06:狩猟生活始めました
狩猟生活一日目
飛行船に乗って猟民用拠点の一つに移動したのは、狩猟民登録申請書類を提出した翌日だ。健康診断や、身体能力の測定の結果が良かったため、早々に狩猟民としての適正があると判断されたのだろう。
カプリシオ大陸では、幾つかの開拓拠点が設けられていて、そこを中心にモンスター討伐が進められている。古くから開拓され、都市として機能している拠点もあるが、軍事的な観点から、大陸全体の地図や、拠点の正確な位置は公開されていない。
私が移動した先は、ある程度開拓の進んだ、初級狩猟民用の拠点だった。
全体的に建物が低階層で、都市と言うよりは町のような佇まいをしており、飛行船から見下ろすと、自転車の車輪のような円形をしていた。中心部には広場があり、そこから放射状に道が通って、外輪部分に繋がっている。
外輪から外は、狩り場だ。
見渡す限りの広大な森が、地平線を区切るなだらかな山脈に続いている。
海は見えず、地形的には内陸の盆地なのだろう。
飛行船の高度が低くなるにつれ、町に近いほど森が整備され、随所に道が作られている様子が見えた。川もあり、その流れる先を視線で辿ると、山脈の麓辺りに見え隠れする大きな河に合流していた。
船室の内部に、湿度の高い森の匂いが満ち始める。
私は思い切り深呼吸し、芳醇な空気を満喫した。
この大陸に来て、これまで住んでいた王国の王都とは違うと、一番実感するのは、この空気だ。
慣れてしまえば気づきにくいが、王都の空気には、常に汚物の匂いが紛れていた。下水施設のない中世世界という舞台設定で、王都に人口が集中している事に加えて、交通機関が馬なのだから、仕方のない事なのかもしれないが。
あの国を出ることができて本当に良かったと、カプリシオ大陸で一呼吸するごとに、痛感する。
飛行船が中央の広場に降りるまでの間、私は太陽の位置を確認し、どの方向に何があるのか、なるべく目に焼き付けようとした。いつか、役に立つかも知れない。
飛行船は私を下ろすと、首都に戻る乗客を乗せて再び空へ戻った。
拠点での初日の午後、古びた機械の前で戸惑っていた私に、食堂の利用方法を教えてくれたのは、金髪碧眼で背が高い、まさに王子様然とした男だった。
「入り口でお食事コインを買った後は、この機械にコインを入れて、メニューを選んでボタンを押してみて」
「ご親切にありがとうございます」
私の持つコインを見て、王子様はふっと口元に笑みを浮かべる。
「ああ、これ、支給されたコインだね。ということは、今日拠点に配属された新人かな?」
「はい。さっき到着したばかりの、クロエと言います。よろしくお願いします」
愛想笑いを浮かべて、私は彼の髪に目をやる。とても柔らかそうで、ウェーブがかかっている。これはきっと、寿命の短い髪。
「その装備も、デフォルトの支給品だね。君の魅力が活かされていないようだから、早めに買い替えをお勧めするよ」
そう言って、私の簡素な装備に目をやった後、金髪王子は自分の鎧をうっとりと眺めた。
まだ狩猟民生活初日の私には善し悪しはわからないものの、随所に細かい文様を彫り込み、宝石が埋め込まれてキラキラと眩いその鎧が、装飾重視で作られているらしい事は見て取れた。所作も洗練されているので、ここに来る前の金髪王子は、金持ち王侯貴族の一員だったのだろう。
得意げな彼の顔を見上げながら私は、造作は悪くないけれどパーツがやや中央寄りで、私の好みからはズレてるな、などと失礼な事を考えていた。そう言えば元婚約者の第二王子は、性格はともかく顔だけなら、割と好みだった。
私の視線を感嘆と捉えたのか、口元の笑みを広げて、金髪王子は言った。
「私は、ベリシュテ神聖帝国出身の、五体投地という。よろしくね」
不意打ちを食らって。
私は。
なんとか。
笑顔を保った。
「……何か、悪いことでもなさいましたの?」
「え?」
もしかして五体投地の意味をわかってない?
