4.探していた人(律子)
水曜日の夜9時過ぎ、資料に目を通していれば、私用のスマホが鳴った。翔子から? 滅多に電話をかけてこないのになんだろうか……私が返事をしないから、その催促?
遅い時間だし、飲み会もあって近くで残っているのは私だけだし、ここで出ても大丈夫かな。
『もしもし、律? 仕事終わった?』
『まだだけど』
『今ね、バーでひなちゃんと飲んでて。ちょっと酔っちゃったみたいで送っていくから、一応連絡』
『はぁ?』
……なんて?
『あ、ひなちゃん寝ちゃだめよ。ふふ、可愛いわね』
『翔子……』
翔子が女の子を口説く時の甘い声でひなを呼んでいて、急いでPCを閉じて机の上を片付ける。本気で口説くつもり? 嘘でしょ……ひなも寝そうになるまで飲んだの? 翔子の前で?
『ちゃんと送り届けるから、律は安心して帰って。もし寝ちゃったら、家に連れて……』
『すぐに行くから待ってて』
家に連れて帰るなんてダメに決まってる。
『はいはい、分かりました。早く来てよね』
「すぐに行くから、絶対……あー、もう、切られたし……!」
私の返事を待たずに切られたせいで伝えられなかった言葉をメッセージとして送信した。
「ひなっ! ……え?」
ドアをバンっと開ければ、ママと翔子と和やかに話しているひなの姿が目に入る。寝てもいないし、酔っているようにも見えない。どういうこと?
「律、早かったね」
「翔子……」
「おー、こわ」
「りっちゃん、いつものでいい? 座ったら?」
「あ、うん。ありがとう」
飄々とした態度の翔子にイラッとしたけれど、ママに声をかけられて少し落ち着いた。
「それで?」
「律がヘタレだから背中を押してあげようと思って」
ママから受け取ったお酒を一気に飲み干して翔子に問いかければ、くすりと笑いながらそんな答えが返ってきた。ヘタレだって? 私が?
「はぁ……余計なお世話」
「本当に? ひなちゃんに、もう私に興味が無いかも、なんて言わせておいて?」
「え?」
「ちょっ、翔子さん……! 律さん、ちが……っ」
ひなと関係を深めていると思っていたのに、翔子から聞いた言葉に衝撃を受けた。
もう私がひなに興味が無い? そんな訳ないのに。最初がああだったから、時間をかけようと思っていたけれど、気持ちを伝えなかったのは明らかに私の失態。浮かれすぎでしょ……
私はまた、間違えたんだ。
「ひな、ごめん。私が臆病だった」
ひなの手を取れば、避けられなくてホッとした。
翔子の分も私が払うと伝えて、翔子とママが離れたのを確認してひなを真っ直ぐ見つめる。
ちゃんと、言葉で伝えよう。
「ひな」
「……はい」
めいいっぱい気持ちを込めて、名前を呼ぶ。愛しいと伝わるように。
「沢山遊んできたし、信用してもらえないかもしれないけど、ひなが好きだよ。ひなが受け入れてくれるなら、好きになってもらうように努力するし、よそ見はしないって誓う。私と付き合って?」
「……私、前に好きになった人がすごくモテる人で。何人かいる相手の1人でも良くて……結局、最後まで想いは一方通行のままでした。律さんもきっとそうだろう、って決めつけて……律さんにも深入りしないようにしよう、って……」
話してもらえるのはもっと先かな、と思っていたから、正直驚いた。やっぱり、そんな相手が居たんだね。
「うん。ひなが誰かと重ねてることは気付いてたよ。時々、懐かしむような、寂しそうな表情をしていたから。だから、まだ伝えるのは早いと思ってた。ごめんね」
興味が無いだなんて思わせるくらいなら、もっと早く伝えれば良かった。
「律さんは、好き、って伝えても離れていきませんか?」
大歓迎ですけど? え、好きって伝えてくれるの? 長期戦を覚悟していたのに。
「もちろん。嫌、って言われても離してあげない」
「わたしも、律さんに惹かれています。浮気は認めませんし、結構嫉妬しますけど……本当に大丈夫ですか?」
惹かれてる……? ということは……ひなと出会ってから一切遊んでないし、身辺整理をしておいて良かった。
「え、可愛い……ちゃんと身辺整理済みだし、嫉妬は嬉しいよ。あとは?」
「……律さんのお家にも呼んでくれますか?」
「いつでもおいで。ひなが良ければ、今日でもいいよ。ちょっと散らかってるけど」
少し片付ける時間はもらいたいけど、何かを隠したって思われるのもな……呆れられるほどじゃないと思うから、いいか。
「明日も仕事なので、やめておきます。明後日、行ってもいいですか?」
「うん。そのまま泊まって?」
明後日の夕方は確かスケジュールブロックしてもらっている日だし、早く帰れるはず。
「……はい。着替えとか持っていきますね」
「ひな、付き合ってくれる、ってことでいい?」
「よろしくお願いします」
ひなが下を向いていてよかった。とても見せられない緩んだ顔をしている自覚がある。
繋いでいた手に口付けを落とせば、びっくりしたように顔を上げたひなが可愛くて、このまま口付けてしまいたいくらい。
明後日じゃなくて、やっぱり今日にしない……?
