10:悶える私
狩猟生活三日目(1)
その破片に気づいたのは、気味が悪いほど周囲に虫が集っているからだった。
おそらく、普通の狩猟民なら、討伐対象のモンスターに気を取られて通り過ぎただろう。
薬草採りやキノコ集めクエストばかりこなしている超初心者の私だから、丹念に木々の間や低木をかき分けているうちに、真っ黒で蠢いている小山に目がいった。
(うえっ何コレ)
大中小の様々な蟻や甲虫類でできた小山だ。
避けて通るつもりだったが、ちょっと気になった。
というのも、昨日の火竜襲撃のせいで、全てのクエストに、『何らかの不自然な物を見つけたら、受付窓口に申し出るように』という指示がついていたからだ。これには別途で報奨金も設けられていた。火竜の襲撃地点にわざわざキノコ採取に来たのも、この報奨金目当てだった。
私は、適当な枯れ枝を拾ってきて、蠢く黒山に突き刺した。
どうやらその周辺には粘液のようなものがベッタリとこびりついていて、虫たちはそれを舐めているか、運ぼうとしているようだ。
これは、不自然な物と言えるだろうか?
ところどころに、割れた皿のような二センチ前後の破片が混じっていた。色はグレイで、鉄のようにも見えるが、人工物ではなさそう。
報奨金を得るには値しなさそうだけれど、念のためにと思って、傍の木に絡まっている葛の大きな葉を千切り取り、枝で掻き出した破片のいくつかを包んだ。
ポーチに放り込んで、それきり忘れた。
その直後、猿型小型使役魔獣の集団とすれ違った。彼らは長い赤毛と長い器用な手足を持ち、顔は猿というよりは犬に近く、別名猩猩と呼ばれている。知能が高くて狩猟でも補佐として重宝される種で、食堂でもよく話題になる。
おそらく、人工物をメインに集めるように言われているのだろう。壊れた武器の破片や、欠けた車輪、宝石の欠片、木々の燃えかすや薬莢、使用済みの矢を集めながら歩いていた。
昨日の夜の火竜襲来は十二年ぶりだというから、その原因となったものがないか、探しているに違いない。
規定数のヤバヤバキノコを集め終わると、私はリムの南門へと引き返した。
南門の扉は開放されており、守備についている狩猟民が内と外に二人ずつ、四人いた。昨日までは外側に二人だけだったから、上位モンスターの襲撃で警戒を強めているのだろう。四人はそれぞれ、獣人族、竜人族、人族、エルフ族で、まるで各族を代表するかのようだ。
「やっぱり大剣だよなぁ」
王国の軍人とは違って、勤務中でも楽しそうに会話している。
「地上に降りた火竜の頭を一撃ずつだぜ、すげぇなマックス」
「頭が弱点だからな」
火竜は頭が弱点。心の内にメモる。
「ただの馬鹿力だろう」
「いや、上位モンスターを一撃必殺だぞ?」
「なぁ、あいつ、なんでこんな初級者用の拠点に根を張ってるんだ?」
「誰かを待ってるって聞いたな」
「誰かって」
「ああ、そう言えば昨日……」
私が通りかかって、入場許可の合図をもらうまで、彼らは一瞬だけお喋りを止めた。
「昨日、どうした?」
「いや……超機密事項をうっかり口にするところだった。忘れてくれ。俺が討伐されてしまう」
「大剣もいいが、棍もいいぞ。軽いし、威力が弱くても手数で勝負できる」
竜人族が、両刃が上下両端についている長刀のような武器をグルグルと頭上で回した。
「軽くて手数で勝負できると言えば双剣だろう」
棍もしくは双剣なら、軽いし、威力が弱くても手数で勝負できる、なるほど。
そろそろ、武器を買って小型モンスターに挑んでみてもいいな。
扉を通り抜けると、広場へ続く大通りに出た。
固められた広めの道の中央は、搬入用の荷車の車輪ががたつかないよう、なだらかに弧を描いた石畳になっている。縁に向かって下がっているのは、雨水を溝に逃がす為だろう。
