第四話 森の国
暗い。
暗い森のなか。
「気配が動いてるな‥‥やはり街道を使ってるようだ」
「当然だろう。
相手は五〇〇からいるんだ。
街道を使わないで移動できるはずがないさ」
ゲトリクスとテオドール・オルローが小声で会話を交わす。
ルーン王国西部の森林地帯。
ここを抜けると、海岸沿いのサムソンの街が見えてくるはずだ。
仮定形なのは、テオドールもゲトリクスも、その名の街に行ったことがないからである。
彼らだけではない、仲間内の誰も、サムソンなどという街に行ったことがない。
それでも、その街は彼らにとって、重大な意味があった。
ルアフィル・デ・アイリン王国から派遣された調査隊は、ルーン王国内で崖崩れに巻き込まれて全滅した。
その生き残りがいるのが、サムソンの街である。
「全然、表現が違うけどね」
アレクが呟き、
「‥‥‥‥」
無言のまま、レナが頷いた。
崖崩れの情報自体は本当である。
だが、調査隊はそれに巻き込まれてなどいない。
ルーン随一の港町ガスパに向かう途中に襲撃され、全滅したのだ。
一二八名が斬り殺された。
だが、調査隊の数は一五〇名だ。
二二人が消息を絶っている。
「危険を感じたセラさまが別行動を取っていた‥‥ということですね」
「さすがはエリート軍人さんだな」
サムソンの街に潜伏しているのは、セラフィンを含めた調査隊の一部。
本隊とは別ルートでアリーズへ渡ろうとして難を逃れた。
セラフィンを心から尊敬しているアロスや、さほど付き合いのないイスカなどは素直に感心している。
黙って頷いてるリンネも同じだ。
その横で首を横に振っているのは、かめんらいだーとブレイド。
犬と青年のコンビである。
彼らは知っている。
セラフィンの行動が計算されたものでもなんでもなく、単なる思いつきだったことを。
難を逃れたのだって、運の要素が九〇パーセント以上占めていることを。
「ほっといても、何事もなく帰ってきそうなんですけどねぇ」
暢気なことをブレイドが言った。
「まったくだなー」
カールレオンも笑う。
ちらりと、テオドールとレナが視線を送る。
ごく微量の不安を込めて。
総勢一〇人のパーティーのなかで、カールレオンとブレイドは深刻さに欠けるような気がする。
一方はまだ学生であり、実戦の厳しさを知らないから。
もう一方は、どことなくピクニックにでも来ているような、そんな危うさを感じる。
とはいえ、戦力は戦力だ。
たった一〇人で五〇〇人の軍隊を足止めしなくてはならないのだ。
しかも数の多い方が統制が取れている。
困難さは筆舌に尽くしがたい。
「けど、やるしかねぇんだろ」
黙々と顔に墨を塗っていたゲトリクスが顔をあげる。
圧倒的に不利な状況ではあるが、勝算がないわけではない。
「敵はボクたちを発見して殲滅しないといけないけど、ボクたちは敵を全滅させなくたっていい」
アレクが言った。
「それに、ルーン軍は私たちり接近を知らないはずです」
付け加えるアロス。
やや表情が苦いのは、アロスもアレクもルーン出身だからである。
これから戦うのは同胞だ。
これから殺すのは同胞だ。
なんの感慨もないといえば、嘘になる。
「行くぞ。
これ以上離されるとまずい」
躊躇いを振り切るようにテオドールが言い、仲間たちが頷いた。
息を殺して森の中を駆ける。
変化は、唐突だった。
街道の両側の森から飛ぶ魔法。
スリープクラウドが数人の兵士を眠らせ、闇の精霊が視界を閉ざす。
「だぁぁっ!!」
「はぁっ!!」
覆面で顔を隠したテオドールとカールレオンが斬りかかる。
もちろん、たった数人でなんとかなる数ではない。
攪乱できればそれで良いのだ。
ゲトリクスの大剣が、リンネの長剣が、イスカの格闘術がルーン兵を打ち倒してゆく。
彼らの優勢は、ものの数秒しか続かなかった。
ルーン軍が、整然と陣形を整えはじめる。
こうなっては退くしかない。
一〇対五〇〇。
四、五人は倒しただろうから、一〇対四九五だ。
