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旅のお供にラクレットチーズ



 オーダム家の所有する馬車はなんというか、とても実用的なものだった。

 本来、貴族が所有する馬車は高貴な身分の者を乗せる交通手段とされているため、外装も内装も飾ることが多い。前世とは違いコンクリートで道が舗装されているわけでもないため、乗り心地を良くするために座席には柔らかなクッションをしっかり敷き詰めるのが当たり前だ。


 ガタンッ。



「……う……っ」



 だが、オーダム家の馬車はたくさんの荷物が運べる木造馬車だった。

 座席ももちろん木造仕様。揺れるたびに固い木の感触がお尻にダイレクトヒットする。



「……一度止めるか」

「いいえ閣下、ご心配には及びませんわ。おほほほほ」



 そんな木造馬車に慣れない私のお尻は結構な負傷を受け、王都から出発してまだ数時間だというにも関わらず、もうすでに三度は馬車を止めて旅程を大幅に遅らせていた。

 あぁ、自分が不甲斐ない。馬車を止めるたびに閣下の従者たちの視線が痛くなっていくのは絶対気のせいじゃないわ。嫁ぐというのにこの体たらく。魔神閣下の嫁は情けないと呆れられてしまいそう。せめてクッションのひとつやふたつ、家を出る前に持ってくれば良かったわ。でも、あのときはそんな雰囲気じゃなかったというか。そもそも閣下はどうして私を望んでくれたのだろう? えぇ、まぁ、すごく今さらだけれど。



「どうした」

「あ、その……閣下はどうして私を選んでくれたのかと今さらながら気になりまして」



 顔にでも出ていたのか、問いかけてくる閣下に素直に尋ねると、少し間を置いてからわずかに微笑み閣下は言う。



「お前が俺の申し出を受けた理由と恐らく、同じだろう」

「……」



 それは、つまり――。

 なんて考えていると横からざわめきが聞こえてきた。



「嘘だろ……あの閣下が笑ってるぞ……」

「明日は槍でも降るんじゃないか……」



 馬に乗り、馬車を守るように並走している顔面蒼白な従者たちがいた。それを見る閣下の表情は無を通り越したなにかになっていたけれど。

 まだ数時間しか共にしていないけれど、どうやらオーダム家は主従関係がとても気さくなように思える。それはベラクール公爵家にも少し似ていて好ましい。

 こういう瞬間、いえパーティーで話をしていたときもそう、私は思うのだ。あぁ閣下は領民に寄り添う領主なのだろうな、と。



「奥様、お疲れではありませんか?」

「おく……い、いえ。大丈夫ですわ、ありがとう」



 反対側から気遣う声が聞こえて顔を向ける。そこにはタウンハウス前で閣下の背を突いていた男がいた。

 奥様と急に呼ばれたものだから一瞬驚いてしまったわ。けれどそうよね、嫁ぐんですもの、いずれはそう呼ばれるのが普通になるのよね。



「それならば良かった。ご令嬢がこんな馬車では疲れてしまうのは当然ですからね、なにかあればすぐにお申し付けください」

「ありがとう……ええと」

「アルノルド・ヴァレッティと申します。しがない田舎男爵の出ですが、今は閣下に忠誠を誓っております。気軽にアルノルドとお呼びください」

「そう、分かったわ。よろしくねアルノルド」



 陽を浴びて健康的に揺れるウォルナット色の短髪はアルノルドにとても似合っている。浮かべる笑顔がまるでお日様のように明るくて、髪色よりも濃いココア色の瞳が子供のような無邪気さを思わせた。もちろん、そんな可愛げよりもずっとしっかりした体躯の持ち主なのだけれど。

 やはり辺境で過ごしているからか、閣下含めここにいる皆の体つきはしっかりしている。たまに傷跡の残る者もいて、日々死線をくぐり抜けていることがありありと伝わってくる。



「……うわ、閣下。そんな目で見ないでくださいよ。大体あなたがもっとしっかり準備をなさっていれば良かったんですよ。領土に戻る前日にいきなり嫁も連れていくと言われた俺たちのことも考えて――」



 そう言うアルノルドの言葉が最後まで告げられることはなかった。なぜって、閣下が馬車から手を伸ばして彼の口を抑えつけたから。アルノルドの頬からみしみしと鈍い音が聞こえているのは気のせい……ではないわよね? あぁ閣下、それ以上はいけませんわ!


