01:テンプレギャフンイベント来た!
ギャフンイベントは、唐突に始まった。
「私はこの国の王太子として、貴様に婚約破棄を言い渡す!」
煌びやかに着飾った生徒達が、歓談し、生演奏の音楽に合わせて踊り、立食を楽しむ卒業パーティの場で、私は一人立ち尽くしている。
学園メインホールの中央階段を数段上った辺りから見下ろして、私に右手人差し指を突きつけているこの男。
確かウィリアムとかウィルヘルムとかいう名前だったが、いつも電化……いや、殿下と呼んでいたので、とっさに正確な固有名詞は思い出せない。
まあ、婚約破棄とか言い出しているから、今後の付き合いもなくなりそうだし、変換ミスそのままの電化で良いかな。
十人に会わせると九人はイケメンと評するであろう目鼻立ちで、私にとっても好みの顔ではあったが、綺麗なアッシュブロンドの細い髪質がどうも、将来的には不安要素だ。某大会社社長なら、『髪が後退しているのではない、私が前進しているのだ』と嘯くだろうけれど、電化は櫛に抜け毛を見つけては怯えるタイプ。
小心者で、とても王の器じゃない。元々は王位継承権二位の第二王子だったが、三年前に立太子する予定の第一王子が愛人と駆け落ちしたために、繰り上がり当選したスペアだ。
電化男に寄り添っている小柄な女は、表面上は戸惑ったような表情を浮かべていたが、よく見れば、見開きがちな大きな青い瞳が時折、抑え切れない喜色に揺れる様子がわかる。
「だめよ……こんな、さらし上げるような真似……」
小さくつぶやいて、俯きがちにふるふると首を振る彼女の胸元で、赤みがかったブロンドの編み込んだ髪房が揺れた。
「謝罪の言葉一つあれば充分だったのに……」
妖精のような、と男達に形容される可愛らしい容姿の彼女の名前は、ブリ……ブル……うん、思い出すのを諦めた。鰤でいいや。
そもそもの話、婚約者である私が、今鰤嬢が立っている位置で王太子にエスコートされるはずなのに、手順をまるっと無視して筋を通すこともせずその場所を奪った上での、その被害者面かつ偽善者面はどうなの、って突っ込むべきなんだろうけれど、まあ、名前同様にこれまたどうでもいい。
ちなみに私は、前世では鰤が大好きだった。刺身も良いが、照り焼きが特に。生まれ変わってからは、一度も食べた事が無い。
「極悪非道の行いをした女を、気遣う必要なんてありませんよ!」
電化男と鰤嬢の背後から、段を下りて来て、二人を庇うように並んだのは、金髪の宰相次男、赤髪の騎士団団長嫡男、黒髪の外交官三男という肩書きの三人。これまたテンプレ通りの、見目麗しい男たちなんだが、そうでなければ鰤嬢は取り巻きに引き入れなかっただろう。
「大丈夫だよ、僕達の天使。全て任せて」
「あの悪女がもう決して誰も傷つけたりしないように、ここで完膚なきまで打ち倒す!」
階段の上に揃った男四人と女が一人、今にも両手を空に向かって突き出し、正義の味方の名乗りでも上げそうな勢いだが、私の極悪非道の行いって、もしかして、三年経っても彼らの名前をちゃんと覚えなかった事ですかね。
それは確かに失礼極まりなくて、悪かったと思うけれど、一応それぞれの肩書きで呼んでたし、極悪非道ってほどでもないのでは……?
そんなに、私に名前を呼んで欲しかったってこと?
いや、違うよな?
おっと、生演奏のBGMが、フェードアウトした。
指揮者が空気を読んだのだろう。
「嫉妬に駆られてのブリトニー嬢への嫌がらせの数々、知らないとは言わせないぞ!」
王太子の怒号に、卒業生達のお喋りに満ちていた会場が、静まりかえる。
巻き込まれたくないという思いからか、正装した群衆が、音もなく、すすすっと私から距離を取った。
すすすって。
忍者集団かよ、ドレスや燕尾服を着た忍者集団って、と内心面白がっていたら、意外にツボにはまってしまって、腹筋辺りがぷるぷると震えた。貴族の従者達も含めて、百名は超えようかという人数が皆こちらを見ているものだから、余計に笑いの発作に襲われる。
一部の人にはわかってもらえると思うんだけれど、内気な人間が注目を浴びると、可笑しいことがなくても、顔がニヤけてくるんだよね。静まりかえっていると、それだけでもなんだか可笑しい。箸が転がっただけで笑っちゃうお年頃だから?