「りっちゃん、どう?」
「付き合ってくれるって。3人分、これで」
ひなが席を外して、ママが心配そうにそばに来たから付き合うことを伝えて、カードを渡す。ママにも心配をかけちゃって申し訳ない。
「良かった。翔子ちゃんも安心するわね」
「今回は翔子に助けられた……はぁ、しばらくネタにされそう」
「ふふ。頑張って」
翔子が居なかったらもっと拗れていたかもしれないし、本当に助かった。直接はさっき伝えたからもう言わないけど。
「はい、確認して。……りっちゃん、すぐに現れて良かったわね」
「……うん」
一瞬なんのことかと思ったけど、うっかり口に出していた言葉を聞かれていたんだと思い出す。
上手くいくことばかりじゃないだろうけど、ひなと一緒に乗り越えていけたらいいな。
「律さん、お待たせしました」
「おかえり。ひな、ずっと一緒にいてね」
「……? はい」
戻ってきたばかりのひなは不思議そうにしたけれど、しっかり頷いてくれた。
「ママ、ごちそうさま」
「ごちそうさまでした。お会計お願いします」
「りっちゃんからもらってるわ。2人でまた来てね」
「え……律さん、次は私が払いますから」
「……うん。お願いしようかな」
当たり前のように次の約束が出来るって、幸せだ。
「ひな、今日は家まで送る」
「え、律さん遅くなっちゃいますよ」
「まだ電車あるし……いや?」
今までは家を知られるのは嫌かな、と控えていたけど、恋人になったわけだし送りたい。
「嫌じゃないです。じゃあ、お願いします」
「うん。案内よろしくね。歩ける距離?」
「はい」
並んで歩きながら、ひなの視線が時々下を見ることに気がついた。
「ひな、手繋ぐ? 夜だし、見えないと思う」
「繋ぎたいです」
「かわいい」
恥ずかしそうなひなが可愛すぎて、このまま連れて帰りたい。
「明後日は一緒に帰ると目立つだろうし、家に帰って準備してから来る? 私は一緒でも大歓迎だけど」
「そうですね……1度家に帰ります」
「わかった。ご飯作って待ってるね」
「嬉しいです」
「アレルギーはなかったよね? 嫌いなものは?」
「……どちらもないです」
ちょっと間があったし、苦手なものはありそう。一緒にご飯を食べた時のメニューなら大丈夫かな。嫌いなものも遠慮せず教えてくれるようになるといいけれど。とりあえず、明後日は無難なものにしよう。
「ここです」
「もう着いちゃったか」
「一緒に歩くと、あっという間ですね」
「そうだね」
「送ってくれてありがとうございました」
「ひな」
「……ん」
名前を呼んで、頬に手を添えれば目をつぶってくれたからそっと唇を重ねた。離したくなくなるから、触れるだけ。
「かわい。おやすみ」
「はい、おやすみなさい。律さん、お気をつけて」
照れくさそうに笑って、パタパタと走っていった。可愛すぎない?
もう既に明後日が待ち遠しい。唇の感触がまだ残っていて、ひなを抱いた記憶が一気に蘇ってきた。この調子だと、家に来てくれてすぐ襲っちゃうかもしれない……理性に自信が無いから、なるべく接触は避けよう。年上の余裕を持たなければ、と決意した。




