【2】-18-ザイオン(2)
##ザイオン視点
##この作品には、一部暴力的描写・人の死の描写が含まれています。免疫のある方のみ、お進みください。
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冬月二日の早朝。
魔王城の居間には、パンを焼く良い匂いが漂っていた。
キッチンで野菜を洗っているのは、ルファンジアの息子アンドレアだ。
「おはようございます!」
暑苦しいぐらいの明るい挨拶に、ザイオンは頭痛を堪えるような仕草をしながら、頷いた。
「ああ……ルファンジアは?」
「自室で、軍からの連絡に対応中です」
「軍?」
ザイオンは軽く胸騒ぎを覚える。
軍が地下洞窟を調査の上で封鎖するという話をしていたのは昨日だ。
ルキルスが昨日帰って来なかったのも、そのために召集がかかったからだと予測は付いた。
その軍からなぜ、早朝ルファンジアに連絡が来るのか……?
嫌な予感しかない。
「おはよう」
西翼側の階段を、アメリアがゆっくりと下りてくる。
昨日の公爵令嬢姿から打って変わって、グレーのウールシャツに、黒の幅広パンツ……王国では見かけない機能的な服装だ。
階段を下りきったアメリアは、まじまじと見るザイオンに尋ねた。
「この国ではドレス姿が浮いてしまうようなので、首都で買ったんだけれど、似合わないかしら?」
「いや……そういう格好を初めて見たので、驚いただけだ」
ウールシャツの見事な曲線をなんとなく視界に入れたまま、ザイオンはアメリアの問いかけに対する答えを衝動的に付け足した。
「……よく似合ってるよ」
その言葉に、アメリアは少し目を見張った。
「貴方に褒められるなんて、驚いたわ」
一度言った言葉を取り消すことなどできない。
うっすらと顔に血が上るのを感じながら俯いて、ザイオンはアメリアが手にしているノートに気づいた。
アメリアは、ノートを少し持ち上げる。
「昨日話し合ったことについて、いろいろ考えたんだけれど……」
バタバタと、慌てたような足音が聞こえてきた。
「ザイオン様、アメリア様」
東翼二階からルファンジアが急いで階段を駆け下りてくる。
「軍がサムシングフェイルドの襲撃を受けました」
彼女はそこで言葉を切って、残りの階段を下りてきてから、続けた。
「深夜、巨大ミミズのような怪物が地下洞窟入口近くの地面を割って襲ってきたそうです。死者、重症者多数、地下探索中の十数人が消息不明で、ルキルスも戻っていません……」
それを聞いたアメリアの顔から血の気が引いていく。
「私が……昨日、あんなことを言ったせいで……?」
彼女が保安官事務所で、地下洞窟の封鎖を勧めたことは確かだが。
「それは違うだろう。人型モンスターの食堂襲撃はその後だ。奴らの出没先は地下だとヨアン保安官が言っていたよな? お前が言わなくても軍は地下洞窟を調査したはずだ」
それより今は、この拠点が無防備だということが問題だ、とザイオンは考えを巡らせる。
死者、重症者多数……人型モンスターがそんな大きな被害を出すほど凶悪な怪物だとは思ってはいなかった。
クロエたちが普段狩っている、動物を少し凶暴化したモンスターと同程度の生き物だと認識していたのだ。
(この家にいれば、取りあえずは大丈夫なはずだが……一人ずつ、障壁効果がある魔道具を持たせるか……)
突然聞こえてきた叫び声に、全員が東翼二階の方向を振り仰ぐ。
慟哭と言っても良い、悲しげな声だ。
何か、尋常ではないことが起きたのだと、その場にいた誰もが思った。
「マクシー! マクシー……!!」
クロエが声の限りに、ひたすらマクシーを呼んでいる。
小さな女の子が親を呼ぶように、泣きながら何度も繰り返した。
その声に含まれる深い悲哀が、何が起こったのかはまだわからなくても、皆の胸を締め付ける。
ザイオンが駆け出し、二階に上がる前に、上階からマクシーが飛び降りてきた。見るからに寝起きで、上半身は裸だったが、これまでに見たことがないほど真剣な顔をしていた。
彼は俊敏な動きで、あっという間に声の元に駆けつける。
呼び声は、ユージーンの部屋から聞こえていた。
マクシーは突入した時と同じ素早さで、泣いているクロエを抱えて出てきた。クロエは子どものように泣きじゃくりながら、マクシーにしがみ付いていて、話せる状況ではない。
ザイオンは急いでユージーンの部屋に入った。
アメリアとルファンジアも、後ろについてくる。
半裸で、タオルの上にうつ伏せに倒れているユージーンは、顔を横向きにして、扉を見据えていた。
半ば開いた目に光はない。
見たままの現実を、ザイオンは、すぐには受け入れられなかった。
大きな声を出せば、ユージーンを怯えさせてしまうだろう。
そんな風に思ってそっと、呼びかけた。
「ユージーン……?」
息を詰めて、返事を待つ。
胸に、鈍くて重い痛みが居座り始める。
