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2/12

五月

「ねー、フジ。ゴールデンウィークのどっかで遊ばない? いつでもいいからさ」


 連休前日の放課後、教室で帰宅の準備をしていたアマキはクラスメイトの綾坂(あやさか)碧菜(あおな)にそう声をかけられた。

 碧菜とは一年のときに同じ図書委員だったことがきっかけで、なんとなく話すようになった。悪い人間ではない。しかし少々金遣いが荒いので一緒に遊ぶのは大変である。

 だからというわけではないが、アマキは「あー、ごめん。たぶんバイト」と誘いを断った。


「いや、たぶんって何だよ」

「うちのバイト、けっこう直前にシフト変わったりするから」

「えー」


 碧菜は不満そうに声を漏らし、アマキの机に寄りかかる。


「てか、なんのバイトしてんだっけ? 聞いてないんだけど」

「古本屋」

「え、つまんなそう。遊びに行っていい?」

「ダメ。てか、なんでつまんなそうなのに来ようと思った」

「フジもつまんない思いをしてるんじゃないかと思って」


 アマキは笑いながら「真面目に楽しくやってますよー」と鞄を持って席を立つ。


「じゃあ、暇な時間ができたら連絡してよ。いつでも合流可能だから。夜でもいいよ?」

「ん、わかった。じゃ、わたしは帰る。あんたは早く部活に行きなさい」

「んー、でもどうせ遅刻だし」

「なおさら早く行け」


 アマキの言葉に碧菜は笑って教室を出て行った。

 アマキはため息を吐きながらスマホでスケジュールを開く。バイトの予定は連休最初の二日だけ。それ以外の日に予定は何も入っていなかった。すでに店長たちの予定も変更が無いと確認済みである。

 別に碧菜と遊びたくないわけではない。彼女とは気が合うほうだし、一緒に遊びに行けばそれなりに楽しい。しかし、碧菜の交友関係の広さが問題だ。ときどきアマキがまったく知らない相手とも一緒に遊ぶようなことすらある。

 別に人見知りというわけではないが、やはり知らない相手というのは気を遣う。気を遣えば当然のことながら疲れる。疲れるのは嫌なのだ。


 ――あの言い方だと、絶対に他の子もいるんだろうしなぁ。


 遊んでいて疲れる相手というのは友達のうちに入るのだろうか。いや、碧菜と遊ぶことが疲れるわけではないので碧菜とは友達ということになるのか。まあ、財布は疲れてしまうが。

 そんなよくわからないことを考えながらアマキはスマホをポケットに入れて教室を後にした。

 そして突入したゴールデンウィーク初日。旅行だ祭りだと賑やかな世の中から隔離されたかのように静かで平穏な小さな古本屋のレジカウンターの中。

 アマキはのんびりとコーヒーを飲みながら、買取待ち用のテーブルで分厚い本を開いている少女を眺めていた。


「ねー、シロ。それ面白い?」


 ズズッとコーヒーを啜りながらアマキは訊ねる。


「面白くない」


 顔を上げもせずに即答したシロに、アマキは思わず苦笑する。


「なんで読んでんの?」

「マサノリが勉強になるぞって言うから」

「へー、マサノリが……。ちなみに、なんていう本?」

「広辞苑」

「なるほど」


 たしかに言葉の勉強にはなるのかもしれない。アマキはもう一口、コーヒーを啜る。するとシロがおもむろに本から顔を上げた。


「飽きた」

「だろうね」


 アマキの言葉にシロはため息を吐いて席を立つ。そして広辞苑をカウンターの上に置いた。


「えーと、何?」

「査定をお願いします」


 ぺこりとシロが頭を下げる。


「ああ、これも買取希望だったんだ? もう勉強はいいの?」

「飽きたから」

「そっか」


 アマキは笑いながら預かり証の作成を始める。その様子をシロはカウンターの前に立ったままじっと見つめていた。

 カタカタとパソコンのキーを打つ音が響く。BGMも何もない店内には、その音だけしか聞こえない。意外と防音性の高い建物なんだなと改めて思う。そのとき「アマキ」とシロが口を開いた。


