第三話 動き出した歯車
アリーズ王国。
耳慣れない名前のその国は、西方大陸東岸に位置する小国だ。
領土面積はルアフィル・デ・アイリン王国の三〇分の一ほどしかないが、対外的な影響力は小さくない。
というのも、アリーズでは昔から良質の鉱石が産出されているからだ。
金、銀、胴、そしてミスリル。
それらは、アリーズ王国に莫大な富をもたらした。
あくまでも王家に。
残念ながら、その富が国民に還元されることはなかったのである。
重労働と重税。
国民の生活は困窮を極めていた。
当時の経済白書によれば、アリーズ王国の平均的な労働者の年収は金貨六〇枚ほどでしかなかったという。
王都アイリーンの労働者の五分の一である。
結局のところ、それが大暴動の原因となった。
大陸暦一九九五年。
鉱山労働者の一部が決起する。
暴動は燎原を焼き尽くす炎のように広がり、一ヶ月後には叛乱と呼ぶ規模のものになっていた。
アリーズ王国の公式記録には、六〇万人以上が叛乱に荷担したと記されている。
数だけならば、世界最強を謳われるアイリン王国陸軍にひけをとらない。
もちろん武装や練度は話にならないレベルだし、全体を効率よく動かす指揮官もいない。
なにより、補給線というものがない。
一戦して叩き潰せる、と、アリーズ王国軍は考えた。
しかし、それは大きな誤りだったのだ。
アリーズ軍の兵站を支えていたのはアリーズ王国の民衆である。
それが離反してしまっては、長期に渡って戦い続けることはできない。
五〇〇〇、一〇〇〇〇と小出しにした軍が立て続けに破られると、王国上層部は蒼白になった。
そして、ある決断をする。
すなわち、中央大陸のルーン王国に救援を要請する、ということである。
それに応じて、ルーンは約七〇〇〇名の援兵を送り込んだ‥‥。
「ここまではわかっているのよねぇ」
ぺらり、と、セラフィン・アルマリックが報告書をめくる。
ルーンへと向かう馬車の中。
ダークナイトと異名を取ったゴルン・サイデルの逮捕に伴い、ルアフィル・デ・アイリン王国は彼の罪状の再調査を決定した。
その調査メンバーに、セラフィンも入っているのだ。
より正確には、ほとんど押しかけ参加をしてしまったのである。
「それにしても大所帯になったわねぇ」
持ち込んだ砂糖菓子などを食べながら呟く。
総勢一五〇名におよぶ大調査団。
彼女の参加が決定してから一〇〇名ほど増えたのだ。
それはセラフィンを護衛するために王国軍最高顧問が配慮してくれた結果であるのだが、むろん彼女はそんな配慮にはまったく気がついていない。
まだまだ経験不足なのだ。
アリーズの叛乱は、歴史の闇に封印された。
ルーンから送られた軍のリーダーは、マラズ・クルガン中佐といいうことになっている。
だが本当は、ゴルン・サイデルがリーダーだった。
未帰還者なし、と、ルーンの戦史は語る。
だが本当は、帰還できたものこそ一〇〇名に達しなかった。
なぜそんなことになったのか。
部隊のほとんどが‥‥ゴルンを含めた大多数が反乱軍に寝返るという不祥事を犯したからだ。
だからルーンとアリーズは歴史を変えた。
「その後アリーズに送り込まれた部隊については書かれてないしね」
セラフィンの紅い瞳が輝く。
叛乱が一応の終結を見ている以上、ルーンは増援を派遣しているはずだ。
アリーズ軍で解決できるものなら、そもそも最初から救援を求めたりしない。
「どのくらいの規模で、どんな戦闘が展開されたのかしら」
腕を組むセラフィン。
それについて歴史は完全に沈黙している。
だが、六〇万の反乱軍にルーンナイトたちが荷担したとなると、生半可な兵力のはずがない。
「二万か‥‥三万か‥‥その生き残りから証言を得られるかも」
それが一歩目の足がかりだ。
九年前、アリーズで何があったのか。
叛乱のことではない。
そんなものは世界を見渡せば、いつでもどこかで起こっている。
気になるのは、どうしてルーンナイトが叛乱に加わったのかということだ。
「動機が薄いのよね」
たしかにアリーズの民には同情を禁じえない。
しかし、同情だけで国を捨て、叛乱者の汚名を着られるものだろうか。
そこがセラフィンにはわからない。
まして他国の事である。
どれほど立派に人物だとしても、他国の民を救うために地位も名誉もすべて投げ打つことができるのか。
仮にそうしたとして、ゴルンには勝算があったのだろうか。
考えれば考えるほどわからなくなってくる。
「そして、いまさらアイリーンに現れた理由も」
形の良い下顎に右手を当てる。
最終的にはアリーズに飛んだ方が良いかもしれない。
ルーンで可能な限り下調べをして、その上で現地に乗り込むのだ。
「もしかしたら、ゴルンの仲間と会えるかもしれないし」
呟き。
それは、戦士の直感のようなものだろうか。
ダークナイトと呼ばれる男の行動が単発的なものだとは、彼女には思えなかった。
まだまだなにか裏がある。
街道を馬車が走る。
夏なお涼しいルーンの地へと向けて。
そして‥‥
七月二三日暁闇。
大本営に早馬が駆け込む。
「アリーズ反乱事件特別調査隊、全滅」
という凶報を携えて。
一五〇名の調査隊はルーンでの調査に一応の終止符を打ち、西方大陸アリーズ王国へ渡ろうとしていた。
その移動中、崖崩れに巻き込まれたのである。
「タイムリーすぎるな」
舌打ちして、報告書をデスクに投げ出す花木蘭大将。
一二八名が死亡し、残りは行方不明だという。
大惨事ではあるが、いささか都合が良すぎる。
はたして本当に崖崩れなどあったのか。
木蘭はそれすらも疑っている。
そもそも一人も救助されなかった、というのがおかしいではないか。
「フィランダー!」
腹心の部下を呼び、
「ただちに第二次調査隊を派遣しろ。
頭数だけで良い。
理由はわかるな?」
「囮、ですか?」
「そうだ。
敵の耳目をそちらに集中させる。
本命は冒険者どもにやらせよう」
「‥‥‥‥」
「なにか異論でもあるのか?」
「いえ‥‥そうではありませんが、この報を彼らに伝えるのは辛いな、と」
肩をすくめる部下。
戦死の報告ほど、嫌な任務はない。
「セラが死んだとは、まだ決まっていない。
才能はともかくとして運は強い娘だからな。
きっと無事だろう」
「そうですね」
微笑を返す。
八割ほどは儀礼で。
「いずれにしても、暁の女神亭にはわたしが伝える。
そなたは第二陣の出発を急がせるがよい」
「了解しましたが‥‥数はいかほど?」
「一個大隊六二五〇名」
「‥‥戦争でもはじめるつもりですか?」
「場合によっては、ルーンとアリーズという国を世界地図から消してやろう」
黒髪の女将軍が笑う。
だが、その瞳はごくわずかな微笑すら浮かべていなかった。
一〇〇パーセント本気だ。
部下の背筋を氷塊が滑り落ちる。
かつかつと、上司の軍靴の音が遠ざかってゆく。