【2】-16-ヨアン保安官
##ヨアン保安官視点
##人物紹介
ヨアン保安官:
一般人には保安官と名乗っているが、ガーディアンズのカウザン第一拠点支部の支部長。笑いの沸点が低い傾向にある。保安官事務所内では、ボスと呼ばれる。
三十手前ぐらい。がっしりとした逞しい体付きで、黒髪はやや緑がかっている。落ち着いた青い瞳。やや小ぶりの鼻の周囲には、ソバカスが目立っている。
スラン団長:
カウザン第一拠点に配属された軍隊(師団)の長。ライオン型獣人なので、クロエは獅子団長と渾名をつけている。
タトス:
犬型獣人。ガーディアン所属、娘を溺愛。気迫負けした相手には、本能的に、腹を見せたくなる。犬だから。
イザン:
黒狼型獣人。灰色狼型獣人ロッシの兄。ガーディアン所属。マクシミリアンの同僚。もうじき三十歳の中堅。
##この作品には、一部暴力的・グロテスクな描写、人の死ぬ描写が含まれています。免疫のある方のみ、お進みください。
▼▼▼
▼▼▼
⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈
食堂周辺の警戒態勢は、冬月1日から2日へと日付が変わる頃にもまだ続いていた。
「拠点内の探索は完了した。今のところ、他にサムシングフェイルドの姿は見当たらないが、念のため使役魔獣たちは全員、それぞれの里に避難させた」
ヨアン保安官は食堂に立ち寄って、廊下に陣取っているスラン師団長に言った。
サムシングフェイルド──人型モンスター、異形種、ダークエルフの失敗作と様々な呼び方があるが──が、一日の昼、食堂を襲った。
食堂横にある地下洞窟への出入り口周辺は現在、軍の監視下にある。照明用の魔石があちこちにぶら下げられ、周辺を照らし出していた。
「サムシングフェイルドが地下洞窟から来たというのは、確かなのか?」
「ああ。非番の軍人がたまたま居合わせていた。ここで王国の出身者と話をしていたらしい」
スラン師団長は、食堂外側廊下に設置された軍用の椅子に腰掛けていた。
「海の民出身のルキルスだ。例の、誘拐事件の」
「……あいつか。そういえば現場で見かけた」
スラン師団長の位置からは、地下洞窟入り口を見下ろせた。
廊下には大きめの机が持ち込まれ、周囲には、組まれた棒に布きれが取り付けられただけの椅子が幾つか置かれている。
そのうちの一つに、ヨアン保安官は勝手に腰を下ろした。
「我々は一旦警戒体勢を緩め、保安官たちに順次帰宅を許しているところだ……どうした?」
「ううぬ」
スラン師団長は机の上に広げた地図を見ながら唸った。
「どうも嫌な予感がする。小隊のいくつかが、まだ帰還しない」
机の上に広げられているのは、地下洞窟の地図だ。東西南北に広がる亀裂状の道について、安全確認された場所に印が入れられている。分岐道の入り口には□欄が書かれ、8割以上の分岐道に、印と共に小隊の名前らしいものの記入があった。
残りの分岐道のどこから、あのサムシングフェイルドが入り込んだかまではまだ特定されていないようだ。
「新兵で、封鎖作業に慣れていないだけじゃないのか?」
ヨアン保安官は思わず、楽観的な意見を言う。
この拠点は比較的安全な地域にあるから、新兵が多くの配属されている。スラン師団長も穏やかな性格で、司令官としては優しすぎるくらいだ。
「そうだといいがな……」
スラン師団長は、廊下の窓から洞窟の入り口を見下ろした。
食堂横の庭には、洞窟入り口を囲むような陣形で銃器類が固定されていた。万一の時にはいつでも一斉掃射できるように竜人狙撃手が待機しつつ、小隊の帰投待ちだ。何人かの獣人兵士が、心配げに洞窟の入り口を見やりながらその周囲を固めている。
全員が帰投次第、この地下洞窟への出入り口はひとまず封鎖する手はずだった。
ヨアン保安官は持って来た書類の束から、拠点の地図を取り出して机の上に広げた。
「古い建物の一部には、地下洞窟への入り口を残しているものがある。上水道の整備をする前に、地下水路へ水を汲みに行っていた名残だ」
ヨアン保安官がマーキングされた建物を一つ一つ指さす。
「そちらは一通り巡回させた。封鎖に使っている魔石が、一部経年劣化で使い物にならなくなっていたが、交換済みだ。安全確認も済んでいる。それから……」
と、西北の一角で指を止める。
「ここは巡回先から省いた。オリジナルの障壁があるし、火を噴くトカゲ型使役魔獣も棲んでいる家だ。……あの男もいることだし」
「あの男……か」
スラン師団長は腕を組んで、椅子にもたれかかりながら言った。
