34_41:僕が死ぬ日の青い空(9)
(絶対大丈夫だ、なんて言ったのは誰だ?!)
機外に放り投げられた途端、予想外の風圧を受けて、身体の位置が後ろにズレた。
舟に置いて行かれる、と一瞬覚悟したが、マクシーが胸ぐらとベルトを掴み上げて、力いっぱい投げ付けてくれたおかげで、ザイオンは船尾付近目がけて落ちて行く。
『§ ¶環境制御{要素:風;量:超微量;強さ:5;方向:下;時間:0.1;対象:俺;} §』
インタプリタ方式で古代エルフ語を、目分量で決めたパラメータまで含めて一気に唱えた。
早過ぎるとブレーキがかかって海に落ち、遅いと間に合わずに船底に激突する。
無事に生じた下向きの風に支えられ、着地の衝撃をある程度抑える事に成功したザイオンは、舟底に顔から落ちて転がった。
船尾に取り付けてある船外機の出っ張りに背中を打ち付けて、痛みに一瞬息が止まる。
輸送機から向けられる投光器の灯りの下、舳先側に横たわるユージーンと、血だらけの男の姿が見えた。
ザイオンはすぐに起き上がると船外機のスイッチを探り、水噴射システムの稼働を止めた。加速を失った舟は、惰性で移動しつつ、波の影響を受けてゆっくりと弧を描く。
輸送機が少し離れた場所に降下していったため、照明が外れ、舟の上は暗くなった。
海に落ちないよう手探りで、ザイオンは舳先に進む。
ユージーンは、船底に敷かれた毛布の上にいた。
裸体に近い身体の上には、上着が掛けられているだけだ。傍らに膝をついて確認すると、息はあるが、呼吸がおかしい。
横に寄り添っている男を蹴り飛ばして、何がどうなっているのか訊きたかったが、その男も意識がなく、死にかけているらしい。足下が血らしきものでネトネトしている。
ザイオンは、ポケットに入っているブレスレットを上から押さえる。
ブレスレットをはめなおすと、現在の身体の状態を把握して、全てのデータを保存するところから始まる。その後は、一定の間隔で差分情報のみ更新する仕様だった。
時間がかかる上に、今以上に回復させる事はできない。
ザイオンは迷った挙げ句、ブレスレットをポケットにしまったままにした。
着水した輸送機が、圧縮空気をブシュ、ブシュと小出しにしながら近づいてきた。
マクシーが扉から顔を出し、その横でクロエが投光器を掲げる。
投光器が眩しくて、二人の表情はわからないが、いつもはよく喋る彼らが黙りこくっている。深刻な状況だという事は理解しているらしい。
ザイオンは、ユージーンの手を握っている男を押しやった。それから、ユージーンの身体を毛布で丁寧に包んでやる。投光器の灯りの下、ユージーンの頬に殴られたような痕がある事に、ザイオンは気づいた。
(守ると言っておきながら、結局守れなかったじゃないか)
一瞬、身を貫くほどの強い怒りを覚えたのは、自分自身に対してなのか、それともユージーンのような存在を、当たり前のように踏み付けにする連中に対してなのか。
輸送機の扉付近に舟を寄せても、波に揺られてすぐに離れていこうとするので、マクシーがまたがって、足の力で無理矢理につなぎ止めた。
ザイオンはユージーンを両腕に抱えてそっと持ち上げ、マクシーに渡す。
ユージーンを運ぶマクシーの後に、クロエが続いた。彼女が泣きながら、兄の名前を呼ぶ声が聞こえる。
こういう時にザイオンが苛立ちを感じるのは、感情に任せて泣く時間を無駄だと考えているせいだろう。
「座席を倒して平らにしますので」
ルファンジアが中で指示を飛ばしている。
「クロエ様、後部の収納に入っているマスクを取ってきてください。高高度航行用に用意していたマスクです。予備の毛布もあるので、上から被せてあげてください」
(そうとも。泣いている暇があるのなら、できる事をやれ)
『§ ¶環境制御{要素:光;量:0.8;距離:10;時間:600;} §』
