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09:紅ズワイガニは食堂で踊る

狩猟生活二日目(3)

「ねぇ?」

 ねっとりした感じの悪い声に顔を上げると、いつの間にか、真っ赤な髪をアップに編み込んだ見知らぬ美女が、テーブルの正面位置に座っていた。


 彼女の口元には、ねじ曲がった笑みが浮かんでいる。


 髪色と同じ色に染められた鮮やかな長い爪と、その手に握られたバナナを見て、恐怖の感情が、私の背を伝う。


 あれは、私のファーストバナナでは?

 なぜあの見知らぬあの女の手に?


「あんた、マックスの知り合い? ……じゃないわよね? そのショボい初期装備を見る限り、ここに来たばかりのようだし。それにその顔中のテープ、不細工ねぇ」

 馬鹿にしたように笑う女は、突起物の多い赤色の鎧を着込んでいた。体当たりしただけで大怪我しそうだ。よほど赤が好きなのか、ご丁寧に、先の尖ったブーツまで赤い。


 紅ズワイガニかな?


「あの超奥手のマックスが初対面の女に笑いかけるなんて、初めて見たんだけれど、どういうこと? 仲が良さそうに、何を話していたのかしら」

 バナナに気を取られて、一瞬何を言われたのか理解できなかった。


 マックスって、さっきのマクシミリアンのことか。


 王国で聞いた噂では、恋愛対象は男性だというから、女性に塩対応ってのは可能性としてはありそう。


 ただ、そんなプライベートな、しかも噂に過ぎないような事を勝手に暴露するような私ではない。

 そもそも、さっきの茶番を見た上で、仲が良さそうって表現する辺り、この女の認知力は相当に歪んでいる。


 マクシミリアンが、虐められた女子のように泣きながら走り去ったのが見えなかったのか? あの様子だと受け……いやそんな場合ではないぞ私。


 このままだと危険だ。

 女から瘴気のように、悪意が滲み出ている。


 バナナを握り込む、女の五指の尖った真っ赤な爪が、赤いカニの足先に見えてきた。

 突然覚醒した予知能力のようなものが、私のバナナに危機が迫っていることを、ヒシヒシと伝えてくる。


「マックスというのは、さきほどの黒マントの男性のことですわね? 全くの初対面ですわ、お綺麗な方」

 できるだけ刺激しないように、目一杯媚びながら笑って見せる。


「わたくしの同郷の方とおっしゃっていましたので、顔合わせに来られたのではないでしょうか。わたくし、昨日こちらに参りましたクロエと申します。仲良くしていただけると、嬉しいですわ。赤い鎧、とっても素敵ですね。上級甲殻系のモンスター素材をお使いですの?」


 紅ズワイガニ女が、かっと目を見開いた。


 一生懸命褒めたのに、何が気に障ったの?

 お願い、返してバナナ。

 多少形は崩れても良いから。


 いけない、視線をバナナから外さなければ。視線から、弱点を知られてしまう……。


「はあぁぁぁ? お前なんかと仲良くする訳ねぇだろうが、このブス! あたしとマックスの間に横入りしやがって!」

 怒号に近い言葉と共に、突如、私のバナナは縊り殺された。


 一秒の前半分ぐらいの間、私は自制した。

 しかし、紅ズワイ女がバナナの遺骸を私の顔に投げつけた瞬間、理性的な思考が吹っ飛んだ。


 続く一秒の後半で、私は、まだ半分中身が残っていたコーヒーカップを手に、食堂のテーブルの幅を乗り越えていた。


 頭から冷めたコーヒーをかぶった女は、さっきまで美しかった顔を鬼のように醜く歪めて手を振りかぶる。


 意外にスピードがあって、避けきれなかった。

 長い爪が私の左頬を抉った。


 怒りに任せて、私は目の前の赤い髪を掴んだ。

 そのまま左右前後に振り回す。これくらいは許されていい。


 爪の攻撃が、再度空気を切った。

 おそるべし紅ガニの攻撃力。


 距離を取って、今度はすれすれで避けた。

 テーブルにぶつかったので、誰かの食事を揺らしたかもしれない。


「マックスはあたしのなんだよ! 勝手に擦り寄ってんじゃねぇよ!」

 紅ガニ女が唾を飛ばしながら叫んだ。


(擦り寄ってきたのは向こうなんですけど! マックスなんて超マックスにどうでもいい!)

