出会いのレモンチキン 2
さてどうしたものかしら、と悩んでいるうちに日は過ぎた。
長女は婿を取り、次女は嫁入りを済ませている。急いで結婚する必要はなかったものの、まぁゆくゆくは……とのんびり構えていたところでこの事態。あれだけお父様と仲の良い様子を見せていたとはいえ、国王陛下直々のお話とあればほぼ王命に等しい。今回良い人が見つからなかったと断っても私が独身で居続ける限り、似たり寄ったりな話は来るだろう。
家族は皆自由にしていいよとは言ってくれるものの、このお話も陛下なりの優しさには違いない。白羽の矢が立っている状況だから、とりあえず婚約しなさい。というお達しなのだ。
王太子妃に据えたいというのは冗談だと思うけれど、三大公爵家の血を王族に引き入れたい気持ち理解できなくもない。
ともあれ婚約者を探さなくてはいけないわね。あぁ、ならせめて自分と気の合う人がいいわ。お姉様たちのように貴族としては珍しい恋愛結婚にも憧れる。両親は政略結婚だったけれど娘の私から見ても今なお愛し合っている仲の良い夫婦だわ。
相性なのかしら? それとも仲良しの秘訣があるのかしら?
前世では仕事が忙しくて恋人いない歴=年齢だったわね。何度か好意を寄せられたことはあるけれど、恥ずかしくて頭が真っ白になってしまって上手くいかなくて、それから恋愛は苦手だったのよね。あぁ、だからあのゲームが楽しかったのかしら。主人公を娘のように感じていたからこそ、フィルター越しに恋愛を眺めていられたから。
そんな前世の私の楽しみはゲームと、それからそう、仕事終わりの一杯がやめられなかった。
女の一人飲みを良く思わない上司もいたけれど、気になったお店に立ち寄って気ままに一人酒。あぁ、記憶の中にしか存在しないビールと唐揚げの王道コンビを味わってみたいわ……。
そういえば私はお酒を飲める歳だ。
この世界では十二歳から大人の扱いを受ける。子供ではないけれど完璧な大人でもない。だからそこから四年、学園で大人になるための学びを得ましょうと勉学に励み、女子は十六歳のデビュタントデビューを終えて本格的な成人として迎え入れられる。そう、つまり法的には十六歳からの飲酒が認められているのだ。
まぁ、六年引きこもっていた私は現在十八歳だけれど。
そんなわけで本日の建国記念パーティーでの私のドレスは白。自宅療養中に行われたデビュタントに参加できなかったため、せめてこのパーティーでお披露目しようという家族の強い希望で。滅多にいないが、こうした事情で白いドレスを着ることは一応二十歳までは認められてはいる。
レースをふんだんにあしらった白を基調としたドレス。黒髪は綺麗に結いまとめ、白いパールを散りばめて。身に着ける宝石は自身の瞳と同じ蜂蜜を溶かしたようなトパーズ。お父様を真ん中に、お母様と共にエスコートを受けながら入場すれば、煌めく舞踏会の熱気に早くも酔ってしまいそう。
「あれがベラクール公爵家の宝石姫か……」
「想像以上に美しいな……」
「見て、透き通るほどの白い肌……あぁ、羨ましいですわ……」
「見目だけではなく、とても聡明な方だそうよ。なにせ学園に通わず四年間首席だったそうですわ」
「ほう、それはベラクール公爵も存在を隠すわけだ」
なんて声が会場のあちらこちらから聞こえてくる。あまり大げさに話を広げないでくださると嬉しいのだけれど。あぁ恥ずかしい。
会場の食事――主にお酒が気になるところだけど、迂闊に両親から離れる気もなく二人と共に挨拶に回る。優秀な家庭教師のおかげでマナーも完璧に仕上げているから困ることはないけれど、六年も自宅にこもっていたものだから突き刺さる人々の視線に疲れてしまう。
少しして王族の入場となった。この国での王族への挨拶は玉座から会場の出入り口まで高位貴族から順に立ち並び、玉座に向かう王族へそれぞれ挨拶していくのが基本だ。
下位貴族の前で王族の足が止まることはほぼなく、陛下が立ち止まり話を交える相手はほぼ高位貴族となる。その中でもより陛下の話が長ければ他の貴族も注目する。分かりやすい優劣と誇示だ。それを受け切磋琢磨を図るとも言われている。
「ベラクールのチャールズ・ベラクールが国王陛下に拝謁いたします。建国八十年の記念すべき日を共に迎えられたこと、恐悦至極に存じます。これからも王室と共にあることをお約束いたします」
ベラクール公爵家の順になり、お父様が代表で挨拶を告げる。倣ってカーテシーを取っていると、笑みを浮かべた陛下が満足げに頷いている気配がした。
「うむ。記念すべき日にこうして貴殿たちの顔を見られたこと、喜ばしく思う。今日はリアーヌ嬢も一緒なのだな。噂に違わぬ美しい娘だ。デビュタントに出られなかったのは残念だが、今日はそのつもりでパーティーを楽しんでいきなさい」
「お心配り頂き、ありがとう存じます」
「ははは、そう固くならずともよい。そうだ、紹介しよう。我が息子のエリクだ」
国王陛下に声を掛けられ顔を上げれば、この国の王太子を紹介された。王太子という尊い立場でありながら、その顔は子供のように不機嫌さを露わにし、心なしか私を睨んでいる。
「リアーヌ・ベラクールと申します。殿下にお会いできて光栄ですわ」
「……あぁ」
私、なにか失礼なことをしたのかしら?