ような気がして、質問を変える。
「なぜその名前を選んだのでしょうか?」
金髪王子……いや、五体投地君は驚いた顔をした。
「どうして改名した事がわかったのだ?!」
わからいでか。
と突っ込みたいところを、普通の言語に変換する。
「そんな名前の人、なかなかいませんよ」
五体投地君は、わずかに顔を引き攣らせた。
「いくつかの候補から、語感が気に入ったものを選んだのだが、変だろうか?」
全てが手遅れだと感じた時、その事実を突きつけたところで得るものは何も無いと、私は知っていた。毛根が死に絶えた人に、髪型カタログを手渡すような残酷な事ができるだろうか? 私にはできない。
「……実は私も移住を機に改名したんですが、その名前を候補に入れてはいたんです」
私の、決して嘘ではない言葉に、五体投地君の笑みが復活する。
「そうなのか。私達は危うく、同名になるところだったんだな」
いや、それは無い。
私がメニューを選んでいる時、もう一人、金髪碧眼で背の高い、健康的に日焼けした男が食堂に入ってきて、入り口でお食事コインを買うと、後ろに順番待ちした。
「あ、五体投地様」
日焼け男が、一礼した。この二人の身体的特徴が似ているのは、同郷だからなんだろう。
振り返った五体投地君が、鷹揚に頷いた。
「五臓六腑、君もこれから昼ご飯なのか?」
私は。
二メートル斜め上空に意識を飛ばして。
五臓六腑君に紹介される自分を。
俯瞰していた。
機械から出てきた食券を厨房の受付に出し。
三人でテーブルにつく。
当たり障りのない会話。
味のしない食事。
食後、クエストに向かう神聖帝国出身の二人。
彼らが食堂を出て、姿が見えなくなった途端。
なぜか突然腹筋が痙攣を起こし、私はテーブルにしがみ付いた。
魂が本体に戻って来て、再び体のコントロールができるようになるまで、しばらくかかった。
研修では、他国については名前しか習っていないから、ベリシュテ神聖帝国がどういう国かは知らないが、センスが私とは相容れないようだ。今後は近づかないようにしよう。
そして、この食堂にも小型使役魔獣がいた。エプロンをした、狸型使役魔獣だ。妙に既視感があるのは、前世の、お食事処の玄関前でよく見かけた置物のせいだろうな。
その日の午後から、私は初級者用のクエストをこなし始めた。
町の中央広場を取り囲むように、狩猟民用の平屋建宿舎や食堂、クエストを張り出す掲示板、受注窓口、医療施設などが建てられていて、その一帯は、ハブと呼ばれていた。
町の外周部分はリムと呼ばれ、モンスターの襲撃を防ぐために、丸太を組んだ高い塀が築かれている。なぜ木製なのかというと、討伐が進んだ地域を町に繰り入れて、リムの外周を外側へ広げていくからだ。
町には、かつてリムの役割を果たした同心円状の痕跡が残っていて、リムの外へ出ると、リムを囲い込む位置に、今建設中の新しい塀がある。一つの都市に相応しい大きさになったところで、本格的な石造りの壁を作るという話だ。
ハブでクエストを受注した狩猟民は、リムから出て、狩り場へ向かう。原則として、狩り場に出て良いのは、日が出ている時間帯のみだ。
宿舎は、二日目からは有料だった。支給されたお食事コインも、一日分しかない。身一つで来た私には、お金が無い。
日が出ているうちに、できるだけ稼いでおきたかった。
掲示されたクエストの中から、簡単そうな『薬草集め』や、『キノコ探し』『害虫駆除』などを選んで、掲示板横に設置された受付窓口に申し込みに行く。
受注リングを受け取って指にはめ、クエスト用支給品をポーチに入れて、広場から出て真っ直ぐ南に延びた大通りを行き、リムの南門を抜けて狩り場に出る。クエストを達成すると、同じ扉から戻り、受付窓口で受注リングを返却して、報酬を受け取る。
一つのクエストで、千プリコほどの報酬だ。
千プリコが前世の千円だと考えると、時給はあまり良くないが、今は実力不足なので仕方が無い。
装備を揃え、大型モンスターを狩れるようになれば、もっと稼げるはずだ。
大通りの道沿いには商店が並んでいたし、その向こうには住宅街もあったので、金銭的に余裕ができれば、買い物をしたり、住まいを移したりもできるだろう。
自由の国に来て、狩猟民になって、お金を稼ぐ。
着々と進む計画の先の、着地点が何だったのか、着地点があったのかも忘れてしまっていたが、初日、全てが順調な事に私は満足していた。
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