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02:血まみれ令嬢は裸足で踊る

 馬車は、どんなに上等なものでも、舗装していない道とスプリングの悪さのせいで結構揺れる。


 それにしても今日は、いつもの倍は揺れているし、学園から公爵邸までは馬車でせいぜい十分程度なのに、なかなか着かなかった。不思議に思って外を見れば、夕焼けに照らされた、見覚えの無い景色が並ぶ。


 御者がわざと、整備されていない悪路を選んで遠回りしているとしか思えない。そういえば、会場まで一緒に行って、帰りも一緒に付き添うはずの侍従の姿がなかった。侍従は、私ではなく公爵家当主に仕えているから、公爵令嬢の一大事を先に公爵邸に報せに行くのは当然の行為だ。


 御者は、馬車が侍従よりも先に着かないように時間稼ぎをしているのね、と合点がいった。


 結局、普段の三倍は時間をかけて公爵邸に到着し、玄関ホールに入った途端、そこで待ち受けていた父親と遭遇した。


 痩身で、私と同じ黒髪に黒い瞳の公爵家当主は、針金のような髪質で、将来的には頭部を守り切るであろうと思われたが、四〇前後という年齢の割には白髪が多い。顔の作りは、端役とはいえ、さすがロマンス小説もしくはゲームの登場人物だけあって、整っていると言えた。


 侍従から先に報せを受け取っていた公爵家の当主は、私の顔を見るなり、貴族とはほど遠い罵倒の言葉を叫び続けた。


 侍従はどういう報せ方をしたのだろうか。まあ、毒殺未遂とかなんとかいう電化男の言葉をそのままストレートに伝えたんだとしたら、こうなるか。王太子妃、ひいては王妃の父親になるための長年の努力が、全て水の泡だもんな。


 公爵は、前世でいうところのモラハラ男だ。強欲で自己中心的であり、強い者には弱く、弱い者には強い態度を取る。どんな世界にも、どんな社会にも、この類いの男は居る。公爵は、国王や権力者に対してはお世辞上手な太鼓持ちの役割を果たし、公爵邸では使用人や家族を必要以上に虐げ続け、娘を政治的な道具として、王家に差し出した。


 物心ついた時から前世の記憶があった私は、今世での生物学的父親である彼を、内心でモラハラモラ男と呼んでいた。モラ男からは、常に何か為すことを要求され、できなければ罵倒、できても褒め言葉はなく、『愛する娘』として扱われたことは一度もない。


 モラ男の妻である、生物学的な母親も、時には体罰を加えるほど私には厳しく当たり、常に公爵家の娘に相応しくあれと小言三昧だったが、十年ほど前に気鬱を煩って別邸に籠もって出てこなくなってからは会っていない。興味のないことには、極力記憶力も労力も割り振らない私だから、顔もよく思い出せない。


 そういえば前世も、家族に恵まれない、物語に浸っている時だけ幸せになれた、幸薄い人生だった。


 今世では、幸せな時間なんてあっただろうか?

 衣食住は足りてはいたが、正直に言うと、この国の食事は不味かった。衣服も、重くて、窮屈で、苦しめられてばかりだ。住んでいる家も、上下水道は無いし、空調は暖炉ぐらいしかないし、虫もネズミも出る。


 ネットも小説も漫画もない。


 筋トレや走り込みをして、ダンジョン攻略や魔王復活に備えたり、いつの日か必ず自由になるのだと夢見た日々だけは、幸せだったと言えなくもない。



『いつか、自由の国に行くんだ』

 ふいに、誰かの声で語られた夢を思い出す。


『ジツリョクシュギの国なんだ』

『一緒に行く』

『お前はだめ』

『行くんだもん……』

 半泣きで、一緒に行くと言い張ったのは、私だっただろうか。


(確か、こっそり屋敷を抜け出して、走り込みをしていた頃……)

 ぼんやりと思い出しかけたイメージが、霧散した。


「聞いているのかお前は! ここまで育ててやったのに恩知らずめ!」

 目の前のモラ男が、うるさ過ぎだ。


 私が無言かつ無表情で見返すうちに、ますます激高して、もはや人間の言葉になっていない何かを叫んでいるモラ男。


 今日までは、未成年の女がこの世界で生きるためには仕方のない事、と、いろいろ諦めてこのモラ男に従っていた。けれど、そろそろ我慢の限界である。

 邪魔だな、と思いながら横を素通りしようとしたら、モラ男の振り上げた平手が私の左頬を激しく叩き付けた。


 しまった。まさか暴力まで振るうとは思っていなくて、油断していたために、歯が当たって口の中が切れた。


 反動で、玄関ホールに飾っていた大きめの花瓶に突っ込み、すさまじい音と共に破片が飛び散った。薄手の綺麗な白磁に、金銀の彩りを施した高価な花瓶だったが、公爵家の金で買ったものだからどうでもいい。


