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28:サンドイッチ再び

狩猟生活六日目(6)

 気がつくと、飛翔棍を取り落としていた。

 顔の表情筋管理がうまくできない。

 必死で目元を拭っても、安堵の涙が後から後から溢れてくる。


(怖かった)

 生き延びるために拒絶していたその感覚が、脈打つように何度も去来する。

(死ぬかと思った……怖かった……)

 身体の震えを止められない。みっともない。こんな自分は許せない。

 なんとか平常心を取り戻したい、と思うのだけれど、今は崩れ落ちないようにするのが、やっとだ。


 巨大な爬虫類(トカゲ)型使役魔獣が、私の上に影を落としながら着地して、クアァと欠伸のような音を立てたので、マクシミリアンがどこから落ちてきたのか、わかった。


「なんだこいつ。汚ねぇ猿だな」

 爬虫類(トカゲ)型使役魔獣から降りてきたザイオンが、私に駆け寄ってきた猩猩をひっ捕まえた。

「隷属の首輪か?」

 それきり黙って彼は、猩猩の茶色い毛に絡みついた枝や葉っぱを、せっせと取り除き始める。


 私はただ、マクシミリアンを眺めていた。

 とんでもないジャンプ力で、上空と言ってもいいぐらいの位置から、火竜の頭部に大剣を打ち下ろす彼の姿を。


 倒れていく火竜から離れて岩場に下り立ったマクシミリアンは、私が見ている事に気づくと、ニコニコと手を振った。

 その後ろで、最後に残った火竜が、引きちぎった大蛇の身体を放り出し、炎を吐こうとしている。


 危ない、と声をかける間もない。

 炎の舐めた場所に、マクシミリアンはもういなくて、倒したばかりの火竜の身体を駆け上がり、さっきよりも高く飛んだ。


 三匹目が地に伏すのも一瞬だった。

 火竜の鼻面に足をかけ、その頭部から大剣を引き抜いたマクシミリアンは、勢いに任せて後ろ向きに宙返りすると、見事に着地してみせた。


 彼は、新たに始まった『物語』の主人公なのかも知れない、と思う。

 今私がいるのは、マクシミリアンを主役とした冒険物語か何かで、あのチートに近い攻撃力が主人公補正だとしたら?

 私は、彼の物語に間違って入り込んだ異物だ。


 大剣を背中のホールドに収めたマクシミリアンが、駆け寄ってくる。

「クロエ、大丈夫?」

 また、頭をよしよしと撫でられる。

「うん」

 そんな事をされるとまた、まるで幼い子どもに戻ったかのように、涙が流れる。


「怖かった……」

 ようやく、口にする。

「死ぬかと、思った」

 炎が襲ってくる、と思った刹那を思い出すと、再び身体が震えた。

 マクシミリアンが、私を引き寄せて、支えてくれる。


 レナに刃を向けられて、火竜三匹に追い回されて、崖から飛び降りて、大蛇を撃退し、最後は、焼き殺されるところだった。どの瞬間に死んでもおかしくなかった。

 生き延びたなんて、奇跡だ。


「よく頑張ったね」

 そう言われて、大泣きした。






★☆★☆

 今日の昼ご飯も、ガーディアン事務所で提供されたサンドイッチだった。

 もうおやつの時間もとうに過ぎていたが、疲れ切った私は食欲がなく、少しずつ口に運んだ。野菜と加工肉をパンで挟んだものを、コーヒーで流し込む。


 あの黄色いポーションは、確かに効いている間はスタミナ切れを起こさなかったが、走った分だけの疲労が後払いでのし掛かってきた。明日は筋肉痛で、両足とも使い物にならないだろう。


 事情を聞かれた後、シゲラの牽く荷車に乗せられてガーディアン事務所まで運ばれてくる間中、私は半ば上の空だった。

 崩れ切った私のキャラを、どうしたらいいのかと、そればかり考えていた。

(マクシミリアンに縋り付いて、あんな風に泣くなんて)

 恥ずかしくて、マクシミリアンの顔を見ることができない。


 マクシミリアンは、ザイオンに出された分も丸々受け取って、食べていた。お腹が空きすぎていたのだろう、非常に無口だ。


 今日は会議室ではなくて、立派なソファの並んだ応接室に通されていた。四人掛けのゆったりとしたソファに、扉の近くから、私、マクシミリアン、ザイオンの順に座っている。

 対面には、一人がけ用のソファが幾つかあった。ザイオンの前に獅子団長、マクシミリアンの前にヨアン保安官がいるのは前回と一緒だが、今回は竜人の書記係が、窓際にある立派な事務机に座っていて、私の前のソファは空席だった。