必死に笑いを抑えていた私の顔は、相当に歪んでいたに違いない。
電化男は、満足そうに私を見る。自分の台詞が深刻なダメージを与えたと判断したようだ。
「足をかけて転ばせる、教科書を隠す、破く、悪い噂を流布する、などの陰湿な虐めに加えて、直接の暴行暴言、さらには先日のお茶会での毒殺未遂まで、疑惑は数多い!」
なんだそれ? と想定外の告発に仰天した私の表情が、悪行を暴かれて唖然とした風に見えたのかもしれない。
電化男はますますドヤ顔になって、日時と関係者の名前まで入った具体的な罪状リストを読み上げる。
(嫉妬に駆られてってあんた)
思わず、漫才の突っ込みのような口調の台詞が脳裏に浮かんだ。
婚約は、王家と公爵家の政略的なものだし、好きでもない男のために嫌がらせとか毒殺とか、わざわざやる訳が無いでしょう。もしかして、月一の会話の弾まない茶会程度で、愛されているとでも思っていたのだろうか。小心者という性格に、夢見がちという属性を追加してあげよう電化いや殿下。
「入学直後の四月十三日、授業が終わった直後に君は取り巻きの者を使って……」
罪状の読み上げはまだ続いている。私は、得意スキルを発動した。その名も、壁型スルースキル! 自分の周囲だけを世界から切り離して、面倒臭い会話や出来事を動画の早送り鑑賞のように認識からずらす事ができるのだ。これなら、変化や重要ポイントを見逃さないので、適当に話を合わせることもできる。
「こうなっては、学年一位の成績にも不正疑惑が生じるな!」
あ、そろそろ終わりそう。
「全ての罪状についての証拠が揃い次第、国王陛下に報告し、刑罰として国外追放の手続きを「わかりました!」えっ」
「婚約破棄と国外追放ですね! 王族としての命、ということで、謹んで承りますわ!」
食い気味にそう返すと、私は足早に会場の出入り口へと向かう。
あのドヤ顔やばい! 赤いバラの花を口に銜えて、踊り出しそうだった! 元は整った顔のはずなのに、イケメン台無しだな。
これほど滑稽な茶番に対し、会場は深刻な雰囲気になっていて、そのギャップがまた、私の笑いを誘っていた……誘われてたまるかっと、顔を歪ませたまま早足になる。ここで声を出して笑ったりしたら、おほほほと上品に笑わなくてはならない悪役公爵令嬢が、アハアハうひゃひゃと笑う奇人に転落だ。それはちょっと嫌。
冷静にならざるを得ない何かを考えなくては。
そうだ、面白がってばかりではなく、そろそろ真面目に検証した方が良い。
まずは、今自分がいるこの『物語』について。
あの罪状リストだが、私は一切関知していないので、鰤嬢が虚言癖持ちなのか、それとも、『物語』の強制力が働いて、本来私がやるはずだった事を他の誰かがやる羽目になったのかもしれない。
前世の私は、多読乱読で、有名どころの小説や漫画はだいたい読んでいたし、WEB小説のブックマークも百を超え、ゲームも大量にやりこんだから、生まれ変わったこの世界がなんの小説なのかゲームなのか、見当もつかなかった。
時代も中世なのか近世なのか、文化的にもヨーロッパ風なのか和風なのか。いろいろと混じっている気がする。新年度の始まりが四月の三年制高等学校なんて、現代日本の学校制度がモデルだよね? 生徒会や学園祭があるのも不自然。
幼い頃は、ダンジョン攻略や魔王復活を想定して、こっそり屋敷を抜け出しては、王城周辺の緑地帯で走り込みやスクワット、反復横跳びなどのメニューをこなして体を鍛えていた。
その後、この国にはダンジョンはなく魔物もいないと知って、がっかりした。
もしかしたら突然何かの力に覚醒したり、魔女っ子系のイベントが来るかも、などと淡い期待を抱いてはいたが、王立貴族学園に入学した時点で、なんとなく察した。
ここでテンプレギャフンイベントが来たので、仕方が無いが、認めよう。
この世界は、あの鰤嬢をヒロインとした、乙女ゲーム、もしくは恋愛小説で、私は悪役令嬢役なのだ、多分。
『物語』の世界観が確定したところで、もう一度、転生してからここまでの人生を振り返って、今後の方針を再確認する。
前世ではロマンチック系小説は好きだったけれど、現代的な自由思想と人権感覚を持つ私には、この世界の身分制や、一夫多妻が許される風潮に馴染めなかった。
ドレス以外の服装では家の廊下さえも歩けない自由の無さ!
本は高価で圧倒的に数が少ないし、スマホもパソコンもない、温水専用便座もない!
暇過ぎて、自室で筋トレしかすることがなかった私は、前世より健康的で活動的だ。
かといって、王太子妃になって社会制度を改革したり前世の知識を使って生活を改善したりという、大勢の人と関わり合う生き方は性に合わない。
できるだけ楽な方に流れるコミュ障気味のものぐさオタク、それが私。
イベント完了後は『物語』から解放されるはずだし、自由に、私の思うとおりに生きよう。
背後から、電化男と、その取り巻きが何か叫んでるが、どうでもいい。
電化男の台詞を途中で遮ることについての苦言らしいけれど、ほんとどうでもいい。
婚約破棄と、国外追放の言質さえ取れれば、あとは退場するだけだ。後日、えん罪だった、本決まりではなかったなどと言われないように、王族の命として、と、明確にしておいたから、覆ることはないだろう。王族の命令は法律を上回る。
会場を出る前に、そういえば無関係な人たちには、一生に一度の卒業パーティが変なことになって悪かったかなと思い、振り返って手を振った。
「皆様ごきげんよう」
令嬢らしからぬ満面の笑顔で別れを告げた時、こちらを見返す人々の驚いた顔が、埴輪のように見えた。婚約破棄で落ち込んでいるとばかり思っていた令嬢の笑顔が、そんなに意外だったのか。
全員が目を丸くして、ポカンと口を開けている様子を眺めるうちに、埴輪にしか見えなくなっていく。
埴輪。
ドレスや燕尾服で着飾った、埴輪の群れ。
愚かな王太子が安らかに眠る棺、その周囲に副葬品として並べられた、正装した埴輪ビジョンが、私の脳裏に閃いた。
再来した笑いの発作に苦しみながら、私は馬車の待機場所へ歩き出した。
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