 花瓶の破片で切れた頭や顔、手のひらの傷からびっくりするほど大量に血が滴って、ドレスを汚したが、これも公爵家の金で買ったドレスだから、私に金銭的なダメージは無い。


 今までは、有力者に嫁がせるという道具的価値があったので、暴力までには至らなかったんだな、と冷めた目でモラ男を見上げる。


 手を振り上げ、さらに追い打ちをかけようとしたモラ男を、彼とよく似た容姿の若い男が後ろから抑えていた。


 そういえば私には、兄がいたっけ。


 殆ど口をきいたこともない、置物のように大人しい兄で、両親に向かって、はい、という返事をしている姿以外、見たことがない。


 その態度は、モラハラ男への対処法としては、極めて正しい。だが、人としては、どうなんだろうな。今初めて、自分が意志を持つ存在だった事を思い出したかのように、父親の行動に抗っているが。


「出て行け!」

 拳を阻まれたモラ男が、叫んでいた。

「未来永劫許さん! 出て行け! 二度と帰ってくるな!」


 作戦変更。

 私室に私物を取りに行って、ついでに動きやすい服に着替えようと思っていたのだけれど、もういいや。


 立ち上がって、外へ向かう。

 後ろから、兄らしき声が私を呼んでいた。

 記憶の限りでは、彼から名前を呼ばれたのは初めてだ。


 ここでの名前は、もう要らない。元々、非常に気に入らない名前だった。

 当主に出て行けと言われた私は、公爵令嬢ではなく、ただの私。

 誰の娘でも、妹でもなく、限りなく自由な私だ。

 ようやく、本来の自分に戻れる。


 踊り出したい気分だった。

 傷口から血が溢れてきて、ドレスが更に赤く染まっていく。

 口からもいい感じで流血していて、厨二病的には美味しい感じだよね。


 玄関ポーチに出て、かかとの高い靴を脱ぎ捨てる。公爵邸は、王都の中心地からそれほど離れてはいないので、裸足で目的地まで歩けないこともない。


 馬の世話をして、馬車を仕舞おうとしていた奉公人たちが、唖然とした表情で私を見送っていた。

 また埴輪か!


 裸足で、血だらけのドレスを着て、ニヤニヤしながら、玄関ポーチから外門へ続く道を、踊るような足取りで歩いていく元令嬢に、声をかけようとする者はいなかった。


 西の空は、夕焼けが終わった後は、紫からダークブルーに染まりつつある。

 前世ではブルーアワーとも称された、私の一番好きな空の色だ。気の早い星が、幾つか光り始めていた。


 電気の無い世界なので外灯はなく、普通なら、夜が更ければ街でもランプを持っていないと歩けないほど暗いはずだ。けれど今日は、満月が東の地平に上ってきていたので、ランプを持ち出すほどでもない。


 この世界の月は、見かけの大きさは地球の月と同程度だが、模様が全く違った。地球の月の模様をウサギの餅つきと表現するのなら、この世界の月の模様は、カメがひっくり返ってもがいている感じだと言ってもいい。そのことは、ここが地球ではないし、地球の過去でも未来でもないという事実を示している。


 物理法則が、かつて住んでいた世界に準じるかどうかもわからない。

 文化的には中世ヨーロッパとの類似性が多く見られる。かけ離れた世界なのに、ピンポイントで文化が似通っている、というご都合主義を突き詰めれば、この世界が物理的には存在せず、文字やコードだけで記述されただけの情報の塊に過ぎない、という可能性も生まれる。その中にいる私は、ちゃんと生きていると言えるだろうか?


 考えても仕方のないことだから、ものぐさなオタクの私は、思考を放棄して、空を眺めながら歩く。裸足なので時々足下を確認することも忘れない。


 交通機関は馬がメインだから、馬糞が落ちていることも多いが、それよりも、汚水をそのまま外に捨てる家があるので、人糞も落ちている。糞尿でドレスが汚れるという事態を避けるために、ハイヒールが流行したらしい。誰か王族にでも転生してきて、上下水道その他のインフラを整備してはくれないだろうか……もちろん、自分でやろうなんていう気概は私にはない。


 華麗なステップで、汚物を避けながら進み続けていると、暗くなるにつれて、あぶり出されるように天の川が姿を現し始めた。


 地球を内包する銀河とは同じものではないかもしれないが、星々を何億も抱えたその美しさは、同じだ。


 ぎっしりと詰まって煌めく星々の方へ、月が高度を上げながら向かっていく。目的地に着く頃には、月明かりが暗い星々を隠してしまうだろう。

 うっとりと、空の変化を眺めながら私は、王都の中心部目指して歩き続けた。











⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

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