19:幸せロードマップは交差する
狩猟生活五日目(4)
謎のラッパーが、私の頭の中で歌い続けていた。
『ヘイ、アレはノーカウント、
私の特技、脳内リセット、
さよならキッス
ファーストキッス
無かった事に、しちゃえばいいさっ
そういう事で、みなさんよろしくっ
ほんの一瞬
ただのニアミス』
前を歩くザイオンの頭頂部を睨む。
『禿げちゃえ、ザイオン
赦さぬ、ザイオン
一本残らず 抜け落ちろ』
拠点内では自警団を元に設立されたガーディアンと呼ばれる組織が、行政と司法の一部を担っていた。機能的には、日本で言えば江戸時代の奉行所、西洋風なら、西部劇に出て来る保安官事務所のようなものだ。
ガーディアン用保安事務所はハブ広場に面した、コンクリ製のしっかりした建物で、武力攻撃にも備えた造りになっていて、銃眼のような穴もある。中に居るガーディアンのメンバーは保安官と呼ばれ、全員がベルトや肩に、銃器を提げていた。
牢屋から出すのを手伝え、という言葉に、武器を大量に持って、ハリウッド映画のように殴り込むのかと想像していた私は、ザイオンが正面から事務所に入り、面会を申し込んだ時にはホッとしたが、連れて来られた理由をいまいち把握できていない。
牢から出て、どこかへ誘導されている間中、マクシミリアンは私のそばから離れようとしなかった。
殴られた痕は、今は少し赤くなっているだけだが、時間が経つと青黒色に変わるだろう。私が見ている事に気づくと、マクシミリアンは、嬉しそうに笑った。
(かっ……可愛い……?!)
思わずさっと視線を逸らす。
何だろう、この感覚……。
胸の中心辺りが、ほわほわする。
(やめてこんなの私のキャラじゃない)
殺人未遂の容疑者にしては、マクシミリアンは拘束もされず、武装した保安要員が囲む様子もない。獣人族や竜人族から成るガーディアンのメンバー数人が、通りすがりながら次々に彼の肩を軽くタッチした。
そのたびに、マクシミリアンはニコニコしながら、手を振って挨拶した。
元王子様だから、私と違って、こういう社交的な交流は得意なのだろう。
しかし状況をわかっているのだろうか、この子。いや、この人。
「さっきは、ごめんね」
身をかがめて、耳元でマクシミリアンが囁く。
「え……あ、うん」
耳元やめて。
「本当は、頬にチュッてしたかったのに」
思わず距離を取ると、マクシミリアンがその分身体を寄せてくる。
「君に会ったら、たくさん話したい事があったんだ」
マクシミリアンはふいに、キリッとした真剣な顔になって、私の手を取った。
「一緒にこの国に来ようねって言った約束は破っちゃったけれど、僕は、狩猟民になって、いっぱい稼いだんだ。それで、家を買った」
なんだか、聞いた事があるような流れだわ。
ん? 約束したっけ。覚えてない。
私は、期待に満ちた瞳を見返す。
(褒めて欲しいのかな?)
