鍵
不定期で番外編を更新いたします。お楽しみいただけたら嬉しいです。
律さんと付き合い始めて、週末は泊まるようになった。金曜日に律さんが早く帰れれば金曜日から2泊で、土曜日からなら1泊。溜まっている家事もあるし、出勤準備があるから、日曜日には自宅に帰っている。
今日は早く帰れるらしく、律さんから会いたいと言われているけれど、繁忙期と聞いているのに大丈夫なのかな……
落ち着いたタイミングで退勤しようと思っていたら、律さんから、秘書の池田さんから鍵を受け取って、とメッセージが入った。鍵……律さんの家のってことだよね? 確認の返信を送ったけれど、既読がつかないから急な会議でも入ったのかもしれない。
こちらから律さんの秘書さんに連絡をするべきか少し悩んでいれば、登録していない番号から電話がかかってきた。
「はい、経理課 坂本です」
「お世話になっております。経営企画部 池田と申します。日高部長の秘書をしております。今お時間よろしいでしょうか?」
「お世話になっております。大丈夫です」
「本日ご予定をお入れしておりますが、急遽社長との会議が入りまして、お時間に間に合わなそうでして……」
「そうでしたか。ご連絡をありがとうございます」
「資料をお渡しするようにと預かっておりますが、お受け取り可能でしょうか?」
資料って鍵のことかな? 付き合い始めてから、秘書さんに付き合っていることを伝えていいか確認をされて了承しているから、池田さんは知っているはずだけれど、フロアだから色々伏せてくれているのかもしれない。
「どちらに伺えばいいですか?」
「大変お手数ですが、8階の休憩スペースへお越しいただけますでしょうか」
「承知しました。これからでよろしいでしょうか?」
「はい。よろしくお願いいたします」
電話を切って、少し席を外すと伝えてエレベーターホールに向かう。私が公表していないから、きっと経理部の近くで同僚と会わないように、という配慮だと思う。
「坂本さんですか? 池田です」
「はい。坂本です」
8階の休憩スペースには長3封筒を持った女性が待っていて、きっと池田さんだな、と思い近付けば、気づいて声をかけてくれた。
「ご足労頂きありがとうございます。こちら、お預かりしております。日高部長からお聞きでしょうか?」
「あ、はい。鍵を受け取ってと連絡が。すみません、ありがとうございます」
受け取った封筒の中を確認すれば、見覚えのある鍵が入っていた。
「今日は絶対定時で帰る、とおっしゃっていたのですが、社長から会議の同席要望が急遽ありまして……会議に入る前に託されました。プライベートなことをお願いして申し訳ないと謝られましたが、信頼していただけて嬉しい限りです」
「色々配慮頂きありがとうございます」
「いえ。それでは、失礼いたします」
綺麗な礼をして、池田さんは休憩スペースを出ていった。
律さんの家の鍵を封筒にしまって、自席に戻って仕事を再開したけれど、鍵が気になって集中出来ない。万が一律さんの方が早かったら待たせちゃうし、あとは来週にして今日はもう退勤しよう。
律さんから、説明が足りなかったことの謝罪と、泊まって欲しいとメッセージが届いたから、1度自宅に帰って荷物を持って律さんの家にお邪魔する。勝手にキッチンを使うのも申し訳ないし、お弁当をテイクアウトしたと連絡しておいた。今度も既読がつかないから、きっとまた会議に入ったんだろうな。
SNSを見たりして時間を潰していれば、律さんからメッセージが届いた。再びの謝罪と、テイクアウトのお礼にこれから帰るという報告。
返事を終えて、律さんがもうすぐ帰ってくると思うとそわそわしてしまう。インターフォンの前で待ってようかな……いや、さすがに早すぎるか。
「遅くなってごめん……!」
「律さん、おかえりなさい。お疲れ様です」
「……っ、ただいま。ひなもお疲れ様」
玄関のドアを開ければ、真っ先に謝られた。仕事だし、気にしなくていいのに。おかえり、と告げれば驚いたようだったけれど、すぐに嬉しそうに笑ってくれた。
「ひな、会いたかった」
「先週も会いましたし、まだ1週間経っていませんよ」
「ひなは会いたくなかったの? 私は毎日だって会いたい」
まだ靴を履いたままで、私より目線が低い。上目遣いの律さんは新鮮で可愛い。
「律さんってかわいいですよね」
付き合うようになって、可愛い人だなって思うことが沢山ある。律さんのこんな姿は会社の人たちは知らないと思うと優越感。
