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05:クロエでございます

 移民管理局の休憩所にも、使役魔獣がいた。


 カーキー色の長いチュニックを着た、茶トラ猫型使役魔獣は、直立して、肉球のついた小さな手で十卓ほどある長テーブルの上に放置された飲み物の空き容器を回収している。


 平伏して、椅子やテーブルの下をかいくぐり、お掃除ロボットのような動線で床を掃除しているのは、ハムスター型使役魔獣だ。丸まって、足の部分だけ毛皮が波打っている様子に、目が吸い付けられる。バスケットボールぐらいの大きさのあの子には、どれぐらいの大きさのヒマワリの種が相応しいだろうか?


 首都バシンは港町でもあり、他国からの移民や、審査する職員や保安要員がひっきりなしに休憩所を利用するが、獣人族、竜人族、エルフ、人族関係なく、誰もがこっそりと小型使役魔獣達の働く姿を盗み見ていた。


 やがて、床と、テーブルの上が綺麗になると、使役魔獣達は休憩所を出て行ってしまった。残念そうなため息が、あちこちから聞こえたような気がしないでもない。


 癒やし達が視界から消えたので、仕方なく私は、テーブルの上に置いた一枚の書類に向き直る。

 今私は、人生で最大級とも言うべき大きな決断に迫られていた。



 ここまでは順調に、自由への道を歩んできた。

 いつの間にか、何者かによってすり込まれた自由への道筋ではあるが、今更後戻りするつもりはない。


 この首都で私は、簡単な研修を受けている。内容は、この国の成り立ちや仕組み、言語、お金の使い方といった基本的な知識だ。


 研修を終えた後は、職業を選んで、登録することになる。

 私は、この国の根幹を支える、狩猟民を目指すことにした。


 そのためには、今目の前にあるこの狩猟民登録申請書類の空欄を余すことなく埋めなくてはならない。


 研修で私は、この世界の大まかなイメージを掴むことができた。


 この世界には、深く広い海を隔てた、五つの大陸がある。それぞれに、異なる特徴を持つ独立国家が存在し、最も大きな大陸に二百年前に成立した国家が、カプリシオハンターズ共和国だ。


 国家が成立する以前、カプリシオ大陸はモンスターの多く住む未開地であり、人族、獣人族、エルフ、竜人族がそれぞれ小規模の集落を作って、細々と暮らしていた。


 ある時、大陸の奥深くから、山と見紛うほど大きなモンスター『スコロペナ』が番で現れ、全ての集落、全ての種族が一致団結して立ち向かい、打ち倒した。それが、共和国建国のきっかけだと伝えられている。


 共和国は、科学大国でもあった。飛行船、電力を利用した冷蔵庫や空調、武器や医療技術など、前世の近代に近いところまで発達している。


 国土の六割以上がまだ、モンスターの出没する未開拓地のままだが、狩猟と開拓を推進し、安全に住める地域を広げて人口を増やせば、大規模な発電施設も建設できるようになるはずだ。私の代では無理でも、子ども、孫の時代には、ネットやスマホが台頭しているかもしれない。


 すでに印刷技術に関しては高水準に達しており、私の好きな小説や漫画、雑誌類も多く出版されている。


 ちなみに、この世界の共通言語の原型は『現代日本語』だ。東の果てにある小さな島国から、人族が持ち込んだとされている。この世界が日本語で綴られた『物語』だという証拠の一つだ。


 共和国ではその言語をかなり崩して省略した形で使用しており、慣れればすぐに理解できた。前世の、RIP、LOL、あざす、ちわ、なるはや、激おこ、おはこんにちは、みたいなものがそのまま別体系の言語になったようなイメージだ。


 全く違う言語体系だったら、研修は何ヶ月にも及んだかも知れない。

 ご都合主義万歳。




 移民管理局の休憩所で、簡素な長い机の上に書類を置き、ペンを手に取って悩み始めてから、一時間ほど経った。


 一時間の間に、何人もの獣人や竜人、エルフ達が飲み物を手に、雑談してはどこかへ去っていった。

 研修の内容を思い出しながら、私は興味深く彼らを観察する。


 獣人族は、立派な毛皮と爪と牙を持ち、嗅覚に優れ、体格が良く、仲間意識が強いので、その特性を生かして、軍や治安部門の仕事をしている人が多い。


 竜人族は、人型進化した爬虫類というイメージで、鱗に覆われた皮膚はとても硬そうだ。雑談を何となく聞いていると、性格は穏やかで、オタクっぽい。この国の工業技術に貢献している種族だ。


 長い耳が特徴のエルフ族は、長命で魔術が得意、と研修では習ったが、私はこの世界に生まれてから一度も魔術を体験していないし、王国でも魔術は存在しないとされていたので、本当に使っているところを見るまでは何とも言えない。


