13:おや誰か来たようだわあ何をするやめ
狩猟生活四日目(1)
昨日寝る間際にはなかった、何だか満ち足りたような気持ちと、若干の寂しさは、どこから生まれたのだろうか。
ベッドの中から、夜明けの光でうっすらと明るくなっている、カーテンを眺める。
眠りに落ちる直前、仮想の猫型使役魔獣一家に看取られる夢想をしたところまでは、覚えていた。
きっとあれが、私の狩猟生活の着地点なのだろう。
自由の国に来て、狩猟民になるところまでは目標を達成した。
これからは、お金をたくさん稼いで、家を建てて、猫型使役魔獣一家を養えるぐらいお金持ちになって、最終的には彼らに看取ってもらう事を目標に、生きていこう。
そうすればきっと、この温かい気持ちをいつでも、彼らからもらう事ができるはずだ。
(よーし、やるかぁ)
ベッドから跳ね起きると、身支度にかかる。
朝食の後はひたすら、鉄鉱石採取のクエストをこなした。常設ではなく、誰かが素材として緊急に必要になった時だけ、掲示されるクエストだ。
「鉄鉱石二十キロ、確かに納品いただきました」
背中に黒アゲハのような羽根を背負った少女が、にっこりと笑って、秤から納品ボックスへと鉱石を落とし込み、蓋を閉める。
その羽根が装備なのか、本当に彼女の背から生えているのかは、共和国での経験値が低い私にはわからない。羽根だけでなく、長い触覚が二本、彼女の頭から生えていて、時々意志を持つかのように方向を変えた。
受付窓口は特徴のないお役所的な平屋で、カウンターには数人が待機している。彼らが受け付けるのは、クエストの受注だけではなかった。宿舎の滞在費支払いや経済的支援の依頼、不動産購入の相談など、生活全般の事務的な受付窓口も兼ねている。
今朝早く、鉄鉱石採掘クエストが出ている事を教えてくれたのは、黒羽根の少女だ。
「拠点の地下には天然の洞窟があり、迷路のように道が広がっています。地図をお渡ししますね。地図の東北端に素材切り出し用の壁があって、そこで鉄鉱石が簡単に採れるので、往復するだけで報酬が得られます」
彼女が渡してくれた地図によると、地下洞窟への入り口は、食堂の裏手にあった。
「地下は、避難所として使われているので、電灯も常設されています。ただ、天然の洞窟なので、深い地下に繋がっている道もあります。地図にない場所や、電灯の無い場所には、絶対に進まないようにしてください」
少女は声を潜めて続けた。
「実は、先日の火竜襲撃事件の時、地下に避難した人たちの何人かが、行方不明になったっていう噂があるんですよ。受注リングをしていても、洞窟内で行方がわからなくなってしまったら、助ける事ができません。くれぐれもご注意ください」
クエストを受注した時に受け取る、奇妙な文様の彫り込まれた受注リングは、別名リセットリングとも呼ばれる。
受注リングを指に装着して狩り場に出ると、拠点に戻って来さえすれば、受傷してもクエスト受注開始時点に遡って体の状態を戻せると、毎回受注の時に、受付で説明される。
どうしてそのような事が可能なのか、仕組みは公開されていない。
建前上は、この地に古くから住むエルフの魔道具だという事になっているそうだ。
仕組みはわからなくても、使えればいいんだが、前世で科学ファンだった私は、つい、魔法や魔道具に合理的な説明を無意識に試みてしまう。
前世では、この世界は情報を投影しただけのものだ、という説があった。ホログラフィック・ユニヴァース理論と呼ばれ、その理論が正しい事を超一流大学が証明したというニュースも流れた。この世界が、情報を投影したものだという理論が正しいと仮定するなら、その情報を編集したり上書きしたりするツールが、魔法と呼ばれる存在ではないだろうか。
パソコンになぞらえるなら、コード、スクリプトなどと呼ばれるプログラムが、予め組まれた汎用のライブラリやスニペットを呼び出して効率良く命令を実行するアプリケーションを形作るように、魔法が、汎用の魔方陣や術式を駆使して、世界を記述している情報を変更可能にするのだという言い方ができる。
リセットリングには、人体をデジタル情報化してセーブしておくためのコードが刻まれれているのだろう。
私はまだ、この受注リングのリセット機能を使った事がなかった。
受注するクエストが超初級過ぎて、大怪我をする機会がないし、多少の怪我があったとしてもリセットせずに、身体に蓄積した負荷を活かして、強くなりたいと思っていた。
「リセットのご希望はございますか?」
納品後、黒羽根の少女が訊く。
「ないです。報酬はIDに積み立てておいてください」
受注リングを左の中指から外して、少女に返すと、窓口を離れた。
鉄鉱石の採掘場所には、切り出した鉄鉱石がそのまま大量に捨て置かれており、朝から昼過ぎまで、ハブ広場と地下を五往復するだけで、普段の一日分近くを稼いだ。二往復目で、なぜ捨て置かれていたのかがわかる。重い。単調で、疲れる。地下へ降りる階段も急だ。何より、面白くない。
一旦休憩して、午後には別のクエストに出ようと思って、昼食を摂るために食堂に向かった。
食堂に入るたび、学生時代の雑多な学食風景を連想する。
簡素な長テーブルが並び、竜人、獣人、人、エルフが、それぞれ入り乱れてテーブルにつき、楽しそうに雑談しながら食べていた。
今日も、信楽焼と見まがう直立狸が大活躍だ。
自分でテイクアウトして食べている者もいるが、注文したものが配膳されるのを席について待っている者もいる。
すぐに食べられるように、私は具材多めのブリトーをテイクアウトで頼んだ。
食堂の奥まった壁際の席で、熱々のブリトーを一口囓っては、コーヒーを口に含む。
「変だなぁ」
テーブルの向かい側で、獣人の一人が、友人らしき竜人と話していた。
「ジェオ達、どうしたんだろうな」
「二人揃って休みか」
「風邪でも流行ってるの?」
彼らは、食事を運んできた狸型使役魔獣に話しかけた。
「ジェオと同じ宿舎だよね?」
「元気にしてる?」
「君達と会話できれば、詳しくきけるのにな」
使役魔獣は、キュオォン、と悲しげに鳴いた。
クエスト受付で聞いた話を思い出す。
『地下に避難した人たちの何人かが、行方不明になったっていう噂があるんですよ』
噂が本当だったとして、誰が、どのタイミングで、いなくなったのだろう。
今日何度も地下に降りたが、洞窟とはいえかなり人の手が入っていて、見通しはそれほど悪くない。電灯で照らされ、避難してきた人が多い状況で、目撃者なしで行方不明になるのは難しいように思えた。
地下へ避難する直前に、混乱に乗じて姿を消した、あるいは拉致された、と考えた方が合理的だ。日が落ちた後で、建物の外は薄暗かった。
警報が鳴り、狩猟民は広場に呼び集められ、人目も殆どなかったはずだ。
食堂のすぐ裏手が地下避難所への入り口になっているから、火竜襲撃時、食堂周辺に誰が居たか、どういう順番で避難して、最後に食堂を出たのは誰かを調べれば……
(あれ?)
