30:魔王城へ
狩猟生活六日目(8)
あるいは馴れ馴れしくマックスと呼んだのが、駄目だったのかもしれない。
どうしよう、嫌われた、などと私の心が煩く騒ぎ立てている間に、ヨアン保安官も、マクシミリアンの様子に気づいたようだった。
「マックス」
ヨアン保安官は、やや厳しい口調で尋ねた。
「使役魔獣を通じて送った出動要請を、拒否したと聞いた。結果的には火竜を倒してくれたので、問題にするつもりはないが、理由を聞いてもいいかな?」
「僕は、クビになったはずですよね?」
マクシミリアンが、反抗的な口調でそう言った。
応接室内が、一瞬静まりかえった。
ヨアン保安官とスラン団長だけではなく、ザイオンまで驚いた表情をしていたから、彼がこうした態度を取るのは珍しいらしい。
もしかしたらマクシミリアンが怒っているのは、私は関係なくて、休職の事か、とちょっと安堵する。でも昨日は、ニコニコしていたような……?
「休職だと言っただろう。クビではない。この拠点のためにも、人手が足りない時は、要請に応じて欲しい」
ヨアン保安官の言葉に私は、前世の地域消防団を連想した。普段は別の仕事をしていて、有事には地域のために対応する非常勤メンバーとして籍を残しておく、という意味なのだろう。
「僕は、引っ越します」
マクシミリアンが突然そう宣言したので、ヨアン保安官は困惑した表情を見せる。
ザイオンは、なぜだかニヤつき始めた。
「……脈絡が、わからないんだが、とりあえず聞いてみようか。なぜ?」
「拠点のみんなが、クロエをいじめるからです。何もしていないのに、ぶったりして」
マクシミリアンは膝の上で、両手を握りしめた。
(私関係あったわ──私の代わりに、怒ってくれていたの……?)
感動して、ちょっと泣きそうな気分になる。
ヨアン保安官が、目を見開いた。
「その件については」
「囮に使うとかも、あり得ないです。僕はもう、拠点を守らないし、クロエとザイオンと一緒に、ここから出て行きます」
ザイオンが面白がるような笑みを浮かべたまま、お前がなんとかしろ、という目で、私を見る。
言いなりになるのは悔しいが、マクシミリアンをこのままにしてはおけない。
「ゴメンね、マクシミリアン……囮の件は、私が悪かったの。レナには気を付けるようにって言われていたのに、一人でフィールドに逃げ出したのは、私の不注意だった。心配して、探してくれたのよね? ありがとう。それに、皆が私を疑ったのも、仕方が無いと思う。私、まだここに来て一週間も経ってないんだし」
「クロエは悪くない。あいつら、僕の事もクロエの事も信じなかった」
マクシミリアンは、悔し涙を滲ませて言った。
「だから、もうここには住まない」
どうしたらいいの、この状況。
みんな黙って、私の出方を見守っている。
私が原因の一端なので、私でないとマクシミリアンの気持ちを変えられそうにないと思っているようだった。
彼らの期待を一身に受けた私は、とにかくポジティブな言葉を捻り出すしかない。
「私のために怒ってくれてるのは、凄く嬉しい」
マクシミリアンの拳の上に、私は自分の手を重ねた。
「でも私は、できればマックスと一緒に、まだこの拠点に居たい。──嫌な事、怖い事から逃げないで、向き合いたいの」
いや本当は逃げたいし、私に疑いの目を向けた人達とも、顔を合わせたくないんだけれど。この場合こう言うしかないよね?
