皆で囲むチーズフォンデュ
「オーダムといえばまず有名なのはワインですね。活火山の山腹や麓にたくさんのブドウ畑が広がっていて、その景色はそりゃもう圧巻ですよ。大昔の大噴火の名残ともいえる火山灰石が畑にはごろごろ転がっているんですが、それもまた味が合って景色とは違う魅力のひとつですね」
「まぁ、それはとても素敵ね! けれど活火山ということは、また大噴火の恐れがあるのかしら?」
「いえいえ奥様、そこはご心配なく! 実はオーダム山には火竜が住んでいるんですよ。その火竜が噴火を抑えてくれているのです。まぁ、収穫の一部を奉納する代わりなんですけどね。なんでも初代領主が大噴火の跡地である麓を訪れた時、火竜と出会って今なお続く誓約を結んだとかなんだとか。それ以降火竜の姿を見た者はいないそうですが、オーダム家を継ぐ人間には分かるらしいのです」
「まぁ、そうなの。では今は閣下だけがその火竜がいるか分かるのね」
話の流れのままに私を抱きとめてくれる閣下を見た。
辺境を守る魔神閣下はファンタジーな世界にぴったりな火竜とまで縁があるのね。彼が出ているシリーズは未プレイだから知らないことばかりだわ。新しい知識が増えていくのが楽しくて、ついつい笑顔が浮かんでしまう。けれど、それまで黙って私とアルノルドの話を聞いていた閣下はうんともすんとも言わず、反対方向の窓に顔を背けてしまった。
顔を見合わせた私とアルノルドは苦笑を浮かべ、また話に花を咲かせていく。
人とは恐ろしいもので、あれだけ最初は緊張していた閣下の膝抱っこも早いものでもう一週間以上そうして過ごしていた。私のお尻を守るためではあるが、異性との密着に適応してしまうだなんて……慣れって恐ろしいわね。
閣下の膝に座る私を初めて見た皆はそれこそぎょっと目を見開いていた。二度見したり、目を擦ったり。それだけ信じられない光景だったのだろう。私自身もそのときはまだ信じられなかったくらいだ。けれど体を鍛えている閣下の膝上は柔らかくはないけれど座り心地がとても良い。馬車の揺れを軽減するように抱いてくれるからだろうと、素人目にそう勝手に感じている。
なんちゃってラクレットチーズで評価をあげた私に対し、あの閣下をここまで御せる豪胆な女性は奥様しかいませんと皆親切になった。御してはいないと思うけれど、なんだか否定するのも申し訳なくて触れないことにしている。豪胆に関してはまぁ、好奇心旺盛ではあるかなと思うのでやはり触れないつもりだ。
ちなみに、あの日から数日おきくらいに夕飯にはなんちゃってラクレットチーズが登場する。美味しいけれど何度も食べてしまうとそろそろ違うものが欲しいというか。領土に戻る馬車旅だからそんなワガママ言えないけれど。
「リアーヌ」
「閣下? どうされ……」
呼ばれて閣下を見上げる。彼の視線は相変わらず私の後頭部にある窓の向こう側で。不思議に思っていると彼が器用に膝上で私の体の向きを変えた。そして閣下が見ていた景色が目前に。
「わぁ……! とても広いわ……!」
そこにあったのは雄大な土地に広がる牧草地。ずっとずっと向こうまで、どこまでも続く大草原だ。草の上ではたくさんの牛たちが自由に過ごしている。その穏やかな風景は馬車旅で暇していた心の中にまで爽やかな風を運んでくれた。
もちろん、そんな私を気遣ってたくさん話してくれるアルノルドにも感謝しているけれどね。
「ここからオーダム領だが、屋敷まであと数日かかる。今日はここにある牧場で一泊する予定だ」
「まぁ! それは楽しみですわね」
牧場は好きだ。魔力回路が半壊する前はよくベラクール領にある牧場で領民の子供たちと走り回っていたもの。この世界の牛――正式には牛の形をしているけど魔物にはとても大きな角があるけれど、性格はとても穏やかで大人しい。国で飼育される牛たちはすべて乳牛だから昔は乳絞りの手伝いもしたわ。あぁ懐かしい。
食用というか、この世界の肉はほぼ魔物の肉だ。それだけ溢れており、閣下たちが守る辺境の地や各所で狩られて市場に流通していくのだ。
落ち着いたらゆっくりと牧場の視察をしてみたいわ。乳絞りもしたいし、牧草の上に寝転がるのも楽しいのよね。