 ガーディアン事務所内では、大勢の人の声が飛び交い、部屋の外から忙しない様子が伝わってくる。

 時折誰かが入ってきては、獅子団長やヨアン保安官の指示を仰いだり、書類を渡したり、私達三人に今日の経緯の事実確認をして、また出ていった。

 私は、レナに会った時の事、猩猩の事、火竜の事を、何度も繰り返し話し、ウンザリしていた。


 ヨアン保安官は、幾つかの報告書に目を通した後、疲労を滲ませた、やや掠れた声で言う。

「悪いニュースから伝えるので、そのまま聞いてくれ」

 彼女の隣に座っている獅子団長は、時々目を閉じていて、今にも寝てしまいそうな様子を見せている。


「レナを捕まえる事はできなかった。これには事情がある。過去一、二年ほど、この拠点において、人口統計上エルフ族関連の増加率が突出しているという不審な点があり、精査していたが、おそらくザイオン、君の出自が関連している」


「は?」

 ザイオンが、人の神経を逆なでするような不快な声を立てた。


「推測に過ぎないので、聞くだけ聞いて、質問はしないでくれ」

 と前置きしてから、保安官は続けた。

「水面下で、突然現れた君を巡って、エルフ達が小競り合いをしているようだ。どちらかの陣営が、違法な魔道具の出所であり、レナにその一つを渡したと考えられる。レナが匿われたのか、口封じされたのかは、今のところわからない」


 確かに、ザイオンが隷属の首輪の話をした次の日に、本物が現れるなんて、タイミングが良すぎる。かつて、ザイオンの母親に隷属の首輪を付けた何者かが、次はザイオンを狙ってこの拠点に来ているという事なのか。

 やはり、ザイオンやマクシミリアンを主人公にした、私とは別の『物語』が進行中のように思える。


 主人公がいるなら、ヒロインもいつか登場するはずだ。

 変な妄想を垂れ流して主人公を洗脳し、魔王城を建てさせて一緒に住んでいるような私は、邪魔な存在だろう。


(また、悪役令嬢として追われる事になるのかな)

 悲嘆のようなものが、胸の奥に貯まり始めるのを、私は意識しないようにした。

 明日考えよう。

 憶測からさらに妄想を広げても仕方が無い。


「あの猿は?」

 とだけ、ザイオンは尋ねた。

 ヨアン保安官が答える。

「首輪を付けられた猩猩は、命令された内容の全貌が不明なため、この先他害の可能性もあり、軟禁状態で身柄を保護している。ガーディアン本部の魔法犯罪課に送る予定だが、先方の話では、あの首輪は簡単には外せないようだ。おそらくは内地で、集団で拉致された個体ではないかと言われている。持っていた卵は、火竜の巣に戻した」

 震えていた猩猩の、汚れて固まった毛を思い出した。綺麗にしてもらえただろうか?


「次に、良いニュースの方だ。この拠点から拉致された使役魔獣達が全員、無事に見つかった」

 ヨアン保安官の疲れた表情の中に、安堵が見て取れた。

「監禁されていた建物は今、ガサ入れが終わったところだが、地下水路に通じる違法な地下室が作られていた。火竜の襲撃による混乱で、こちらの警備が手薄になる事を利用して、水路から川へ出た後、大河経由で海へ逃れる計画だったようだ。犯人も全員確保されたと──」

 ドアがノックされた。

「ああ。いいタイミングで来てくれたな。入ってくれ。紹介しよう」


 ドアを開けて入ってきたのは、金髪碧眼の、背の高い男だった。

 金の刺繍で縁取られた紺色のジャケットはスタンドカラーで、煌めく紫色の宝石が前を飾っている。ズボンは白かったが、ジャケットと同色のブーツにも金の繊細な刺繍が入っていて、派手にキラキラと輝いていた。応接室に入る一歩ごとに、薄い金細工の耳飾りが揺れて光る。


「ベリシュテ神聖帝国の中央情報局所属、ルアス・ディラ捜査官だ。今回、拉致犯の逮捕に協力してもらった」

 ヨアン保安官の紹介に合わせて、彼は、軽く会釈した。

「ルアス・ディラです」

 優雅な所作で、私の対面にある一人がけソファに座った五体投地君は、微笑みながら自己紹介した。






メモ

※マシュは家で待機。付けられた鞍は二人乗り。

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