきて、思わず律さんを見てしまった。この人もお相手の1人? いや、でも爪が……
「ちょっと、翔子」
「そんなに心配しなくても、何もしないわよ。それに、律にひなちゃんの行動を縛る権利があるの? 真尋がいればいいでしょ」
「あ、私も?」
「ふふ。ひなちゃん、どう?」
翔子さんという人に言いくるめられて、反論できずに黙ってしまった律さんを見て満足そうに笑って、私に視線を合わせてくる。その視線は、まさか断らないよね? という圧を感じた。美人の笑っていない目って怖いからやめて欲しい。
2人きりは怖いけど、真尋さんも一緒なら大丈夫かな。
「じゃあ、少しだけ」
「良かった。ママ、奥のテーブルいい?」
「どうぞ」
こっち、と先導されて、奥のテーブルにたどり着く。私の正面に翔子さんが座り、少し遅れて追いついた真尋さんがちょっと悩んで、翔子さんの隣に座った。
「改めまして。翔子です。よろしくね」
「真尋でーす」
「ひなです。よろしくお願いします」
「はい、ひなちゃん何頼む?」
改めて自己紹介後、真尋さんがメニューを渡してくれた。眺めていたらママが様子を見に来て、この前と同じものをお願いすることにした。
「さて……突然ごめんなさいね」
少し経って、私と真尋さんの分のお酒が届いて、それぞれ飲んだところで翔子さんが口を開いた。何を言われるのか、と警戒している私を見て困ったように笑って、まずは謝罪だった。
「え?」
予想外すぎて戸惑いの声になってしまって、目の前の翔子さんは無理もないわよね、と苦笑した。
「律に近づかないで、なんて言うつもりはなくて。律と私はお互い対象外だから、そこは安心して。ただ、律が珍しく落ち込んでいたから、少し話が出来たらな、って」
「落ち込んで……」
「そうそう。律子さん連絡先を断られたって項垂れていて。あの律子さんが遊ばれたなんてどんな人かなって思っていたら、ひなさんはそんな感じでもなさそうですよね」
遊ばれた、のところで咄嗟に否定をしようとした私に気づいて、真尋さんが優しく笑ってくれた。
「律さんに連絡先を聞かれたのは社交辞令だと思っていて……女の子に困らないだろうし、もう会うことは無いと思っていました」
「律はね、私が知る限り、連絡先を聞くなんてことは今までしたことはなかったの。明確に線を引いて、内側に入れたがらない。遊んでいるのは事実だし面倒くさい性格をしているけど、信頼できる。……褒めたくなんてないけど」
「翔子さんって素直じゃないよね。律さんに伝えていい?」
「絶対にやめなさい」
くすくす笑う真尋さんに、真顔で拒否する翔子さん。とても仲が良くて、なんだか羨ましい。
「お2人はとても仲が良いんですね」
「ひなちゃんもすぐ仲良くなれると思うわよ。律なんてやめて私にする?」
「翔子さん? ダメですからね? 律さんに頼まれているんですから」
「冗談よ、冗談」
「ひなさん、翔子さんに何かされたら言ってくださいね。この人遊んでますから」
「真尋、人のこと言えないわよね?」
2人の気の置けないやり取りを聞いていて、緊張が徐々にとけていく。
「少しはリラックス出来たみたいね。そろそろ律が乗り込んで来るかもしれないから、ひなちゃん戻る?」
「……そうですね。ちゃんと話してきます」
「行ってらっしゃい」
2人に見送られて律さんに近づけば、随分飲んだのか、ママに絡んでいるところだった。
「りっちゃん、飲みすぎ」
「えー、だいじょーぶだって。同じので」
「お水ね」
「えぇー、ママは商売人としてそれでいいの?」
「はいはい。大人しく飲みなさい」
「はーい」
「あら、ひなちゃん。話は終わったの?」
「はい。律さん、隣いいですか?」
「……どうぞ。ごめん、ママお水もう一杯貰える?」
出されたお水を飲み干して、追加でお願いした分も半分くらいまで飲んで、深呼吸をひとつ。
見つめてくる視線には、熱がある。
「ふー、ひな、久しぶり。来てくれてありがとう」
「お久しぶりです」
「また会えるとしたらここかな、って思っていたけど、同じ会社だったなんてね」
「そうですね……驚きました」
「あれ以来会社で見かけなくて、どこの部署なんだろうってずっと思ってて……今日、電話の声が似てるな、って思ったんだ」
「気にしてくれていたんですね」
翔子さんと真尋さんからも聞いてはいたけれど、本当に私のことを気にしてくれていた事に喜びが胸に広がる。
「本当は、あの時案内をしていた総務の子に聞こうか迷って。聞いているかもしれないけれど、私はカミングアウト済みだから……私が興味を持つことでひなが嫌な思いをするかもしれないと思ったら、聞けなかった。連絡先を断られたのに未練がましいんだけどね」
寂しそうに笑うから、遊びだなんてあの時決めつけずに連絡先を交換していたら、と戻れない過去を思う。感情に振り回されずに私のことを気遣って行動してくれるところに好感が持てるし、聞いていたとおりに信頼できる人だなって思う。
「それは、すみません……」
「気にしないで。また会えて良かった。今日、ひなをやっと見つけて、ちょっと浮かれちゃって噂になっちゃったみたいで……名前は出していなかったはずだけれど、迷惑をかけてしまったらごめんなさい」
「電話をしたことを知っている同僚に私のことかと確認されましたが、違うと答えたので大丈夫だと思います」
「既に影響が出ちゃってたか……相手がひなだってことはちゃんと隠すけど、何かあればすぐに社用メールでも電話でも連絡して。対応するから」
プライベートの連絡先ではなく、社用と言い添えて、私の意に沿わないことはしないという意志を感じた。
「あの、1回断ったのに今更、とは思いますが連絡先を交換してもらえますか?」
誠実な律さんをもっと知りたいって思うから……今更、って断られるかもしれないけど、今しかないと思った。
「……え?」
「律さんが嫌じゃなかったら、またお会いしたいです」
「……っ、もちろん」
戸惑っていた律さんだけれど、連絡先の交換と、また会う約束をしてくれた。