18:ノーカウント
狩猟生活五日目(3)
マクシミリアン元王子とは、この拠点に来てから何度か会った。おずおずとした喋り方から、気弱でヘタレな男、という印象を受けた。
だから、ザイオンの肩越しに見える人物が、本当にマクシミリアン元王子なのか、私には判断しかねた。
それぐらい、前に会った時と様子が違って見えた。
まず、目付きが違う。
虚空を睨んでいるが、何も見ていない。
静かな殺気と怒気を纏いながら、照明の暗い牢の中、石造りの床の上にじっと座り込んで動かないその様子は、敗北してなお抗う魔王のようだ。
ほんの少しでも動いたら、襲いかかられそう。
というか、実際に誰かを襲ったから、ここに入れられたんだっけ。
(これは……牢から出してはいけないシロモノでは……?)
扉を開けて、鉄格子の向こうに入って行くザイオンを見送りながら、私は後ずさりする。
(か……帰ろうかな)
察したようにタイミング良く振り返る、ザイオンの表情にもまた殺気があった。
麗人呼ばわりされるだけあって、くっきりとした大きな目をしていたが、その目をこれでもかというぐらいに剥いて、私をその場に縫い止める。
喉の奥で思わず小さい悲鳴を上げたが、幸い声にはならなかった。
あれに比べたら、私の悪役令嬢的目力なんて、ミルク飲み人形の瞬きぐらいに可愛いものだ。
ザイオンが近づいても、マクシミリアンは牢の中に座り込んだままだった。
私達を牢の前まで案内してきた保安係の犬型獣人族二人が、息を詰めて、私のすぐ後ろで成り行きを見守っている。微かな金属音が聞こえたのは、容疑者が暴れ出した時のために武器を構えたのだろう。
というか、なんで貴方達、私の後ろにいるのでしょうか。
このままじゃ、私が危なくない?
そっと、両手を双剣の鞘のそばに近づける。
「マクシミリアン」
呼びかけられてようやく、虚空を睨んでいた視線がザイオンに向けられる。
「彼女……クロエと、話をつけた」
はい?
話って、何の話?
事件にお前が関係しているから一緒に来い、と言われて、来ただけですけれど?
と思う間に、マクシミリアンの瞳の冷たさが、ゆっくりと溶けて、人間らしい色が戻り始めた。
殺気が、一気に引いていく。
危機感で張り詰めていた空気が和らぎ、後ろの獣人二人が軽く息を吐いた。
「兄上?」
弱々しく呼ぶマクシミリアンの声に、私の記憶が蘇った。
『兄上待って』
『兄じゃない』
繰り返し聞いたその会話を、不思議に思っていたけれど、事情を聞き出そうとまでは思わなかったっけ。
まさか。
あの時、私と一緒に走ってた子って……
あの泣き虫の男の子が、マクシミリアン?
そんなはずはない。彼は第一王子で、兄などいないはず……
マクシミリアンが、よろよろと立ち上がった。長時間同じ格好でいたために、身体の自由がきかないようだった。
銀色に近いアッシュブロンドの髪に、紫に近い碧色の瞳は、兄弟にしては、ザイオンと似ていない。
潤んだ目をした彼の顔を見ながら、食堂で初めて会った時、見覚えがあると思った事を思い出す。
あの時は、元婚約者に似ているからだと思った。
でも違う。
(見覚えがあったのはマクシミリアンが、子どもの頃一緒に並んで走っていた、あの男の子だったから……?)
『僕達、友達になろう!』
ふいに、男の子の満面の笑みを思い出して、感情が乱される。
「兄上……っ」
マクシミリアンはザイオンに向かって、両腕を広げた。その所作は、私の目には、傷ついて拠り所を求める幼子のように映った。
「兄じゃない」
ハグを回避したザイオンが、拳でマクシミリアンを思い切り殴った。
は?