「んー?」

「ゴールデンウィークって何してるの?」

「え、バイトしてるじゃん。今、まさに」

「ずっと?」


 アマキはパソコンから顔を上げた。シロはカウンターに頬杖をついてアマキのことを見ている。


「まあ、シフト入ってるのは明日までだから、残りの三日は暇してる」

「ふうん」


 シロはつまらなさそうな顔でそう答えた。

 そちらから聞いておきながら、このつまらなさそうな返事はなんだろう。思ってからアマキは「シロは?」と聞いてみる。


「明日はここに来る」

「残りの三日は?」

「暇」

「ふうん」


 再びアマキはパソコンに視線を戻して預かり証の入力を続けた。そしてプリンタの電源を入れて印刷。

 プリンタが仕事をする音が店内に響き渡る。出来上がった預かり証にミスがないか最終チェックをしていると「普通は」とシロが言った。


「どうするもの? ゴールデンウィーク」


 アマキは顔を上げる。シロは相変わらず頬杖をついてアマキを見ていた。しかし、その表情はまるで数学の問題を当てられたかのように険しかった。


「んー、そうだなぁ。普通は――」


 アマキは答えかけてから眉を寄せる。


「普通か……。普通、ねぇ」


 普通は、きっと旅行に行ったり遊びに行ったりするのだろう。

 誰と?

 家族、または友達だろうか。しかし、それが普通であると定義するのは少し違うような気がする。

 去年までのアマキにとって普通のゴールデンウィークの過ごし方は自室に引きこもることだった。稀に家族と出掛けることもあったが、それはイレギュラーなことで普通ではなかった。

 人が多いとわかっている場所にわざわざ出掛けるなんて疲れるだけじゃん。そんなことを言っては誘いを断る。それが普通だったのだ。


「アマキ?」


 答えないアマキを不思議に思ったのか、シロは首を傾げた。アマキは顎に手をあてながら「シロは、なかなか難しい質問をするね」と彼女を見つめた。


「難しい?」

「うん。だって、普通っていうのはきっと人それぞれにあるものじゃん?」


 しかしシロはよくわからなかったのか、さらに深く首を傾げた。


「マサノリは友達と遊びに行ったりするもんだって言ってたけど」

「そうか、マサノリがそんな変哲もない正解を……」


 どうやらマサノリの言う『普通』とは世間一般的に適用されている『普通』のことらしい。難しく考えてしまった自分が阿呆らしくなり、アマキは思わず笑ってしまう。


「まあ、いいや。それで? シロは毎年、マサノリが言うところの普通のゴールデンウィークを過ごしたりしなかったの?」

「しない。ゴールデンウィークは家にいた」

「ほう。一緒だね」

「アマキも?」


 アマキは頷く。


「じゃあ、アマキもわたしも普通じゃないんだ」


 シロはそう言って、ぼんやりとアマキが持っている預かり証に視線を向けた。アマキは預かり証のチェックをしながら考える。どうして彼女がこんなことを言ってきたのか。

 どうやらシロは今までの人生、友人とゴールデンウィークを過ごしたことがないようだ。そしておそらくは家族で旅行ということもなかったのだろう。マサノリは友達と遊びにいくものだと言っていたのだから。

 アマキはちらりとシロを見る。彼女は、やはりつまらなさそうな表情でぼんやりとしていた。とくに何かを期待している様子でもない。


「――どっか行く? 一緒に」


 なんとなくそう訊ねると、シロの眉がピクリと動いた。そしてアマキを見上げる。


「どこに?」

「んー、お祭りとか。たしか明後日だったかな。隣町でたけまつりやってるはず」

「たけ……。竹?」

「うん。竹細工とかの体験もできるとかできないとか。あと、屋台もけっこう出てる。何年か前の記憶だけど」

「行く」


 彼女はカウンターに身を乗り出しながら言った。とても嬉しそうに目を輝かせて。そんな彼女の反応にアマキは思わず微笑む。


「うん。じゃあ、行こっか」


 シロは嬉しそうに頷き、そして思いついたように「あ、だったら明日はここには来ない」と言った。


「え、なんでそうなる」

「準備しなくちゃ」

「なんの?」

「明後日。アマキと遊びに行く準備」

「……いや、別に何も必要なくない?」

「色々とある。マサノリに許可もらわないと」

「ああ」


 保護者の許可が必要ということなのだろうか。

 今までの情報からマサノリがシロの父親であろうことは予想がつく。しかし、わざわざ遊びに行くのに許可をもらわなければならないとなると、もしかすると過保護なのだろうか。

