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【第二章・少女侯爵】01

 翌日は、風呂屋が開く正午を待ってから湯浴みに出かけ、南方王国(ラディーニア)産の石鹸でサッパリと全身を洗い、ついでに銘々の下着やシャツを洗濯し、よく陽の当たる宿屋の屋根の上に干させてもらってから、屋台で買ったミートパイと茹でた青豆を食べ、ベルノは麦酒(エール)を、ルーは砂糖で甘くした冷たい香草茶を飲んで過ごした。

 この時は、伯爵夫人から騙し取った金もたんまりあるし、次の抗呪術師の仕事が見つかるまでのんびり過ごそう、と呑気に考えていたのだが、そう甘くないのが運命というものだ。散々の逃避行の後に、やっと一息つき、硬い寝台で午後の惰眠をむさぼっている最中──

 またもやベルノは襲撃されたのであった。


   †††


 宿屋の表の通りから聞こえて来たのは、雷鳴にも似た馬蹄の音。

 下街の狭い道を馬で疾駆している阿呆がいる。

 にわかに騒がしくなったと思ったら、騒音の主たちはベルノとルーの泊まっている宿屋の前で馬を停め、おもむろに玄関扉を叩き開けた。

「主人はいるか? 聞きたい事があるっ!」

 居丈高な口ぶりは士族のものだ。しかし、こんな下街にやってくるという事は領地を持たない下級の子弟に違いない。位の高い大貴族に仕え、せいぜい騎士に叙勲されるのを一生の望みにしている程度の輩だ。彼等は口々に何事かを喚きながら宿屋にどかどかと踏み込んできた。

 騒ぎが起こった部屋の真上──硬い板の上で午後の惰眠を貪っていたベルノとルーは必然的に叩き起こされた。

「うるせえなぁ……なんの騒ぎだよ……」

 ごしごしと目をこすりながら部屋の扉を開け、物音を立てないようにそっと階段の下を覗き込むと、カウンターのある狭い部屋に、揃いの黒い装束に身を包んだ筋骨隆々の大男が十人ほども押し掛けている。マントに染め抜かれた、盾に竜とアカンサスの図柄は、間違いなくダンジュール侯爵の紋章だ。それを身に帯びているということは、彼等は城に仕える衛兵である。

 腰の大剣に手をかけながら、宿屋の主人を取り囲んで荒々しい口調で問い質す。

「魔物憑きのヴァンディールはどこだ? ここにいるのはわかっているのだ。隠し立てすると身の為にならぬぞっ!」

「そ、そんな、うちはただの真面目な宿屋でございます……」

 うげっ、とベルノは踏みつぶされた蛙のような声を出した。いったいぜんたい、どうしてバレたのか……

 宿屋の主人はおろおろと視線を泳がせた。

「な、なんのことだか、私にはさっぱり……」

「とぼけているのか? 魔物憑きは瞳の色でそれとわかる。気味の悪い虹色の目をした奴がいるだろう?」

「と、とんでもないっ! 本当に何も分からんのですっ!」

「くそっ、無知な輩はこれだから腹が立つ!」

 宿屋の主人はどうしていいのかわからずに、ただおろおろと狼狽えるばかりだ。思い当たる人物と言えば、屋根裏部屋に泊めた赤毛の男しかいないのだが、昨夜、投宿の手続きをした際には薄暗くて瞳の色は見えなかった。

 ベルノは階下のやり取りを尻目に、がしがしと髪を掻き乱した。クラヴィス伯爵領で嫌な思いをしたばかりなのだ。国は違えど衛兵の類には近寄りたくなかった……

「あ~あ、参ったなぁ……」

 乱暴な衛兵たちに詰め寄られ本気で狼狽えている様子から、宿屋の主人に騙されたわけではないと察しがつく。

 では誰が密告したのか?