ユージーンは答えない。
まるで、世界が一瞬自分から離れていったかのようだ。
全ての音が、遠くから響いてくる。
クロエの、子どものような泣き声。マクシーの啜り泣き。ルファンジアが息を呑む音。アメリアの溜め息。
ザイオンは近づいて、ユージーンの傍に膝をつく……崩れ落ちるように。
頬に触れた指先に、冷たさが走る。
やや開いた唇は、乾ききっていた。
ユージーンの両手首にブレスレットは無く、ソファの上にある畳んだ服の上に置いてあるのが見える。
おそらくユージーン自身、全く危機感が無かったのだろう。
だからブレスレットを外して、シャワーを浴びた。
剥き出しで血の気の失せたユージーンの背や肩には、古い歯型や火傷痕が無惨に刻まれている。
「右手に新しい傷があります。牙などの、尖ったものに触れたような」
ルファンジアがユージーンの傍に屈み込んで調べ、震える声で報告した。
「……きっと、マクシミリアン様に助けられる前に、サムシングフェイルドにやられたのでしょう」
(そうだ……もっと詳しく訊くべきだった)
昨日ザイオンは、アメリアにばかり気を取られていて、マクシーとユージーンが怪物に遭遇した話を単なる武勇伝として聞いていた。
遺体の傍に手を突いたまま、ザイオンは穏やかなユージーンの表情を見つめる。
「助けてと、自分から声を上げられない奴だ。そう知っていたのに」
苦渋の気持ちが突き上がる。
不遇な人生などという理不尽なものが、ザイオンは嫌いだった。
不幸な目に遭った人間は、同じだけの幸福に晒されるべきだ。
(お前はまだ、自分の人生を取り立て終わってはいないだろう、ユージーン……)
胸に凝っていた冷気が、体中に広がる。
凍えて、動きが取れない……刺されたマクシーを抱えて座り込んでいた時と同じだ。
肝心な時に何もできない。
泣いて、自分の無力を嘆くだけ……
震えるザイオンの背中に添えられたのは、アメリアの手だった。
そこから、温かさが広がる。
まだギリギリ取り返しがつく、とザイオンは気付いた。
顔を拭い、彼は自分を取り戻す。
ザイオンは立ち上がり、部屋の外に出た。
ルファンジアは部屋の中に留まり、アメリアは後ろを付いてくる。
クロエを抱えているマクシーが、廊下に蹲って泣いていた。
つまらないことでよく泣く奴だが、誰かの死で泣くマクシーを見るのは初めてだ。
弟の傍に立って、その銀色の髪の上に、ザイオンは手を置いた。
「大丈夫だ……俺が、何とかしてやるから」
「待って、ザイオン」
アメリアが、ザイオンの目の前に立った。
「……昨日、ルールを作る話をしたでしょう? 覚えてる?」
「そうだったな。……だが、今日のところは俺がルールだ」
ザイオンはそう言い放った。
「まだ言ってないことがあるの」
アメリアの瞳が揺れた。
「確かな話ではないから黙っていたんだけれど、あの魔法術式を使うリスクについて……」
「お前にはわからないかもしれないが──」
ザイオンの声に、怒りが滲んだ。
こんな状況で理屈をこねようとするアメリアに、苛立っていた。
「ユージーンは俺の家族だ。口出しするな」
義理の妹の兄だから、ユージーンはザイオンの兄弟の一人と言ってもいい。
昨日夕食が終わった後で状態保存の魔法術式を使った時、その場にユージーンもいた。
冬月一日、一番目のデータ。
そこに時を戻せば、ユージーンの死は無かったことにできる。
(けれど、そこから今までの時の流れが全て、やり直しになる)
この10時間前後の間に生まれた命や、助かった命。誰かが成し遂げた偉業やアイデアが、もう一度やり直すことで失われるかもしれない。
(それでも、俺は……)
「そうね。私にはわからないわ」
今にも泣き出しそうな目で、アメリアはザイオンを見ていた。
「でも、少しだけ待って。時を戻せば、もしかしたら貴方が――」
「待てない」
絞り出すような声になった……ユージーンが、今そこで、冷たくなって横たわっている。
その現実に、ザイオンは耐えられなかった。
そうだ……一瞬だって待てない。
いつも、食卓の端で控えめに微笑んでいた。
悲惨な過去を耐え抜いたユージーンが、あんな最期を迎えて良いわけがない──
しゃくりあげるクロエをあやすように揺らしながら、マクシーが濡れた目でザイオンを見た。
二人とも──弟も、義妹も、同じ気持ちだろう。
(だから、どんなリスクがあろうとかまわない)
「ザイオン!」
アメリアが腕に縋る。
「話は、時を戻したあとだ」
彼女の手を振り払い、ザイオンは昨日考えた魔法術式を詠唱する。
魔法を起動するための、古代エルフ語に変換して……
『§ システム.状態復元("010101"); §』
明るいキラキラした音が、どこからともなく響いてきた。
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