あなたの指を食べたい
彼女を見たのは、ほとんど無意識だった。
太陽が照りつける蒸し暑い真昼の授業。風通しの悪い体育館の中で行われたバスケットボールの試合。誰もが汗を掻いて、
「だるい」「暑い、死ぬ」「もー無理」
などと文句を言いながら、走っているとも言い難い速さの走りを見せていた。気だるそうに弾むボールをまともに追いかけている人間はそう居ない。
雨無梨生もまた、その一人であった。それどころか、バスケの試合にさえ参加せずに「体調があまり良くない」とあながち嘘とも言えない理由で体育館の端っこに座り込んでいた。風邪を引いた時のように、暑さにゆだる身体は怠い。
「梨生ちゃん、またサボってるのー?」
親しげに話しかけてくるこの女は、一体誰だったか。梨生は今しがた顔を覗き込んできた少女を一瞥し、すぐさま興味を失った。梨生が反応を示さないことに不満を感じたらしい少女は唇を尖らせ、つまらなそうに身を翻した。他の友人のところへ戻るらしい。梨生の耳に、
「梨生ちゃんに無視されたー」
「また話しかけたの? 飽きないねえ」
「雨無さんはあたしらみたいなバカには興味無いんだって!」
内容の割に楽しげな声で交わされる会話が届く。こういう類の話は大抵本人に聞こえるように言っていることが多い。梨生はまとわりついてくるねっとりとした空気を払うように息を吐いた。
やっぱり、保健室にでも行ってサボろうかな。
そう考えた時、
「ハナー! ナイッシュー!」
耳に飛び込んできた声にふと顔を向けた。
明るく柔らかそうな茶髪を高いところで一つにまとめている、女性の中では長身に部類されるだろう少女が目に入る。友人なのか、にかりと笑って彼女――ハナの背中を叩く黒髪ショートの少女に、ハナは嬉しそうに笑みを返した。
ジーワジーワとさんざめく蝉の鳴き声。
遠くから聞こえてくる少年少女の気怠い声や楽しげな声。
バスケットボールが弾む音と、体育館の床をキュッキュッと踏み締めるシューズの音。
ハナの額に滲む汗が耳の横を通って肌を滑り落ちていく様子が、やけに鮮明に見えた。
ハナの指が汗を拭う。
どくん、と心臓が大きく鳴った気がした。
◇
最近、いや、大学に入ってからずっと……いや、高校生の時から熱視線を向けられていることには気付いていた。けれど、高校生の時は気のせいだと思っていたし、そもそも、そんな熱の籠もった視線を向けられる覚えがなくて、酷く戸惑った。最初は何か悪いことをしてしまったのかと思ったほどだ。
講義を受けるために机にノートや教科書等を広げ、友人と雑談していた唐沢花菜はなんとなしに顔を上げて、講義室の前方入り口から入ってきた雨無梨生と視線が絡み合い心臓を跳ね上げた。
「ハナ、どした?」
「う、ううん。何でもない」
隣席に座る友人が首を傾げ、ハナは誤魔化すように笑みを浮かべた。ハナが友人と隣り合って座っている席は講義室の後ろの方で、前から入ってきた梨生とは大分距離が空いている。だというのに、梨生から目を逸らす前に、彼女の目にやけに色っぽい熱が灯されたように見えてしまって胸がざわついた。ハナは心を落ち着けるためにふう、と息を吐く。勘違いに決まっているのに、恥ずかしい。
ハナと梨生は高校の同級生だ。二年生の時に同じクラスになったけれど、一度も会話らしい会話をしたことがない。いつも無表情で、感情の起伏がほとんどない女の子。さらさらの短い黒髪は中性的な顔立ちの彼女を男の子っぽく見せて、少し、格好良い。教師から発言を求められた時に聞いた梨生の声は印象通り女の子にしては低めで、それがますます梨生を「男の子のような女の子」にさせた。
「雨無さんが男の子だったら好きになっちゃうかも」
と、クラスの女の子たちがまことしやかに囁いていたことをハナは知っていた。けれど、あくまで「男の子だったら」という仮定の話であって、群れることが正義であるような女子高生の中で梨生は明らかに浮いていた。梨生は周りのノリに合わせることをしなかった。男の子なら「クールで格好良い」けれど、女の子なら「ノリが悪くて癇にさわる子」になる。段々と、梨生の話には悪口が混ざるようになっていった。
