34_14:陥落
(駄目……それは駄目)
柔らかい右の膨らみを直に捉えたマクシミリアンの手は、軽く掴むようにしていて、クロエが手を添えて退かそうとしたぐらいでは、びくともしない。
(……人目が……人目……あ……ああ)
マクシミリアンに口内を攻められ、クロエは追い詰められていく。
早く場所を移さないと、と彼女が焦っている間に、複数の足音が近づいてきて、すぐ側で止まった。
今一番聞きたくなかった声が言う。
「何やってんだ、お前ら」
ようやく解放されたクロエが、マクシミリアンに掴まるようにして振り返る。
呆れ顔のザイオンと、彼に付き従うルファンジアが居た。二人の後ろに、スラン師団長とヨアン保安官の面白がるような顔が見える。
(これ……もしかしたらわいせつ物陳列罪で逮捕みたいな流れ……?)
モスタ王国でなら確実に、公序良俗違反的案件だ。などとクロエが考えている横で、マクシミリアンが彼女を抱き締めたまま、おずおずと言う。
「クロエは、僕の事は嫌いじゃないって。だから僕……」
学生が家でいたしているのを親に見つかって下手な言い訳をしているような、微妙な空気感。
「それはどうでもいい」
ザイオンが言い捨てた。
「だが、そういう事を人前でやるな。家でやれ」
ザイオンの意見は至極真っ当だが、口調がいつにも増して辛辣だ。
常時不機嫌そうな彼が、今日は更に不機嫌なオーラを纏っている。マクシミリアンを男性的な『美丈夫』と表現するならば、ザイオンは繊細さを感じさせる『美形』の部類だ。その彼が眉を寄せ、金色の瞳で睨み付けてくる圧に、マクシミリアンとクロエは逆らえない。
返事の代わりにマクシミリアンは、クロエの服の下から、そっと手を抜いた。
「ザイオン様。お急ぎください」
とルファンジアが声をかけたので、ザイオンは別の用事でたまたま医療センター前を通っただけだとクロエは気づく。彼らの背後に見える広場には、さっき病室から見た時よりも、更に人が増えていた。その大半はエルフ族だ。
(これから何があるの?)
広場の真ん中に櫓でもあったら、エルフ族の盆踊りでもするのかと思ってしまいそうな状況だ。エルフ族以外の人々が怪訝な顔をしているのは、クロエ同様何が起こるのか知らないからだろう。
ルファンジアに促されたザイオンは、明らかに気乗りしていなさそうな重い足取りで、広場の方に歩いていって、数歩で足を止める。
広場に影が落ちていた。
上空から、ゆっくりと高度を落として広場中央に着陸しようとしているのは、少し変わった形の飛行船だ。
ザイオンはそれ以上進もうとせず、こちらを振り返った。マクシミリアンは、クロエを後ろから両腕に抱え込んだまま飛行船を見上げている。
ザイオンにしては珍しく、心配そうな表情でマクシミリアンを見ているので、クロエは嫌な予感に囚われた。
彼はクロエと目が合うと、微かに笑みを浮かべた。
手を振って、飛行船の方へ向き直る彼の背中に、クロエは見覚えがあった。
『じゃね~後はよろしく』
そう言って、以前、泣いているマクシミリアンを彼はガーディアン事務所に置き去りにした。
(あの時と同じように、マックスを一人置いて行こうとしている?)
そんな事は容認できない、とクロエは思う。
幼少期は父親から居ない者として扱われ、実の母親には命を狙われたマクシミリアンが『親』と慕うのは、ザイオンだけなのに。その『親』に捨てられたら、まだ完全に親離れしたとは言えないこの『子』はどうなってしまうのか。
さっきのあの笑みは、後はお前が頑張れ、という嘲笑だ。
身体に回されたマクシミリアンの腕に、クロエはそっと手を掛ける。彼女は予感が当たらないようにと願いながら、成り行きを見守った。
降下してきた飛行船は、船体を吊り下げる気嚢がなくて、正確には飛行船とは言えなかった。
甲殻系モンスターを素材にした、赤い流線型の機体には、出っ張った部分がいくつかあり、そこに魔法陣が刻み込まれている。
魔法陣から噴出する空気が、周囲の空気を震わせた。単なる空気ではなく、圧縮された空気のようだ。低く連続する衝撃音が、かなり離れたクロエのいる場所まで伝わってくる。排出された圧縮空気が急速膨張すると、エアコンと同じ原理で、気温が下がる。そのせいか、機体の周囲にうっすらと水蒸気のようなものが立ちこめていた。
飛行船というより、航行型魔道具だ。
モスタ王国とカプリシオハンターズ共和国を繋ぐ定期便も、一見飛行船の形を取っているが、実は同じ仕組みで動いているのではないだろうか、とクロエは思い当たる。空気の状態パラメータを魔術式で操るだけで、燃焼を伴わない圧縮エンジンが実現可能なのだ。そのスピードは、前世の飛行機にも劣らないだろう。