側溝には鉄製の格子が被せられ、側溝沿いに、前世の商店街のように様々な種類の店舗が並んでいた。
武器屋で、気難しそうな竜人の前に並べられた双剣の値段を確認してみると、それほど高くはない。棍と呼ばれる武器は種類が多くてよくわからないが、さっき竜人が頭の上で応援バトンのようにグルグルと回していた様子から考えても、初心者の手に負えるようなものではなさそうだ。
その後、防具屋で買えそうな革鎧に目を付ける。
中古屋は素通りした。
本屋は、男性向けのエロ本が多くて、とても入れそうな雰囲気ではなかった。大通り以外にも店があるようだから、お金に余裕ができたら探してみたい。
雑貨屋、肉屋と辿っていって、八百屋の前に立つ。
八百屋では、小柄なエルフが気だるそうに店番をしていた。
彼女の尖った長い耳には、左右に三つずつ、ピアスがある。おそらく、何らかの魔力が付与された護石なのだろう。長い緑色の髪は、ぞんざいに後ろで括られていた。
素朴な上下服の上に花柄のエプロンをつけ、両手は大きなエプロンポケットに突っ込んでいる。中学生ぐらいの背丈だが、エルフは寿命が人族とは違うらしいので、正確な年齢はわからない。
「バナナは無さそうですね」
と、売り場を見ながら言ってみる。
「人気商品だからね」
ふふ、とエルフは優越感に浸った笑みを浮かべる。
「入荷は月に一回程度で、入ったらすぐに売れちゃうよ。首都バシンの大きな店になら常備しているはずだけれど」
「……また来ます」
足取り重く八百屋を離れて、ハブ広場へ戻る。
今はバナナよりも、武器や装備のためにお金を使うべきだろう。首都までの往復の飛行船料金はとても出せない。
クエスト受付窓口にキノコを納品すると、昨日の医療スタッフに、医療センターに来るように言われた時間が迫っていた。
茶色のドロドロゼリー消毒剤の事を思い出して、体の芯がまたヒュンと冷えた。できれば行かずに済ませたいところだが、亡命した時に縫った傷の抜糸も必要だと言われてしまったので、仕方が無い。
医療センターは、広場を囲む一角にあって、ログハウスのような佇まいをしていた。
最近建てられたらしく、木の良い香りがする。
診察室に案内されて入ると、獣人族の男が出迎えてくれた。
なんと、気高きライオン型獣人族である。惚れ惚れするほどに見事なたてがみ、簡素な鎧に守られた、がっしりとした肩幅、威風堂々とした立ち姿に圧倒される。腰に差した武器は、太刀だ。太刀も良いな!
「この拠点の警備を担当している第一師団の団長で、スランと言う」
心地良いバリトンで、獅子型獣人は自己紹介した。琥珀色の瞳が、とても誠実そうに瞬く。
「時間を取らせて申し訳ないが、昨日貴方が怪我をした件で、訊きたい事があるので同席させてもらう」
「午前診はこれで終わりだから、時間はある。まずは抜糸から」
木の切り株風スツールに座った女性医療スタッフが、自分の前に設えられたもう一つのスツールを指さした。昨日、私の頬に薬を塗った人だ。立ち位置から考えて、医者らしい。
恐る恐るスツールに座った私の顔の前へ、医師は予告なく医療用のハサミを掲げる。彼女が、綺麗に整った顔に冷たい怒りのようなのを貼り付けているので、そのままハサミの先で刺されるのではないかとハラハラした。
女性医師の天パ気味の少し巻いた金色の髪は、後ろに引っ詰められていたが、一房はみ出して肩に垂れ、ハサミを動かすたびに揺れる。その様子に、私は意識を集中させた。でないと、ハサミが皮膚に当たる冷たさや、糸が抜かれて皮膚を引っ張られる感覚に、声が出そうになる。
「見てみろよ、これ。腹立つな!」
私の頬のガーゼを剥がして、医師が指を突きつける。
「すみません……」
と謝った私に、医師が目を剥いた。
「貴方に言ったんじゃない」
医師は獅子に向かって、ちょいちょいと指を動かす。