きっと、その話は梨生の耳にも入っていたのではないかとハナは思う。学校という場所は人が多くて広いように見えても、その実、とても狭い世界だ。
そんなある意味有名だった梨生とやたら目が合うようになったきっかけは、ハナにもよくわからない。だけれども、
「……わたしも、見てるってことなんだよなあ……」
ぽつり。ハナは机に突っ伏して呟いた。隣の友人が何事かと自分を見る気配には気付いたが、知らない振りをした。頬に熱が集まってくる。
そう。梨生と目が合う、ということは。それはつまり、ハナ自身も梨生のことを見ているということになる。
だって、仕方ないじゃない。あんなに見られるんだもの。わたしだって、気になるに決まってる。
ハナは心の中で言い訳を並べ立てた。それに、だ。ハナは、周りに合わせず、自身に関する噂をものともせず、堂々と振る舞う梨生のことを格好良いと思っていた。わたしみたいな背が高いだけが取り柄のパッとしない女が話しかけるなんて烏滸がましい、孤高の存在。それが、ハナにとっての雨無梨生だった。
ハナの頭上で講義開始を告げる鐘が鳴る。ハナは身体を起こし、ふーっと息を吐いた。
今は講義に集中しよう。
根が真面目なハナは隣でスマホを弄っている友人を尻目に、さして楽しくもない教授の話をノートに書き続けた。
◇
目の前に、あの雨無梨生が立っている。
ハナは唖然として、ただ梨生の顔を見つめた。相変わらず無表情を貫いている梨生からは何も感情が読み取れない。
友人には先に図書館に行ってもらった。ハナは梨生と話をしてから合流しようと思い、友人に断りを入れて、どきどきとしながら梨生と向き合ったのだけれど。
ねえ、と呼び止めてきた梨生は一向に喋ろうとしない。ハナは困惑する他ない。高校の同級生ではあるけれど、まともな会話もしたことがないのだ。久しぶり、と声を掛けるには馴れ馴れしい気がする。良いように言うならば「目だけで会話をしていた関係」だ。何度も何度も目が合って、ハナは梨生の瞳から隠しきれない――もしくは、隠すつもりのない――感情をぶつけられていた。ハナから梨生に伝わるものはあったのか、それは梨生に聞かない限りわからないけれど。
「あのう……何か用かな」
迷いに迷って、ハナは梨生の様子を窺うように訊ねた。どのような調子で話しかけていいものかわからず、結果、何処か素っ気ない雰囲気になってしまった。
「ずっと見てたんだけど」
梨生が唇を開いた。ハナは初めて自分に向けられた梨生の声に感動を覚えた。授業中、先生にだけ向けられていた声が、今はわたし宛てに届けられている。何だか大好きなアーティストとライブで目が合ったような高揚感だ。
「よく、目が合うよね」
ハナは俯き加減に言った。緊張で声が震えている。こちらの動揺が伝わってしまっただろうかとちらりと梨生の様子を窺うと、梨生はハナから目を逸らし、廊下の窓の外を眺めた。窓から差し込む光が梨生の横顔を照らし、ハナは美術館に展示されている絵画を見ている心地になり、ほう、と感嘆の息を吐いた。
「高二の時同じクラスだったんだけど、覚えてる?」
遠慮がちにハナが訊ねると、梨生は顔の向きを元に戻してあっさりと頷いた。ハナの胸の内に喜びがぶわりと湧いて、ハナは自身の感情に驚いて再び目を伏せた。密かに格好良いと思っていた女の子に覚えていてもらえて嬉しい。これでは本当に梨生のファンみたいだ、とハナは小さく苦笑を漏らした。
「その時から、ずっと見てた」
梨生はこともなげに言ってのけた。
「そ、そうなんだ」
「うん。それで、お願いがあるんだけど」
「お願い?」
ハナは顔を上げて首を傾げ、続きを促した。
「モデルになってほしい」
「モデル?」
「そう。カメラの」
「カメラマンなの?」
「趣味で撮ってる」
ハナは目をぱちくりさせ、それから何故わたしをモデルにしたがるのか、と疑問に思った。
「唐沢さんの、裸を撮りたいんだけど」