「どっちでもたいしてかわらねぇぜっ!」
イスカの叫び。
「当然だ」
頷いたテオドールが、さっと剣を振る。
後退の合図だ。
満ちていた潮が引くように、森の中へ消えてゆく冒険者たち。
計画通りだった。
もともと戦って勝てるとは思っていない。
このまま森を走って合流し、しかる後に街道を迂回してサムソンの街へ。
街の入り口では、調査隊の生き残りを脱出させたオリフィック・フウザーが待っているはずだ。
現在、ルーン軍は足を止めて防御陣を形成し、第二波の攻撃に備えている。
時間稼ぎとしてはこれで十分だ。
というより、これしかやりようがない。
危機が去ったと判断したルーン軍がふたたび動き出すまでにサムソンの街に到着しておく。
時間的にやや厳しいが、
「やるっきゃないぜっ」
覆面をかなぐり捨て、カールレオンが走る。
だが、彼らはこのとき、致命的なミスを犯していた。
ウィングスで飛んだブレイドが、まっすぐにサムソンの街を目指してしまったのである。
合流場所を幾度も再確認しておかなかったゆえに起こった連携の齟齬だ。
混成部隊の弱み、という言い方もできるだろう。
彼らの弱点だ。
全員が同格でリーダーがいないのである。
ばらばらに行動させないためのリーダーシップなのだが‥‥。
しかもこの時点で、冒険者たちは一人足りないことに気がついていない。
二重三重にミスを重ねつつ、暗い森のなかでの駆け引きが続く。
追撃があることは、もちろん予想していた。
だが、予想していたからといって衝撃が小さくなるわけではない。
じっと茂みに身を潜め、馬蹄のとどろきが去るのを待つ冒険者たち。
一〇騎ほどの騎兵が街道を駆けてゆく。
哨戒と追撃のためだ。
戦えない数ではないが、それはこちらの位置をルーン軍に教えることになる。
はやる気持ちを抑え、自分の心音だけを友として、潜みを続ける。
焦りがある。
ここで自分たちが動けない状態のまま、ルーン軍が進軍を開始したら、非常に困ったことになってしまう。
かといって交戦などすれば、敵を呼び寄せるだけだ。
「待ちの一手、か‥‥つらいですね」
瞳に不安な色をたゆたわせるアロス。
その頬を、赤犬が舐めた。
慰めているつもりなのだろう。
「ありがと‥‥かめんらいだーくん‥‥」
「そろそろ動けそうだよ」
くすりと、アレクが笑った。
バラバラに隠れていた九人が合流し、一団となって森の中を進む。
覆面や変装を解き、武器を隠して、いかにも旅商人を装うのだ。
もしこの時点で点呼を取れば、仲間が一人足りないことに気づいただろう。
そして気づいていれば、冒険者たちは二者択一を迫られることになる。
つまり、ブレイドを探すために作戦時間を遅らせるか、あるいは見捨てて先を急ぐか。
むろん、前者を選択することはできない。
全員の命を危険に晒すことになるから。
ある意味において、この時点で点呼を取らなかったのはラッキーだった。
森の中を歩く冒険者たち。
やがて、ルーン兵の一団と遭遇した。
一瞬、緊張が走る。
「あ、兵隊さん」
にこやかに話しかけるアレク。
「よかった‥‥」
リンネがほっと胸を撫で下ろす。
女性が四人もいるパーティーで、しかも犬まで連れている。
兵士たちが警戒を解くのは、まず当然の流れだろう。
「じつは盗賊に襲われまして‥‥」
揉み手をしながら、ゲトリクスが適当にでっち上げた事情を説明する。
彼らは旅の商人で、サムソンに向かって移動していたのだが、ついさきほど盗賊団に襲われ、命からがら森に逃げ込んだ。
よくもまあそんなでまかせを並べ立てられるものだ、と、アロスと犬が顔を見合わせる。
「そうか。
我々はサムソンを根城にする盗賊団を討伐するためにきたんだ。
戦闘があるかもしれないからはやく街に入って、宿を取ってしまいなさい」
親切に教えてくれる兵士。
テオドールとカールレオンの視線が、一瞬、絡み合った。
兵士のいう盗賊団とは、だれのことだ?
