Something failed(5)
(ユージーンには、誘拐事件の時のように簡単に誘い出されないよう念を押したから、大丈夫だとは思うが)
ユージーンを一人にしておく事が不安で、自分が戻るまで絶対にその場所を動かないように、たとえルキルスが呼んでいるというような嘘を吐かれても欺されず、人の目の多い食堂に留まっていろ、という意味の事をルキルスは伝えたつもりだった。
(何を言われてもそこを動くなよ、ユージーン!)
「マクシミリアン第一王子といいお前といい、男同士でこの国に駆け落ちするのが今の流行りなのか? 滑稽過ぎて笑える!」
ハノクは、分厚い裏地のついた焦げ茶色の上着を脱いで、若い護衛の男に渡しながら言った。彼は上着の下に臙脂色のベストと、刺繍とレースをふんだんに施した煌びやかな白シャツを着ていたが、締まりの無い腹がその豪勢さを台無しにしている。
「私は立場上、貴族ご令嬢と嫌でも結婚をしなくてはならないが、お前達よりはよほど良い人生を送れそうだ」
ハノクが大きな誤解をしている事にルキルスは気づいた。その誤解を元に、少ない脳ミソで一生懸命復讐の方法を考えたのだろう。
ルキルスがユージーンとこの国で出会ったのは偶然だが、その経緯を説明してもこの男の頭が受け付けるとは思えない。
縛っているロープを隠して移動するために、ナイフを構えた男が、ハノクの上着をルキルスの肩にかけた。
このまま宿に連れていかれるのはまずい。
「クロエに会ったのか?」
ルキルスは、さっきのハノクの言動を思い出して言った。
「彼女はユージーンの妹で、マクシミリアン第一王子の恋人でもある。ユージーンに手を出すと、二人とも黙ってはいないぞ?」
おそらく、二人の後ろに控えている金色の瞳の男もな、と心の中で呟く。
「なんという破廉恥な連中だ。あの王子は、側近の男と駆け落ちしておきながら」
ハノクは呆れたような声音で言う。
「同時に女とも、公然と付き合っているとは! 三角関係? いや、四角関係か……?」
「破廉恥なのはお前だ」
ルキルスは嘲笑ってみせた。
「不名誉な濡れ衣などと言いながら、本当はユージーンに興味津々なんだろう? あいつ、昔はかなり痩せてたけれど、今は少しふっくらとして美人になったもんな? 実は貴族学園時代から、気になっていたのか? それであんな事をしたんだな? そりゃ破談になっても仕方がねぇ」
「貴様……」
ハノクの顔色が変わる。
「おっと。図星か? なんだかんだと理由をつけて、結局ユージーンに破廉恥な真似をしたいだけなんだろう? 下心を隠すのに必死って訳だ」
これだけ言えば、ユージーンに対して愚かな真似はしないはずだとルキルスは考えた。
そうあって欲しかった。
「私をそうやって辱めた事を、絶対に後悔させてやる!」
拳を振り上げて、ハノクは捲し立てる。
「いいか、私はカラドカス公爵家からの下命を受けてここに来た。現王太子の後ろ盾であり、今王国で最も権力を持っていると言っても良い公爵家だ。お前のような男爵家の息子なんぞ、私が一言公爵家に言えば全てを失うんだ」
俺はとっくに死んだ事になっているし、全てを失うどころか借金まで背負っているんだが。
という話をするつもりでいたルキルスは、口を開いたまま言葉を失った。
ハノクの後ろにあるトンネルから、巨大カマドウマのような形状の白っぽい生物が、ゆっくりと迫り上がるように姿を見せたからだ。
それはよく見れば、仰向けの下半身にうつ伏せの上半身が生えた、人間のようにも見えた。折れ曲がった身体を、三対の脚で前進させて、ハノクの背後に迫る。
驚いた顔のルキルスに、ハノクは自分の台詞が効いたのだと思って、笑みを浮かべた。
「今頃焦っても遅いぞ! お前の事はカラドカス公爵家嫡男ドミリオ様によく説明しておこう。ユージーンと共に私を嵌めた悪党だとな! カラドカス公爵家に要注意人物と目されれば、お前は二度と、祖国の土を踏めない。この野蛮な国で、貧困に喘ぎながら朽ち果てるがいい!」
巨大カマドウマのような生物は、頭部も人間に似ていた。
目は全体が白く濁り、よく見えていないようだ。視覚よりも聴覚に頼っているのか、尖った耳が忙しなく動いている。鼻は小さな突起になっていて、その下の裂けるように開いた大きな口の中には、鋭い牙が並んで見えた。
その生物はハノクのすぐ後ろで、後肢を踏ん張って身体を高く持ち上げ、人間そっくりの、二対ある両腕を広げた。高さはハノクの胸辺りまである。指には長い鉤爪が付いていて、その手に捕捉され抱き竦められたら、抜け出せそうにない。
「ハノク!」
ルキルスと、その隣にいる護衛の視線が後ろに向けられている事にようやく気づいたハノクが、振り向いて、間近に怪物の顔を見る。
野太い悲鳴が、咆哮のように響き渡った。
彼にとっては幸いな事に、今にも二対の両腕で彼を捉えようとしていたその生物は、咆哮に驚いて後ろに飛びすさった。
巨体に似合わない素早さでハノクは、ルキルスと、彼に刃物を突きつけていた男を突き飛ばすようにして、食堂に通じる扉を目指した。
その衝撃で、両腕を後ろで縛られたルキルスは、後ろの男と共に引っくり返る。首筋にナイフの刃がかすって、ルキルスは鋭い痛みを感じた。
ハノクは悲鳴を上げながら扉を開けて建物内に逃げ込む。そのすぐ後ろを、カマドウマの化け物が追いすがって行った。
「馬鹿野郎!」
ルキルスは怒鳴った。
「そっちは駄目だ!」
食堂にはユージーンがいる。
ルキルスは起き上がろうともがいた。
建物内から、男女様々な悲鳴が上がった。
誰かが怪物に襲われたのか、逃げ惑っているだけなのか、判別がつかない。
「ユージーン!」
足を踏ん張ってなんとか立ち上がり、後を追おうとするルキルスを、扉から出て屋外へ避難しようとする人々の流れが阻害した。
「サムシングフェイルドだ!」
扉から転がり出てきたエルフの一人が、耳に付けた魔導具に手を触れながら叫んでいる。
「保安官事務所に連絡! 食堂棟にサムシングフェイルド!」
落ちているハノクの上着が人々に踏み付けられ、土まみれになっていく。
ハノクの手下はナイフを手に持ったまま、何が起こっているのか理解できない、という顔で茫然と立っていた。
「縄を切れ! ハノクを追うぞ!」
そうルキルスが怒鳴ると、手下の男は素直に、手に持っているナイフで彼を縛っている縄を切った。
この混乱の中、ユージーンが人を押しのけて逃げるとは思えない。
そしてあのハノクは、ユージーンを見つけたら、盾代わりにしようとするだろう。
「逃げろ! ユージーン!」
聞こえるかどうかわからないが、ルキルスは思い切り大声で怒鳴った。
誰かが窓を開け、そこからもパニックになった人々が途切れずに飛び降りてくる。
建物の壁を蹴りつけると、ルキルスは別の出入り口に向かって走り出した。
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