陛下と殿下の後ろに立つ王妃様と王女様も似たようなもので、定型文のような挨拶を交わして顔を背けられてしまった。国王陛下だけは親し気なものだが、陛下以外は他の高位貴族に対しても同じような態度だった。特別誰かを嫌っているわけでもないようだけど……まぁ、きっと色々あるのね。
そうしてすべての貴族が王族への挨拶を済ませ、陛下たちが玉座に腰をおろしたら次はダンスの時間。まずは王太子が自分のパートナーと踊り、一曲終わったら各々ダンスフロアで踊ることができる。
ゲームの世界であれば悪役令嬢ポジションである私がいるはずだった場所。今は返り討ちにしたという伯爵家のご令嬢がパートナーを務め、お手本のようなダンスを披露されている。見事ではあるけれど見惚れないのはきっと、殿下と伯爵令嬢が義務的に行っているからなのだろう。ともあれ、二人のダンスが終わってフロアには色んな人が溢れてきた。
ふと、ダンスフロアを見てそわそわしているお母様の様子に気づいた。あぁ、私に遠慮してダンスを躊躇っているのね。歳を重ねてもお父様が大好きなお母様の姿、私とても好きだわ。
「お父様、お母様。私少し人に酔ってしまいましたわ。あちらで大人しく座っておりますので、しばしお二人でダンスされてきてはいかがかしら?」
「そ、そんなダメよリアちゃん、あなたを一人残してしまったらどんな変な輩が現れるか」
「そうだよリア、今日は私たちから離れないと約束したじゃないか」
「あら、心配いりませんわ。ダンスフロアからもあの場所は見えますもの。それに私、お父様とお母様のダンスが久しぶりに見たいわ。二人の踊る姿も大好きなの」
さぁさぁ。と二人の背を押すようにダンスフロアへ送り出す。
おずおずと足を進める二人だったが、お父様が手を差し伸べると少女のような淡い表情を浮かべたお母様が手を取ってダンスフロアへ混ざっていく。あぁ、ゲーム画面だけじゃ知りえなかった舞踏会の空気はとても甘酸っぱい。
本当は近くで見ていたかったけれど、ここに立っていればダンスの誘い待ちに見られそうで足早に軽食の並ぶテーブルのほうへ向かった。すると一区画だけ明らかにとある人物を避けて空間ができている。
その人は黒いマントを羽織って、これから戦地に向かうのではないかと疑ってしまうほど殺気に溢れ、帯刀する剣を今にも抜いてしまいそう。月の光で染まったような銀髪に、浅黒い褐色肌に浮かぶ意思の宿る濃いエメラルドの瞳。どこかで見た覚えがあるのはきっと、彼もシリーズのどこかに出てくる攻略キャラの一人なのだろう。だって、とんでもなく美形だから。
本来なら私も避けるべきなのだろうけれど、人を寄せ付けない空気を今だけ拝借したい。攻略キャラだからとか将来面倒に巻き込まれそうとか、一切思わなかったのはそもそも私自身が役割から逸れていたからだろう。
私は害のない人間ですよ~の雰囲気を出しつつ、そっと彼の居座るテーブルに近づいた。食事とお酒にしか興味ありません、という顔で目線も絶対に彼には向けない。一瞬睨まれたような気もしたけれど私は見ていないので気にしない、気にしない。近寄るなとも言われないのでこれ幸いと、私は誰かに声を掛けられる心配もせずやっと食事にありつくことができた。
あぁ、あぁ、素敵! 数々のお酒と軽食の数々!