そんな楽しみを持つと時間が過ぎるのはあっという間で、牧場主が住む家についた。
チーズ作りもここで行われているようで、工場と同じくらい大きな牛舎が並んでいる。その手前にある大きな大きなログハウス。それが牧場主の家だった。
「領主様、ようこそいらっしゃいました。大した出迎えもできませんがゆっくりお過ごされください」
「無理を言って悪かったな。あとで礼の品を贈らせるが今日はよろしく頼む。それから――」
牧場主である老夫婦に挨拶する閣下に手を引かれた。導かれるように前に出てカーテシーを。
「初めまして、私リアーヌ・ベラクールと申します。本日はお世話になりますわ」
「おんやまぁ……女神様かと思いましたぞ。あなたのような綺麗な人が泊まるにはちょっと汚い場所かもしれませんが、どうぞどうぞ休まれていってください」
「ふふふ、ありがとうございます。けれど私こう見えて、幼少期は牧場で走り回っていましたのよ。今日は一泊ですがとても楽しみですわ。よろしくお願いしますわね」
「……おんやまぁ……」
普通に受け答えしたつもりなのだが、なぜか老夫婦に拝まれ始めてしまう。困っていると「はいはーいじゃあお邪魔しますねー」と横から出てきたアルノルドに閣下共々押されて今夜借りる部屋に案内されていく。普段は従業員も寝泊まりする宿舎も兼ねているらしく、今夜空いている数室のみ使わせてもらう。ゆえに相部屋になるのは仕方がない、という理由で私と閣下は同じ部屋に。
「俺は馬車で休む。だから気にせずお前はここで休め」
「え……ですが閣下もここ数日ずっと外で寝ていましたもの、お疲れでしょう?」
「なら同じベッドで一緒に休むか?」
「――……っ!」
思わず普通に引き止めてしまったが、閣下の言葉で理解する。そうよね、ベッドはひとつしかないもの、同じ部屋で休むとなれば必然的にそうなるわよね。あぁけれど閣下だって疲れているはずだもの。ベッドでゆっくり休んで疲れを取って欲しいわ。
うんうんと唸るように悩んでいた私の頭をぽん、と閣下が撫でた。
「冗談だ。それより風呂に入ってくるといい。俺たちと違ってお前は慣れない馬車旅で色々不便だろう」
「まぁ、お風呂……! そうですわね、ではお言葉に甘えてまずは入ってきますわ」
お風呂はありがたい。道中は彼らと同じように水で濡らしたタオルで体を拭いていたとはいえ、やはりお風呂に入ってさっぱりしたいのは女性として当然の欲望。さらにありがたいことに老夫婦から牧場の作業着であるカートルという服まで頂いた。裾の広がらない長いワンピースのようなもので、この上からベルトで締めたりエプロンをつけるそう。とてもシンプルなものだが、裾や襟に丁寧な刺繍が施されていてとても愛らしい。
お風呂も老夫婦や従業員全員が使うもので、磁器の浴槽なんて当然ない。洗濯するとき使う木製の大きなたらいに湯を張って、少しずつ体にかけて洗うらしい。道中の水洗いとほぼ同じだが、やはりお湯で洗うと気分が変わる。備え付けの石鹸を借りてしっかり洗わせてもらおう。
そうだわ、石鹸を作りたいと考えているのよね。この世界の石鹸は匂いも独特で泡立ちも良くない。前世の記憶にあるような花の香りがするものを使いたいわ。これも落ち着いたらやりたいことのひとつね。
そんなことを考えながらうっかり長風呂になってしまったが、心も体もさっぱりすることができた。カートルの上から腰ひも代わりにリボンで縛って戻ると、部屋の途中にある広間で談笑していた閣下たちの声がぴたりと止んだ。どうしたのかしら? と首を傾げていたら怖い顔をした閣下が自分のマントを私に被せてくる。そんな様子にアルノルドがため息をついていたけれど、なぜかしら?
順にお風呂を済ませていれば窓の外はすっかり暗くなり、そろそろ夕飯の時間だ。
これだけ大勢の食糧を一食分とはいえ貰うのはいけないということで、私たちの夕飯は馬車旅のため用意したいつもの固いパン。あと道中狩っていた魔物の肉が少々。それから残り僅かなチーズと果物くらいね。
ただ、今日はそれに加えてワインがある。なんと老夫婦がせめてこれだけでも、といくつか分けてくれたのだ!