 そんな戯れと共に景色は過ぎ、日が暮れたところで野営の準備が始まる。

 悲鳴をあげていたお尻はだいぶ限界なようで、馬車から降りるとき青ざめていたかもしれない。お尻を酷使するとこんなにも辛いのね、知らなかったわ。

 アルノルドたちが作ってくれた焚火を囲むように地面に敷かれた布の上に座る。直接お尻が触れないようにドレスの下で足を崩してしまったが、隠れて見えないのが救いだわ。あぁ、どうかオーダム家に着くまでもってちょうだいね、私のお尻。



「リアーヌ」



 切実に願っていると閣下がカップを手渡してきた。湯気の立つそれはどうやら沸かしたお湯のようだ。味気ないものの、疲れた体に白湯が心地よく沁みる。一口含んだあと、ずっと見つめてくる閣下に微笑む。



「ありがとうございます閣下。疲れが癒えますわ」

「気にするな。今、部下たちに狩りに向かわせている。彼らが戻ったら食事にしよう。急いでもあと二週間ほどは馬車生活になるためしっかり食べろ」



 急いでも二週間ほど……。いえ、そうよね。辺境だものね。むしろ早いほうなのかしら。あぁ私のお尻……。

 気が遠くなるような、半ば悟りの境地に意識が飛んでいるうちに、どうやら狩りに出ていた者が戻ってきていたようだ。草むらの向こう側で解体している声が聞こえてきた。興味本位で見たいような気もするけれど、気を失わない自信がないわ。うん、止めておきましょう。


 ずず、と白湯を飲み続け、カップが空になる頃には解体作業も終わった様子。私と閣下が囲む焚火とは別に一回り大きく火が焚かれる。

 そこら辺に落ちている石を器用に積み重ねて作られた焚火の上で、太い鉄の串に刺された牛肉っぽい肉塊が炙られ始めた。


 こ、これは……!



「ああして肉を回しながら焼けた外側を削って食べていくんですよ。男ばかりのうちでは肉がとれた日の野営といればこれで……味の保証はするのでお許しください」

「いいえ、いいえ……むしろ楽しみですわ!」



 気遣い屋のアルノルドに言われるも、私の視線は肉塊にもう釘付け。

 まるで前世の某ゲームに出てくるあれみたい! もっと一般的に言うならケバブ? どうあれ、火で炙るお肉が美味しくないわけないわ!


 お尻の痛みでぐったりしていた私が目を輝かせて肉塊を凝視していることが意外なのか、閣下やアルノルド達がそんな私に目を丸くしているのも眼中になく。私の心は早くお肉が焼けないかな、というわくわくでいっぱいだった。


 いつまでも飽きることなくにこにこ満面の笑みと共に待っていれば、ついに焼けたお肉が私の元に訪れた。


 長期保存に適しているのだろう固めのパンに焼いた肉を挟んだだけの野性的な料理。あぁけれど濃厚な焼けた肉の香りが早く食べてと私を誘ってくる。


 いざ、実食!



「んぅ~~~~っ!!」



 想像通り固いパンはしっかりとした歯ごたえを返すけれど、肉汁でほどよく柔らかくなった部分とのバランスが最高。塩だけで味付けされた肉は本来の味がガツンと押し寄せて、けれどとても柔らかくて甘い脂があふれてくる。じゅわっと広がるうま味がたまらない。


 あぁ、すごいわ……肉食べてるって感じのド直球な味わい。幸せ……。



「「「「「……」」」」」

「……あら、いやだわごめんなさい。とても美味しいですわ。冷めないうちにさぁさぁ早く皆さんも召し上がって」



 夢中で頬張っているといくつもの視線に気づく。それは食べる私を見つめる皆の視線だった。自分だけ美味しく頂くなんて私ったらはしたない。ほほほほほ、なんて口を隠しながら自分で作ったわけでもないけれど勧めよう。呆気に取られたような、はたまた凝視するような表情を取っていたが、やがて我先にと肉に群がる彼ら。そうよね、皆お腹が空いていたのよね。



「リアーヌ、美味いか?」

「ん……閣下。はい、とっても! あぁ、けれどここにワインがあればもっと楽しめますのに……そうだわ閣下、領土についたらワインも用意して一緒に食べましょう? オーダム産のワインがあれば完璧ですわ」

「あぁ、そうだな。そうしよう」



 近くに座る閣下に笑顔で答えると、くすりと微笑まれて革手袋を外した彼の指で顎を拭われた。いやだわ、肉汁が零れていたかしら、恥ずかしい。

 あぁけれどとっても楽しみだわ。オーダム産のあのワイン……絶対このお肉と相性ばっちりですもの。そのときは野菜も一緒に挟んでみずみずしさも加えたいわね。にしてもワインが恋しいわ。ん? ワイン……ワインといえばチーズ……チーズも合うんじゃないかしら?



「閣下、つかぬ事お聞きしますが、旅の保存食にチーズはありまして?」

「あるはずだが、食べたいのか?」

「えぇ、この料理に合うと思いますの」



 私のお願いを聞いてくれた閣下がすぐチーズを用意してくれる。丸くてまるで車輪のような円形チーズ。一口大に薄くカットしようとするアルノルドを止めて、少し大きめに切り分けて貰う。そんなに食べるのか? という無言の疑問を感じたけれど、気に留めず閣下の革手袋を拝借しよう。


 焚火を囲む石の上にそのまま置き、断面が徐々に溶け始めたところで革手袋越しにチーズを持つ。淑女の身だしなみのひとつとして、令嬢ならば持っている護身用の短剣を取り出す。その短剣(未使用)をチーズの断面にそわせて、溶けた表面だけを削るようにすれば……。