 思ってからアマキはシロの幼さの残る顔を見つめた。


 ――そっか。まだ中学生か。


 中学生が隣町まで親の知らない相手と一緒に遊びに行くのはたしかに許可を取る必要があるかもしれない。自分が中学生だった頃はどうだっただろうと考えてから、そもそも友達と遠出したことはなかったことを思い出す。


「アマキ」


 呼ばれてハッと我に返ったアマキの前で、シロは自分のスマホをカウンターに置いていた。


「え、なに」

「連絡先。これ、わたしの」

「ああ、そっか。待ち合わせの時間とか決めないとだもんね。あ、そうだ。祭りの詳しい内容もあとで送ってあげよう」

「よし。じゃあ、それを元に当日の計画を練る」


 シロは嬉しそうにそう言いながら、登録したばかりのアマキのアカウント名を『天鬼』から『アマキ』に変更していた。


「なぜ、わざわざカタカナに……」


 呟きながらアマキは登録したシロのアカウントページを開いてみる。名前はすでにシロとなっていた。アイコンも真っ白で何も変更する余地がない。


「そういえばさ、シロ」

「ん?」

「わたしのあだ名って、どうなったの」

「あー、考え中」

「まだ?」

「まだ」


 シロはそう言うとスマホをポケットに収めてニコリと笑った。アマキは「まあ、いいけど」と預かり証をシロに手渡した。


「店長たちが戻るのは明日の夕方だから、明後日以降にまたお越しください」

「うん、伝えとく。じゃあ、今日はもう帰る」


 言ってシロは店の出口へ向かう。その背中をアマキは手を振って見送った。

 カランッとドアベルが鳴り、一瞬だけ外の喧噪が流れ込んできた。そして再び店内が静かになった頃に「あ……」とアマキは声を漏らす。


「また明後日、とか言えばよかったかな。いや、それはなんか変だな。普通はまた明日、か?」


 そんなことを呟きながらスマホに視線を向ける。真っ白なシロのアカウントページ。

 連絡先の交換をしたら友達という枠には入るのだろうか。しかし、それだと仕事の付き合いで連絡先を交換している大人たちは友達だらけになってしまう。ということは、まだ知り合いといったところか。それとも、一緒に遊びに行くのだからもう友達なのだろうか。

 アマキは「んー、普通はどこからが友達なんだろうなぁ……」と呟きながら椅子に座り直すと、とりあえず祭りの情報をシロに送ってあげることにした。






 祭り当日。アマキは会場近くの駅前でシロのことを待っていた。地元駅で落ち合おうと思っていたのだが、シロが隣町の駅で構わないというのでそういうことになった。

 どうせ同じ電車に乗るのだから地元駅で待ち合わせても同じではないか。そう思ったのだが、どうやらシロは同じ電車には乗っていなかったようだ。

 アマキは改札の上にある時計へ視線を向ける。待ち合わせの時間は少し遅めの十一時。現在時刻は十時四十五分。


「……なんで電車の時間を確認せずに決めたんだろ」


 十一時ピッタリに着く電車などない。その事実に気がついたのは出掛ける準備をしていたとき。田舎の単線は電車の本数が少ないのだ。

 スマホで確認すると電車は二十分早く到着するか、あるいは同じく二十分遅く到着するか、二つに一つの選択しかなかった。二十分早く到着する電車にシロは乗っていなかったので、おそらくは遅い方に乗って来るのだろう。ということは、今から三十五分ほど待ちぼうけということになる。


「――先に行こうかな」


 様子見、というやつに行ってみようか。そう思いながら足を踏み出しかけたとき「アマキ」と腕を掴まれた。アマキは驚いて変な声を出しながら振り返る。すると、そこにはサングラスをかけた小柄な少女が立っていた。


「せめて約束の時間までは待って」


 アマキは空いている方の手で胸を押さえながら大きく息を吐き出した。


「はー、もう、シロ。あんたどっから出てきた?」

「マサノリに送ってもらった」

「ああ、車か」


 だとしたら、十一時に待ち合わせというのも納得である。アマキは視線をロータリーの方へ向ける。しかし、そこに停まっているのはタクシーだけだ。


「で、そのマサノリは?」

「帰った」

「早っ」

「会いたかったの? マサノリに」


 シロに視線を戻すと彼女は可愛らしく小首を傾げていた。


「いや、ただ見てみたかっただけ。というか、なんでサングラス?」

「予防」

「予防……。まあ、たしかにこの時期の日差しはキツイかもだけど。帽子は?」

「それはいらない」

「ふうん?」


 紫外線を気にする年齢ではないだろうに。しかも目は守っておきながら日差しに一番晒される頭を守らないとは、よくわからない予防策である。まあ、シロが帽子を嫌いなだけかもしれないが。