「とても頑張ったのね、マクシミリアン」
昔とは違う、高い位置にある頭を、自由な方の手で撫でる。
ハンカチで拭いてもまだ少し血の跡が残っている痛々しい顔が、ぱっと輝いた。
「うん。毎日凄く頑張った。幸せロードマップの最後が、『好きな人と結婚をする』、だったから」
うん、これは、……安易に踏み込んではいけない問題だ……。
ザイオンのように、この可哀想な子の手を冷たく振り払うなんて、私にはできないが、彼が今口にしたロードマップとやらには、重大な欠陥がある。
ゲームのアップデート情報などでは、今後の予定を『ロードマップ』として発表していたけれど、そこにあるのはメーカーによるDL版開発などの、時系列順に並べた単純で直線的な工程に過ぎない。
けれど、マクシミリアンが今言った流れは、彼のための、彼だけのロードマップであり、単純な直線ではなく、立体的に他人のロードマップと交差する。その『好きな人』自身のロードマップと相容れるとは限らないのだ。二つのロードマップが交差する点で、IF文のある条件分岐を設ける必要がある。
(という事を、今説明しても、わかってもらえないだろうな)
私は、マクシミリアンに手を繋がれて、ザイオンの後ろを歩きながら、IF文の中身を考えていた。
マクシミリアンが私の手を放したのは、案内された会議室のテーブルに着いてからだった。ザイオン、マクシミリアン、私が並んで座り、対面に、獅子団長、火竜襲撃の夜に食堂で会った大柄な女性、それから、筆記用具を手にした竜人族の男が一人いた。
テーブルの上には、大きめのポーチと、大剣があった。マクシミリアンがそわそわしながらそちらに目をやっている様子を見ると、牢に入れられる時に没収された彼の私物だろう。
女性は三十手前ぐらいで、ヨアン保安官と名乗った。がっしりとした逞しい体付きで、黒髪はやや緑がかっている。深緑色の鎧は、彼女の髪の色に合わせて誂えたようだ。落ち着いた青い瞳にじっと見つめられると、心を読まれているような気分になって、落ち着かない。やや小ぶりの鼻の周囲には、ソバカスが目立っている。
名乗らなかった竜人は弁護士のような存在で、この場では記録係を務めるという。
ヨアンが表情を全く崩さずに話す横で、竜人が筆記具を動かし始めた。
「重要事項から伝える。レナは逃亡して所在不明だ。あの粘着質な性格から、必ず何かをしでかす事が予想される。我々は、彼女が故意に火竜を呼び寄せたか、呼び寄せる方法を知っているのではないかと考えている。充分注意するように」
獅子団長が、一声低く唸ってから、補足した。
「本来レナはクロエさんへの傷害の疑いで身柄を確保しておくべきところを、我々が様子見していたためにこのような事態を招いた。こちらの落ち度でもあるし、食堂側の損害は補填されたので、マクシミリアンに対する諸々の容疑は白紙になった」
彼はテーブルの上にあるベルト付きポーチを、マクシミリアンの前に押し出す。
ヨアン保安官が頷いた。
「マクシミリアンは、重大な違反行為をしたレナを捕縛しようとして失敗した、と公的に発表し、レナの捜索を続ける」
これから事情をいろいろと聞かれるのかと思ったら、全部把握した上での処遇の通達だった。
マクシミリアンはレナに激怒して、殺す勢いで大剣を振り回して食堂のテーブルを破壊し取り押さえられたが、損害を『超高級一枚板ダイニングテーブル』で補填したために、不問になったという事だ。
あのダイニングテーブル、前世でも、モノによっては百万するものもあったから、流通の発達していないこの世界ではもっと高いだろう。器が小さいとザイオンを非難した私の言葉は、適切ではなかったかも知れない。
いや、どうかな。
ザイオンは険しい顔で、ポーチを手に取ったマクシミリアンを睨んでいる。
革製のポーチやベルトには、魔方陣が幾つも刻印されていた。腰回りにポーチを装着し終えたマクシミリアンが、大剣に手を伸ばすと、ザイオンがその手を押さえた。
「二度とそいつを人に向けるなよ」
マクシミリアンは頷いたが、ザイオンはしばらく手を退けようとしなかった。
「絶対向けない」
一生懸命真面目な顔を作って、マクシミリアンは請け合った。
ザイオンは、ちらっと私の方へ意味ありげな視線を向けてから、押さえた手を放した。
ポーチに刻まれた魔方陣には、収納スペースに関する魔法が込められているらしく、マクシミリアンが大剣をポーチの中に差し入れると、するすると中に飲み込まれていって消えた。
(四次元ポケット?!)
なにそれ、めちゃ欲しい。
「これはね、あに……ザイオンが作ってくれたんだ」
食い入るようにポーチを見つめている私に、マクシミリアンがニコニコしながら説明を始めた。
「ザイオンは、魔道具を作るのが得意で」
「後にしろ」
ザイオンが遮る。
「相変わらず空気が読めないなお前は。本当に反省しているのか?」
「あっ」
と、マクシミリアンが小さく言った。
その表情は、口止めされていた秘密をうっかりばらしてしまった事に今気づいた、という風に読めた。
私達にじっと観察するような視線を向けていたヨアン保安官が、これまでの無表情を突然崩して、微笑みを漏らした。
⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