クロエは改めて、共和国の魔法と科学のハイブリッド技術力に驚きながら、航行型魔道具が着陸するところを眺めていた。
広場の中央に、大型車と同じ大きさの赤い涙が一滴、横たわる。
腹部にあるドアが内側へ落ち込むように開いて、一人の女性が出て来ると、広場にいたエルフ達が一斉に、彼女の進行方向に道を作りながら、跪いた。
エルフではない者達も、彼女を認めた途端次々に膝を折る。
女性は、緑色の髪に、尖った耳を持つエルフだ。彼女が四種族全ての人々に跪かれつつ、自分の方へ進んでくる様子を見て、ザイオンが及び腰になる。視線を彷徨わせる彼の両側にルファンジアとヨアン保安官が立ち、後ろにスラン師団長が立って逃げ道を塞いだ。
クロエは、近づいてきたそのエルフの顔が判別できて初めて、状況が理解できた。若い頃は凄い美人だっただろうと思われるその初老のエルフの顔立ちは、ザイオンにそっくりだ。
彼女は、傍系のルファンジアがたびたび熱に浮かされたように語るザイオンの祖母、エリクシャナに違いなかった。
エリクシャナは、『あらゆる聖霊の祖にして我らが始祖、アレシャトに繋がる王の血筋』の直系であり、二百年前に四種族をまとめ上げ、大陸を危機から救った建国の英雄、とルファンジアが何度もザイオンに対して繰り返すので、クロエは覚えてしまった。何十年も探していた娘の死を知り、しばらく寝付いていたと聞くが、ザイオンの方へと歩み寄るその足取りを見ると、完全に回復したのだろう。
この期に及んでザイオンは、踵を返して逃げ出そうとし、スラン師団長に取り押さえられていた。
気持ちはわかる、とクロエは思う。
これはザイオンにとって、公開処刑と同じだ。
ついにエリクシャナがザイオンの目の前に立つと、ルファンジア、ヨアン保安官、スラン師団長が膝を折る。身分制に則った強制的な礼とは違う。彼女の行いにより今の平和があるのだという感謝の念が、共和国に生きる人々に根付いているのだとクロエは感じた。
「エリクシャナです」
微笑んだ初老のエルフの声は、震えていた。
「貴方が、シャルシャの遺してくれた子ね、ザイオン」
「……そう、です」
涙目になりながら、ザイオンが応じた。
「よく、生きて帰ってきてくれました」
縋るようにして抱擁し、嗚咽を漏らす女性の身体に、そっと手を回したザイオンは、ついに陥落した。零れ始めた涙は止まること無く、彼は必死に自分を抑えようとして、できずにいた。
無理もない。
子どもの頃母親を亡くして以来、頼る大人のないまま生きて来たザイオンが、ようやく、『子』と呼び、慈しんでくれる存在を得たのだ。
気位の高いザイオンが、人前で泣くなんて滅多にないのだから、もう少し見物していたかったのだが、彼に託された役目をクロエは忘れてはいなかった。振り返り、片手をマクシミリアンの頬に添える。
「僕……」
マクシミリアンはザイオンを見守りながら、涙を流している。
「よ……喜んであげないといけないのに。なんでかな……? 僕……」
彼が、悲しくて泣いているのだとクロエにはわかった。ザイオンに、彼そっくりの家族が現れた。自分は捨てられるのだ。家族ではなくなるのだと、マクシミリアンは考えている。置き去りにされる恐怖と戦っている彼の気持ちを思うと、クロエは泣きそうになる。
「大丈夫よ、マクシー」
クロエは優しく言う。
「ザイオンは、弟の貴方を凄く愛しているもの。絶対に帰ってくるから、先に家に戻って待っていようよ? お昼ご飯、まだでしょう?」
「うん」
と言いつつ、マクシミリアンは、クロエの肩に顔を埋める。
「僕は……この頃、帰ったらちゃんと手を洗うし、野菜は残さない。水も出しっぱなしにしない。脱いだ服は、その辺に置かずに洗濯籠に入れて、砂は居間に落とさない。部屋も自分で片付けている。殺すのは悪い奴だけ。家の中では走らない。ソファでは寝ない。ちゃんとザイオンの言う事をきいてる。僕は、ザイオンに嫌われてない。ザイオンは……帰ってくる……?」
今さらっと、レベルの違う項目が一つ混じっていたけれど、スルーしてウンウンと頷きながらクロエは、彼の頭を撫でてやる。
「お昼ご飯を食べ終わったら、いい事しようか」
クロエは、彼の耳元に悪戯っぽく、ベタな台詞を囁いた。
「いい事……?」
マクシミリアンが、顔を上げる。
「さっきザイオンが言ってたでしょう? 『家でやれ』って」
目を見開いて見返してくるマクシミリアンを引っ張って、クロエは『家』に向かって歩き始めた。
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