「ひなの方が可愛いよ。抱きしめてもいい?」
「はい」
可愛いと思ったら、急にかっこよくなったりもする。部屋に入って、抱き寄せてくれて頭を撫でてくれるからつい擦り寄ってしまった。
「はぁ……かわいい。ひな、ベッド行こ? 抱きたい」
「……っ、ダメです。ご飯食べましょう?」
「あー、そうだよね。待たせちゃってごめんね。手洗ってくる」
甘い声で誘ってくるから、うっかり流されるところだった。お弁当温めなきゃ。今日はダイニングテーブルの方でいいかな。
「律さん、お弁当どっちがいいですか?」
「どっちも美味しそう。ひなが先に選んで」
律さんが先に、ともう一度言ったけど、どっちも好きだから、と先に選んでくれなさそうだった。律さんはどっちの気分かな……
「じゃあ、こっちいただきますね。どうぞ」
「ありがとう。あ、いくらだった?」
「いつもご馳走になってるので、これくらいは払わせてください」
立ち上がって、財布を取りに行こうとする律さんを止めれば、ちょっと悩んで座ってくれた。
「……うん。ご馳走になろうかな」
「はい。そうしてください。食べましょ? いただきます」
「うん。いただきます」
律さんは所作がすごく綺麗で、ついつい見惚れてしまう。会社でも、きっと沢山の人が見惚れているんだろうな。
仕事中の律さんを見たことはないけれど、絶対かっこいいと思う。
「ひな、明日行きたいところはある?」
「特にはないですね」
私が見ているのに気がついた律さんから、明日の予定を確認された。
「じゃあ大丈夫だね」
「大丈夫とは……?」
答えてくれる気はないらしく、微笑んでお弁当の続きを食べ始めてしまった。気になるんですけど……?
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした。美味しかったですね」
「うん。美味しかった。少し休んだら一緒にお風呂入ろ」
「……え?」
律さんとお風呂?
「一緒に入ったことないし……いや?」
「嫌じゃないですけど、ええ……」
眉を下げて、悲しそうな顔をしないで欲しい。何でも叶えたくなるから。
「お風呂では眼鏡外してるし、見えないから」
「……見えないってどのくらいですか?」
「この距離だとひなの顔がぼやけるかな」
眼鏡を外して、少し離れて見え方を教えてくれたけど、お風呂の距離なら余裕で見えるじゃないですか……
「お風呂はそんなに離れてないです」
「はは、確かに。いいじゃん。一緒に入ろ?」
「……はい」
「やった」
付き合ってるし、裸も見られてるし、断るのもね……恥ずかしいから、あんまり見ないでもらおう。
「おじゃまします……」
「どうぞ」
律さんが先に入って、洗い終わってから呼んでもらった。浴室に入れば、眼鏡を外した律さんが湯船に浸かって目を閉じていた。洗った後だから当然髪が濡れているし、とても色っぽい。
目をつぶってくれているのに、うっとり見入ってしまった。早く洗っちゃわないと。
「律さん、入ってもいいですか?」
「うん。ここおいで」
「はい……」
ここ、と示されたのは律さんの足の間で、律さんの身体に触れないように座れば、お腹に手が回されてぐっと引き寄せられた。背中に律さんの胸が当たるし、恥ずかしすぎる……
「ひな、かわいい」
「……っ、耳元でやめてください」
「ね、こっち向いて。キスしたい」
聞き入れられず、甘い声で誘われてクラクラする。
振り向けば、前髪が邪魔だったのか濡れた髪をかきあげていて、かっこよすぎてキュンとした。
「……っ、ん……りつさ……」
最初は触れるだけだったのに、徐々に深くなる口付けに翻弄される。律さんの手は私の身体を撫でていて、もう何も考えられなかった。
「……律さん」
「はい」
「手加減してください」
「ごめん」
濡れた髪のまま、タオルを巻いた状態で寝室に誘導されて、すっかりスイッチが入ってしまった律さんに再び抱かれた。明日予定がないから大丈夫というのは、動けなくても、というのが隠れていたに違いない。
身体を拭いてくれて、甲斐甲斐しく世話をしてくれる律さんはしょんぼりしていて可愛い。さっきまであんなにギラギラしていたのに。
「律さん、大好きですよ」
「ひな……!」
明日は動けなさそうだし、めいいっぱい甘えよう。きっと、喜んでくれるから。
お読み頂きありがとうございました。