「――はい!?」
ハナは素っ頓狂な声を上げた。もしかして聞き間違いだろうかと思って梨生を見つめるが、梨生は再度「裸」とだけ言った。
「え、いや……え?」
「だめ?」
「だめ、と言うか、その」
「綺麗だと思ったんだ。唐沢さん」
梨生の言葉に、ハナはどきりとした。綺麗だなんて、初めて言われた。
「だめ?」
小首を傾げる梨生が、ハナの目には何だか輝いて見えた。格好良いと思っていた女の子が、その仕草で急に可愛く見えてくる。格好良くて、おまけに可愛いなんて卑怯だ。ハナは梨生から顔を背け、唇を食んだ。
「あ、あの、どうして、わたしなの?」
ハナが困惑を表情に浮かべながら訊ねると、梨生は目線だけで先を促した。ハナは目線をうろうろと彷徨わせながら口を開く。
「ほら、あの、わたしって背が高いだけで、特別可愛くもないし。その、もっと、小柄で可愛らしい子がいるんじゃないかなって……思って」
ハナは尻すぼみに言った。梨生は「綺麗だと思った」と言ってくれているというのに、それを自虐で返すなんて、梨生に失礼だったかもしれない。ハナは自己嫌悪に苛まれ、眉尻を下げる。
「他の子には興味ないかな」
こともなげに言ってきた梨生に、ハナはパッと顔を上げた。ハナの目線よりも少し下にある梨生の整った顔が、まっすぐにハナに向けられている。
「唐沢さんは綺麗だよ。別に、他の子より背が高くても良いと思うけど。それが唐沢さんなんだし……どうして気にするのか、よくわからないな」
ハナは呆気に取られて梨生を見つめた。梨生は少々居心地の悪そうにハナから目を逸らし、わずかに眉を顰める。
「……ありがとう」
ハナはじわじわと胸の奥から滲んでくる喜びにぎゅっと目を瞑った。周りの女の子たちよりも背が高いことは昔からコンプレックスだった筈なのに、どうしてこうも、たった一言で腹の底で渦巻いていた靄が取り払われるのだろうか。梨生が周囲の言葉なんて気にしないで堂々と生きる人だから? そんな彼女の姿に憧れを覚えているから? ハナは胸を擽られているようだった。
「あのさ」
梨生の声が耳に届き、ハナは瞼を持ち上げた。視界に映った梨生が軽く息を吐く。
「唐沢さんが嫌なら諦めるよ。……仕方ないから、他の子に頼んでみようかな」
「――だ、だめ!」
ハナは咄嗟に叫んでいた。梨生は目を丸める。だめって何、と梨生に問われると、ハナはそれに答えることなく勢いのままに返した。
「モデル、やります!」
◇
「あ、雨無さんの家?」
「うん」
撮影場所へと向かう道すがら、「今日うちの親いないから」と梨生は背中で続けた。ハナはごくりと生唾を飲み込んだ。そんな陳腐な、しかし今も至るところで使い続けられているであろうセリフを聞くことになるとは。しかも、ちょっと格好良いと思っている――女の子から。
ハナが返事を出来ずにいると、梨生が立ち止まって振り返り、にやりと笑った。
「何、ホテルの方が良い?」
雨無さんって、そんな笑い方するんだ。ぼーっとして梨生の顔を見つめていると、梨生は表情を消し、深緑色のスプリングコードの裾を翻して再び歩き始めた。ハナはハッと我に返って梨生を追いかける。
「ホ、ホテルとか行ったことあるの……?」
梨生の背中に問いかける。今度はうんともすんとも言わずに、梨生はただ歩き続けた。
「誰と行ったのかなー」
ハナはむっとして続けて訊ねた。どうしてこんなにモヤモヤするんだろう。別に雨無さんが何処で誰といたってわたしには関係ないじゃない。
「気になるの」
梨生は訊ね返した。ハナは言葉に詰まり「あー」だの「うー」だのと意味もない言葉を発する。
「行ったことないから、安心して良いよ」
「あ、安心って何!?」
ハナは自分の頬がぶわっと赤くなったのがわかった。梨生はハナに顔を向けて面白そうに笑みを浮かべる。
「さあ」
含みを持たせた、色気のある声だ。ハナはぶるんと首を振って湧き上がってくる熱を振り払おうとした。それから、大学で話しかけられてからずっと気に掛かっていたことを訊ねる。