襲撃した冒険者のことではない。
サムソンを荒らし回る盗賊団がいるなど、フウザーからの情報になかった。
となれば、セラフィンたちが盗賊、ということになっているのではないか。
そしてそれを討伐するために軍が派遣される。
兵士たちは、なにも知るまい。
「‥‥軍を動かせるほどの人間が絡んでるのか‥‥」
内心で呟くアレク。
戦慄が脊椎を駆けてゆく。
あまりにも強大な相手だ。
さて、連携の悪さが招いた事態に、冒険者たちはすぐに直面した。
サムソンの街の入り口に、稀代の大魔法使いの姿がなかったのである。
「どういう事?」
首をかしげるリンネ。
「そういえば、ブレイドもいない」
レナがメモ帳に書く。
はっとしたように周囲を見回すものもいる。
やっと気がついたのだ。
「探しに行きますか‥‥?」
アロスが問う。
「いや‥‥」
沈痛な面持ちで首を振るテオドール。
いまから捜索などできるはずもない。
それどころか、彼らが国に帰る方法すらなくなってしまった。
ぎりり、と、奥歯を噛みしめるゲトリクス。
彼らが商人などではないことはすぐにばれる。
街に潜伏したとしても五〇〇人からの軍隊に狩りたてられれば、あっという間に見つかってしまうだろう。
「どうする‥‥?」
やや不安げに、イスカが訊ねる。
無茶なことばかりする少年だが、五〇〇人もの敵を相手取って戦えると考えるほど低脳ではない。
焦げ付くような時間が流れてゆく。
「あ、あれっ!?」
突然、街道の先を指さした。
地上から空に向けて光が打ち上げられ、その間を縫うように飛んでくるふたつの影。
「魔術師どのっ」
着地したフウザーとブレイドに、テオドールが駆け寄る。
「なんだ。
みんなちゃんといるじゃないか。
ブレイドが、反対の方向にみんな逃げていった、なんていうから、心配して探しに行ったんだよ」
肩をすくめる魔法使い。
「‥‥‥‥」
無言で、テオドールがブレイドに近づく。
怒っているのは、誰の目にも明らかだった。
が、
「あんまりのんびりもしてられないよ。
ボクたちが見つかっちゃったから。
足の速い騎馬隊はもう間もなくやってくるだろう」
言ったフウザーが転移門を開く。
「さ、入った入った」
えらく軽い言いようだが、時間がないことは皆がわかっている。
次々と門へと飛び込む冒険者たち。
それが、ルーン軍の前衛が街に到着する二分前の出来事だった。
「自分が何をしたかわかってるのかっ!
この野郎っ!!」
声を荒げ、ブレイドの襟首を掴むテオドール。
かなりの身長差のある二人である。
ブレイドの身体が半ば浮きあがっている。
「おちつけ。
テオドール」
「‥‥‥‥」
ゲトリクスとレナが仲裁にはいるが、ほとんど効果はなかった。
呆れたようにアクビをする赤犬。
普段とは異なる剣幕に、面食らうカールレオンと女性陣。
一仕事を終えた後の美味しいビール、という雰囲気では、なかったのである。
熱い夜が、じっとりと更けてゆく。