ザイオンは頭上に手を掲げ、疑似的に暗い太陽を作り出す。
指や掌で魔法を発動させる方向を示すと、パラメータが一つ減るので楽だ。
こうした魔術式はいちいちインタプリタ方式で唱えなくてもいいように、定型文にしてリングに刻むか、パラメータに変数を入れた上でライブラリ化して魔法陣で呼び出すべきだが、ザイオンはこれまで、自分が実戦で魔法を使う場面を想定した事がなかった。
収納に低温保持設定の魔法陣を描いた龍紅玉を嵌め込んだり、食器に保温の魔法陣を描く程度で充分だと思っていたのだ。
(攻撃魔法の一つでも使いこなせていれば、ユージーンが地下にいるとわかった時に、足下を崩して助けられたかも知れないのに)
マクシーが、輸送機の扉から顔を覗かせた。
「魔法の太陽だ! もっと明るくしないの?」
「明る過ぎると、何を誘き寄せるかわかったもんじゃないからな」
ザイオンは、足下の男を指さした。
「こいつも乗せてやれ」
「えええぇ」
マクシーは嫌そうな声を上げた。
「そいつ、ユージーンを連れていった悪い奴!」
監視用魔導具の履歴に残っていた男の事を、マクシーは覚えていたらしい。
「そうだな。だが、助けたのもこいつらしい。ユージーンの手を握っていた。お友達か何かかもな?」
ユージーン一人では、共和国に舟の針路を定めることなどできなかっただろう。
刺されて死にかけているのは、仲間割れしたせいか。
命がけでユージーンを救おうとしたのなら、ついでに助けてやってもいい、とザイオンは判断した。
「クロエがボコボコにするためには、とりあえず生かしておいてやらないと」
波のせいで距離ができはじめていたので、ザイオンは再び船外機を作動させ、扉に舟を近づける。飛び乗ってきたマクシーは渋々その男を抱えて、『葡萄ジュース輸送機』の中に運んだ。
クロエが怒りながら、その男の名前を呼ぶ声が聞こえる。
「ステルスなんとか!」
「ルキルスですね。医療キットを取ってきてもらえますか? 背中を圧迫止血します」
「ユージーンのお友達らしいよ? 手を握り合っていたんだって」
(ちょっと違うというか、かなり違うぞ、マクシー)
「……そんなの許さない! こんな男、お兄様には合わない!!」
(ほらみろ、あらぬ誤解を生んでいる)
ザイオンは無意識に心の中で突っ込みを入れながら、星の位置を見て、『水噴射推進システム』を少しずつ稼働させた。
舟がやってきた方角に舳先を向けた頃、マクシーが輸送機の扉からひょいと跳んで、再び乗り込んできた。
「どこにいくの?」
「セス族の船を探しに行く。お前も来い」
輸送機は四人乗りで、瀕死の二人を乗せたから、座席が二つ足りない。クロエはユージーンのそばに留まり、マクシーはこっちの舟に乗ると、収まりがいい。
「やっぱり」
と言って、マクシーは手に提げていた袋を足下に置いた。
ザイオンが食糧を入れて持ち込んだ、冷蔵機能付きの収納袋だ。
この後医療機関に直行する輸送機には必要ないだろうと、丸ごと持ってきた機転を褒めてやる方が先か、それとも無神経にも血だまりの上に置いたことを叱り飛ばす方が先かと、少し悩んだザイオンは、無言のまま収納袋を持ち上げて、血で汚れていない船底に置き直した。プラマイゼロの刑だ。
距離を取り始めた輸送機の扉から、クロエが大きく手を振っていた。
「首都の病院に行ってるね!」
マクシーも手を振る。
「ユージーンを虐めた奴、殴ってくる!」
扉を閉めた輸送機が、高度を上げた。
そして、ゆっくりと加速していき、あっという間に光の点となって、夜空の星と区別が付かなくなる。
ザイオンの隣でマクシーが、勝手に袋から出した夜食用クロワッサンを食べながら、機が飛び去った方向を切なそうに見送っていた。
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