 私と同じ人族は、あまり休憩所を利用しないのか、2、3人しか見かけなかった。

 全ての種族を纏め、国を運営し、開拓に力を入れ、インフラの整備や他国との外交を担うのが人族だ。頭脳労働に向いている一方、強欲で攻撃性があり、犯罪も犯しやすい。


「一月前、港の倉庫で、第一部隊のワンコ達が使役魔獣の違法売買組織を摘発したんだが」

 少し離れたテーブルで、こそこそと、狼のような風貌をした獣人達が数人で話し合っている声が聞こえてくる。


「殆どが人族の移民だったってさ」

「あー、猿族あるある」


 猿族という言葉は、人族が猿型獣人族だと考えれば妥当な表現だが、この場面ではどうやら貶めているらしい。


「第二部隊のクマちゃん達は、中央川沿いでアジトを見つけたが、空振りだったって」

「川沿いに海へ出たんだろう」

「こちらの動きが漏れてるんじゃないかな」

「本当に悪賢い」

「猿族だからな」


 ほんの一瞬、視線がこちらに向いた気がした。

 多分これは、嫌がらせなどではなくて、情報収集の一環で、わざと話を聞かせて動揺する様子がないか揺さぶりをかけているんだろう。


(攫われた子達が、早く見つかりますように)


 私に何かできるわけでもないので、目の前の狩猟民登録申請書類に目を落とした。

 新たにこの国の民として生きていくための情報を、その書類に書いて登録しなくてはならない。異世界転生物語のイベント名でいえば、ギルド登録のようなもの。


 王国時代の名前ではなく、新しく名乗っても良い、という許可を得たために、悩みに悩んでいる。

 前世の推しの名前をあれこれと思い浮かべては、その名で呼ばれるところを想像して身悶えていたら、更に半時間が経過した。


 例えば、推しキャラの名前が「クラウド」だとして、自分にクラウドとつけた場合、これから知り合う人が全て、私を「クラウド」と呼ぶことになる。


 耐えられるだろうか?

 いや、無理だわ。

 なんて烏滸がましいのこの厨二病患者!

 と、呼ばれるたびに自分を罵倒して、我が身を刺したくなるだろう。人によっては平気かも知れないが、とにかく私は無理。


 ゲームを開始する時のキャラクター作成画面でも、こんな風に悩んだっけ。

 悩むのが嫌で、『杏仁豆腐』とか『チャーハン』『八宝菜』『エリンギ』『喜連瓜破』『五臓六腑』『五体投地』『七転八倒』などと適当に名付けて、後で変更がきかなくて後悔したことが多々ある。


 マルチプレイで会った人達の中には、とても口にはできない名前の人もいたっけ。


 下ネタは絶対に駄目だ。『パンツかぶりたい』とか『(自主規制ピー)モミモミ』とかね。『パンツかぶりたい』っていう名前の人と、真面目に会話したいと思う? 本人は面白いと思っているらしいのが、痛過ぎて心がぞわぞわする。


 生殖器の名前の人と、オフ会とかね、地獄だわ。


 あ、ストレートに『悪役令嬢』とか『アフターギャフン』、顔に傷ができたから『スカー令嬢』もしくは『スカーレット』なんてどうかな、と、疲れた頭で考えて、これはヤバいと頭をブンブン振った。いかん、休憩時間が終わってしまう。


 ちなみに、王国時代ならバサバサと揺れたに違いない長くてウザい黒髪は、短く切った。もう令嬢じゃないし。


 ……ふと、前世でベリーショートにした時に、今までで一番似合ってる、と言ってくれた幼馴染みがいたことを思い出す。


『我が名はクロサキリエ! 略してクロエと呼ぶが良い!』

 初対面相手にもそうぶっ込むぐらい、クロエは変な子だった。

 いつもハイテンションで、一緒に居ると楽しかった。

 当時は、それがどこか歪だと気づけるほど、私の人間としての経験値は高くなかった。


『見て! コレ買った!』

 そう言って、キャラクターものの文房具を見せてきて、誰かが褒めると、あげると言い出すところを何度も見た。SNSのアカウントは複数あり、一日に十回も二十回も投稿する。空気が読めない性格もあって、社交的に見えて友達は少なかった。


 ある日彼女は、頬を腫らして登校してきた。

『親父に叩かれた~。新しい女に挨拶しろって言われたけど、無視しちゃって』

『そうなの。大丈夫?』

『うん。あ、そうそう、この間貸してくれた本、まだ全部読んでなくて』

『いいよそんなの』


 あれは、大丈夫? で済ませてはいけない事だった。

 今ならわかる。

 些細なSOSを、見逃した。


 違う。自分には関係ない事だと、スルーしたのだ。

 何度転生したって、永遠に取り返しがつかない。


『クロエ』

 申請書類の名前欄に、私はそう書いた。

 その名を呼ばれるたびに、人と向き合う事から逃げるな、知らないふりをするなという、警告にもなる。


 ……何もかもなかった事にして忘れて、全く違う名前で新しい人生を始めた方が、楽なのでは?

 卑怯な自分が、私という存在の中で燻っている。


 結局私は、前向きにというよりは、それ以上自分にウンザリしたくないという気持ちが勝って、退路を断つ勢いで、書類を提出したのだった。











⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

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