「あの、わたしのことずっと見てたって言っていたけど、いつから……?」
「ああ、そのこと。高校のバスケの授業でコートの中を駆け回っている唐沢さんを見てからかな」
「ふうん……」
何てことないように答えが返ってきて、ハナは気恥ずかしくなった。その時のわたしは格好悪い姿を見せてはいなかっただろうか。ハナは唇に人差し指の腹を押し当てた。今さら考えても仕方のないことだけれど、バスケの授業と言うことは汗を掻いていたり、髪が乱れていたりしていたかもしれないし。それを梨生に見られていたかと思うと居たたまれない。
「いいなって思った」
ふわり、と春の風のように優しい声が耳に届いて、ハナは無性に梨生の顔が見たくなった。ハナはそっと梨生の顔を覗く。梨生の表情は柔らかく、梨生の想い――そう、いつも梨生がその瞳に込めていた熱い想いだ――が滲んでいるように見えて、ハナはどきどきとした。こんなことで、わたしの心臓はもつのだろうか。ハナは拳を握った。手のひらにじんわりと汗が滲んでいることがわかって、ますます緊張した。
本当に写真を撮るだけで終わるのだろうか。ほら、友人から聞いたことがあるじゃない。カメラマンの中には、写真を撮ると言ってモデルをホテルに連れ込んで、ヌード写真を撮った後に……あるいは写真を撮りもせずに、そのまま――
ハナは何度も首を振り、頭に浮かんだ色めいた妄想を消し去ろうとした。先ほどから跳ねてばかりの心臓は、もしかしてその妄想が現実になることを期待しているのだろうか。い、いやいや、そんな。
「唐沢さん」
梨生がハナをじっと見た。ハナは梨生を見つめ返すも、梨生の目を見つめてしまうとハナの胸に秘められた熱が溢れ出てしまいそうで。ハナは短く息を吐いた。
梨生は何も言わず、小さく笑みを漏らした。
◇
「今日うちの親いない」って、そもそもひとり暮らしじゃないか。ハナはぶすりと頬を膨らませた。
梨生の自宅は八畳部屋のある1Kで、広めのキッチンとトイレ・バス別という住み心地の良さそうな印象を受けた。入って正面には大きなガラス窓があり、閉められた白地のレースカーテンから柔らかく光が差し込んでいる。窓側に薄いグレーの枕が置かれたシングルベッド、その横に焦げ茶基調のガラスのローテーブルと二人掛けのソファ。壁に掛けられているコルクボードには、梨生が撮影したものなのか、この地域周辺の公園や大学構内で撮ったと思われる写真が貼られている。
「適当に座ってて」
梨生はキッチンの冷蔵庫を開けながら言った。ハナは部屋を見回し、遠慮がちにベッドに腰を下ろした。二人分のコップに麦茶を注いで部屋に持ってきた梨生はハナを見て口角を上げる。
「そこに座ったんだ」
はい、と梨生はハナにコップを渡す。礼を言いながら受け取ったハナは梨生の言葉の意味を考え小首を傾げる。コップに口をつけ麦茶を含んだ瞬間言葉の意味が思い当たり、麦茶を噴き出しそうになって口元を抑えた。慌てて飲み込もうとして気管に入り思いっきり咽せる。頬を赤く染めて咳き込むハナに梨生は呆れ顔をした。
「何してんの」
「げほっ、だって、雨、無さんが……!」
「わたしは何も言ってないけど」
梨生は澄ました顔でごくりと麦茶を飲んだ。口元からコップを離し、口の端から漏れた麦茶を親指で拭う。その一連の動作をハナは目を縫い付けられたように見ていた。す、と梨生が目を動かしてベッドに座るハナを見下ろす。その表情が扇情的で、ハナの胸は早鐘を打った。
「あ、あの、雨無さんって、“わたし”って言うんだね」
高鳴る鼓動を誤魔化すようにハナは言った。梨生は唇を薄く開き感情の読めない目でハナを見る。ハナは何か可笑しなことを言ってしまったかと焦りを覚えた。やがて、梨生が軽く溜め息を吐く。
「なに。わたしがそう言っちゃ不味いことでもあるの」
「えっ、いや、あの……ごめんなさい。嫌な気持ちにさせたら申し訳ないんだけど、その、雨無さんのこと、男の子みたいだなあって思っていたから」
ハナは気まずそうに眉尻を下げて頬を掻いた。
「“僕”って言いそうだなあ……なんて」