 などと言っても、こういう輩の耳には届かない事はわかっている。


「は! 顔に傷を付けてやったわ! 鏡見て一生泣き暮らせ! ざまあ見ろ!」


 ここに至ってようやく、狩猟民達が彼女に飛びついて押さえ込んだ。それでも向かって来ようと紅ガニ女が足掻くので、何人かに突起物が刺さり、身を抉る。竜人族は鱗があるので平気そうだが、獣人族と人族の場合は結構な流血沙汰だ。


 かまわず女は罵倒し続けた。

「死ね! 死ね死ね! お前なんか火竜に焼かれて死んじまえ!」


 深緑のレザー鎧を着込んだ大柄な女が、私をかばうように、二人の間に割り込んだ。

 私が引っ張って振り回したせいで、紅ガニ女の赤い髪が彼岸花のように編み込みからはみ出し、逆立って揺れていた。


「お前みたいな傷物、もうマックスにも誰にも相手にされねぇよ! さっさと国に帰んな!」


「貴方こそ、深海にお帰りになってはいかがかしら、紅ズワイガニさん」


 私がようやく、精一杯の反撃を試みた瞬間、紅ガニ女の動きをおさえていた狩猟民達が、喉の奥でくっと息をのんだ。その手から一斉に力が抜けたらしく、紅ガニ女は彼らを振り切った。


「はぁ?! 何言ってんだお前!」

 怒りが収まらない様子の彼女が、一歩踏み出そうとして、立ち止まる。

「……紅ズワイガニ?」


 生身のはずの彼女の顔が、ピキピキと怒りにひび割れていく幻が視えた。


 周囲にいた狩猟民達は皆、突然謎の腹痛に襲われたようだ。何人かが地面に膝から崩れ落ち、変な息をしていた。何か悪い物でも食べたのだろうか。


「何だよ!?」

 紅ズワイガニ女の怒りの矛先が、私から、周囲の狩猟民達へと向けられる。

「何が可笑しい!?!」


「君、何てことを言うんだ!」

 かばうように立っていた、大柄な女が振り返って私の両肩を掴んだ。


「レナがあの鎧を着け始めてからこの一年というもの……皆必死で、カニは茹でる前は赤くないあれはカニじゃないって、自分に言い聞かせていたんだ!」

 彼女は、顔を歪める。


「その努力を、君は! ……うっ……あっ……」

 突然彼女は顔を背けると、口を覆いながら急いで食堂から出て行った。


 彼女も、急に吐き気を催したようだ。

 感染力の強いウイルス性胃腸炎の可能性もある。


 紅ガニ女は今や、顔面まで真っ赤になっていた。

「この鎧は、マックスと初めてパーティで行って倒した、クンシマッカチンの番の素材で作ったんだよ! 同じ甲殻種のモンスターでも、クンシマッカチンはザリガニ種で、カニじゃないんだ! 人の作った剣じゃ絶対に貫けない、凄い鎧なんだ!」


 激しく踊るように足を踏みならす紅ガニ女の赤いブーツの下で、私のバナナの残骸が踏みにじられていく。

「マックスと色違いのお揃いなのに! お前達皆死ね、全員火竜に焼かれて死ね!」

 紅ズワイガニ女は涙ぐみながら、後退ると、方向転換して走り去っていった。


 後には、ウイルス性胃腸炎かも知れない何かにやられて息も絶え絶えになった狩猟民達と、ぐちゃぐちゃに踏みつけられたバナナの死骸が床の上に横たわっていた。


 あまりの事に私は、その場に座り込んだ。

(食べるの、楽しみにしてたのに……! すっごく、楽しみにしてたのに!)