「あの男……マクシミリアンは、サムシングフェイルドを素手で仕留めたらしいな。保安官事務所は彼を、アルバイトとして雇っていると聞いたが」
「あの男を軍に入れようと考えているのなら、諦めた方がいいと思うぞ」
ヨアン保安官の後ろには、保安官事務所から報告書を持参したらしい獣人保安官のタトスがいつの間にか立っていて、話しかけるタイミングをはかっていたが、それを無視して彼女は続けた。
「今日だって、夕飯の時間だと言って帰っていった。奴は定職には向かない。集団行動の対極にいる奴だ」
ライオン型獣人のスラン師団長は、眉に生えた長い髭をピクピクと動かしながら言った。
「必要な時だけ貸し出してくれればいい。遊軍というか……一人遊撃隊だな」
「んむ」
ヨアン保安官は変な声を立てると、複雑な顔でしばらく考えていた。
会話が途絶えたので本来は書類を手渡す好機だった。
だがタトスには、今ヨアン保安官に報告書を渡してその思考を中断させるのはまずいとわかっていた。
タトスは犬型獣人だ。人の顔色を窺うのは得意だった。
「アレを制御するのは難しい。いっそ、兄を巻き込んだらどうだ?」
ヨアン保安官が言った。
「……ザイオンか?」
スラン団長は、驚いた声で言う。
「そうだ。アレはザイオンの言うことならきくだろう」
「それこそ、軍の組織には馴染まない男だ。エルフ族王家の末裔だから、エルフたちが黙ってはいないだろうし……」
「エルフたちは今、空軍を発足させようとしているだろう?」
「ああ。その先駆けとして、この拠点に空挺部隊を作る計画があるが……」
スラン師団長が、大きな身体を傾げて、両腕を組んだ。
「……いや、待てよ。……ううむ、やっぱり……」
スラン師団長が考えに耽り始めたので、タトスはようやく報告書をヨアン保安官に差し出すことができた。
「イザンはどうした」
事情聴取した結果を確認しながら、ヨアン保安官は尋ねた。
「イザンの弟が食堂にいたそうで、今治療院です。弟君、肋骨が三本ほど折れたけれどたいしたことは無いので、イザンは明日は通常通り出勤すると言っています」
「なるほど。ところでサムシングフェイルドの襲撃現場に、ザイオンの関係者がいただろう? 話を訊いたか?」
ヨアン保安官が書類を捲っていく。
「ああ、はい。手分けして聴取したので、俺じゃないですけれど。確か書類の真ん中辺りにあるので、印を付けています。魔法障壁で銃弾を弾かれたので、銃を怪物の口に突っ込んで撃ったそうです」
タトスが指を指した。
「ほら、ここです」
ヨアン保安官が眉根を寄せて、三行にも満たない報告を丹念に読んだ。
『怪物が入ってきて皆が逃げ出したので、銃を撃ちました。魔法弾が弾かれたために口の中に手を突っ込んで撃ちました』
「この報告書を書いた奴を撃ち殺せ」
と、ヨアン保安官が言った。
「はい……え?!」
タトスが驚愕した顔になる。
「なぜですか、ボス? 冗談ですよね……?」
「冗談に決まっている。だが、逃げただけの奴が十行も二十行もダラダラと証言しているのに、サムシングフェイルドに対峙した者からたったこれだけしか聴きだせないとは。どういう銃で何発撃ったのか、どんな魔法弾を撃ったのか、どこに当たったのか当たってないのか、これではさっぱりわからん」
ヨアン保安官は短い報告の文章を指で何度も叩きながら言った。
「あー」
と、タトスが言った
「そういえば聴取の途中で治療に入ったと聞きました。明日再聴取してきます」
「何やってるんだ? 最初に聴取しなくてはいけない相手だろう? まあいい。治療院も混乱していただろうからな。……ご苦労だった」
ヨアン保安官は、苛々した様子で報告書の続きを読み始めた。
これでやっと帰れる、とタトスはその場を離れる。
本来ならとっくに帰宅し、妻と娘の笑顔に溢れる日常へと戻っているはずだった。
娘はお座りもできるようになって、離乳食も進んでいる。可愛い肉球のある小さな手でバナナを握り潰して、あうあう言いながら振り回す姿はとても可愛い。ベトベトになった顔の毛を舐め取って綺麗にしてやろうとするとひどく泣くので、いつも妻には叱られた。
舐めるのは原始的だが、止められない。犬だから。
怪物が出現したという噂を聞いて、妻は不安だろう。
一刻も早く妻の元へ帰って、安心させたかった。
住宅街へ戻るには、食堂の廊下終端にある正式な出口を通るか、半地下の庭を抜けて崖沿いに回るかの二択だ。今は軍管轄区域になっているが、制服姿の自分なら咎められない。数分早く帰れる方を、彼は迷わず選んだ。
石を葺いて平らにされた庭を、タトスは通り過ぎようとした。
その鼻を、異様な臭いが掠めた。
(誰か、吐き戻したのか……?)