梨生は鼻で笑った。
「へえ、そうなんだ」
「ご、ごめんね。似合うと思ったと言うか、悪気はなかったんだけど」
「いいよ」
と言って、梨生は空になったコップをガラステーブルの上に置いた。ハナと向き合って柔く目を細める。
「唐沢さんがそう言うなら、“僕”って言ってあげようか」
「へ!?」
「似合うんでしょ」
「え、うん、そう、なんだけど」
ハナはしどろもどろに答えた。梨生の目がハナを捉えて離さず、ハナは気恥ずかしくなって俯いた。そわそわと落ち着かず徒に髪を弄る。そこへ畳み掛けるように、
「じゃあ、さっさと脱いで」
と、梨生がさらっと言うので、ハナはぎょっと目を剥いた。思わず自身の身体を守るように抱き締める。その様子を見て梨生は眉根を寄せた。
「唐沢さんから“やる”って言ってきたんだけどな」
「ご、ごめ……心の準備が」
「脱がしてあげようか。……僕が」
いつもより少し低めの声がハナの耳を嬲った。梨生の目線がハナの身体をなぞるように動き、ハナは全身が擽られたようにぴくりと反応した。目だけで肌に触れられている感覚に陥り、羞恥心が湧きあがる。
梨生の表情が、目が、女を狙う獰猛な光を宿した男のそれに見える。ハナの要望通り――ハッキリと告げたわけではないが――自身を「僕」と言う梨生はますます美しい男の子で、しかし、男であれば存在しない筈の胸の膨らみが梨生にはあり、それが酷くアンバランスだ。けれど、そのアンバランスさがハナには魅力的で。
――恋を、している。
ハナの胸の奥に少しずつ降り積もっていた憧れが輪郭を持ち始め、熱を帯びた。
女の子を好きになるなんて、思わなかった。ハナは震える息を吐き出した。……いや、まだ、好きなのかなんてわからない。格好良いと思っていた女の子との距離が突然縮まって、わたしのコンプレックスを軽くしてくれて、その女の子がわたしを被写体にヌード写真を撮りたい、だなんて思いも寄らないことを言うから。だから、この脈打つ鼓動を、身体に点る熱を、恋だと勘違いしているのかもしれない。でも、だけど、このまま梨生に何をされても良いと思うのは、この瞬間の、間違いない本心だった。
梨生がゆっくりとハナを押し倒す。耳の裏で聞こえている鼓動の音は、一体どちらのものだろう。ハナは濡れた瞳で梨生を見つめた。
「ねえ」
梨生はハナの頬にそっと指を這わせた。
「本当に、写真を撮ると思って来たの?」
少し嘲るような声色とは裏腹に、梨生は優しげに微笑んだ。細めた瞳は喜色に彩られ、ハナを撫でる目線には甘さがたっぷりと塗されている。その甘やかな香りが鼻腔を満たし、ハナはくらくらとした。
梨生の手がハナのブラウスのボタンを一つずつ外していく。ハナは羞恥で身体が燃える思いだった。梨生は露わになったハナの胸元をするりと撫でると、ふっと吐息で笑い、撫でた肌に唇を落とした。ハナはびくりと身体を震わせ、両手で口元を押さえる。押さえなければ、今にも心臓が飛び出てしまいそうだった。胸元から顔を上げた梨生がハナの左手を取り、ハナの顔の横に沈めた。梨生は自身の指とハナの指を絡めてぎゅっと握った。
ハナは熱に浮かされた瞳で梨生に訊ねる。
「雨無さんって、レズなの?」
その声には抑えきれない期待が乗せられていた。普段の自分の声とは違う、白砂糖が塗されたような甘い声が溢れたことに、ハナは背中を震わせた。
「……唐沢さんが女で」
梨生はそこで言葉を切り、指を絡めたハナの手を自身の顔まで持ち上げ、その手の甲に唇を落とした。目だけをハナに向け、微笑む。ハナの手の甲に掠める唇が、ハナの胸を擽るようだった。
「僕も女だから、レズかもしれないね」
梨生の欲を孕んだ瞳がハナを捉えて離さない。
自分と同じ熱を灯したハナの瞳を見てにやりと笑った梨生は、捕まえたハナの人差し指を赤い舌でぺろりと舐め、味わうように口に含み甘噛みした。
ああ、わたしも、そうなのかも。
ハナは熱い息を漏らし、身体の奥底から湧き上がってくる劣情が瞳から梨生に伝わってしまわないように、そっと瞼を下ろした。