 衛兵の背後からサッと、見覚えのあるごろつきが一人歩み出た。宿屋の主人を怒鳴っている衛兵とは別の、一番威張った雰囲気の髭面の衛兵に向かって、びしっと敬礼してから声を張り上げる。

「隊長殿、魔物憑きは上の客室にいるはずです! 不気味な虹色の瞳を見ました。奴は間違いなくヴァンディールです! すべては女神の御導きに違いありません。昨夜、花街の人混みで偶然奴に遭遇し、一度は見失ったのですが、幸運にも風呂屋で発見しまして、我が身の危険も顧みず、この宿まで尾行してきたのです!」

 ああ、とベルノは得心してうめいた。確かに昨夜、娼妓達がしつこく客引きをしていた花街の人混みで、風体の悪い男にぶつかって瞳を見られた。思い返してみればあの男だ。残念ながら酔って勘違いをしたとは思ってくれなかったらしい。それにしても……

「生真面目に衛兵に訴え出るとは。あのやろう、珍しく根性のある奴だ」

「オヤジ、客室をあらためさせてもらうぞ」

 隊長が宿屋の主人を乱暴に押し退けて、急な階段を上ろうとする。ベルノはサッと壁に身を寄せて隠れたが、条件反射か、はたまた根っからの善人なのか、宿屋の主人は哀れっぽい声で隊長に追い縋る。

「ああっ、乱暴はおやめくださいっ! お二階のお客様っ、お客様でございますっ! お客様ぁ、大変でございますよっ! お客様が訪ねてまいりました~~っ!」

 最早ナンノコッチャカわからない。お客様ばかりで頭が混乱しそうだ。

「ええい、邪魔だてするなら貴様も引っ捕らえるぞっ!」

 どすんっ、と重い音が響いた。突き飛ばされて宿屋の主人が尻もちを突いたのだ。

「やめろっ!」

 カッとなって、うっかりベルノは怒鳴っていた。

「あっ、しまった……」

 後悔しても後の祭りである。逃げる機を逸したのだ。しかし、こうなったからには仕方がない。成り行きとはいえ一応は庇ってくれた親爺さんを見捨てるのも後味の悪い事だし、降りかかった火の粉は払わねばなるまい。

 観念して、ベルノは階段越しにひょこっと顔を出した。どうにもまぬけな有り様だ。

「手を離せ。その人は関係ないだろ」

 にやり、と隊長は口の端を上げた。

「降りて来い。そうすればこの男は見逃してやる」

 悪漢にしか見えない台詞を堂々と口にして、隊長はいやらしく手招きした。

「上着くらいは羽織らせてくれ。出来れば剣も持たせてもらえると助かるがね」

 ベルノは皮肉で言ったのだが、意外にも隊長は「好きにしろ」と応じた。

 訳がわからない。どういうつもりだ──?

 身支度を整える為に狭い客室へ戻ろうとしたベルノの背後から、恫喝するような隊長の声が追いかけてきた。

「念の為に言っておくが、窓から逃げようとは思うなよ。外にも見張りの兵を立たせてある」

 面倒だが、行くしかない。

 自分も付いて来ようとするルーに、しい、と唇に指を当てて静かにしているよう指示する。眉根を寄せて泣きそうな顔をするが、手の平を向けて制する。

「ミラの所へ行け。匿って貰うんだ。後でアルヴァを行かせる」

 こくん、とルーは頷いた。

 持ち金のほとんどをルーに手渡し、灰色帆布の旅鞄に乾いた洗濯物を突っ込んで、無染革の外套をきちんと着込んだ。腰に剣帯を締めると慣れない剣が安っぽい音を立てる。

 娘の頭を優しく撫でてから、ベルノは覚悟を決めて階段を降りて行った。

 階下では、手ぐすね引いて、といった様子で騎兵装束の群れが待ち構えていた。どの男も筋肉ムキムキの立派な体をしている。そしてほとんどがベルノより頭ひとつ分は背が高い。