そりゃあ家でも豪華な食事をしていたわ。けれど家族は皆過保護だからお酒はダメよって許してくれないんですもの。前世の記憶の中では毎日あれだけ飲んでいたんだもの、きっとこの体も平気だわ。
それに食事とお酒を合わせて楽しむことで増す美味しさというものがあるのよ。お父様もお母様もお姉様たちも、みーんなそのことを知っているはずなのに、魔力回路が半壊して引きこもりになっていたからといってお酒を封じるなんて意地悪だわ。
あぁ、大切に育ててくれているのは分かっている。分かっているけどごめんなさい、少しだけ私――悪い子になります。
「……っ」
高鳴る心音を抑えつけるように唇をきゅっと噛みしめて、ワイングラスに手を伸ばす。深みのある赤が照明に照らされ、ほんのりと透き通った色合いも覗かせた。その妖艶な姿に誘われるまま、グラスに指が触れたらそこから先はもう止められなかった。唇にグラスの縁を当て、フルーティーな香りに引き寄せられてゆっくり傾ければ――。
それは永遠にも似た長い時間に感じられた。体の中に染み渡る爽やかな香りが鼻に抜けていくと思ったら、口の中に広がるのはまろやかで芳醇な味。なめらかな舌触りの中には前世の記憶にあるワインに比べて雑味が残っているものの、今はそれがまたお酒を飲んでいる、という楽しみを強めてくれる。
近くにあった上品にスライスされたレモンチキンっぽいそれを取り、ワインの余韻が残る口内へ。
「~~……っ!」
コクの強いブドウでいっぱいだった口内に、酸味の強いレモンソースが駆け抜ける。
パリッとした皮はしっかりコショウが効いて、引き締まったお肉の弾力は心地よく、噛むほどにレモンの爽やかさが増す。それがワインのコクですべてがひとつに調和していくのだ。
あれだけ賑やかに感じていた会場の中、ここだけ草原にそよぐ風のように軽やかだわ。
「……はぁ」
ごく、と音を立てて飲みこんだ後、思わず息が零れた。やっぱりお酒とお料理って合うのね。片方ずつでも美味しいけれど、合わせることによってその魅力は無限大……あぁ、お酒って素晴らしいのね。
「そんなに美味いか」
「……っ!?」
恍惚と浸っていれば、思わぬ声にびくりと体が震える。声の主を探してきょろきょろ見回したあと、そういえば近くにいたんだったと殺気溢れる男を見た。先ほどまであった殺気は多少和らいでいるような……気がしないでもない。
「それはうちの領土で作ったワインだ」
「え?」
うちの、領土。つまりどこかの領主ということかしら? いえ、それよりも。
私はグラスを片手に、彼の近くに並んだ。
「そうですのね、とても素晴らしいワインだわ。口に含んだ瞬間爽やかにブドウの香りが吹き抜けたと思ったら、口の中はとてもまろやかで芳醇な味わいが広がるの。コクの深さがまたお酒を飲んでいる感じをより強く実感できてまるでブドウ畑にいるみたい。それから――」
「……」
「……あ……その、ごめんなさい。嬉しくてつい……うるさかったかしら……」
思わず熱弁してしまった。すぐに我に返ったものの、呆気に取られている男の顔を見ているとなんだか申し訳ない。けれど緩やかに表情が解れた男は、その美しい造形から成せる美形の暴力ともいえる笑顔を向けてきた。イケメンすぎると人って直視できなくなるのね、始めて知ったわ。
「いいや、ただそこまでうちのワインを褒めてくれるご令嬢とは初めてお会いした。少し驚きはしたが、素直に喜ばしく思う」
「そう、でしたの……けれど本当に美味しいですわ。私、ワインはそれほど飲んでこなかったのですけれど、こんなに美味しいならもっとたくさん飲んでいれば良かったわ」
「たくさん……か、ベラクール家の三女は確かまだ十八歳だと聞いている。これから飲んでいけばいいのでは?」
「――あ……っ、そう、ですわね。そうですわ、おほほ」
ついうっかり。前世で毎日のように続けていた晩酌の記憶と現在の記憶が混ざってしまった。今度は訝し気な視線に晒され、思わず淑女スマイルで返す。
「ところで、ええと……」
「ヴァルフレード・オーダムだ」
「ご存じのようですがベラクール三姉妹の三女、リアーヌ・ベラクールですわ」
オーダム家といえば確かそう、辺境伯だ。
国土防衛を担い、その権力と発言権は三大公爵家に匹敵する……いえ、王に並ぶとも言われている国の要。
