【2】-13-アメリア(6)
##アメリア視点
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階段を二階まで上ったアメリアが手すりから下を見ると、一階の大広間が見渡せた。
ローテーブルのある居間、その奥にあるダイニングに、対面キッチン。クロエはユージーンと一緒にもう一つの階段を上っているところだ。ユージーンは具合が悪いのか、階段の手すりに体重を預けるようにしていた。彼らの後ろに、護衛騎士のように従っているのはマクシミリアンだ。
マクシミリアンがしきりに、プリンの話をしている声が聞こえてきた。
幼児期に、世話する者もなく、食べるものも与えられない環境で放置されていた彼にとって、食事は最重要事項だ。
今はここで幸せに暮らせているらしい。
(良かったわね、王子)
一人、笑みを浮かべながらアメリアは、手前にある扉の前に立った。
安堵と疲労がどっと押し寄せてくる。
(ここが、今日から過ごす部屋……)
衝動的に、人生の方向転換を決めてしまった。
そのことに後悔はない。
初めから最後まで、アメリアの志は決まっている。両親、そして兄、姉たちの無事と幸せが、彼女の幸せだ。
そのためには、この世界が無事に続いてくれなくては。
エルフ族の一人となった今、共和国はアメリアが王国に戻ることを許さないだろう。
家族に会えなくても、彼らのためにここで生きていくことに、迷いは無かった。
古びた扉を開けると、ほのかに木の香りが漂ってきた。新しい家具特有の匂いだ。
中に入ると、天井にある照明がひとりでに点いた。
室内は広々としていて、石造りの床には柔らかなラグが敷かれている。
窓にカーテンはなく、車の偏光ガラスのように暗転していて、外は全く見えない。
空気は少しひんやりしていたが、きちんと掃除されていて清潔感があった。
(アンドレアと配下の二人が、気を遣ってくれたのかしら)
部屋の左隅には木製のベッドが一台。
新しい寝具が丁寧に整えられ、上にはふかふかのブランケットと、控えめな刺繍の入った枕が載せられている。
寝転がりたい衝動を、アメリアはぎりぎりのところで堪えた。
「……テキストなんて明日でも良かったのに」
小さく独りごちて、部屋を一巡する。
部屋に入って右手の扉はシャワールームに通じていた。
中は白いタイル張りで、排水口まである。前世で見かけたような現代的な造りに、アメリアは驚いた。
ユーティリティにはタオル、新品の歯ブラシ、着替え用の新しい寝間着類、石鹸や洗髪用の瓶が並んでいる。
間取りをじっくりと観察したアメリアは、この水回りが暖炉を潰して後付けされたものだと気づいた。
着替えて、シャワーを浴びて、ベッドに沈み込みたい。
アメリアは小さく溜め息をつく。
そんなことをしていて、裸でいるところにザイオンが来合わせたら困ったことになる。
ベッド傍にある備え付けのクローゼット前に、アメリアの旅行鞄が置かれていた。勝手に開けないでいてくれたらしい。明日以降に備えるため、鞄を開くと彼女は、中身を収納スペースに収めていった。
家族への土産用に買った品々のうち、テーブルクロスの包装を開けた。もう渡す機会もないし……などと一瞬だけ感傷に浸るが、新しいものを買って郵便で送ればいいと割り切った。
窓際に置かれていた小さなテーブルを部屋の真ん中に移動させる。
王国では装飾と言えば繊細な図柄の刺繍だが、この共和国では染料による大胆なデザインが主流だ。
丸、四角、三角を組み合わせた大胆な図柄。母に見せたら、どんな顔をしただろう……そう思いながら、アメリアはテーブルにクロスを広げた。
二つある木製の椅子は簡素だった。
両方運んで、向かい合わせていると、ノックの音がした。
「どうぞ」
そう応じると、扉が開いた。
ザイオンが、一瞬躊躇った様子を見せた後で、入ってくる。
左腕には、やや厚めの古びた冊子を抱えていた。
