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32:我が名を呼ぶ勿れ

 八百屋の小柄なエルフが、不思議な事を口走ったというので、バナナのお礼がてら意味を訊いてみたかったのだけれど、次の日からは別人が店番をしていて、会えなかった。店主だという気難しそうな羊型獣人は、縦長の不気味な瞳を向けてくるばかりで、どこに行けば彼女に会えるのか訊いても、鼻を鳴らすだけだ。


 謝罪はしたけれど、私と顔を合わせるのが気まずくて、辞めちゃったのだと思うことにしよう。

 不思議な事、とマクシミリアンが表現したエルフの台詞は、どことなく厨二病っぽいので、冗談で言ってみたけれど滑ってしまって、恥ずかしくなったのかもしれない。


 またどこかで会ったら、バナナの値段を訊いて、あまりにも高価なら半分程度負担させてもらうつもりだ。




 卵クエストを終えた私は大型モンスターを狩る資格を得て、マクシミリアンと一緒に、バイク程度の大きさのモンスターをメインに討伐し始めた。

 マクシミリアンが手を出すと瞬殺なので、見守り役に徹してもらっている。


 先だって火竜との睨み合いを経験した私は、恐怖で腰が引けて倒せない、という事もなく、順調に実績を重ねていった。

 いつかは、上位モンスターを狩れるようになりたい。

 それが今後の私の目標だ。


「チイリュはね、全身甲羅で覆われていて、動きは鈍いのに身体が硬くて、武器によっては倒すのに時間がかかるんだけれど、割って中身を焼くと、脂がのってて美味しい」

 掲示板の前で、張り出されたクエストの一つ一つについて、マクシミリアンが教えてくれる。

「こっちのファウクラは、太った鳥みたいなの。嘴が鋭くて、ちょっとつつかれても穴が開くから気を付けてね。最初に嘴を破壊したら、すごく弱くなる。それでね、剥いだ皮を焼くとね、パリパリしてて、裏がちょっとだけ柔らかくて、いくらでも食べられるんだ」

「マクシミリアン先生」

 私は片手を上げた。

「お腹が空いたのなら、お昼ご飯を食べてから出直す?」


「そうだね……でも、夕飯に何を狩って帰るか決めておこうと思って」

 マクシミリアンは、真剣に掲示板を見ている。


 夕飯に買って帰る、じゃなくて、『狩って』帰るというところが、この国らしくていいな、と思う。


 目下の悩みが夕飯の事だけって、なんて幸せなんだろう。


 ずっと独りで、自分らしい自分を出せずに、苦しくて重たい服を着て、言葉遣いも行動も『令嬢』という型に嵌め、廊下を走ることさえできずにいたモスタ王国での生活を、どうやって耐えていたのかも思い出せなくなってきた。


(マクシミリアンの『幸せロードマップ』は、自由の国、カプリシオハンターズ共和国に来て、狩猟民になって、お金を稼いで、家を建てて、好きな子と結婚する、だった。私の場合は、どうだったかな)


 モスタ王国ではとにかく、自分を縛り付けるものから逃れて自由になりたい、という事だけを願っていた。ロードマップなんていうものを考えていたわけではなくて、子どもの時に知り合ったザイオン達の計画を無意識に覚えていて、なぞっただけだ。


 この国に来て、狩猟民になって、お金を稼ぐようになった後の事を、私は考えていただろうか?

 最終的な目標なんてものはなく、自分の意思で、自分の道を選ぶ事ができれば、なんでも良かったのだ。幸せでも、幸せでなくても、それが私の望んだ事だった。


(幸せになろう、なんて考えていたわけじゃなかったのに)

 私は、クエスト掲示板の端から端までを丹念に見て考え込んでいるマクシミリアンを、眺めていた。




『僕達、友達になろう!』

 マクシミリアンが、いつ、どこでそう言ったのかは覚えていない。

 あの頃の私は、友達は一人もおらず、心を許した相手はなく、微笑む事さえなくて、かわいげのない子どもだった。

 そんな自分に笑みを向けてくる相手は、どちらかというと苦手だった。笑みを返せない自分に失望して、離れていくと思っていたから。

 いつか冷たい表情を向けられて、傷つく事になるのが怖かった。




「ここにある『ガイラナ討伐』は、溶けかけた人間みたいな形のモンスターで、力もジャンプ力もたいしたことがないけれど、器用な手でウ○コを投げてくるから、女の子向けじゃないね」