 そんなことを思っていると、シロがアマキの腕をグイッと引っ張った。


「早く行こ、会場はこっちだから」

「おお? 張り切ってるね、シロ」

「今日のスケジュール、さっき送っといたから見て」


 言われてスマホを確認すると確かにメッセージが届いている。開いたそれは分刻みのタイムスケジュールだった。


「ほう。なかなかハードですな。シロさん」

「覚悟しとけ。祭りは戦場だ」


 並んで歩きながらシロはニヤリと笑った。濃い色のサングラス越しの笑みはニヒル、と言えなくもない。しかし、すぐにシロはその笑みを消した。


「って、マサノリが言ってたから、しっかりとタイムスケジュールを練ってきた。この通りに動けば完璧」

「マサノリ、一体この催しをどんな祭りだと……」


 呟きながら、シロが立てたスケジュールのスタート地点を見る。最初は参拝、とあった。


「参拝って、神社?」

「うん。このお祭り、元々は神社にある竹林の整備をしたのがきっかけだって書いてあった。伐採した神社の竹でお守りを作ったりしたのが始まりだって。だから、その神社に最初にお参りするのが礼儀かと思って」

「へえ」


 そんな由来、アマキが眺めていた祭りのホームページには書いていなかったはずだ。とすると自分で調べたのだろう。アマキは横断歩道で立ち止まりながら隣でまっすぐに前を見据えるシロを見た。

 彼女はわりと細かい性格らしい。きっちりしている、というべきか。そして無口だが素直。嬉しいことがあるとすぐに表情に出るが、それ以外の感情は読み取りづらい。


「アマキ、神社はこっち」


 信号が青になった途端、シロは横断歩道から外れて斜めに車道を進み始めた。慌ててアマキは「ストップ」と彼女の手を捕まえる。


「曲がるのは横断歩道を渡り終えてから」

「わかった」


 彼女は素直に頷いた。そして軽い足取りでアマキの前を歩いて行く。


 ――今日は楽しそう。


 小さな背中にそんなことを思う程度には、シロのことがわかってきた気がする。知り合いから一歩前進、といったところだろうか。

 無事に参拝を終えた二人は、そのまま祭り会場へ向かう。そこは神社からほど近い場所にある商店街だった。長い商店街にはずらりと屋台が並んでいる。


「おお、すごい」

「たしかに。なんか記憶よりも屋台が多いな」

「買おう。早く、アマキ」


 シロがグイッとアマキの手を引っ張る。アマキは「はいはい」と笑いながら彼女に付き合って屋台をまわった。

 そして昼食を済ませたあと、スケジュール通りに祭りを楽しんでいたはずのシロは、どういうわけか細い竹と格闘を続けていた。


「――これは、なかなか手強い」


 そう呟きながら彼女は正座した畳の上で背中を丸め、手に持った竹へ顔を近づけている。その様子を講師のおじさんが苦笑しながら見ていた。アマキはため息を吐く。


「シロ、そんな顔近づけたら危ないから。てか、屋内なんだしサングラス取りなよ。それしてるからよく見えないんでしょ?」

「いや、大丈夫。もう、ちょっとで……」


 言った直後、シロは「よし!」とガッツポーズをして身体を起こした。そして嬉しそうにアマキに顔を向ける。


「見て、アマキ! ほら、出来た!」


 そう言って彼女が掲げたそれは竹とんぼだ。講師の人が削ってくれたプロペラ部分を軸に差して組み立てるという、子供でも出来る簡単な作業だったのだが、完成させたのはグループの中でシロが一番最後だった。しかし、シロはそんなことは気にもしていないのか「よし、アマキ。飛ばしてみよう」と意気揚々とテントを飛び出していく。


「ああ、シロ。飛ばすのはちゃんと決められた場所でね?」

「わかってる!」


 そんな声だけが返ってきた。アマキはため息を吐くと講師のおじさんに「ありがとうございました」と深く頭を下げる。


「いや、なに。ちゃんと飛ぶといいな」


 おじさんはどこか優しい口調でそう言うと、シロが走って行った方へ視線を向けた。手がかかる子ほど可愛い、というやつかもしれない。アマキはもう一度礼をしてからシロの後を追った。