この世界には魔法もあるし魔物もいる。オーダム家の担う国境付近には魔物の生息地があって、常に死線と隣り合わせ。もちろん屈強な者も多いが、新しく爵位を継いだ若き辺境伯は負け知らずだとか。
そうそう、思い出したわ! やっぱりゲームのシリーズにも出ていたわ。確かそこで呼ばれていた彼の異名は魔神閣下。なんでも魔神って魔王よりも上の存在なんだとか。魔王よりもやばい! ということで魔神とついたらしいの。
なんて、前世でとあるサイトにまとめられていた内容を思い出しながら、私の顔は血の気が失せていた。
いえ、残念ながら彼の登場するシリーズは未プレイである。確かそのシリーズは攻略キャラがヤンデレだとかダークだとか、まぁそっち寄りのストーリーをメインにしているそうで、育成大好きな前世の私はあまり関心が湧かなかったというか。あぁいえ、そうではなくて。だから、そう。
爵位としては公爵家のほうが上ではあるけれど、実際国の要であり権力者であるのは思わずフレンドリーに接してしまったこの魔神閣下にある。あぁだからか。だから他の人はこの偉大なる魔神閣下から離れていたのだ。君子危うきに近寄らず、である。
うーん、けれど……私の不勉強さが悪いとはいえ、閣下はそもそも私の無礼を気にしていないように思える。人が思うほど怖くないのかもしれない。いわゆる異名が独り歩きしてイメージがついてしまった、というか。
「閣下、不勉強で無礼な態度を取ってしまい申し訳ありません。ですがよければ、ワインの話をもっとお聞きしたいですわ」
「……」
それにこんなに美味しいワインを作る領土の主だもの。きっと悪い人ではないはずよ。
一瞬瞠目したように見えた閣下だけれど、また先ほどの美形の暴力ともいえる笑顔を浮かべると領土の話をしてくれた。
領土には火山があって、一度火山灰に覆われた土地が意外なことにブドウがよく育ったと。熟成前のワインはとても軽いものだが、熟成させるとパーティーに出されたもののように深みと芳醇さが増すだとか。だから領土では収穫祭を終えて数日後、若いワインを皆で浴びるほど飲むお祭りがあるだとか。ワインだけには留まらず、閣下は自分の治める領土の色んな話をしてくれた。
やがて三回目のダンスを終えた両親が私を迎えに来るまで、ずっと。
そんな建国記念日パーティーから三日後、馬車数台を引きつれた魔神閣下直々のご訪問があった。
王都のタウンハウスから領地に戻る準備をしていた私たち家族だが、驚いていたのはどうやら私だけのようだった。
「先日のパーティー以来だなリアーヌ嬢。俺は今から領土に戻るが一緒に行かないか」
「え? それはどういう……?」
タウンハウス前、突拍子もないお誘いに目が丸くなる。
領土に戻るから一緒に行かないか? 遊びにということ? こんな急に?
分からずに見上げるだけの私と向き合う閣下。彼の後ろに控える従者に背を突かれ、一度咳払いすると閣下は片膝を地面についた。
「俺の妻として共に領土に来て欲しい」
使い古された革手袋をつけたまま、差し出す大きな手のひら。
しばし数秒、その手のひらと閣下の顔を交互に見て、そのあと近くにいた両親を見る。笑顔で頷く両親の姿があった。閣下の後ろに控える従者たちも渋い顔で頷いている。
あぁそうか、これはそう、つまり――結婚の申し込みだ。
「私……――共に行きたいですわ。あなたの領土を見てみたい。閣下、どうぞ私を連れて行ってください」
理解した瞬間、答えはすんなり出た。衝動的に行きたいと願ってしまったのだ。
私は差し出される閣下の手を取り、片膝をつく彼の目線に合わせるように屈んで微笑む。
「――へ?」
その次の瞬間には閣下に抱き上げられていた。いわゆるお姫様抱っこである。一体どんな魔法を……なんて思考が混乱するくらいには顔も真っ赤で羞恥でいっぱい。
「あ、あの、閣下? いきなりこんな、人前で!」
「では私たちはこれから領土に戻ります。後日また改めて正式なご挨拶に伺うご無礼をお許しください」
「なぁに、本人が選んだことだ。リアを泣かせたら許さないからね、ヴァルフレード卿」
「リアちゃん、幸せになるのよ。そちらに着いたら手紙を書いてね、待ってるわ」
と、私を置いてけぼりに閣下と両親の話は進んでいく。
自分で受けた結婚の申し込みではあるけれど、文字通り身ひとつで嫁入りをするようだ。
雲一つない晴天の午前、私はこうして魔神閣下に嫁いだのである。