「ちょっと!」
後ろから窺い見ていた私は、思わず牢に突入していた。
ザイオンを突き飛ばし、ふらついて、倒れそうになっているマクシミリアンを支える。
「殴る事ないでしょう?! 鬼なの?!」
マクシミリアンは、私の腕にすがりつくようにして、ハラハラと涙を零していた。殴られた側の唇が切れて、血が滴る。その様子に、どうしてこんなに腹が立つのか、胸がざわつくのか、自分でもよくわからない。
ザイオンは彼を一瞥さえしないで、私に怒鳴った。
「鬼だと!?」
鬼の概念はこの世界でも、前世と同じのようだ。
「こいつがぶっ壊した安物の机の賠償に、超高級一枚板ダイニングテーブルを提供した俺が、鬼だと!」
「だから殴ったの? 器の小さい男ね! 私が言っているのは、どうしていつもいつも、この子をそんな邪険にするのかって事よ」
「は! たった今、こいつが誰だかわかったばかりのお前に、言われたくないな!」
くっ。
ばれてる。
「十年も経ってるのよ? 忘れていても仕方ないじゃない」
「そうだよ、十年も経ってるんだよ、よく見ろ、この図体を。この子って何だ?」
「とにかく、殴るなんてあり得ないわ!」
私はザイオンを睨み付けながら、ハンカチを取り出して、マクシミリアンの切れた口元を押さえた。寄る辺ない子犬のように、マクシミリアンの目が私を見ている。
怒鳴り声を聞きつけたのだろう、背後に複数の足音がして、牢の外にいる気配が増えていく。振り返る余裕は無かった。ザイオンがまた拳を掲げていたからだ。
「俺にはこいつを殴る権利がある」
「権利?」
他人の複雑な家族事情に踏み込んでいいものだろうかと、一瞬躊躇した後で、私は尋ねた。
「兄弟だから?」
「違う! 仕返しする権利だよ」
ザイオンは、今度は平手でマクシミリアンの頭をはたいた。
「何度言い聞かせてもこいつが人前でもあんな態度を取るから、俺はずっと、変な目で見られて散々な目に遭ってきたんだ! お前だってさっき、駆け落ちした恋人とか抜かしたろ!」
「叩かないでって言ってるでしょう?!」
私は、自分でも出所のわからない怒りに任せて語気を強めながら、マクシミリアンの頭をよしよしと撫でる。
「勘違いしていたのは謝るわ。でも、理解できない。小さい頃から、貴方の後ろをついて回って、慕ってくれていたのに、どうしていつもそんなに冷たくあしらえる訳?」
「へぇ。お前なら、慕ってくれたら温かく受け入れるんだな? じゃあ交代だ!」
突然ザイオンが、私をマクシミリアンに向かって軽く突き飛ばした。
マクシミリアンが私を咄嗟に抱える。互いの鎧がぶつかって、ガツンと音を立てた。見上げると、赤面しているマクシミリアン。やっぱり顔いいな。
何だろう。ザイオンに言いたい事がいっぱいあったのに、霧散した。
「温かく受け入れるかどうか、見ててやるよ」
ザイオンは歪んだ笑みを漏らした。
「あるいは、俺と同じように冷たくあしらうか。所詮お前は、俺と同類だからな」
「あに……ザイオン、凄く怒ってる?」
マクシミリアンが、怯えた子どものようにそう言うと、ザイオンの顔から表情が消えた。
「当たり前だろう。お前をボコボコにして半殺しにしてやりたいぐらい怒ってるよ。牢屋に入れられるような大騒ぎを起こしやがって」
「だってあの女、クロエの顔に傷を付けたんだよ……こんな綺麗な顔に……」
マクシミリアンが両手でそっと私の顔を支え、のぞき込む。
頬の傷を見たその瞳が、一瞬殺気を宿した後、悲しげになった。
そういえば食堂で、睨み付けられたんだと思ったけれどあれは、私の傷を見て怒っていたのか。
と、悟っている間に、整った顔が近づいてくる。
(え、ちょっと待て……)
近い近い死ぬ死ぬ。
息をするのも忘れて、呆然としていると、再びザイオンの手がマクシミリアンの頭をペシッとはたいた。
「だってじゃない」
と、ため息を吐いているザイオン。
だってじゃない、じゃないよ!
今、何が起こったかわかってるの?!
反動で、一瞬唇同士が触れたんだけれど?!
本当にムカつくザイオン!
脳内には罵倒の言葉が溢れていた。
でも、心臓辺りが急に苦しくなって、言葉が出てこない。
無理矢理に何か言おうとしたら、声がひっくり返っていただろう。
マクシミリアンも凍り付いたように動きを止めている。
「いつも言い訳ばかりしやがって、見苦しい」
「ごめんなさい……」
マクシミリアンは、真っ赤になって言った。
これは、ザイオンに謝ってるだけ。
触れてない。
こんなのは、ノーカウントだ!
「取りあえず一段落したところで」
牢の外から呼びかけて来たのは、火竜襲撃の日に食堂で会った、大柄な女性だった。
最初にここに連れてきてくれた保安係の獣人二人の他に、同じように武器を携えた獣人達と、ライオン顔の団長もいる。
なぜか皆気まずそうに見えたが、気のせいだろう。
「三人ともそこから出てきて、詳しく話してもらえないかしら?」
どうやらまだ続くらしい。
ザイオンとはこれ以上話したくないのに。
ウンザリしながら私は、マクシミリアンとザイオンと一緒に、牢から出た。
初稿 2024.05.08
今日マルチプレイで、杏仁豆腐 という人と出会いました。
⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