 指定された広場へ行ってみるとシロは竹とんぼを飛ばす様子もなく、なぜかその場に立ち尽くしていた。どうやらスマホを見ているようだ。


「飛ばさないの? 竹とんぼ」


 後ろから声をかけると、彼女は「いま、調べてるから」とスマホから顔を上げることなく言う。


「なにを?」

「竹とんぼの飛ばし方」

「……知らないのに勢いよく走ってきたの?」


 シロは答えず、ただスマホを見つめている。アマキは笑って「スマホじゃよくわかんないでしょ」と自分が作った竹とんぼを掲げる。シロは不思議そうに首を傾げながら顔を上げた。


「こうやって飛ばすんだよ。まあ、わたしも上手じゃないけど」


 言いながら竹とんぼの軸を両手で挟み、勢いよく右手を前方へ押し出した。すると竹とんぼはグルグルとプロペラを回転させながら上昇し、そしてすぐに落ちてきた。飛行高度、飛距離ともに一メートルといったところ。


「……まあ、結果はともかくとして、こんな感じ」

「なるほど」


 シロは頷くと、自分も竹とんぼを両手で挟んだ。そして同じように勢いよく右手を前方へと押し出す。シロの手から離れた竹とんぼは勢いよく青い空へと上がっていく。


「おお、飛んだ」

「飛んだね」

「めっちゃ飛んだよ、アマキ」

「うん。これはかなり……」


 シロの竹とんぼは予想外によく飛んだ。同じ飛ばし方をしたはずなのになぜだろう。きっとプロペラの具合が違うのだ。あのおじさんはシロ贔屓だったのだ。

 そんなことを思いながら竹とんぼの行く末へ視線をやる。そして「あ! やばいよ、シロ」と声を出した。


「広場から出て行っちゃうって、あれ!」

「ま、待て! 竹とんぼ!」


 慌ててシロが竹とんぼを追いかける。その後にアマキも続いたが、どう考えても間に合わない。シロの竹とんぼは広場の出入り口付近に立っていたグループに向かって落ちていく。


「そこの人、どいて!」


 シロの声が聞こえた。次の瞬間、グループのうちの背の高い男性が見事に竹とんぼをキャッチしてしまった。ホッとしたのも束の間、すぐにシロの「うわっ」という声が響いてきた。見ると、彼女は勢い余ってグループに突っ込んでしまったようだ。


「おお、危なぁ……」


 聞き覚えのある女の声の後に、カシャンと何かが落ちる音が続く。アマキは息を切らせてシロに追いつくと「あの、すみません!」と謝ってからシロの腕を引っ張って腰を屈めた。

 シロは呆然とした表情でアマキを振り返る。その顔にサングラスがない。反射的に地面を見ると、落ちていたサングラスをグループのうちの誰かが拾い上げるところだった。


「シロ、怪我は?」

「……大丈夫」


 シロは無言で頷く。しかし、なんだか様子が変だ。顔が青ざめている。転びそうになって驚いたのだろうか。

 アマキはシロの頭を撫でてやりながら「すみませんでした」と目の前のグループに視線を向けた。そして「え……」と目を丸くする。


「よ、フジ。偶然?」


 そう言って両手一杯に屋台のメニューを抱えた女性がニッと笑みを浮かべた。いつも学校で見慣れている笑顔。碧菜だ。


「偶然すぎない?」


 アマキは苦笑いを浮かべて彼女の両隣に立つ男女を見る。男性の方は知らないが、女性の方には見覚えがある。


「たしか隣のクラスの……」


 アマキが言うと碧菜は「そうそう」と頷いた。


「二組のマッキー。で、こっちは三組のナベ」


 碧菜が誰かを紹介するときにフルネームを言わないのはいつものことなので気にしない。どうせフルネームを聞いたところで明日になったら忘れている。


「で、彼女は天鬼一藤ちゃん」

「……なんでわたしだけフルネーム紹介」

「なんとなく」


 碧菜は笑うと後ろを振り返った。


「でー、あっちから大量に屋台で買ったものを持ってきてる二人がカヤマとサッチー」

「まだいたのか」


 呟きながらそちらへ視線を向けると人混みの中、必死にこちらへ駆けて来ようとしている男女がいた。二人とも背が高いのか、人混みの中でも居場所がよくわかる。ナベと呼ばれた彼も、かなり背が高い。バスケ部かバレー部といったところだろう。