犬型獣人だからこそ感じることのできた、前兆だった。
彼は周囲を見回す。
固定された銃器が、斜めに突き出た円筒形のトンネルを見定めている。何か出てきても、一斉射撃で食い止められるから危険はない。
そのはずだった。
ふいに、小刻みに揺れを感じて、銃を構えた竜人兵士の一人が声を上げた。
「警戒!」
慌ててタトスは走り抜けようとしたが、その瞬間、地面が割れた。
本能的にタトスは、大きく跳んだ。
野生の勘が、危険を察知したのだ。
次の瞬間、石畳が割れた。
亀裂の奥から、誰かが覗いていた。
土塊に、二つの目玉がある。
その下にあるのは、左右に引き延ばされた平坦な目鼻だ。
意志を宿す二つの目がぎょろりと動き、タトスを捉える。
大きな穴が、ぱっくりと開いた。
酸えた臭気を放ちながら、穴は広がっていく。
その先が、タトスの着地先だった。
冷たい恐怖が彼の背中を駆け抜ける。
空中では回避行動が取れない──!
タトスは悲鳴とともに闇へ落ちていった。
***
予想外の場所に突然出現した人型モンスターの姿を見て、待機していた射撃手たちは混乱した。
固定していた銃器は、石畳と共に弾け飛んでいた。
庭に現れたそれは、食堂を襲ったカマドウマ型のサムシングフェイルドとはまるで違った。
太った身体をのたうたせながら、その異形の生物は地上に這い出てきた。
全身が節状のヒダで覆われ、巨体をくねらせる、湿った土色の巨大ミミズだった。
ミミズと明らかに違うのは、頭部に人の顔のようなパーツが付いていることだ。
頭上から大口を開けて、獲物を狙う。
その口の上部に、平たい鼻があった。
左右に離れた目が、動くものを探している。
「撃て!! 撃て!」
スラン団長が庭に飛び出してきて、大声で叫んだ。
兵士たちは混乱しながらも手持ちの銃で応戦する。
崖と食堂に挟まれた庭は狭く、対峙する者には逃げ場がない。
撃ち続けることでかろうじて、動きを封じることができた。
魔法障壁が銃弾をはじき、光を放つ。
数秒、数十秒──と、長い応戦が続いた。
やがて光が揺らぎ始める。
勝利の予感に歓声を上げ、狙撃手たちがさらに撃つ。
やがて光が消えた。
銃弾が肉にめり込み、巨大ミミズが苦悶の声を上げる。
はじけ飛んだ銃器が再度地面に固定されると、口径の大きな銃弾がサムシングフェイルドを狙い撃った。
痛みと苦しみに喘ぐように、巨大ミミズは高く身体を持ち上げた。
食堂の建物に何度も衝突する。
ガラスの割れる音が響いた。
酔っ払いが吐き戻した時のような、酷い臭いが辺りに立ちこめ始める。
銃弾が肉を裂き、怪物は人のような声で悲鳴を上げる。
その巨体がよろめき、天を仰いだ──次の瞬間。
破裂音とともに、怪物の肉塊が空中に飛び散った。
ぬるりとした液体が雨のように降り注ぐ。
それは、地下で補足した獲物を溶かしている途中の消化液だった。
「酸だ! 退避! 退避しろ!」
スラン師団長の怒号に反応し、何人かは咄嗟に飛び退いた。
だが殆どの者は、肉塊と液体を頭から被っていた。
瞬時に焼け爛れる匂いが立ちこめ、あちこちで絶叫が上がる。
酸に濡れた軍服がじゅうじゅうと音を立て、獣人族の毛皮や竜人族の鱗が煙を噴き上げながら剥がれ落ちていく。
そこは、建物と崖に囲まれた狭い場所だった。
足元には、油膜を張った泥水のような強酸が沼を作った。
一人の熊型獣人兵士が滑って転び、手足をばたつかせて酸を跳ね飛ばす。
その飛沫が隣の狼型獣人兵士の顔に降りかかった。目を覆い、悲鳴を上げて転げ回る彼の身体から煙が上がる。
「立て! 立て!」
竜人兵士が必死に熊型獣人を助けようとするが、その鱗も焼け爛れ、伸ばされた手を握った瞬間に皮膚がずるりと剥ける。
二人はもつれるように再び転倒し、異臭のする水たまりに沈み込んだ。
白煙が一気に立ちこめ、焦げた肉の匂いが鼻を刺す。
彼らを助けようと酸の沼へ足を踏み入れた者も、滑って倒れ、立ち上がる間もなく溶け始める。
「スラン! タトス!」
悲鳴に似た呼び声が響いている。
建物内に留まっていたヨアン保安官の声だ。
「こっちだ! 動ける者はこちらへ!」
空いた扉越しに掛けるヨアン保安官の声で、焼け爛れた身体を引きずりながら何人かが屋内へと逃げ込んでくる。
帰還し、待機していた小隊の隊員たちが彼らの救護を始めた。
「タトス! 聞こえないのか?! ……スラン!」
助けに行けば、彼らの二の舞だ──。
「くそっ」
ヨアン保安官は、扉の枠を拳で叩き付ける。
煙る沼の中で、動かない影がひとつ、またひとつと崩れていった。
⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