コーヒーカップを持った手を見下ろす。
あの時、食堂に居たのは私だ。
(まさか、あの時の……)
待て待て。
噂に過ぎない事から、勝手に憶測を広げてどうする……。
「やあ。隣の席、空いてる?」
聞き覚えのある声に、私は顔を上げた。
王子然とした、金髪碧眼の整った顔が、ニコニコしながら私を見ている。
なんだろう。崖っぷちを歩いているような、この感覚。
モブキャラならここで、『おや誰か来たようだわあ何をするやめ』という台詞の後、二度と登場しないパターンじゃないか。
私が悪役令嬢という重要な役どころを演じていたのは先週までだった。『物語』は終わり、私の存在意義はもうない。王国を離れた今は、モブでさえない。
動揺を押し隠し、私は、碧い瞳を見返す。
「空いてますよ。どうぞ」
私は精一杯の笑顔を返した。
それきり、元悪役令嬢クロエの消息は、途絶えたのだった。
などという、エピローグのラスト一行で簡単に消えてしまうような、儚い存在の私。
(もちつけもちつけ。私がさっき何を考えたかなんて、誰にもわからないはず。自分でもよくわからないのだから)
サンドイッチとコーヒーカップをテーブルに置くと、五体投地君は、キザな仕草で自分の左頬を指し示して言った。
「この間は大変だったね。怪我は大丈夫?」
ご令嬢モードで、私は頷いて、そっと頬のガーゼを押さえる。
「ええ。あれからすぐ、お医者様に手当していただきましたの。五体投地様にはいつも困った時に助けていただいて、感謝しております」
「私が少しでも君の役に立ったのなら、光栄だ」
爽やかな王子スマイルを見せる五体投地君。
「君のような美しい人は、何度でも助けたいと思ってしまうよ。今も、何か悩み事があるのではないかと心配で、声をかけてしまった。さっき、コーヒーカップを見つめたまま、考え込んでいたようだね」
「まあ。見ていらっしゃったのですね?」
私は憂鬱そうな笑みを浮かべながら、頭の中で忙しく、それらしい口実を何とか捻り出した。
「困りごとというほどの事ではありませんのよ。ただ、これまで貴族として生きて参りましたので、初めての事ばかりで、戸惑っておりますの。侍女を雇うお金もなく、一人では着替えるのさえ一苦労です。草むしりや石拾いで何とか生活をしておりますが、平民の生活が、これほど大変だとは、思いもよりませんでした。婚約破棄され、勘当されて国外追放された身ですから、致し方のない事だと思っておりますが」
さりげなく、何もできない人アピールもしておく。
まあ、実際に何もできないんだけれど。
俺つえぇぇ系物語の主人公が羨ましい。
悪人と対峙しても、私にできる事といえばせいぜい、令嬢にしては素早過ぎる反復横跳びを誇示する事ぐらいだ。
「なるほどねぇ。所作の美しさから、元は貴族のご令嬢だと思ってはいたけれど、そのような悲しい過去があったのだね」
五体投地君が、同情的な口調になる。
「貴族が、護衛も侍従もなく一人で暮らすなんて、想像もできないな。私はこの国に、侍従の五臓六腑と、丁々発止を伴ってきたが、他にも……」
「ゴブォッ」
突然激しく咽せた私を、五体投地君が気遣わしげに見る。
「大丈夫?」
「……は、はひ、だいじょぶです」
私は、笑い事ではないある可能性に気づいたが、後で考える事にして、急いで話題を変える。
「五体投地様は、侍従の方々と、宿舎に住んでいらっしゃるの?」
「そんなまさか」
侮蔑とも取れる表情が、五体投地君の顔に浮かんだ。
「この私が、あのような小さな部屋で過ごせる訳がない。この地にやって来て初めに手を付けたのは、家屋を購入する事だった。故郷から持参した宝飾品は些少だったが、良い値で売れたよ。おかげで、私が滞在するに相応しい邸宅を手に入れられたのだ」
それから五体投地君は、サンドイッチを食べながら、その宝飾品がどれだけ由緒のあるものだったか、この拠点で手に入れた古い邸宅を改装し、いかに苦労して豪奢なものに作り上げたのかを、延々と語り続けた。
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