 そのとき、クイッと服の裾を引っ張られた。下を見ると身体を小さく丸めるようにしたシロが何かに怯えるようにアマキにしがみついていた。


「ん、どした? 怖くない人たちだよ? なんかデカいけど」

「バスケ部だからねぇ」

「ああ、やっぱり」


 アマキは納得しながらナベの手元を見る。そこには竹とんぼが握られている。


「あ、これ。その子の?」


 アマキの視線に気づいたのかナベが竹とんぼを差し出した。シロは顔を上げようともせず、ただ手を伸ばす。ナベは怪訝そうな表情で竹とんぼを彼女に手渡した。


「お礼は?」


 しかしシロは俯いてアマキにしがみついたまま何も言わない。どうしたのだろう。いつものシロらしくない。思いながらアマキはナベに「ありがとうね」と礼を言う。


「いや、別に……」


 彼はそう言うと、なぜか照れたように視線を逸らした。不思議に思っていると「この子、フジの妹?」と碧菜がシロの顔を覗き込んだ。


「んー、あんま似てないね?」

「いや、妹では――」

「離れて」


 突然、シロは低くそう言うとギュッとアマキにしがみつき、顔を押しつけてきた。碧菜は「へ?」と驚いたように目を丸くしている。


「ちょっと、シロ? どうした?」


 聞いてみるも彼女はグリグリとアマキに顔を押しつけてくるばかりだ。


「あー、もしかして人見知り?」

「あんたがデカいから怖いんじゃない?」

「え。俺?」


 三人が困惑したように顔を見合わせている。そのとき、マッキーが気づいたように「あ、これって妹さんの? さっき落ちたの拾ったんだけど」とサングラスをアマキの方に差し出してきた。その瞬間、シロがバッと顔を上げた。同時に「あー、やっと辿り着いた」と近くで声が響く。


「おっそいよ、カヤマもサッチーも」

「いや、これ零さずに辿り着いただけでも褒めてほしいぞ?」

「そうそう。これ全部アオのリクエストでしょ? 遠慮なさすぎ」


 響いてくる楽しそうな笑い声。マッキーはシロのサングラスを持ったままだ。アマキはシロに視線を向ける。気のせいか、肩が小刻みに震えている。やはり様子がおかしい。


「シロ?」


 顔を覗き込むと、彼女の瞳は焦点が定まっていないように見えた。顔色もますます青白い。日差しのせいで気分が悪くなったのだろうか。それとも熱中症になりかけているのか。慌ててアマキは「マッキー」と口を開いた。