大人しく傍に寄って、身をかがめた団長は、ちょっと唸った。
「……ああ、確かに……これは……」
「人族の女にとって、顔は、獣人族の尻尾や耳と同じ意味を持つ。この拠点内で、新人の若い女の子にこんな傷負わせるようなヤツは、拠点の滞在権利どころか、狩猟民としての権利剥奪相当だと思ってくれ」
「……だが、さっきも話した通り、あの女は……例の件もあるし……」
獅子団長は、小声で話しにくそうに言う。何かパタパタと音がしていると思ったら、団長の尻尾が、困ったように自分の鎧を叩いている。
口がむずむずした。
関わってはいけない、首をつっこんではいけないと思ったが、まるで口だけが別人格を持つかのように言ってのける。
「火竜の件ですか?」
医師と獅子団長が黙り込んだまま、互いに視線を合わせている。というか、医師が獅子団長を睨んでいる。
雉も鳴かずば撃たれまい、という絵本で見た名言が、頭の中で立体フォントになってグルグルと回転する。
「昨日、火竜に焼かれて死ねと言われたすぐ後に、本当に火竜が来たので、変だなとは思っていたんです……何か関係がありそうなので、昨日の件は不問にして泳がせたいのですね?」
人為的に火竜が呼び寄せられた可能性を考えて、『何らかの不自然な物を見つけたら、受付窓口に申し出るように』という指示を出し、同時に猩猩達を使って証拠を探しているのだろう。昨日食堂に居た狩猟民達からの報告も、あったに違いない。
「昨日なんと言われたか、なるべく正確に教えてはくれないだろうか」
そう言って、獅子団長は鎧と下衣の間から、筆記用具を取り出した。器用な五指についた肉球につい目をやってしまう。
私は昨日バナナを奪われてから、狩猟民達が謎の病に倒れ、紅ガニが涙目で退散するところまでを、丁寧に供述した。
「……ということで、恨みを買いましたし、また何か仕掛けてくるかも知れませんので、私を囮として使いたいという事でしたら、秘密のクエストとしてお引き受けします」
ちゃっかり感を出してみる。悪役令嬢ですからね、無償では何もいたしません。
「それはもちろんありがたいのだが、……えっと」
メモを丹念に読みながら、獅子団長は言う。
「これだと、後半だけのような……」
「いえ、それで全部です」
「聞いた話だと、その前にマックスとも話してたとか」
「マックス」
そういえば、バナナを取り上げられた原因になった男がいた。
「マクシミリアンですか。あれはよくわからない会話でした。どうやら、婚約者のお兄さんらしくて、その事を言っていたような気はするのですが」
「「えっ」」
獅子団長の大きくて素敵なお顔が、少し口を開けたまま固まった。女性医師も同様だった。
「あ、数日前に婚約を破棄されたので、元婚約者ですね。驚かせてすみません」
「……その事は多分、マックスは知らないと思うが。彼は……」
と言いかけた獅子団長を、女性医師が肘で突いて黙らせた。
私も、うまく説明できるとは到底思えなかったので、黙ったままでいた。
「デリケートな事を訊いて悪かったね。治療の続きをしよう」
女性医師は、机の上から取り上げたチューブから、茶色いゼリー状の薬を絞り出す。ちょっと痛いですよ、という台詞はなかったが、昨日経験済みだった私は腰を浮かしかけた。
(ひっ)
それが、医療用手袋をした医師の手で頬の抉れた傷の上に塗り広げられる間、声のない悲鳴を上げて悶える私。
(いたいやめていたいしみるしみるいたいいたい)
ふん、と医師は怒ったような息をしてみせる。
「あんな厄介な女は、泳がせておくよりも、早々に何とかした方がいいと思うがな」
獅子団長をきつく睨め付けた医師は、私の頬に、新しいガーゼを手際良く貼った。
⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