 とろーり垂れていくチーズ。ラクレットチーズのように綺麗に溶け落ちるわけではないけれど、それでも十分。なんちゃってラクレットチーズといったところだろうか。溶けたチーズをお肉にかけて、またパンで挟めば完成だ。



「さぁ閣下。召し上がってください」

「……」



 手渡した料理を受け取ったものの、怪訝な表情をする閣下。まぁ無理もない。


 この世界のチーズは水分をしっかり抜いたハードなものが主流だ。そのまま食べるか、食べる直前の料理に削って振りかけるか。風味を楽しむものであり、長期保存に優れている旅のお供……そんな立ち位置で、熱して食する文化は流行っていない。

 けれど溶けたチーズの美味しさを知らないなんて勿体ないわ。本当はベラクール公爵家でもやりたかったのだけど、前世の記憶を得てからずっと慌ただしかったものだからその隙がなかったのよね……。


 チーズをプラスした食べかけのサンドイッチを頬張る。熱々でほくほくのコクのあるチーズの味わいがぐっと料理の美味しさを引き出している。あぁ、これよこれ、これを求めていたの。もちろんそのまま食べても美味しいのは百も承知、けれど溶けたチーズはまた別物。溶けたチーズにしかない魅力があるのよ!


 それにしても溶けたチーズとお肉ってどうしてこんなに合うのかしら。塩味が増して力強く味覚を刺激してくるから食欲が増す一方よ。


 美味しさに浸っている私をしばらく観察していた閣下だが、意を決したように口に含み――わずかに目を見開いた。



「ね? とっても美味しいでしょう?」

「……あぁ、驚いたな……とても美味い」

「ふふふ、そうでしょうとも」



 溶けたチーズの美味しさを理解してくれて私も嬉しいわ!


 閣下が食べ進めるのを見て、唾を飲み込んだ皆が自分たちも食べてみたいと閣下に群がる。あれだけ大きかった円形チーズがまるっとひとつ無くなるほど大好評で「奥様は天才ですか!?」「なんだこれうめえ!!」と暗くなった森で大騒ぎ。お尻を痛めて馬車を止めていた情けないイメージは払拭されたようで、すっかり仲良く話せるほどになっていた。そうして、領土に向かう初日の夕飯はとても楽しく時間が過ぎていった。


 夜、馬車を寝場所として使わせてもらい、朝は果物など爽やかなもので軽く済ませる。閣下は皆と同じように外で寝ていたようだけれど、慣れているのか疲れている様子はなかった。さぁ再び馬車での旅が始まる、お尻にも気合を入れて臨もう――と思っていたときのこと。出発する直前、馬車の中で閣下が私を抱き上げた。



「か、閣下……!?」

「無理をしても後々響くだけだ。こうしていたほうがまだマシだろう」



 閣下の膝に座るような形で抱かれ、確かにお尻のダメージは軽減されるものの、私のメンタルにはよろしくない。慌てて逃げようにもがっちりと捕らえられ、素知らぬ顔で流れゆく景色を見る閣下の表情はとても普段通りで。恥ずかしいのは私だけなのかと思うと、それがなんだか悔しくもあるので抵抗する心は徐々に消えていく。

 かといってこんな状況で平然と声をかけるほど異性との接触に慣れているわけもなく。強張ったままの体に窮屈さを感じ始めた時、思いもよらぬことが起きた。


 ぽんぽん、とあやすように閣下が頭を撫でてきたのだ。


 びしりと固まる体。こういうときどうしたらいいのかなんて、前世の記憶にもないわ。なにか言うべき? 止めるべき? けれど恐らくこれは閣下なりの気遣いで、多分私の緊張を解そうとしてくれているのよね?


 ちらり、と閣下を見るもその視線は相変わらず窓の外。私が意識しすぎなのかしら……?


 手を払うことも身じろぐことも出来ないまま、がたごと揺れる馬車の中で時間だけが過ぎていく。そうしているうちに、お尻の痛みを気にせず過ごせる馬車の揺れは眠気を誘い、閣下の大きな手のひらで撫でられるのも心地よくなってきた。


 前世では魔神閣下なんて言われていたのに、あのパーティーで出会ってからこれまで、私の知る閣下はとても優しい人だわ。確かにまぁ、ほぼ無表情だから怖くは見えるかもしれないけれど。人を寄せ付けない空気を出しながらも、そこにお邪魔した見ず知らずの私に声をかけてくれて、ワインの美味しさに浮かれる私の話も聞いてくれて、それから領土の話もしてくれた。

 あのとき、私思ったの。



「……あなたが、いいなと思ったの。こういう人と結ばれたいと」

「…………あぁ」

「結婚の申し出を受けて……迷わなかったわ。だって、あぁこの人だって……思ったから」

「そうか……ではやはり、同じだな」



 心地よさがだんだん眠気に変わっていく。ふわふわと落ちていく意識の中で、思っていたことが口から零れ落ちた気がする。閣下の返事があったような、そんな気もする。ちゃんと聞き取って理解できなかったけれど、蕩ける視界の中で彼は穏やかに微笑んでいたからきっと、私の思っていることとそう変わりないのだろう。


 それもまた心地よくて、私は閣下の腕の中で眠りについた。



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