「うわぁ、嫌な感じだなぁ……」

 軽口を叩くベルノに、髭面の隊長がずかずかと詰め寄った。

「ほう、優男だな……」

 襟元を掴まれ、馬鹿力で強引に引き寄せられる。

「うわっ、男といちゃつく趣味は無いんで勘弁してくれますかね」

「気色悪い事を言うな、下郎。瞳の色を検めるだけだ」

 隊長はこめかみに青筋を立てていた。

 検分というだけあって、必然的に息が触れるほどの至近距離でむさくるしい野郎と顔を突き合わせて睨みあう格好になる。目を合わせると、隊長は怯んだように息を飲んだ。チラチラの光が揺れる虹色の瞳を覗き込んで、ゾッと肝を冷やしたのだ。

「なるほど、貴様が魔物憑きのヴァンディールか。確かに、気味の悪い目をしていやがる」

 チッと舌打ちされた上、乱暴に突き飛ばされた。みっともなくよろけたが危うく無様に転がる羽目は免れた。

「おとなしく付いて来れば悪いようにはしない。侯爵様がヴァンディールをお求めなのだ。お申し付けに逆らわなければ、それなりの褒美も頂けよう」

「褒美……?」

 胡散臭いには胡散臭いが、どうも思っていたのと少し風向きが違うようだ。

「わかった。言う通りにする。だから親爺さんには手を出すな」

「よかろう。もとより用があるのは貴様だけだ」

「お客様……っ!」

 感極まった様子で宿屋の主人は拝むようにベルノを見た。それから心配げな表情で二階へ視線を向け、再びベルノに視線を戻す。なにかの合図のように、宿屋の主人はチラッと上を見て、チラチラッとベルノを見て、またチラチラチラッと上を見る。

 おいおいっ、ルーが上にいるのがバレるじゃねえかっ!

 衛兵たちに気付かれないよう、ベルノは慌てて微かに首を振った。そのわずかな仕草でベルノの意図を察してくれたようで、宿屋の主人は口元に手を当ててぴたっと動きを止めた。

 そのまま黙っていてくれよ~~っ!

 隊長に小突かれるようにして宿屋を出ると、表には、更に大勢の衛兵が控えていた。ざっと見ただけで五十人はいる。たった一人を捕まえる為に大袈裟なことだ……

 呆れるベルノの前に華美な鞍を付けた白い馬が引かれてきた。手入れの行き届いた純白のたてがみは綺麗に編み込まれていて、青いリボンと雛菊で飾られている。光沢のある濃紺の馬服には、盾に竜とアカンサスのダンジュール侯爵の紋章が豪華な金糸で刺繍されていた。

「おいおい、まさかアレに乗せる気か?」

「そのまさかだ」

 貴族のお姫様が騎乗するならまだしも、貧乏くさい恰好の男が、あんな派手な馬に乗せられては、まるで道化ではないか。

 あまりの情けなさに、ベルノは声も無くうめいた。


   †††


 ダンジュールの都は巨大湖のほとりの三角州地帯に発展している。市城壁は、十二の防御城塔と四つの城門があり、歩廊を備えた分厚い盾壁を隙無く巡らせた堅牢な造りだ。都の中を貫き、さらに周囲を囲い込むように、巨大湖に流れ込む大河が枝分かれして流れている。街の中には運河が網の目のように張り巡らされ、ゴンドラも多い。

 城下街は十二の街区に別れており、それぞれが独自の気風を持っていた。

 北の城門から広がるのは優雅な邸宅が立ち並び緑あふれる貴族街区。

 東の城門を含む軍団居留区の近くには、士族街区と、俗に成金と呼ばれる者達の住む上流市民街区。

 南の城門からは商館や倉庫が立ち並ぶ異国情緒漂う商人街区と、旅人が多く宿屋や娼館がひしめく煩雑な歓楽街区が広がっている。

 西の城門からは六つの平民街区がごった煮のように広がる。各種職人、教師、楽士、清掃業者、呪い師もどきの医師など、様々な職業に従事する者、あるいは貧民、奴隷階級など、ほとんどの市民が住むここは、下街と呼ばれている場所で、最も広く、最も住民が多く、最もエネルギーに溢れている。

 すべての中心に、堅牢な壁を巡らしたダンジュール侯爵の居城がある。


   †††


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