「え?」

「その、サングラスを――」

「あ、そっかそっか。ごめんねー」


 マッキーは言いながらサングラスを差し出す、しかしそれをなぜか碧菜が手に取った。


「へー、妹ちゃんってオシャレだね!」


 彼女はそう言うと珍しそうにサングラスを眺めて笑みを浮かべる。


「このブランド、オーダーメイドしか作らないでしょ? けっこう高いやつ。いいなぁ。わたしも欲しい。フジが買ってあげたの? あ、それともフジのを貸してんの?」

「いや、どっちも違う。ていうか、返してあげて?」

「ああ、うん。はいよ、妹ちゃん」


 碧菜がサングラスをシロに差し出す。その瞬間、シロは苦しそうに両手を口元に当ててうずくまった。


「シロ!」

「え! ちょ、大丈夫?」


 慌てて肩を掴んだ碧菜の手を身体全体で振り払ったシロは、そのままアマキに倒れかかってきた。アマキは彼女を抱きとめながら「大丈夫? 気持ち悪いの?」と問う。


「――ちょっと、酔った」


 そう言った彼女の声はひどく苦しそうだ。


「えっと、救急車呼ぶ?」


 心配そうにシロを見ながら碧菜が言う。その隣でナベが「あっちに救護テントみたいなのあったけど」と、どこか遠い場所を指差した。


「あー、いや。たぶん人混みに酔ったんだと思う。この広場のベンチでちょっと休ませるから」

「そう。ついてようか?」


 碧菜の言葉にアマキはシロを見下ろす。彼女はアマキにしがみつきながら首を左右に振った。


「いや、平気」

「そっか……。あ、これ」

「うん。ありがとね、アオ」


 差し出されたサングラスを受け取りながらアマキは礼を言う。


「これもやるよ。妹さんに」


 言って、ナベが手に持っていたスポーツドリンクのペットボトルを差し出した。


「さっき買ったやつだから、まだ冷たいと思う」

「ああ、うん。ありがとう」

「おう」


 彼はそう言うと再び視線を逸らしてしまった。なかなか目が合わない。避けられているような気がするが、今はとりあえずどうでもいい。アマキは「じゃあ」と笑みを浮かべた。


「ごめんね。楽しんでるところ邪魔しちゃって」

「そんなことないけど……」


 碧菜は心配そうにシロへ視線を向ける。


「何かあったら連絡して? すぐ飛んでくるから」

「ほんとに飛んできそうだな」


 アマキは苦笑する。


「来るよ。光速で飛んでくる」


 碧菜は笑ってそう言うと「じゃ、お大事にね? 妹ちゃん」とシロに手を振った。しかし、シロがそれに答えることはなかった。


「……シロ、歩ける?」


 碧菜たちを見送ってからアマキは声をかける。


「うん。歩ける」


 思ったよりもしっかりとした声が返ってきた。アマキはシロにサングラスをかけてやると、彼女の細い肩を抱えるようにしながら広場に戻った。

 広場のベンチには先客がいたが、シロの様子を見るとすぐに譲ってくれた。譲られたベンチはちょうど建物の影になっていて、時折吹き抜けていく柔らかな風が心地良い。


「シロ、ほら。寄りかかっていいから」


 ベンチに座りながらシロの身体を自分の方へと傾ける。すると、シロは緩慢とした動きで身体を倒してアマキの足に頭を乗せた。


「うーん。膝枕か……」

「ダメ?」


 掠れた声が問う。アマキは息を吐きながら微笑んだ。


「いいよ。で、具合は? 吐き気とか」

「大丈夫」

「まったく大丈夫そうには見えないけど。顔、白いよ」


 言いながらアマキはシロの頬に手をあてた。どちらかというと冷たいので熱中症ではないのだろう。寝転んだまま掛けているサングラスが太ももに当たって少し痛い。このままだとフレームも変形してしまいそうだ。


「シロ。これ、外していい?」

「待って」


 そう言うとシロは少し身体を起こして仰向けになった。そして自分でサングラスを外すと腹の上に置く。


「落とさないでよ?」


 言いながら、アマキはシロの前髪を掻き上げてやる。彼女は眩しそうに目を細めた。


「一体どうしたの。シロ」

「酔った」

「それはさっきも聞いたけど。何に? 人混み?」

「人混みの、色」


 よく意味がわからない。アマキは眉を寄せながらシロを見下ろす。彼女はまっすぐにアマキのことを見上げていた。


「ふうん……。そっか」


 頷きながらアマキは広場の向こうに視線を向ける。賑やかな通りには、祭りを楽しむ人々が笑顔で通り過ぎていく姿がある。

 察するところ、おそらくシロは人が多いところが苦手だったのだろう。最初にそう言ってくれたら祭りになど誘わなかったのに。


 どうして来たのだろう。

 無理をしなくても良かったのに。


 人の流れを眺めながらぼんやり考えていると「ごめんなさい」と消え入りそうなシロの声がした。視線を下ろすと彼女はアマキを見上げたまま「ごめんなさい」と悲しそうに繰り返す。


「ん、なにが?」

「アマキ、お祭りを楽しめなくなったでしょ」

「いやいや、別にそんなことは――」

「あの人たちに失礼な態度をとった」

「あー……」


 しかし、それは体調のせいであって、わざとそういう態度をとったわけではないだろう。アマキはため息を吐いてシロの頭を撫でてやる。


「ま、別に気にしないでいいよ。あ、そうだ。スポドリもらったんだけど、いる?」

「……ごめんなさい」


 シロは両手で顔を隠してしまった。その動作によって彼女のお腹に置いていたサングラスが落ちそうになり、慌ててアマキはそれを手に取る。

 ごめんなさい、と彼女は繰り返す。


「いいってば」


 答えながら彼女の頭を撫でながらサラサラの髪を指ですくう。

 おそらくシロが無理をしてまでこの祭りに来たのは、アマキがこの祭りを楽しみにしていると思ったからなのだろう。


 ――わたしのため、か。


 アマキは微笑む。

 シロは細かくてきっちりした性格をしている。そして体調を崩すほど人混みが苦手。そんな苦手な人混みを我慢してでも他人のために行動しようとする。そんな優しい子のようだ。

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