ワインとチーズ、そのまま食べてもいいけれどせっかくならば――。
「よろしければ鍋をお借りてもいいかしら?」
「どうぞどうぞ、調理場にある調味料も自由に使ってくだされ。今日余った食材もせっかくですし、それもぜひ」
と、親切な老夫婦の言葉に甘えよう。
借りた鍋にまずは残ったチーズをスライスしていれたら、分離を防ぐために小麦粉をまぶす。頂いたワインを注いで溶かしたら、調味料で味を調えてさぁ完成。いつもの固いパンと魔物のお肉、それから余った食材からじゃがいも、トマト、あらキノコもあるのね。じゃあこれも調理してから一口大に切ればあっという間にチーズフォンデュの出来上がり。
さすがに人数分を一人で用意するのは大変なので、具材を用意するところは皆にも手伝ってもらったわ。調理の邪魔になるから脱ぎたいとマントを返そうとしたのだけど、なぜか閣下が許してくれないうえに、勝手に脱がないか見張りのつもりで調理中ずっと背後に立たれたけれど。
オーダム産のワインは赤なので、このチーズフォンデュも赤ワインで作っている。前世の記憶では白ワインで作るのが主流のようだけれど、赤でも作れるらしいので試してみたわ。
「食べ方を説明しますわ。皆さんが切ってくれたこの食材、好きなものをフォークに刺して、このお鍋の中にあるチーズにつける。それだけですわ」
皆でいくつかに分けた鍋を囲む。普段魔物を相手に剣を振るう猛者たちが、礼儀正しく私の話を聞く姿はなんだか可愛らしい。実演としてパンにフォークを刺したらチーズをつけて口の中へ。
「んん~~~~っ!! おいひいれふわぁ!!」
ラクレットチーズとはまた一味違う、チーズのコクに絡まる美味しさ。これに今日はワインもあるのだ! 濃厚なチーズの余韻が残る口内にワインを流し込めば、こってりしたうま味に爽やかなブドウの風味が重なり、最後に残る香りが心までも満たしていく。
「さぁ皆さんもどうぞ、召し上がって」
美味しさにうっとりしたまま微笑めば、今にもうおおおと叫び出しそうな勢いで群がる彼ら。今や見慣れた光景だが、美味しいものを求める元気な姿は見ていて気持ちが良い。「なんだこれ!? どれにでも合うぞ!」「いつものやつとは違うな。こっちは自分で選んで食べるのも楽しいぜ!」「野菜は嫌いだが、これなら俺にも食える! うめぇ!!」と同じ美味しさを共にしてくれる彼らの喜びの声があちらこちらから。
「閣下の口にも合いまして?」
「あぁ。これは鍋を囲んで食べるから皆の顔が良く見える。それが良い」
「ふふふ、皆で囲んで食べるとより美味しく感じられますものね。私もこうして囲んで食べるスタイルが好きですわ」
どうやら閣下の口にも合ったよう。なにより私と同じように、こうして皆の顔を見ながら食べられるところが特に気に入ったようだ。美味しいものを一緒に食べると喜びも増すもの。嬉しいのよね。
「あ、あのう領主様……我々もよろしいでしょうか? こんな風にチーズを料理するのは初めて見たものですから、どうにも興味がありまして」
「あぁ、もちろんだ」
と、調理中からずっと見ていた老夫婦もチーズフォンデュをぱくり。カッと目を見開いて色んな食材を試しては頷き、最後はチーズだけを皿にすくって味をみていた。
「領主様。よければこの料理、名前をつけて広めてはいかがでしょうか?」
そうしてしばらく思案していた老夫婦の提案に手が止まる。それを受けた閣下の視線が私に尋ねるような雰囲気だったから。
「ええと……以前なにかで読んだような? それを試してみただけですのよ。そう、ええとチーズ……チーズフォンデュだったかしら? そんな名前だったと思いますわ。広めるのは賛成ですわ。だってこんなに美味しいもの、もっと色んな人にも食べて欲しいですもの」
まさか前世の記憶が……とは言えず、出自は誤魔化したけれどいいわよね。だって美味しいものを共有したい気持ちに嘘はない。閣下とアルノルドの視線がちょっと痛いような気もするけど、気にしない気にしない。
せっかくなら特産品のワインとここのチーズを使って領土で売り出して名物にしようと話が進んでいく。未だにチーズフォンデュを勢いよく食べる皆から「奥様はやっぱりすごい人だなぁ……」なんて聞こえてきたけれど、私はとりあえず笑顔を浮かべておいた。ありがとう、前世の記憶。
そんな夕飯を済ませ、結局同じ部屋で寝泊まりするか決められないまま夜が来た。
閣下は私が部屋に戻るまで入ると聞かず、領主だというのにお風呂の順番は最後になった。部屋に戻るまでは脱ぐなと命じられたマントを未だ肩にかけながら、のんびりと閣下の帰りを待っている。
「リアーヌ、起きているか?」
「閣下?」
しばらくしてノックの音と共に、扉の向こうから閣下の声が聞こえる。部屋に入ってこないことを不思議に思い、マントをかけたままそっと開けた。けれど閣下は部屋に入ろうとせず、なぜか小さく笑う。
「部屋に戻ったのにマントをかけていたのか」
「あ、これは……」
「好きに使うといい。俺は先ほどの件をアルノルドたちと話してくる。なにかあればすぐに呼べ」
そう言った閣下は私の返事を待たず、頭をぽんと撫でる。
「おやすみ、リアーヌ。部屋は一人でゆっくり使え」
「閣下――」
あぁ、やっぱり閣下は優しい人だ。
私に部屋を譲ると決めたから、紳士的に部屋に入ろうとはしなかったのだ。反論する隙も与えず、一方的に告げて扉を閉めてしまったけれど、そんなところも彼の優しさだと伝わってくる。
理解すると胸の奥が締め付けられて、居ても立っても居られない。閉められた扉を開けて廊下に出る。音で気付いた閣下が振り返った。
「お、おやすみなさい閣下……ありがとうございます」
「……あぁ、おやすみ」
一瞬驚いた閣下の表情がゆっくりと解けて笑みを浮かべる。二度目のおやすみは少しぶっきらぼうな口調だったけれど、不思議とそれが嬉しい。
馬車旅で初めてのベッドの中。私は閣下のマントをかけたまま眠る。いつも馬車の中で閣下に抱き上げられていたあの安心感がそこにはあった。