 声を上げて泣きたかった。

 涙の代わりに、抉れた頬から血が滴った。




 どれぐらいそうしていただろうか。

 呆然としたままの私の頭の中で、警報が鳴り響いていた。

 誰かが、私のそばにかがみ込んで、何か言っている。


「クロエ」


 名前を呼ばれて、顔を上げた。

 五体投地君が、深刻そうな顔で、片膝をついていた。


「大丈夫かい? 怪我をしているところ、申し訳ないが、ここに居ては危険なんだ。サイレンの音が聞こえるだろう? 火竜が多頭で襲来した。リムの外側で、この拠点に住む上位ハンター達が迎え撃っているが、下位ハンターは全員広場に集まるように指示が出ている。モンスターは、簡単に建物を焼き払ったり、壊してしまうからね」


 さっきから聞こえていたのは、脳内ではなく本物の警報なのか。

 見回すと、食堂内には狩猟民も小型使役魔獣もいなくて、私達二人だけだった。

 煌びやかな五体投地君の鎧に、私の影と、人気の無い食堂内の様子が暗く反射している。


「非戦闘員や、小型使役魔獣達は地下に避難済みで、下位ハンター達は広場に向かった。君が最後だ」


 ほんの一瞬、五体投地君の鎧に反射する影が踊った。私の真後ろにある柱の陰で、何かがひょいひょいと独特の動きをしたような気がする。この時敢えて振り向かなかったのは、野生の勘か、もしくは無気力のせいか。


 五体投地君が微笑みながら頷いた。


「怪我の手当をするべきだね。広場には医療スタッフも待機している」

 私の腕を引いて、立たせると、五体投地君は、私を食堂から連れ出した。




 外の広場では、大勢の狩猟民達が騒然としながら夕暮れの消えかけた空を見上げていた。まるで花火見物の人混みのようだ。見事な銀河が天を横切り、4分の1ほど欠けた月が東の地平にかかって、夜の世界の灯火となっていた。


 東側の上空に、大形の鳥のような影が、数匹旋回しているのが見える。時折その体が煌めくのは、火竜の鱗が、月の光を反射するためのようだ。地上から火竜達に向かって、砲や矢が光の軌跡を残しながら無数に飛んでいた。命中するたびに、広場に集まった狩猟民達から歓声が上がる。


「上位モンスターがここまで接近するなんて」

 と誰かが言う。


「十二年ぶりか」

「家を買ったばかりなのに。地価が下がるな」

「人族はすぐそれだ」


 笑い声が聞こえる。どこか楽観的な会話に、私は少しほっとしながら、五体投地君の後に続いて人混みの間をすり抜ける。


「火竜なんかに居着かれたら困るぞ」

「大丈夫だろう。さっきマックスが向かった」

「あいつも家持ちだからな」


 また笑い声。

 家を買うのは、この国ではリスクが高そうだ、と心の内にメモる。


 人混みを抜けると、エルフ達が広場を囲むように、輪になって立っている様子が見えた。彼らを起点に、広場の上空が、ドームのようにぼんやりと光っている。不思議に思って見上げていると、五体投地君が教えてくれた。


「あれは、万が一に備えて、エルフ達で魔法障壁を作っているんだ」

 私が初めて目にした魔法だった。本当に存在するとは!

(プロジェクションマッピングとかじゃないよね?)


 広場の外れに臨時の救護所が設けられ、切り株のような椅子が幾つも置かれていた。数人の怪我人が椅子に座って順番待ちしており、今は医療スタッフらしい女性が、転んだ子どもの膝にドロドロした茶色のゼリーのようなものを塗り込み、激しく泣かせているところだった。


「では私はこれで」

「あの。ありがとうございました」

 礼を言うと、五体投地君はなぜか、ほんの一瞬だけ苦い顔をしたが、すぐに和やかな笑みを浮かべて頷き、去って行った。


 抉れた頬に茶色のゼリーが塗り込まれる順番が来て、その痛みに、私の体の中心部分がヒュンと冷える。


 火竜達は次第に高度を落とし、地上戦に移行したらしい。時々地響きが聞こえ、広場の狩猟民達の歓声が上がる。日が暮れても温かい、森の湿気を含んだ空気が心地良い。


 日本の夏祭りの夜のような、どこか懐かしい雰囲気の、狩猟民生活二日目。

 傷の上にガーゼを貼られている間に、全ての火竜が討伐されたらしく、警報は解除された。











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