胸、脇、ズボンの前後ろに太ももまで、ポケットが各所に着いているカーキ色の服は、前世で見た作業服のようだ。
彼はテーブルを見て、足を止めた。
掛かっているクロスをしげしげと見ている。
「なかなかいいな?」
「そうでしょう? 良さをわかってくれるなんて、嬉しいわ」
思わず微笑んで、説明してしまう。
「不揃いな図案の独特なリズム感がいいわよね。……座る?」
本を受け取ったら『じゃあ明日ね』と送り出すつもりだったのだけれど、アメリアは思わずそう誘いをかけてしまった。
ザイオンは素直に頷いて、椅子に腰掛ける。
アメリアが対面に座ると、ザイオンは『何から話したらいいのか』と臆した顔をしていた。
挙げ句、親戚のおじさんのような口ぶりで言う。
「大きくなったな」
「ふふ」
アメリアは思わず笑ってしまった。
「ザイオンは昔のままね」
「……ハーフエルフだからな。十年ほど前から、少しずつ成長速度が落ちていたんだ」
ザイオンは、アメリアの笑顔を見て少しだけ、ほっとした様子を見せた。
「今日は……悪かったよ。俺は、……その、お前が夢で見たっていう情報だけ教えてもらうつもりで、お前をここに呼んだんだ。……こんなことになるとは」
「私も悪かったと思ってるわ。自分の家族を守ることに必死で、貴方たちのことを気にする余裕がなかったから」
「それは……」
ザイオンの表情に罪悪感が滲んだ。
「俺たちが共和国に亡命したせいだよな?」
マクシミリアン第一王子とザイオンが、身分を捨てて共和国に亡命した。王国の勢力図が変わり、名目上ザイオンの養家だったカラドカス公爵家は非難の的となった。
「貴方たちが責任を感じる必要はないわ。元凶は第二王子派よ。叔母の子どもである第三王子を、王妃と第二王子派が殺そうとしつこく狙ってきたから。でも私たち、どうにかやり遂げることができた。王妃は今、貴方たちが子どもの頃住んでいた北の離宮に追いやられているわ」
「それはいい」
ザイオンは歪んだ笑みを浮かべた。
「あそこは夏、ムカデやゲジゲジが出るんだ。ベッドにはマクシミリアンのおねしょしたシミがついているし……さぞかし楽しい毎日だろうな」
「あら、本当に楽しそうね」
嫌味ではなく、アメリアは本当にそう思った。きっと兄弟はそこで楽しく暮らしていたのだろう。
「ところで、普段は王子のことを、マクシーと呼んでるの?」
さっき玄関で会った時のことを思い出して、アメリアはそう尋ねた。昔一度だけ、ザイオンがそう呼んだところを見たし、夢の中でもザイオンは、『マクシー!』と繰り返していた。
ザイオンは顔を赤らめながら言い訳のように言う。
「あいつは昔、自分の名前も覚えられなかったんだ。だから、マクシーと呼んでた。その名残だ」
「……きっと、小さい頃は誰にも名前を呼んでもらえなかったのね。だから、覚えられなかったのよ」
アメリアはしんみりとなる。
「マクシミリアンが幼い頃、王妃の意向で誰にも面倒を見てもらえなかった話は、公にはされていない。どうしてお前は、そんなになんでも知ってるんだ?」
詰問にならないよう、ザイオンはできるだけ抑えた口調で訊いてくる。
「怒ってるとか、疑っているわけじゃなくて俺は……どこまで信じたら良いのかわからないから、確認したいだけなんだ」
「貴方も、まるで本当にあったかのような夢を見たのでしょう?」
転生者という言葉を出さずに、アメリアはありのままに説明しようと決めた。
「同じような夢を私は、もっと長い時間、それこそ人の一生分ぐらいは見たの。正直に言うと、それは本当に私が体験した別の人生だと思っている。でも間違っている夢もたくさんあったわ。その夢では、王太子は貴方だった」
「俺が……? 絶対に有り得ねぇな」
ザイオンは苦笑いのような表情を浮かべる。
王太子で、孤立し、ヒロイン以外には全く心を開かないザイオン。
マクシミリアンの世話を焼く今のザイオンからは考えられないわね、とアメリアは思う。