良い格好したがりの私の外面が、勝手に喋ってる。
「今日、狩猟の事をいろいろと教えてくれたでしょう? モンスターの動きをよく見て倒せって。あれは、凄く役に立った。人との関係も、同じだと思う。今、背を向けて逃げ出したら、私は弱いままで、ずっと逃げ続けないといけなくなっちゃう。向き合って、相手をよく見極めて、問題を打ち倒さないと、また同じことが起こるわ」
私今、とてもいい事を言ったわ、と自画自賛するが。
全然伝わっていなかった。
「つまり」
マクシミリアンは、自信なさげに言った。
「引っ越さずに、この拠点をぶっ潰す……?」
「違うよ?」
「違うな」
「違う」
「打ち倒すのは人そのものじゃなくて──お前って本当にバ……想像力がないな」
それからはヨアン保安官とスラン団長が交代で宥めたり、ザイオンが私の言いたかった事をかみ砕いて説明したり、という事があって、マクシミリアンは辛うじて、闇落ちを思いとどまった。
その後は、アルス・ディラ捜査官が家宅捜索の様子を報告した。使役魔獣達が囚われていたのは、魔王城の南側にある、『天使の館』の地下だった。あの周辺は地下水路まで近い事もあって、以前はどの建物にも、地下へ降りる通路があったらしい。
主犯格は神聖帝国出身者だと聞いて、館の華美な佇まいを思い出し、納得する。
「もうしばらくは捜査のためにこの地に滞在しますので、またお会いしましょう、クロエ嬢」
そう言って一礼したディラ捜査官は、主犯格の取り調べに立ち会うため、応接室から去った。
「この件を首都に報告する時に、今後は拠点の安全を守る公共の利益という観点から、特別な疑義がなくても、個人所有の財産について定期的に監査ができるような法整備についても提案もしたいが、どうだろうか」
「それは駄目だよスラン。某国の長い歴史を紐解くと、恐怖政治はそのような人権侵害紛いの権力の乱用が発端となっていてだね……」
スラン団長とヨアン保安官が、難しい政治討論を始めかけたが、それぞれの所属組織から部下が押しかけてきて、残務処理のために連れて行かれた。
聴取内容の清書を読み上げられ、私達がそれにサインして解放される頃には、日が暮れ始めていた。
さすがにまだ、ワープロや手軽に印刷できるプリンタはこの世界にはない。清書は事務机に座った竜人の手書きだったが、どの文字もとても丁寧で、活字のように美しかった。こうした技術的な面で、竜人はとても優れているのだと感じる。
応接室から出ると、広い部屋に机を並べている保安官事務所内は、走り回る連絡係と、誰かがどこかで怒鳴る声と、何かを話し合う声で騒がしい。
非常招集された臨時の職員も大勢いるようで、ぶつからないように歩くのが難しいほど、所内は人口密度が高かった。
壁や天井から下がっている照明が、電気式なのか魔法式なのかはわからないが、暗くなり始めた事務所内を柔らかな灯りで満たしていた。
「現場調査班後発隊、撤収してきました~」
私達が玄関から外へ出ようとした時、間延びした声でそう告げながら、犬型獣人と竜人の混合チームらしい一団が、入ってくる。
お疲れ、という声が飛び交う中、犬型獣人の一人が呼びかけた。
「ねえねえ、先発隊の誰か『大アナ蛇の川原』で、武器を落とさなかった? 『闇より出でし暴虐の暗黒棍』っていう棍なんだけれど?」
彼は事務所内に向かって、私の飛翔棍を掲げて見せる。
ザイオンが私をばっと振り返って、睨み付けた。
私は思わず、顔を背けた。
「暴虐……?」
事務所内のあちこちから、好奇の目が飛翔棍に向けられている。
「消し忘れていた──だと?」
ザイオンが悔しそうに、小さく呟く声が聞こえた。
「あれ? クロエの……」
と、マクシミリアンが何か言いかけたので、私は彼にしがみ付いた。
「マックス、私、走り過ぎて、足が痛い……足が抜け落ちそうなぐらい。もう耐えられない。早く帰ろう? 帰りたい……早く……」
今あの物体が、大勢の前で私の所有物だと認定される事など、とても容認できない。
昨日は耐え難いほど私の心を罪悪感で染め上げた魔王城の存在が、今は無性に恋しかった。
「それは大変だ、ポーションの副作用だな」
ザイオンが、私とマクシミリアンを事務所の外に連れ出した。
「できるだけ早く帰って手当をしなければ、最悪な事態も考えられるぞ」
その言葉に、マクシミリアンが慌てて、私を両腕に横抱きした。
「急いで帰ろう!」
「迷惑かけるね。ゴメンね」
お姫様抱っこを恥ずかしがるというよりは、介護されるお年寄りのような気持ちで、礼を言う。
空はまだ、ほんの少し明るい。
暖かい空気に、心地良い夜の冷気が混ざり始めている。
正直、本当に足がだるくて、辛かった。
前世で登山をした時も、膝が笑う状態で下山した覚えがあるが、あれよりも酷い。
「風呂に入って、マッサージをすると幾分ましになるかなぁ……?」
「じゃあ、僕も一緒に入って、足を揉んであげる」
「えっ」
「大丈夫、広いから二人で入れるよ」
「ええと、それは」
どう断ろうかと考えている時、ガーディアン事務所の前に佇む人影が、近づいて来る事に気づいた。
顔見知りの、小柄なエルフが、何か言いたげにこちらを見ていた。
マクシミリアンが気づいて、睨み付ける。
「早く帰ろ」
私はマクシミリアンに両手を巻き付けて、顔を伏せた。
(駄目だな、私。立ち向かう、みたいな事を言っておきながら)
この正しくない感情を、今は御せない。
もう疲れた。明日だ。
明日、考えよう──。
朝の武器訓練に始まって、一日中全力で走り回った私は、疲れ切っていたために、マクシミリアンの腕の中に揺られながら、寝落ちしていた。