 クスクス笑いながら、マクシミリアンが言う。

「前に行った時、ザイオンが逃げ回って、叫びまくってて面白かった」


 ザイオンの事は、話していて愉快な人物とは言えないが、彼は彼なりに弟を守ろうとしているようだから、ある程度は許容してやろうか、というのが最近の私の気持ちだ。


「えーと……その投げられたモノが、ザイオンに当たったの?」

「直撃はしなかったんだけれど、その時に使っていた武器で受けちゃって、もうこんな武器は使わん、って怒って」

 マクシミリアンの視線が、私の背中にホールドしてある飛翔棍に向いた。

「あっ」


 私は微笑んだ。

「ちゃんと洗ったんでしょ?」

「うん。何回も、めちゃくちゃ凄く洗ってて、清浄の魔法もかけてたよ。とにかく、ガイラナはやめよう。肉も臭くて食べられないし」


(お金を貯めたら、新しい武器を買おう)

 上位モンスターを狩る目標の前に、もう一つ小さい目標を立てた。


 火竜の卵を見つけた時の報奨金は、マクシミリアンを経由して魔王城の家計に入れたので、手元には残っていない。しばらくは報奨金を盾にして居候しながら、一つずつ目標をクリアし、後の事を考えるつもりだった。


(マクシミリアンを主人公にした『物語』が進行中なら、そのうちヒロインが現れるはずだし、それでマクシミリアンが本当の恋を知ったら、私は退場しなくちゃいけない。ヒロインが先か、私が自立する方が先か、時間との闘いね)


 そんな風に考えていると、今ある幸福感が、陰り始めた。

(私は、退場したくないの?)


 このままだと、現れたヒロインを害して、その座を乗っ取ろうとする本物の悪役令嬢になってしまう。私は、そんな私を許す訳にはいかない。


「ファウクラ討伐にしようよ」

 マクシミリアンがニコニコしながら私を振り返った。

「皮だけじゃなくて、肉も美味しいよ。狩りの時間もそんなにかからないから、午後一番に行けば、その後でマシュの散歩にも行ける」

 彼のこの明るい笑みを、向けられるに相応しい私でなければ。


「ファウクラ討伐ね、了解」

 と、笑みを返す。

「私の狩猟の練習と、報酬と、夕食の素材調達か。凄く効率的だわ」


 何の含みもない笑顔を交わす。

 こんな幸せが、できるだけ長く続いて欲しい。

 そんな事を考えていたから、フラグが立ってしまったのかも知れない。




「アレクサ!」

(ピコン?)

 私の幸福に、雑音が混じる。


「アレクサ! アレクサンドラ! ああ、やっと会えた!」

(ピコン?)

 その名前を呼ばれる度に、幻聴の電子音が付随する。

 どうしてこの国で、この名前を聞かなきゃいけないのかしら。

 この世で一番嫌い。


 この気持ちをわかってくれる人は、今世には誰もいない。

 説明のしようがないのだ。

 前世を生きる人達の多くも、おそらくは理解しない。



「アレクサ!!」

(ピコン?)

 電子音の他にも、幻聴が聞こえる。


(今、何時?)

(今日の天気は?)

(あと三分測って?)


「アレクサ!」

(ピコン?)

 それは、私が生きていた前世の大企業が製造した、スマートスピーカーの名前だった。

 罪深き大企業は、アレクサンドラという高貴な名前が名付けられる子どもを激減させた。


「アレクサ! アレクサンドラ!」

(ピコン?)

 ハブ広場を横切りながら、男が急いでこちらにやってくるのが見えた。

 黒髪に、整った目鼻立ちの、痩せぎすな男。

 最後に会ったのは、いつだっただろうか。随分昔のような気がするが、せいぜい半月か一ヶ月程度だ。

 何事かと見送る狩猟民達の間を抜けて、彼は真っ直ぐこちらにやってくる。

「アレクサ!」

(ピコン?)


『すみません、よく聞き取れませんでした』

 調子が悪い時、アレクサはよくそう言い訳した。

 灯りを点けろって言ってるんだよ何度言わせるんだよふざけんなって、AI相手に切れた事もあった。


『ネットワークに、上手く接続できません』

 さっきまで繋がってただろうなんだよ突然。ネットワークが死んだら、灯りも点けられない時代、便利なのか不便なのかと、SNSで愚痴ったりもしたっけ。


 会話を勝手に拾って検索し、WIKIを読み上げ始めたり、好みに全く合わない音楽を流し始めたり、アラームを止めると今日のニュースを勝手に流し始めたり、私の日常シーンでは常に、アレクサがそばにいた。


 まさか、前世で嫌というほど話かけ、利用し、罵倒した名前が、私のものになるなんて思いもしなかった。

 今世では、その名を呼ばれるたびに私は、前世でAIに設定していた『ピコン?』という反応音が頭の中で鳴るのを、どうしても止める事ができないでいた。











⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

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