「その夢では王太子として共和国に留学したから、ハーフエルフだとはばれなかった。最終的にはバレて、王国と共和国の間に火種になるのだけれど……」
アメリアは入国前、兄のドミリオに、両国間の関係が急速に悪化していると聞いた。ザイオンが、長らく行方のわからなかったエルフの姫君の子どもだと知られてしまったのだろう。
彼がここで、ルファンジアたちに傅かれていることからもそう推測できる。
だがしばらくの間、戦争にはならない。
というのも、今共和国はサムシングフェイルド侵攻の危機に直面しているからだ。
「だから私の言うことは、まるまる信じるのではなくて、可能性の一つだと思って欲しい。夢ではこうだったけれど、他の方法ならもっとうまくいく、ということはたくさんあるはずよ」
ザイオンは、アメリアの説明を受け入れたらしく、表情を和らげた。
「その夢にマシューも出てきたのか?」
「ええ」
アメリアは、揶揄うような笑みを浮かべて、頭上に真っ直ぐ右手を掲げた。
「こうやって格好良く、貴方は召喚魔法を詠唱していたわ。『来たれ、マシュー! 神より贈られし最強のドラゴン!』って」
「詠唱の意味はだいたい合ってる」
ザイオンは恥じらうような顔をして、アメリアのモノマネから視線を逸らした。
「お前は、召喚魔法のレベルを上げろと言ったが、レベルがなんなのかよくわからなかった」
「現実にはそんな便利な数字、見えないものね。やっぱり私の見た夢と現実では、違ってしまっているわ」
ゲームでは、ストーリーの初めの頃に強力な魔法が使えたり強大な召喚獣を呼べてしまうとゲームバランスが崩れるので、経験値によって上昇するレベルという仕組みで制限をかけていた。
プレイヤーの存在しない現実の世界では、ゲームバランスに配慮するような仕組みはないということだろう。
「そういえば、マシューの炎は魔法障壁ごとサムシングフェイルドを燃やす事ができたはず」
アメリアは過去にプレイした記憶を辿りながら、ふと、今後の戦略について考えを巡らせた。
「高温過ぎて、その熱を魔法障壁が防ぎ切れないのよ。でも敵味方の区別なく、周囲にもその熱が伝わって被害が出るのは困るわ……。普通の空間に干渉しない戦闘用の領域に敵味方を封じ込めて、そこで戦う仕組みを作るべきよね? 難しいかしら?」
それは思いつきで、何気なく投げかけた言葉だった。
「……俺に、作れるかどうかを訊いてるのか?」
ザイオンは、一瞬、不満げな顔になった。
「…ええ」
彼のプライドに触れてしまったのだと、アメリアは気づいた。
「出現したサムシングフェイルドを、別空間の落とし穴に落として、そこで私たちが倒す。……そんな風に作れそう?」
無邪気に尋ねているようでいて、挑戦的な笑みを浮かべるアメリアに、ザイオンはゆっくりと考えて、答える。
「……ああ。多分な」
それからザイオンは持っていた本をテーブルに置き、それを下敷き代わりに、何やら呟きながら、メモを書き始めた。
「定型魔術式で組めばいいのか。蓋も要るし、フィルターの定義も……それはあとで考えるとして。基本は容量無限の鞄を作る時と同じだよな? あれは、どうやって作ったっけ……部分空間作成魔法で、型を異空間に指定して……」
(鞄……?)
期待通りの反応に満足しかけたアメリアだったが、彼女の笑みが戸惑いの表情に変わる。
(サムシングフェイルドを倒すことに費やすべきその才能を、鞄作りに使っていたの……?)
アメリアは、ザイオンがこの国に来て何を生業にしていたのか知らなかった。
魔王城全体の障壁を保守し、様々な魔導具を作って売り、雨水や排水の浄化用魔法術式を配管の魔法陣に書き込み、冷蔵収納庫やパンを焼く竈の温度調整用魔法陣を改良し、プリンの表面にかけたカラメルを環境制御魔法で焼く、という日々にザイオンが全精力を費やしていたとアメリアが知るのは、もう暫く後のことだった。
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